時旅 葉・九話
簡潔に説明する。
要点だけを取り出す。
事件直後に、美唯ちゃんが話してくれたこと。
良人が何に巻き込まれていたのか。
美唯ちゃんが何に巻き込まれていたのか。
事の経緯。
良人は、学園の医学部に所属する美唯ちゃんを人質に取られ、学園の上層部――――即ち軍部で働かされていた。利用されていた。戦わされていた。
そして美唯ちゃんは逆に、軍部に所属する良人を人質に取られ、学園の研究員として働かされていた。その超能力を振るい、数々の治療、実験、研究をさせられていた。
どちらが先に人質に取られたのか、どちらが先に利用されていたのかはわからない。
美唯ちゃんの話しによると、兄の様子がおかしくなりだしたのは――――家に帰ることが少なくなったのは――――中等部一年の頃の、十二月辺りからだという。おそらくその頃から、良人は軍部で働かされていたのらしい。何か得たいの知れない戦線に投入させられていたらしい。
ずっと軍部のいいようにされていた。十二月辺りから。
十二月。
それは確か、良人があの黒いケースに入れられた得物を常に携行し始めたのと同じ時期だ。良人曰く中身は“バット”なのだという、常に背中に掛けていた、あの得物。つまりあれは、いつどこで“何らかの何か”の襲撃があってもいいように携行していたものなのだろう。“何らかの何か”に対応するためのもの。そんなものを常日頃から警戒しなければならないほど、良人の私生活は荒んだものだったということ。自分の周りに人を近づけるのを躊躇うほどには、荒んだものだったということ。
だけれどあの、人を近づけさせない乱暴な性格は、今に始まったことではない。小等部にいた頃からあいつはあんな性格をしていた。誰彼構わず、攻撃的な態度を取っていた。だから、それはつまり、その頃から、小等部の頃から、現在とはまた違った、得たいの知れない何かに巻き込まれていたのかも知れない。本当は相手のことばかり考えているくせに、だからこそ、誰も巻き込みたくなかったから、あいつはいつも一人で孤立していたんだ。
いや、といっても良人が孤立していた原因は、別にもう一つあるのだけれど。ある時、良人が少し教えてくれたこと、そしてそれは、小等部の頃から耳にしていたことで、良人の体内には生まれ付き“内気”が流れていないのだという。私は小等部の頃はそんなことほとんど気にしていなかったし、そもそも今も気にしていないのだけれど、その奇怪な特異体質のこともあり、良人は昔から孤立していた。だけれど、それでも、良人の方から歩み寄れば、友達になってくれる人は居たかも知れない。容認してくれる人は居たかも知れない、いや、居たはずだ。だけれどそれをせず、ずっと孤立していた理由は、自分のことで、他人を巻き込むのが嫌だったからで。
だからあいつは最初、私達にも冷たかった。一緒に昼食を取ろうと言う火巻を撒くために、いつも屋上に逃げ込んでいた。その屋上で私と偶然再会してしまい、結局なんだかんだで良人の周りには人が集まってしまったのだけれど。私と、火巻と、それから美唯ちゃん。いや、美唯ちゃんは妹だからこの場合は違うのか。
それらを守りたかったから。
自ら人を避けていたのに、それでも壊したくないものが出来てしまったから。
巻き込みたくなかったから。
まともに登校するのもままならないような日常を送りながらも、事実をひた隠しにしていたのだろう。
……いや、おそらく逆か。登校がままならなかったのではない。たとえままならない登校でも、登校はしなければならなかった。
おそらく、良人が所属している軍部とやらの戦線は、任務とやらは、学園内で行われていたものが多かったのだと思う。学園に関係するものが、関連するものが多かったのだと思う。でなければ登校なんて到底無理だ。むしろその任務か何かの一環として、登校を続けていたのかも知れない。
学園の支配下に置くために、毎日自分達のテリトリーに通わせていた。学園と軍部は、ただ名称が異なるだけで、ほとんど同一の組織だ。学園の下につくということは、軍部の下につくということ。軍部の下につくということは学園の下につくということ。
例の特異体質のこともある。“体内に内気が流れていない”。それは学園にとって、いや、多少なりとも異能力や念粒子の研究に携わっている人間にとっては、絶好の研究対象のはずである。神屠学園は異能力を育成する機関であり、研究する機関なのだ。良人という研究対象を放っておくはずがない。だから手元に置いている。毎日学園に通わせている。研究するために。実験するために。
いや、もしかしたら“そちら”の方が本来の意図なのかも知れない。様々な戦線に投入することによって、軍部で実用することによって、異無 良人という人間のデータを得る。異無 良人という兵器のデータを得る。どれだけ使えるのか。どれだけ使えないのか。どれだけ約に立つのか。どれだけ約に立たないのか。
それならば、良人が多くの授業をサボっていたのも、それについてお咎めが無かったのにも説明がつく。授業を受けさせることが目的なのではなく、目の届く範囲に置くのが目的なのだから。毎日通わせ、軍部の戦線に、任務に、学園の実験に、研究に、付き合わせることが目的なのだから。
そういえばあいつは授業に出たとしても、いつも疲れきったように爆睡していた。勿論、教師からのお咎めは無かった。あれは学園から実験兵器に与えられた、最低限の睡眠時間だったのだろう。
そして美唯ちゃん。
天才医少女にして学園屈指の治癒系超能力者、異無 美唯。
彼女は、軍部に在籍する良人を人質に取られることにより、学園の裏で様々な研究に、人体実験に加担させられていたのだそうだ。
それは聞くに堪えない、精神が壊れてしまってもおかしくない、残虐にして非道なものだったという。
ある時は、原型を留めていない人間の治療をさせられ。
またある時は、人間の原型が留まらなくなるまで解剖をさせられ。
時には、人間を原型が分からない別の生物に作り変えさせられ。
また時には、人間が原型を留められなくなるような違法手術を施させられ。
想像するだけで吐き気がする。
それだけのことを。それだけの所業を、あの可愛らしい小さな手で、幾度も幾度も繰り返して来たのだという。
寝る間もなく、暇な時間さえあれば研究棟や手術室に呼び出され、人体を弄り続けていたのだという。休み勝ちだったのはそのためだ。精神と体力の過労により倒れることが数多くあったからというのもあるそうだけれど。
気がおかしくならないほうがおかしい。
なぜあの子は今まで、明るい笑顔を振りまくことが出来ていたのか。なぜあの子は今の今まで我慢し続けることが出来たのか。精神を保ち続けていられたのか。
いや、精神を保たなければならなかったのだ。倒れるわけにはいかなかったのだ。
兄が人質に取られていたから。嫌でも、無理にでも、自分を押し殺してでも協力しなければならなかった。だけれど、人間の精神力には限界がある。精神面だけでなくとも、寝る間も無かったというのだから、いつ過労で倒れてしまってもおかしくはない。
だから薬によってそれを補っていた。
残虐な手術によるストレスを、過剰な能力酷使による疲労を、学園からの圧力による心労を“誤魔化す”ために。自ら気付けの薬を精製し、処方していた。
数ヶ月前、屋上で倒れそうになった美唯ちゃんが飲んでいた、貧血に利くというあの薬がそれだ。
そこまでしなければならなかった。
そこまでして兄のために、学園に従い続けた。
自分が学園に従っているがために、兄が軍部に従わされていると分かっているのに。自分が逆らえば、兄が軍部に何をされるか分からないから。
兄が妹を庇い、妹が兄を庇う。
兄が逆らえば妹が殺され、妹が逆らえば兄が殺される。
私は最低だ。
それを聞いておきながら。美唯ちゃんがどれだけ辛い思いをしていたのか、知っておきながら。
あんなことを言った。
現実を受け止め切れなくて。
可愛い後輩を、心の捌け口にした。
今、誰よりも参っているのは美唯ちゃんなのだ。
ただでさえ学園に酷使されていたため、精神も体力も限界なのに。薬に頼ってまで限界を誤魔化している状態のに。
良人があんな酷い、見るに耐えない大怪我を負って。気が気でないだろう。
詳しくはわからない。詳細は不明。
ただ分かるのは、軍部から下された任務に失敗したことにより、良人はあれだけの怪我を負った。
そして、その手術を美唯ちゃんがしなければならない。
他に治せる医者がいないから。天才医少女ぐらいにしか、あれだけの重症を治療することは不可能だから。
いや、他の医者から聞いた話なのだけれど、美唯ちゃんでも良人の命を救うのは難しいという。
なんでも、良人は今かなり特殊な状態にいるらしい。
特異体質。
その特異体質が暴走し、通常の医療器具では身体に触れることすら出来ないのだそうだ。集中治療室に運び入れるだけでも相当の被害が出た。
美唯ちゃんの異能力をもってしてでも、最低四日間は手術室に篭らなければならないらしい。それでも治る見込みは薄い。
四日間の手術。
ついさっき、その一日目の治療が終わり、集中治療室から出てきた美唯ちゃんだけれど、とても後三日ももつとは思えない。どう考えても無茶だ。私の理不尽な罵倒すら聞こえないぐらい、精神が限界を超えているのだから。もはや薬で誤魔化すこともきかないだろう。
でも。
だけれど、もう、美唯ちゃんに託すしかない。
美唯ちゃんしか、良人を助けることは出来ない。
後三日間の大手術を、ただただここで祈ることしか出来ない。
私は何も出来ない。
無力。
無力。
力が、ほしい。
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