最狂の超能力者・七話
僕の名前は白令 深夜。
父も母も誰もが認める、名門、白令家の長男であり、それ以上でもそれ以下でもない。
幼少期からの過度な教育が祟り、今は異能力をほとんど使用出来ない上、一組から十五組に落ちてしまったけれど、そのことで両親を恨んではいない。むしろ感謝しているぐらいだ。
一度頂きに登り、そして麓に転がり落ちることによって、僕は何にも替えがたい貴重な人生経験を得られた、だから超能力者の気持ちも、低異能力者の気持ちもある程度理解することが出来る。
能力があるからこその心の余裕を知り、能力が無いからこその努力を知った。
能力があるからこその奢りを知り、能力が無いからこその嫉妬を知った。
見上げる気持ちと見下す気持ちが分かるから、僕はものごとを見通す気持ちを持っている。
それが僕の価値観、価値の観方。
馬鹿な弟は僕を偽善者と罵るけれど、そんなことはどうでもいい、だって偽善で人が救えるならそれに越したことはないじゃないか。そもそも、本当は人を助けたいのに、でも偽善者になるのが嫌だから人を助けない、というならば、それこそが偽善ではないのか、偽善者だとか善良だとか、そんなことに拘っていることこそが偽善ではないのか。本当はこの世に偽善も善良もないのであって、そこにあるのは、助けるか助けないかの二択だけなのに。
ていうか完璧に善良な人間なんかが実在したら逆に引く。そこまでいってしまえば、そいつは既に人間じゃない。
大体、良いところがあるから悪いところがあるのであって、逆に言えば悪いところが無い人間に良い人間はいないし、存在しない。善がかならずしも良いとは限らないし、悪がかならずしも良くないとも限らない。ただ両方とも特性が異なるだけで、根本的には同じ類のものなのだから。磁石のプラス極とマイナス極みたいな。
だから、……だから、さ。
僕の弟、白令 深月だって、あんなに思い悩む必要はないんだ。
あいつにだって、人から認められる要素はある。本人だってそれを望んでいる。だけれど、その肝心の深月自身が自身を認めていないのだから、どうしようもない。自分が自分を認めないくせに、人には認めてくれと言うのだからおかしな話だ。矛盾している。あいつは偽善者でも善人でも悪人でもなんでもない。
ただの偽悪者だ。
欺瞞と自己嫌悪が得意なだけの、ただの馬鹿なんだ。
いや、正しくは、だった、である。
馬鹿だった……。
あくまでも過去形。
あいつは死んだのだから。
五年生に進級すると同時に、死んだのだから。
白令 深月はこの世からいなくなった。残ったのは僕だけ。白令 深夜だけがこの世に残った。
報われない話だと思う。
深月は誰に認められることもなく、最後まで孤独に消え去ってしまった。死因は焼身自殺、具体的な動機は分からない。色々難しいやつだったからなあ、人生が嫌になったのか、生きることに疲れたのか。今となっては知る由も無い。
月並みで、ありきたりだけれど、僕が死んだあいつに言ってやれることは、お前の分まで生きてやる、とそれだけである。それ以外、死んだ人間にやれることなどないし、あったとしても思いつかない。
だから今日も僕は生きよう、あいつのために。
深月は死んだ。
でも僕は生きている。
これはそれだけの話し。
「深夜、何考えてるの?」
時旅 葉――――葉ちゃんが、僕の顔を覗き込んでくる。
「ん? ん、ああ、ちょっとね。善と悪について」
「うわあ、真顔で何恥ずかしいこと言ってるの……私達もう五年生だよ?」
そう、僕も今年で五年生になった。葉ちゃんとはかれこれ二年以上もの付き合いになる。
思えば波乱に満ちた学校生活だった。
「でもそんなキザッたらしくてイタイ感じの深夜もステキ!」
「うん、ありがとう。全然嬉しくないから気持ちだけ受け取っておく」
「クールに私の言葉を受け流すそんな深夜もステキ!」
「ようするに君は何でもいいんだね」
「優しい冷たさがこもったその視線もステキ! むしろもっと向けて」
「たくましい子になったなあ」
本当にたくましい子になった。二年前まであんなに暗かった子が。いや、根から暗い人間なんていないのだろうけど。
「むしろステーキ!」
「違う」
「食べていい?」
「だめ」
「いただきます」
「だめって言った!」
僕の手にむしゃぶり付こうとする葉ちゃんを、なんとか両手で押さえつける。
不満げに頬を膨らませる葉ちゃん。
「何するの」
「人の台詞を先取りしないで」
「指の一本や二本いいじゃないの。どうせまた生えてくるよ」
「生えない」
僕はトカゲか何かか。
「そんなトカゲの尻尾みたいな深夜もステキ!」
「生えないって言った」
というかトカゲの尻尾のどこにステキな要素があるのか。
「じゃあ、食べるとは言わないまでも、せめてしゃぶるのはだめ?」
「なんかいかがわしいからだめ」
「じゃあ、しゃぶるとは言わないまでも、せめてあぶるのはだめ?」
「炙るの!?」
「むしろ炙った上でしゃぶり尽くす。一挙両得でしょう?」
「泣きっ面に蜂でしかない」
「炙っ面にしゃぶ、の間違えじゃなくて?」
「そのまんま過ぎて意味がわからない。ていうか炙っ面て何?」
「合わせて炙った蜂取らず、だね」
だね、じゃなくて。何のドヤ顔なのそれ。一個も上手いこと言えてないし、何が言いたいかもわからないし。だからそんな“褒めて頭撫でて”みたいな物欲しげな視線を送られても困る。
困るので、とりあえず場しのぎ的に葉ちゃんの頭に手を置き、軽く撫でる。
「ふにゅうゅ」
……。
なんていうんだろう、この可愛い生物。超和む。家で飼いたい。逆に飼われてもいい。
出来ることなら、ずっとこのまま撫でていたい。
ずっと、このままでいい。
このままがいい、このままでもいいかもしれない。
だけれどいずれ、この関係は壊れてしまうのだろう。そう確信できてしまう。
いや、そもそも既に壊れているのか。
壊れたものを、脚色した廃棄物で誤魔化し、取り繕い、そしてハリボテの幻像を模っているに過ぎない。
だけれどそれに気付くことが出来ないのなら、それは本物と同じだ。
本物の嘘でもハリボテの嘘でも、相手を騙すことが出来るのなら同じことなのだ。
だから俺は深夜であり続けよう。
◆◇◆◇
四年の後期後半のことだ。
兄が死んだ。
理由は焼身自殺とのこと。動機は不明。
ただまあ、あいつはあれで気苦労が絶えないやつだったからな。
およそ俺には想像も出来ない、複雑で崇高な悩みでも抱えていたんだろう。
同情は出来ないし、する資格もないし、しようとも思わない。
だけれど嬉しい気持ちはなかった。憂える気持ちもなかった。熟れ爛れたような不快感だけがあった。
胃を落っことしてしまったような、そんな不快感。
どうして俺より何倍も、何十倍も望まれていた兄が死んだのに、俺はまだ生きているのか。
どうして兄より何倍も、何十倍も望まれていない俺が生き、兄は死んでしまったのか。
「何やってんだ、あんた」
言葉にしてみると、秘めていた怒りがふつふつと湧き上がってくる。湧き上がった怒りが更に言葉となって表出していく。
止め処なく溢れる。
「……馬鹿じゃないのか? ――――馬鹿じゃないのか!? ……ふざけんなよ、死にたいのは俺だ、俺なんだ! なのになんであんたが死んでんだよ!? お前すげえ奴じゃなかったのかよ……いつも正しくて優しくて、間違ってるのは俺で駄目なのは俺で……だから、だからだから俺は、俺は兄ちゃんに憧れてたんだ、だから嫉妬したんだ! どうして、……どうして生きてるのがあんたじゃなくて、俺なんだろう」
久し振りに、薄弱だった情緒が激しく動いた。久し振りに感情と呼べる感情が発露した。
こんな形で動く心など無かった方が良かったけれど。
「では死んでしまえばいいじゃないですか」
目の前に現れたのは、黒と白の執事服に身を包んだ一二三 五六だった。
まるで計ったかのようなタイミング。胡散臭い執事モドキ。
「そして兄――――白令 深夜が生きればいい。あなたの代わりにね。あなたが代わりにね」
「……、何、を」
「どうです? 両親の愛が欲しいですか? 友の信頼が欲しいですか? 己の居場所が欲しいですか? 白令の名に恥じない地位が欲しいですか?」
欲を触発する言葉。欲に直接触れてくるような言葉。それはこれ以上にない甘言。
この男の言葉に、俺が欲するもの全てが内包されていた。
俺は誰かに認められたかったのだ。
兄のように。
誰からでも認められるヒーローに、俺はなりなかった。
なら。
「あなたが“深夜”に成ってしまえばいい。深月を殺してね」
「でも、それは、――――」
「――――出来ない? ははは、これはご冗談を。私はしがない執事ですよ? 私に出来ないことなど、この世に四つしかない」
「俺は――――」
「ああうるさい。面倒臭いから黙って頷きなさい。そもそもあなたに選択の余地などありません。既に選択はなされているのですから。あなたの父によって」
「は?」
父? なぜここでその名が出てくる?
だけれど出てきたのは名だけではなかった。
五六の背後から歩み出てきたのは、正真正銘俺の父親、白令 弦李だった。
「お前は私の息子ではない。私の息子は深夜だけだ。なあ? そうだろう?」
虚ろな瞳に、凄惨な笑み。どう見ても正気ではない父の様子に、怖気と寒気が仲良く踊り狂う。
執事はかたる。
「任せて下さい。嘘もまかり通れば真実、冗談もまかり間違えれば現実と言いますし。あなたにはこれから深月ではなく、深夜として生きてもらいます。皆それを望んでいるのですよ。それに、あなたが居なくなっても誰も損をするものはいないので御安心を。あなた自身も、ね」
暗転。
「……さて、これで“覚醒”への下準備は整いました。後はあなたの仕事ですよ、現さん。……それにしても、実に下らないシナリオだ」
◆◇◆◇
目が冷めた時、俺は俺ではなくなっていた。
代わりにそこに居たのは、死んだ兄であるはずの白令 深夜だった。
それが半年前の出来事。
「アッはァ」
思わず気が狂った。
俺は――――いや僕は、頭がおかしいのだ。
◆◇◆◇