二十八話
有り得ない。
そんなはずはない。
私の『時計錠』から逃れられる人間なんかいるはずがない。それは人間に限った話ではなく、全ての生物、物、空間、現象すらも私の前では停止するはずなのだ。
因果に共通して流れる自然現象――――“それ”が存在しているというだけで“それ”に起こる止めようのない現象――――森羅万象に流動する形の無い本質、それが“時”というもの。
私の能力は“行動を無視して結果だけを残す力”だ。つまり、私がどのような行動を取っても、その行動は時として刻まれず――――時から、世界から切り離され――――私は行動できる。
いくら行動しても、その行動は世界には刻まれず、だから誰にも、何者にも能力発動中の私を観測することは出来ない、捉えられない。
私の行動は全て無かったことになる――――いや、最初からなかったことになっているのだから。“因果に共通して流れる自然現象”の存在しない世界で、私は動いているのだから。
けれど、その行動によって“起きた結果”だけは残る。行動は残らないけれど、結果は残る。
能力発動中に私が行動しても、“行動したことにならない”、だから私の行動は止められない、なにせ“その行動”は実際には存在していないのだから、だから――――だから、“この世界には存在しないはずの私の行動”に対応することは不可能のはずである。
なのにどうして深夜は、“首を切り裂かれる”という結果の、その前にある行動――――存在しない、世界から切り離された、“背後に回られる”という行動に対いして応じられるのか? なんで存在しないはずの行動を察知し、ギリギリの間合いでナイフを避けられるのか?
決まっている。
それは、つまり、
深夜が“こちら側の世界”に踏み込んできているからだ。
時の止まった、私だけが動ける世界に、侵入して来ているからだ。
だから私のナイフを避けられる。
どうやってかは分からないが、致命傷を負う薄皮一枚のところで、私の能力に――――“時の止まった世界”に足を踏み入れ、そしてギリギリで身をかわす。
首を狙っても、顔を狙っても、心臓を狙っても、肺臓を狙っても、どれもがどれも一撃必殺の一閃を、皮と肉を切らせながらもギリギリで避けてしまう。
しかも同じことを繰り返す内に、どんどん私の刃は届かなくなってきている。さっきはもうちょっと深く切りつけられたはずなのに、今では掠り傷程度しか与えられない。
徐々に、徐々に“こちら側”に侵入していられる時間が長くなってきている。このままだとまずい、少しずつだけど、私のナイフが深夜に届かなくなってきている。
追い詰められていく。
「は、アッはハハハはひゃひゃひゃひゃ、ぬりィぬりいぬりイぬりィぜえェ!! 最初の勢いはどォしたァ!?」
このままでは時機、私のナイフは完璧に届かなくなるだろう。
あともう少し、時の止まった“こちら側の世界”に侵入されてしまうようになると、斬撃を当てることは出来なくなる。
そうなったらお終いだ。勝ち目はなくなってしまう。
こちらの攻撃が当たらない限り、絶対に勝つことは出来ないのだから。
そうなると、後は殺されるのを待つだけになってしまう。少しずつ私の能力に順応し、そして完璧に浸入されてしまう。
深夜がこちら側の世界を、自由に動けるようになってしまう。
そんなことになったら一瞬で殺される。時を止める異能力以外に持ち合わせのない、生身で脆弱な私は、一瞬で閃光によって掻き消される。
だからその前に殺さないと。
まだナイフが届く今の内に、深夜を殺さないと私の負けだ。
殺さないとこっちが殺される。
なのに、
なんでこいつは死んでくれないの?
こんなこと初めてだ。
――――“前の戦いの時”は最初の一撃で殺せたのに。
――――私は今まで、“何十回も何百回も深夜を殺してきたのに”。
何で今回のルートに限って、私のナイフは避けられてしまうの? 順応されてしまっているの?
「ッンなすっとろい動きで楽しめるわきゃァねエだろう!? もっとだ、もっともっともっと楽しもォぜェ!!」
ぞくり、と。
背筋に寒いものを感じる。
怖い。
怖い。
私はこいつが、
怖い。
ヒュンッ、
シュッ、
届かないナイフ。
ついに当たらなくなってしまった、私の攻撃。
それが意味するところは……。
死。
終わった。
完璧に避けられてしまった。見切られてしまった。当たらない。後はもう、こちら側に浸入されるのを待つだけ。勝てない。勝たなきゃいけないのに。負けが目に見えている。負けたら終わりなのに。負けたら死んでしまうのに。
殺される。
死ぬ。
死にたくない。
死んでたまるかっ!
私にはまだやることがあるんだ。
やらなければならないことがある。
ここでこいつを殺さなければならないんだ。
そうしないと、
良人が死んでしまうから。
美唯ちゃんを助けるために、ここに駆けつけた良人が、深夜に殺されてしまうから。
だから、私はここで深夜を殺し、良人が深夜に殺されないようにしなければならない。
私の死は、即ち良人の死だ。
良人は確実にここに来るだろう。今までどのルートでも、毎回毎回“お願いだから来ないで”と忠告したはずなのに、あの人の話を聞かない馬鹿でシスコンで察しの悪い良人は、必ずここに来た。
そしてむざむざ深夜に殺されてしまうのだ。良人では深夜には勝てない。だから私が、今ここで深夜を殺さなければならない。
“良人が死ぬ要因”を確実に廃除しなければならない。
私はいつだってそうして来た。
ずっとずっと、私は良人の死を回避するために、同じ世界を繰り返してきた。
良人が死なない道を探して、同じ時間軸を何周も、何周でもしてきた。けれど、そのたびに良人はどこかで必ず死ぬ。いくら手を尽くしても、いくら努力しても、いくら良人を殺す要因を廃除しても、どこかで必ず死ぬ。
私はその運命を変えなければならない。
良人に生きてもらいたいから。
死んでほしくないから。
生きてほしい。殺させたくない。
あの保健室で語った、あの馬鹿みたいな妄言を、私は守りたい。
良人のために、全ては良人のために。
私は何千回も、何万回も、良人が死ぬたびに、世界をやり直してきた。
でも、そのたびに良人は死に。
そのたびに私は過去に戻り、世界をやり直す。それの繰り返し。
延々と、気が遠くなるほどの、気が違ってしまうほどの、長い長い間、私はずっと良人の死と戦い続けている。おそらくこれからも、ずっと戦い続けなければならないだろう。それでも私は、諦めずに時を巡り続ける。延々と、永遠に。良人を殺す全ての因果を削除するまで。
だからこんなところで死んでなるものか。
私がいなくなったら、これから誰が良人を守るというのか。
“ここはまだ序盤”だというのに。
深夜を乗り越えても、これから先、まだまだ良人の身には、数え切れないほどの死が降り掛かってくるというのに。
それを振り払わなければならないのに、なんでこんなやつなんかに追い詰められているんだ、私は。
今回の世界は何かがおかしい。
いつものルートなら、最初の一閃で深夜は死んでいたはずなのだ。
あまりにもイレギュラー。
こんなことは今までに一度もなかった。止まった世界で動けるやつなんて、これまで一人も現れなかった。
実際、深夜が美唯ちゃんを攫うルートは何百回もあったけれど、そのどれでも深夜は何の抵抗をするこも出来ずに私に殺されてきたのだ。
いつもなら、難無く深夜を殺せている、はずなのに。
はずなのに。
どうしてか深夜は死んでくれない。
どうすれば、いいの?
「――――……そうか。お前、葉ちゃんか」
……。
――――は?
今なんて言ったの?
葉、ちゃん?
その名前を、この世界の彼は知らないはずだ。
この世界では、私と深夜は一度も会っていないことになっているのだから。
深夜は、私のことなんか知らないはずなのに。
ついに“こちら側の世界”に、完璧に入り込んだ深夜が、信じられないことを言う。
何かを確信したかのように、何かを思い出したかのように。
全てを悟ったかのように。
あの頃――――私が時に囚われる以前の世界の小等部時代、私がまだ騙されていたあの頃、いつも見せていた柔和な笑みで、深夜は言う。
「そっかそうだ、思い出した。全て思い出した……」
思い出した。
何を? どうして? どうやって?
「懐かしいなあ、葉ちゃん。時旅 葉。何もかも思い出した。“何もかも”だ。始めて出合った時のことも、小学四年生になって再会した時のことも、卒業式のことも――――お前がぼくを何百回も殺してきやがったこともだアァ!! 全部思い出したぜエェ!? お前は幾度も時を繰り返し続け、そしてそのたびにここでぼくを殺しやがったンだクソノミ虫ィっ!!」
そうか、
どうやってこの止まった世界に入ってきたのかはわからないけれど――――、
この“時の止まった世界”に浸入したことによって――――『時計錠』の能力を認識し、把握、そして自由に浸入出来るようになったことによって――――今まで私が時を戻すたびに繰り返して来た、全ての世界での深夜が統一されたんだ。それは記憶だけなのか、それそのものなのか、どちらが統一されたのかは分からないけれど。
だから、私が辿り、巡ってきた世界に存在していた全ての深夜の記憶が、今の深夜にはある。
……いや、逆かも知れない。
何かしらの要因で、今まで私が繰り返して来た、全ての世界での深夜が統一されたことによって、深夜は“こちら側”に浸入出来たのかも知れない。
いずれにしろ、どちらにしろ、
因が果なのか、果が因なのかは分からないけれど、
今、目の前にいるのは、良人を生かすために、時を繰り返し遡るたびに殺して来た深夜が、全て集合し、統合されたものだ。
そんなことが有り得るのだろうか。
あっていいのだろうか。
いや、あっていいわけない。けど、有り得てしまうんだ。
あるんだ、この世界には、そういう出来事がいくらでも。
現に、私は時を遡ることだって出来ている。
それは軽く神の所業に近い。いや、悪魔の業か、どちらなのか。
だけれど、その神をも冒涜するこの世ならざる力が、この世には存在している。
異能力しかり、念粒子しかり、超能力しかり、そして“魔術”と“魔力”もしかり。
それらは本来、物理法則を無視した、存在し得ない力なのかも知れない。
だけれど、それが論理的に有り得てしまっている。矛盾を無視し、矛盾したまま、この世界は矛盾している。
世界は酷く歪だ。現実は酷く気持ち悪い。無茶苦茶だ。何が起こってもおかしくない。酷く曖昧で不確かで、それが本物の現実で、実際の現実はそれほどまでに非現実的で。
怖い。
怖い。
今、目の前にいる有り得ない存在が、とても怖い。
目の前で笑っている、この非現実的な現実が、怖くてたまらない。
私はまた――――また臆病に戻ってしまっていた。
いつかのように。
でも今は手を引いてくれる人はどこにもいなくて。あの時、手を引いてくれた人は、今まさに私を追い詰めている本人で。
こわい。
やめて、
いやだ、
やめてやめて、
嫌だ嫌だ、
「怖かったぜェ、寒かったぜェ、苦しかったぜェ? 死ぬっつうのはなァ。全身が、意識が、バラバラに引き裂かれるようなあの感覚、お前も味わってみたくねえェかァ? 案外いいもんだぜェ? 気がついたら痛みに悶え、自我を失い、そして消えていくんだァ、自分という存在が。それが死だ。ぼくはそれを幾度も体験した。葉ちゃん、お前が教えてくれたんだぜェこの身体にッ! 何度も何度もっ! 繰り返しっ! 殺しやがったっ! 何度も地獄に叩き落としやがったァ! あのクソ虫を救うとかいう身勝手な理由でなアァ!?」
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて、
いやだいやだいやだいやだいだいやだいやだ、
「忘れたとは言わせねェぜエ? なァ、葉ちゃんよ。葉ちゃんよォ? お前はそれだけのことをやったんだ。それだけじゃねェ、なにも被害者はぼくだけじゃねェんだァ。お前の大好きなあのクソ虫、そいつ自身をもお前は何度も殺してることになってンだぜェ? 気付かなかったかァ? 考えたことは無かったかあァ? ぼくァ、この時が止まった世界を掌握した今だからこそお前の経験してきたことも全て知覚してンだがァ――――お前はあのクソ虫が死ぬたびに世界をやり直して来てたらしィじゃねェか――――それはつまり、世界をやり直した数だけクソ虫の野郎は死を体験してるってことなンだぜェ? アッはァ、虫ながら哀れな野郎だァお前もあいつもなァ!? 助けようとするたびに死に、死ぬたびにやり直し、やり直すたびに死ぬ! ギャハハはハハ最高に最低な茶番だぜェ!!」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い、
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
「ぼくが終わらせてやンよォ、ッンのくだんねェ茶番をだァ。解放してやるよォ、時に囚われた葉ちゃんを救い出してやンよォ、なァ? なあ、なアなァなあなァなあ!? 聞いてンのか腐れ外道ッ!!」
来る、こっちに来る、来ないで、駄目、やめて、来るな、来ちゃだめ、お願い、来ないで、来るな、来るな、
来るなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、
「死ね。殺す。終わらす。お前を。ここで殺す」
ボキ、
――――ッが!!?
腕、が、
「――――ッぅぎィ、ィッ」
「ひ、いっひひゃひひひひひひひっ、だァめだぜェ? 女の子がそんな顔でそんな声出しちゃァよォ!?」
ゴキリ、
ボキ、
ゴキ、
ベキッ、
メキメキミシ――――ブチッ、
ブチブチブチィッ、
「――――――――――――――――――――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!??」
「なァ、葉ちゃん。どうなンだろォなァ? この時が止まった世界で――――永遠に止まった世界で死ぬと、人間ってやつァどォなンだろォなァ? ぼくァ、永遠に、未来永劫に苦しみ悶え続けるもンだと推測してンだがァ、どォ思う? おもしろそうだとは思わねェか?
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「――――いっちょ試してみようぜ?」
た、
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すけ、
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て、
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良人。
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