三十五話
異変が起きていた。
両目の視力が失われたため現状を正確に確認することは出来ないが、だけれどこれだけはわかる。
今、目の前で――――現在、自らの目があるかどうかは不確かだが――――何か、今までに無い異変が起きている。空気で分かる。視力も聴覚も嗅覚も味覚も喪失しているが、幸い人間には四つの感覚器以外にも触覚と呼ばれる機能が施されているのである。そして俺もその例に漏れず――――中身はともかく一応の形は――――通常の人間と同じ構造の身体を有しているのだ。つまり触覚に関してだけは、右足以外は無事ということ。千切れてしまった左腕はこの際論外だが。
だから分かる。
今まで、幾度も異常な体験をしてきたのだから。
高等部に進学してからこれまで僅かの期間に体験した、いくつかの不可解な経験。永遠に包み隠されるべき黒歴史である、俺の中学時代の戦闘経験。この静止した空間内に浸入することによりその全貌を垣間見た、時を繰り返す度に死んでいった俺が体験した幾重もの経験。その三つの膨大な非日常が肉体的、感覚的、反射的に体内に堆積し、理性では見えざる“体験”となって、俺の本質的恐怖心に警鐘を鳴らす。
警戒しろ。
やつ――――白令 深夜の身体に、何か異常な力が働いている。
現状を戒める。現状を警める。警戒する。
これはなんだ? やつに何が起きている?
肌で感じる。どう判断すべきかを探る。それぐらいしか今の俺には出来ないから。せっかく運良く生き残った触覚だ、最大限に有効利用しなければ。代償の支払いに伴うショックによりぼやけていた神経を、どうにか一本に束ねる。細く、疲労した神経でも一つの目的のために一点集中すればそれなりのものとなる。三本矢が集えばなんとやらだ。
そして理解する。
白令 深夜の身に起きている現象。
これは――――そうか――――哀れな。
一言で分かりやすく表現すると、膨張。おそらく、深夜の肉体は全方位に膨張、拡大している。それはもう、肉だるまのように、留まるところを知らずに。
原因は明らか。あの魔眼がいけなかった。
超能力――――『右軽光』の枷をはずすとか何とか言って使役していた、あの魔眼。『魔期眼』と言ったか。
記憶を軽く手繰ると、そこにあった。『魔期眼』に対する知識。
確か、あの鍛冶職人、『惰鉄一賊』が一人、器用に『武起用』なる異能力(?)を使いこなす、気まぐれなる変人中年、泥毒島 餓々作が過去に話していたことを思い出す。
――――我々島 魂三郎っつう、あっしら一賊の中でも頭一つ飛び抜けて変態な鍛冶職人が居るんすがねえ。聞いたことありやせん? 世界最末の贋作師と名高い、あの『眼作師』の我々作でさあ。やつには気をつけた方が……んや、気ぃつけたところで免れる術はねえんですがねぃ? ま、この言葉だけは覚えておいた方が良い。“我々島の銘あるところに、災厄は訪れる”。この言葉の意味が分かりますかい? “我々島の銘”っつうのは、一般的、広義的な意味で『魔眼』のことを指し示すんすがね。つまり要約すると、『魔眼』の在るところにろくなことは起きねえって解釈になるんでさ。んま、『魔眼』っつっても色々あるんすが……特に分かりやすく災いの種になり易いのが『魔期眼』の魔眼でさあ。結構出回ってる比較的ポピュラーな『魔眼』でもあるんすが、あれがなかなか趣味の良い構造をしてやしてね? どちらか片方の目と引き換えに甚大な魔力を得られるんすが、あれを付けたら最後、もう助かるこたぁねえ。長い年月を掛け、宿主の全身に“転移”していくんでさあ。転移した『魔期眼』はその場で新たな芽――――新たなる眼を出し、その数を増やしていく。発芽ならぬ発眼ってやつでさ。それとも発癌ならぬ発眼かねぃ? んで、最後には身体中、あらゆるところから『魔期眼』が開眼し、異常な魔力を供給させ、宿主の肉体をも変異させる。全身魔眼だらけの肉だるまと化した――――その名の通り、魔物の完成でさあ。見た目はアレっすが……破壊力はそこらの兵器の比じゃねっすよ? 宿主が通常の人間でも、そうなっちまえば並みの超能力者に勝るとも劣らぬ力を秘めることになるんでさあ。それがもし、万が一にも超能力者がそうなっちまったとしたら……うぇへへへ、都市ぐらい壊滅すんじゃねえすか?
つまり、今、目の前にその全身魔眼だらけの肉だるまが出現しようとしているということだ。しかも元超能力者。俺の記憶が正しければ、その場合都市が一つ壊滅するらしい。
冗談じゃねえ……。つうか、うぇへへへへじゃねえよあのおっさん。
ああくそっ、ここに来て俺じゃなくてお前がパワーアップしてどうする気違い野郎。この場違い野郎。
手も足も出ないっつうか、手も足も在るのかどうかすら疑問だ。いや一応、まだ右腕は付いてるし、左足は無事だが、視覚が役立たずなのでそれが確かな情報とは限らない。ちゃんと立てているのかどうかもよく分からない。もしかしたら俺は今、多くの代償を払ってしまった弊害から、地べたにはいつくばっているのにも気付いていないのかも知れない。触覚から判断するに、多分立ててはいるらしいのだが。
ああ、暗い。
暗闇。
黒。
どこを見ても黒。
どこを見ても何も見えない。
黒しかない。
耳も聞こえない。
何を聞いても無。
無しかない。
今俺はどうなっているのだろうか?
膨張して肉だるまとなったあの野郎に襲われようとしているのか?
それとももしかして、野郎が魔眼の副作用で勝手にくたばって助かってるとか?
そうだといいがな。現実は夢や妄想ほど甘く出来てはいない。
……で、時旅はどうなってる? 無事なのか? 死んでたら許さねえ。
ああ、分からない。確認する術が、俺にはもう無い。
もう俺には色も音も光も無い。
代償を払い過ぎた。
恨むぜ、現。
だがそれでも、俺は『負価壊』を発動する。しなければならない。
もうそれしか方法は無いのだから。
代償を払う。
払う代償は、今俺が払える全てだ。
その“全て”が、どれだけの範囲での全てかはわからないし、それにこれはある種の賭けで、確かな効果は期待出来ないのだが。
それでも俺は言葉を紡ぐことにする。
自らの声すらも、今では聞こえないのだが。
あー……これで何も起きなかったら、俺すげえだせえよなあ……。
最後に一瞬だけ、そんな下らないことを思考する。
まだ冗談が言える自分にほくそ笑む。
どこまでもくだらない野郎だったな。
死ぬ覚悟はもう決まってる。
でもってその覚悟を捨てる。
代わりに生きる覚悟を拾う。
なに、気休めだ。
だってこの覚悟を持っていれば、安心して死を迎え入れられるだろう?
死に怯えている自分を騙して、きっと生きられると嘘を付き、そして優しく殺すんだ。
そうでもしないと、直前で迷ってしまうだろうから。
覚悟ほど不確かなものはないのだから。
これで準備万端。
「さあ、喰らい尽くせ『負価壊』。
対価は払ってやる。
無能で役立たずなお前にはお似合いな、俺の全てだ。
全てを腹に収めろ! 取れるものは全て取れ!
遠慮はするな、容赦はするな、妥協は許さない。
取り尽くしても吸い続けろ。吸い尽くしても尽くし続けろ。
その先に俺の未来も過去も現在も無くて構わない。
未来永劫取り続ければいい。世界から取り除け。
だから少しぐらいやる気を出してみろ。
この不様な無能力者に見合うぐらいの働きはしてみせろ。
俺は山より低く海より高いぜ?
さあ、やつの行動を破壊しろ。
さあ、やつの存在を覇壊しろ。
さあ、やつの因果を歯壊しろ。
理解不能のまま、意味不明なまま、不可解に、負可壊に。
ここが俺の最期だ!!」
◆◇◆◇
じゃあな、人生。
来世でも会えればいいな。
会えないとすれば、それは俺が人意外の何かだった時だ。
じゃあな、物語。
結局お前がどこに行き着くかは最後まで謎だったぜ。
その調子でゴールまで迷走し続けてろ。
じゃあな、世界。
お前はとんでもないクズだったが、それでも楽しめるところは結構楽しめた。
奇妙奇天烈な馬鹿どもと会えたことに感謝する。
じゃあな、馬鹿その一。
お前のことだよ行地。いや、本名は柚喜だったか?
どっちでもいいけど、お前の頬は最高だったぜ。親友。
じゃあな、アホその一。
お前のことだよ奈々乃。結局お前が何だったのかは知らんが。
なんでもいいけど、実は俺結構お前のこと好きだったぜ?
じゃあな、美唯。
なんか俺いなくなっちまうみたいだけど、ちゃんとやってけるよな?
大丈夫だ。迷ったら、分からなくなったら、俺の机の下から二番目を開けてみろ。
そこにきっと必要なことが書いてある。ラブレターと一緒にな!
つうかこれはずっと前から言いたかったんだが、あんまり兄を誘惑するもんじゃないぞ?
それじゃあ、またな――――、葉。
悪いが、いつまでも俺はお前の心に残り続けてやる。
こびり付いてやる。
それが俺の最後の我侭だ。
お前を束縛することになっても。
お前を悲嘆させることになっても。
何があっても、俺はお前の心の中にだけは、残っておきたいから。
……おかしいな。
俺はお前を幸せにしてやりたかったんだけどな。
俺のことなんか忘れて幸せになれ、なんて格好良いこと言うつもりだったんだけどな。
無理だった。
俺はそこまで器用にはなれないみたいだ。
すまん。
月並みな最後の一言として、お前の笑顔で見送られたかった。
……。
駄目だ。
嫌だ。
やっぱり俺は死にたくない。
いつまでもこの世界に居たい。
だって好きだから。
友達が、妹が。そして葉、お前が。
こんなにも好きだから。
嫌だ!
惨めでもいい、無残でもいい。
生きたい。
いつだったか、学校の保健室で語ったよな?
今、心底そう思える。
生きて幸せになりたい。
絶対なってやる。
……はあ。
くそっ、ままならねえなあ。
全然ままならん。
なんか必死にほざけば想いの力でどうにかなると思ったんだけどな?
よくあるだろ、そんな感じの展開。
だがどうやらこの白地に黒字の世界は、そんなに優しくはないらしい。
お別れだ。
また会えたらいいな。
葉。
いつまでも、どこまででも好きだ。
◆◇◆◇
今までご愛読有難う御座いました!
まさかさかさまによる次回作にご期待ください!!
なお、次回からは『最狂の超能力者』をお送り致しますので、チャンネルはそのままでお願いします。