四話
神屠学園、一年十五組所属、火巻 行地。
能力名『いい火減』。感情の波に同調し、その威力を高める。通常時の火力は市販ライター程度。危険度ゼロ。過去の大量殺戮“紅海事件”の加害者。その頃に大きな心的外傷を負う。
「ふん……紅海事件、か」
夕日に照らされた室内。一人の渋面教師が、ただでさえ渋い顔に、また一つ皺を増やす。また一つ苦悩を増やす。苦渋は彼の原動力であり、また重圧でもある。
----俺のどクズ生徒どもが、妙なことに巻き込まれている。
火雷は、違法にアクセスした神屠学園データベースを睨みつけ、思考する。
----ようやっと学園暗部の情報をつきとめたはいいが……どうなってやがる。
今日、火巻の能力が暴走した。
何故だ? この情報を見る限り、確かに火巻が“紅海事件”の加害者だというのなら、あの火炎弾の威力にも頷ける。だがこの数値を見る限り、ここ数年の火巻は落ち着いていて、あれだけの暴発を起こすことは有り得ない。
元々コントロールが利かなかったため、多々暴発することはあったそうだが、だからといってあそこまでの暴発を引き起こすことはないだろう。
誰かが裏で糸を引いていない限りは、か。
ここは、特別指導クラス準備室。
神屠学園は、一クラス一組から十五組に分かれていて、その中でも選りすぐりの低能力者を集めたのが、“負け組み”と揶揄される特別指導クラス、十五組だ。
特別指導クラスの担任は、一人につき一つの準備室が与えられている。ここならば学園の目が届かず、かつ学園内部から情報を漁ることが出来る。更には、火雷の私室としても重宝されていて、部屋のあちこちには特製の監視カメラや警備装置、ロック、ブービートラップ、迎撃システム、ジャマー、あらゆる対策が施されている。烈拳の喧嘩屋は、存外に器用なのだ。
準備室という名の城で学園の情報を漁ること数年。
学園という名の人体実験所で暗部の情報を漁ること数年。
少しずつ、徐々に、地道に、微細に、淡々と、学園の裏を、暗闇の断片を、収集してきた。
そしてついに積み上げた。塵の山を。
ついにつきとめた。学園のデータベースを。
----確かに俺は、一つ一つこの手で、やつらの目を掻い潜り、確実に情報を集め、このデータベースにアクセスするまでに至った。他にも、いくつかの裏情報も入手している。
だが妙だ。何かが引っ掛かる。何かが不自然だ。何か得体の知れない悪寒を感じる。
歯茎に刺さっていた小骨が、実は超小型時限爆弾であるかのように。
腕に留まっていた蚊が、実は次世代生物兵器であるかのように。
----俺はどこか、決定的に道を間違えてはいないか?
火雷の恐ろしさは何も、超能力者の域にまで達っした戦闘力や、かつて鬼童とまで謳われた知能や行動力だけではない。その気性の荒さ、豪胆さ、大胆さ、野生さ、本能、カリスマ、それらが混同されて形成された、恐ろしいまでの勘の鋭さにある。
----……いや、さすがに気のせいか、いくらなんでも心配性過ぎだな。俺は完璧にやってきた。見落としは無い。例え多少の穴があったとして、そんな小さな穴を埋めるぐらいなら目の前の宝箱に向かった方が有益だ。これはその程度の杞憂だ、気にすることはない。
だが、そんな勘の鋭さをもってしてでも、学園の卑策からは逃れられない。
火雷は学園のデータベースを読み進める。学園の垂れ流す、無味無臭の毒ガスに首を傾げながらも、決してそれに気付くことはなく。いつの間に脳が、学園の垂れ流す毒電波に侵されていることに気付くことはなく。
火巻 行地についての秘匿情報を一通り読み終わり、次の項目に目を移す。
篤木 圧土。
彦星 香苗。
いつも一緒にいる二人組みの男女。
この二人のプロフィールは前々から調べてはいた。
学園の至るところに残されている痕跡を辿ると、何故かこの二人に終着することが多々あるのだ。
だがそれに反し、ベースに刻まれたデータには何の変哲もない。いや、いくらか奇特な人世を歩んではいるが、学園の根幹に関わるようなコレといったものはない。
そもそも奇特な人世なら、十五組のほとんどの生徒が歩んでいる。そういうクラスなのだ。
篤木と彦星のことは、とりあえずは保留し、今はとにかく情報のインプットにいそしむ。思考することならいつでも出来るが、データベースにアクセスしていられる時間は限られているからだ。この機を逃してしまえば、次に拝める日が何年先になるのか分かったものではない。
それで本当に読めているのかどうか疑問に思うほどの速さで、PC画面はスクロールしていく。
火雷が今最も詳細を欲している生徒は、火巻、篤木、彦星以外にも七人居る。
戸川 伊織。三年。
衣瓦 轍之助。三年。
元次 渡。二年。
織姫 祈。二年。
全員、特別指導クラスの生徒だ。
こいつらは篤木 圧土と彦星 香苗同様の理由で前々から目を付けていた。
さらに、特別不可解な特別指導生徒、
異無 良人。
奈々乃 美羽。
そして……時旅 葉。
これらの情報は絶対に手に入れておきたい。
火雷は冷静に、迅速に、インプット作業を遂行していく。
だが、
目の前に突如として現れる銀色。
「……あ?」
思わず間抜けた声が漏れてしまう。
なんの前触れもない理不尽に、思考回路が途切れてしまいそうになる。
目の前の、正しく目の前の、“画面から飛び出ている銀色の刃”を視認する。
瞬時に理解する。
何者かのナイフが、PCを貫いたのだ。
怒りが沈殿する。冷静が沸騰する。
おい……おい、おい、おいおいおいおいどこのどクズだおいっ!!
もう少しで、数年探し続けていた学園の裏を、暗部の表を、やつらの尻尾を、捉えることが出来ていたかもしれない。
あともう少しで、あと一歩でっ。
そんな激動も一瞬にして冷やしてしまうのだから、なかなかどうして有能過ぎる。
火雷は刹那の間に感情を抑え、周囲を確認する。現状の把握に取り掛かる。
まず、どうやって侵入者は、“そもそも浸入出来たのか?”。
この部屋は既に俺の要塞と化している。そんじょそこらの機密機関よりは厳重に、セキュリティは整えてある。異能力者対策も万全だ。この中で俺以外の能力の発動は出来ない。能力解除で部屋を覆っているのだから。部屋に浸入しようとすれば、必ず能力解除に触れなければならない。これに触れれば、数秒だが能力の発動が一切不可能になる。そんな状態で入ってみろ、部屋内のセキュリティを掻い潜ることは絶対に出来ない。チャフ発生装置も、セキュリティの管理装置も、全部部屋内にあるのだから遠隔操作で弄ることは無理。電波遮断だって正常に働いているから、尚の事無理。大体、ただでさえ浸入経路は扉一つしかない。あそこのロックは一際厳重だ。窓も全て特殊念粒子ガラスで暗幕も閉めてある。もし能力解除が無かったとしても、もしセキュリティが無かったとしても、もし部屋のロックを掻い潜ることが出来たとしても、そもそもこの俺が気付かないわけがない。虫一匹の反応だって感知できる。ましてや人間なんて気配の分かり易い物体を逃すはずが、あるわけがない。例え出来たとして、例えそれらの関門をクリアすることが出来たとして、いつこのナイフはPCを貫いていたんだ。こんなものが飛んでくれば、俺でなくても気付くだろう。
次々と現状を羅列していく。
だが分かったことは、“分からない”ということだけ。
数々の侵入者否定要素は、目の前にある一本のナイフに敵わない。PCが破壊されたという事実に敵わない。
敵の能力も、正体も、どこにいるのかも、分からない。
しかし止まってはいられない、呆けてはいられない。
起きてしまったのなら仕方がない、分からないが、分からないなりに全力対抗してやろう。
気を取り直し、というよりも、なかば開き直り、敵の気配を探る。もしかしたら、気配を完全に絶つことの出来る、人間という名のバケモノが浸入して来ているのかも知れないが。
部屋全体をチリチリとした気が漂う。
いや、気ではない、念粒子だ。百戦に錬磨された能力者は、念粒子自体を、即席の触覚のように応用することも出来る。
……いない。
直後だった。死ぬと確信したのは。
「ごめんね」
----はっ?
「こうでもしないと良人は死んじゃうから。あんまり学園に踊らされないよう、気をつけて」
「だ、れ……だ」
声が干上がって出てこない。
悲壮に満ちた、鈴のような透き通った声が、火雷を困惑の穴に貶める。
苦し紛れの対抗策として、臨戦態勢に入っていた異能力を開放する。
だが、既に声とナイフの主は消えていた。
それは“逃走”というコマを跳ばしたかのようで。
それは“浸入”というコマを跳ばしたかのようで。
文字通り、手も足も出なかった。
それから何秒経っただろうか。
何分経っただろうか。
はたまた何時間経っただろうか。
ハッと、自分がまだ生きていることを認識した。認識できる、身体があった。
皮肉なことに、超能力者、火雷 京二は数年ぶりの安堵に満たされる。
「……く、くくっ、はっははは」
まだまだ俺も力不足ってわけか。
こんなところでしくじるとはなあ。
だが、
----こうでもしないと良人は死んじゃうから。あんまり学園に踊らされないよう、気をつけて。
なかなか興味深いことを聞いた。
踊らされていた、か。
はっ、お前こそ踊らされているんじゃないのか?
悔し紛れの、苦し紛れの独り言。
特に意味はない。
果たして、今この時、俺は踊らされているのか。それともそうでないのか。
「また一からやり直しだな」
教師は一人、自嘲する。
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