時旅 葉・三話
またもや過去編です。
『時旅 葉・二話』の続きです。
私の小学校の卒業式は最悪の形で幕を閉じた。
十五組の代表生、即ち私の最愛“だった”彼――――もとい白令 深夜が送辞中に暴走し、そして突如乱入して来た十五組生、異無 良人によって幕は下ろされた。
それはもう酷い閉会の儀だった。
良人は深夜を殴り飛ばすとマウントポジションを取り、顔面を何度も殴打。止めようと入った教師二人をも蹴散らし、再び深夜を殴り出す。それから数人の教師が異能力で良人を取り押さえようとするも、能力を受けながら深夜を追撃。深夜が血塗れになり、気絶したところでようやく殴るのをやめる、が、同時に力尽き良人は教師陣に取り押さえられる。
全校生徒の前で、全教師の前で、来賓の方々の前で、神聖な卒業式の場で、良人は深夜を半殺しにした。
どう考えてもやり過ぎだ。良人が乱入しなくたって、あんな暴走をした深夜はどちらにしろ教師陣に鎮圧されてただろうに、無駄骨もいいところだ。いや、無駄骨なだけだったならばまだ良かった、あんな大勢の前で醜態を晒すのなんて馬鹿のやることだ。
あの場で、良人が乱入したことによって得したものは誰もいなかった。
深夜はボコされたし、教師は暴動を起こされて迷惑だったろうし、来賓の方々は不愉快な思いをさせられたろうし、卒業生は一生に一度の卒業式を台無しにされたし、在校生も嫌なものを見せられたし、そして良人自身、極悪問題児として重い処罰を受けた。
誰も得したものは居なかった。損しかなかった。
そう――――この私を除いて。
物凄いスカッとしたのだ。良人が深夜を殴ったあの瞬間。
深夜のことで、これ以上ないぐらい精神的に追い詰められたし、それから数ヶ月ずっと立ち直れなかったけれど、でも、良人が深夜を殴り飛ばしてくれたあの瞬間だけは、心の底から気持ちよかった。中等部に進学しても、あの事件のせいで心を閉ざしたままだったけれど、けれどあの瞬間は本当に、一瞬だけ救われた気がした。
まあ、だからといって、私が心に負った傷が癒えるわけではないのだけれど。
中等部。
青春色の中学生活。だったはずなのに、私の中学入学時の心境は“どうでもいいから皆死ねばいいのに”だった。
その時が一番荒んでいた。誰よりも好きだった深夜に裏切られたことにより、ただ引っ込み思案なだけだった小等部時代と打って変わって、更に悪い方向に私の心は閉ざされた。
まあ、ようするにグレたのである。私はグレにグレ、捻くれに捻くれ、略して捻グレてしまった。人を信じられないという壁に閉じ込められ、誰も近づけないという態度を取った。
人と視線を交わすたびにメンチ切っていたぐらいだ、これをグレたと言わずしてなんと言おう。
話し掛けられるたびに『話し掛けんな下心丸見えなんだよこのブタ野郎』とか返していたぐらいだ、これをグレたと言わずしてなんと言おう。
他にも、タバコを吸ってみたりもした。煙いから一瞬で断念したけど。
酒を飲んでみたりもした。一口で泥酔したから断念したけど。
刺青入れてみたりもした。羞恥心で次の日には取り除いたけど。
髪を染めてみたりもした。絵の具だったからシャワー浴びたら落ちたけど。
ピアスに挑戦してみたりもした。怖くて穴空けられなかったけど。
口調をスケバンっぽくしてみたりもした。一生忘れられない黒歴史になったけど。
無断欠席してみたりもした。二、三回ぐらいだったけど。
わざと遅刻してみたりもした。ホームルームに間に合わないぐらいだったけど。
……私はグレることすらも中途半端にしか出来なかった。グレたにはグレたけれど、具体的なことは特にやれなかったのだ。いや、それで良かったと言えば良かったのだろうけど、その時は酷く落ち込んだものである、私は悪者にすらもなりきれない小物なのかと。
自分が惨めで、馬鹿みたいで、何もかもアホらしくて、私ってなんなんだろうな、って。
私にとって私ってなんなんだろう、皆にとって私ってなんなんだろう、って。
誰がこんな何の取り得もない人間を必要としてるんだろう、死んでも誰も悲しまないよね、どうせ、むしろ死ねばいいもの笑いの種として感謝されるよね、どうせ私なんか必要ないんなら派手に一発やっちゃおうかな、紐無しバンジー、それで死のう、死ねばいい、死ねばいいんだ、死ねばいいのかな、死ねばいいんだよね、って。
ずっとそんな感じの物思いに耽っていた。かなり末期だ。自殺には踏み切れなかったのだけれど、チキンだから。
他人が信じられなかった。信じられるわけがない。
誰が何を考えているかなんてわかりっこないのだから。こちらがどれだけ信用していても、どれだけ愛していても、結局相手の気持ちなんかわからないのだから。
人間は一人だ。一生一人で生きていくしかない。
だって本当に意思疎通出来る相手なんか存在しないのだから。嘘を付かないのは自分だけだから。人の心は読めないから。
唯一確かなのは自分の心だけで、自分以外の不確かな人間の心なんか信じられない。もう騙されたくない。
あれはとても悲しかったから。
あれはとてもショックだったから。
あれはとても、悔しかったから。
白令 深夜なんて人間は、もういない。私の世界にはもういない。あんなやつは最初からいなかった。
最初から、いなかった。
小等部時代の、深夜との楽しい会話も、ちょっと照れくさいやり取りも、一緒になっていじめに反抗した思い出も、全てが全て偽物で、全てが全てまやかしだった。
まやかし、だった。
嘘だった。
……そうやって割り切れたら、どれだけ楽だっただろうか。
私は、あれだけのことがあっても、優柔不断の臆病者のままで、深夜を忘れることが出来なかった。そんなことはもう絶対無理なのに、全て忘れて彼とやり直したいとさえ思った。騙されてもいいから、それならそれで騙されてあげるから、だからまた私の手を引いてほしかった。
幸せだった過去にすがってばかりの、惨めな弱虫。
弱虫。
いつだって、私は弱虫だったんだ。
だから、人が信じられなくなっていた。
信じられないものは怖いから。
だから、グレていた。
だから、人を近づけないようにしていた。
それが、脆い心を守る唯一の方法だったから。
これ以上、傷を負いたくなかったから。
でも寂しかった。誰か一人でも信じられる人が欲しかった、傷ついた心を癒してほしかった、けれど、誰も信じられなくて、笑顔が詐欺師の顔にしか見えなくて。
傷付きたくないと言いながら、傷を癒してくれだなんて、なんておこがましいのだろう。互いに傷を負うことが、人間関係というものなのだと、知っておきながら、なんて虫の良い話だろうか。そんな無償の自愛があったなら、それこそが信じてはいけない、詐欺師の業だろう。
信じられるのは自分だけ。自分の傷を癒してくれるのも自分だけ。友達は私で、私が友達、私が友達で、私は私。
いつしか私は、鏡と対話する自分に疑問さえ抱かなくなっていた。
夏に差し掛かった頃。
昼休み、私はいつものように屋上で弁当を食べ、そして鏡と対話していた。当時の私の相棒、ミラーちゃんだ。彼女は私とそっくりの顔付きで、いつも笑顔で、いつも私の言葉を楽しそうに聞いてくれるのだ。相槌が上手くて聞き上手で、無口だったけど、私の言葉には全て同意してくれた。それがミラーちゃん。完璧で理想の私の友人。
だけれど、その日、私とミラーちゃんのお喋りを邪魔する腹の立つ馬鹿が居た。
「……薄気味わる」
あの暴力少年――――良人だった。
絶対に見られたくないやつに見られてしまった! 穴があったら入りたい、いやむしろ穴になりたい! 物凄く死にたい! というか自殺するなら今だ! このタイミングだ! フェンスを乗り越えさあ羽ばたけ私っ! 無限の宇宙へいざ行かん!
と、恥ずかしさやら怒りやらなんやかんやが化学反応でビッグバンを起こし、屋上のフェンスをガシャガシャ物凄い勢いで登り始める私。
なんか、誰かがめちゃくちゃ焦って私を止めようとしてたけど、そんなのどうだっていい、フェンスを登り切った勢いに乗ってそのまま地面に紐無しバンジー。
空を飛ぶ。
というか落ちる。
やっと死んだ、今まで勇気だしても出来なかったことがこんなにもあっさり出来ちゃった、最期の最期で役に立ってくれて有難う暴力少年、アーディオース。
……。
次に目を覚ましたのは保健室のベットの上だった。
「っんの馬鹿女なにやってんだ!!? もし死んでたらぶっ殺すしてたぞ!!」
で、すぐ横では怒り狂った良人が怒鳴っていた。なんか面白いこと言ってるし。
「……なんだあんたが助けたんだ。……殺せるもんなら殺してよ……お願いだから」
ガンッ。
殴られた。
殴られた!
本当に信じられない、やつは女子の顔面を平気で殴ったのだから。優しさや気遣いなんて欠片も無い。
しかもかなり本気で殴られたのだ。口の中が切れるぐらい。
「っな、なにすん――――」
ガンッ。
また殴られた!
一度ならず二度までもである。今度は唇を切ってしまう。もはや信じられないを通り越して感心さえ覚える。良人に言わせれば“男女平等の世だろ”なのだろうけど。
「い、いたっ、この――――」
ガンッ。
無言でもう一発殴られた。目頭を走る熱い感覚。おそらく内出血したのだろう。放っておけば、よく漫画であるように目の周りが青くなる。……あんまりだと思う。女の子になんてことをするのだろうか。
「っう、うぅ、ひどいっ、痛い、痛いよっ――――」
ガンッ。
殴られる。鼻腔内からボタボタと流れ出る血。
「っや、めて、いた、痛いからっ、あやまるからっ――――」
「殺してみろっつったのはお前だ」
そう言って実際にやるやつを、私は良人以外にまだ知らない。
「そ、っそんな――――」
ガッ、と髪の毛を掴まれ、顔を寄せてくる。
「ひぅ」
「殺してみろっつったのはお前だ! 死にたいんだろう!? ああん!!?」
「や、っやだ、やめて、お願いっ、やめて――――」
私の髪を掴んだまま、腕を大きく振りかぶる。
しかもいつの間にか取ったのか、さっきまで素手だったその手にはハサミを握っていた。
首とかに刺さったら本格的に死ぬ。
「……っご、ごめっ、なさっ、ごめんなさいっ!」
ザクッ!
私はそのままベットの上に倒れこんでしまう。
「う、うあ、あぁあああ、ああああっ!? いた、ひっ、いたいっ、よぉ、! っふ、っうぅ……」
だけれど、この際良人が振るったハサミは私の顔を素通りしてベットを突き刺していた。私はそれを自分が刺されたのだと勘違いしてしまっていたのだ。
「痛いか? 死ぬってことはこういうことだぞ?」
「っう、痛い……ひっく、ごめっ、ごめんなさ……だから、っう……もうやめて……」
「死にたくないか? それともまだ死にたいか?」
「し、死に、たくない……ですっ」
「あのまま飛び降りてればこんなもんじゃ済まなかったんだ。俺がギリギリで手を取けたからよかったけどな、あと少しでお前は落ちるところだったんだぞ」
「……う、うぅ、なんで助けたの……あのまま飛び降りてれば楽に死ねたのにっ……なにもこんなことしなくてもっ」
「楽に死ねただと? ふざけんなっ! 死ぬに楽もクソもあるか! 死んで良いことなんかねえっ!!」
「あるよっ! 生きてることの方が嫌なことだって、死んだ方が楽なことだってあるっ! 私がそう! なんで私はまだ生きてるの!? 何も楽しいことなんかないのにっ! 辛いことだけしかないのにッ! 好きだった――――大好きだった人に騙されてっ! それも最悪な形でっ! 今までの私の幸せは全部偽物だったんだって!! そんなことも知らずに私ときたら何年もあんな男を信じ続けてっ、ばっかみたいっ! それで本当のこと知ったらそれだけで立ち直れなくなって、自分の殻に閉じこもってろくに友達も作らないで、大した勇気もないくせに半端にグレたりなんかしてっ! 挙句わけもわからず飛び降りて、あんたなんかに助けられて、惨めに説教なんかされてっ! 何なのよこのダッサい人間は!? なんなの私って!? 私はこんなダッサい私なんか嫌だ! 惨めで臆病で愚図で何の取り得も無い馬鹿女よっ! こんな私が生きてたところでいいことなんかいっこもないに決まってる!!」
私の言葉を受け、すぐに答える。
「あのなあ……お前の目の前にいる男がどういうやつか知ってるか?」
「知らないよあんたのことなんかっ! ろくな会話もしたことないのにっ」
良人は、そこで初めて――――初めて――――笑顔を見せる。無邪気な、いたずらっ子か何かのような笑み。
「なら教えてやるよ。俺はな、自分で言うのもなんだが、友達の一人もいないどころか、今や中学デビューに失敗してクラスの誰からも避けられてる間抜け野郎だ。大間抜けだ! 昔から気にいらないことがあったらすぐ手を出して、毎日毎日喧嘩ばっかで皆から疎まれ続け、ろくに勉強も出来ず気も利かず、性格も最悪で頑固で馬鹿で察しが悪くて空気も読めない、押し付けがましくて不器用で無謀で無茶で無知で無恥でデリカシーの欠片も優しさも気遣いの一つも出来ない、何の取り得もないどころか暴力沙汰で人に迷惑掛けてばかりのクッソどん底野郎だっ!!」
堂々と。
むしろ堂々と。
誇らしげに言い切る。
「――――は、はあ?」
この少年がわからない。やることなすこと言うこと全くわからない。
「お前なんか目じゃないぐらいのダッサダサの間抜け男がここにいる!! どうだ参ったか!? 」
いや、どうだと言われても。参ったかと言われても。
「だがな――――」
良人は続ける。
「――――俺は絶対に死なねえ。死んでなんかやるもんか。何が何でも生きる、生きたい、生きてやる。だって悔しいだろう? 腹が立つだろう! お前は嫌じゃないのか? 変な男に騙されて心に傷負って中学では友達も出来なくて惨めで一人ぼっちで寂しくて誰にも頼れなくて誰も信じられない、そんな人生のまま死んで! お前の人生そんな下らないもんで終わっていいのか? お前はそれで悔しくないのか!? 嫌じゃねえのかよ、イラつかねえのかよ!! 見返してやりたいと思わないか、絶対お前らなんかより幸せになってやるって、こんな自分のままでも幸せになってやるって思わないのか!? 死んだらそれこそ惨めで馬鹿でだっせえままじゃねえか!! 生きろよ! 生きてお前をコケにしたやつらを見下してやるんだ! うんと上からな! さぞ気持ちいいだろうなあ!? だから俺は足掻いて足掻いて自分を最後まで貫き通した上で幸せに生きたい!!」
それは、
まるで自分で自分に言い聞かせているかのようで。
良人自身、そう思いでもしないとやっていけないんだろう。
そういうやつなんだ。不器用で無作法で荒々しい、無法者。でも自分の理想だけは見据えてる。他には何も見えていないくせに、ずうっと先にある理想だけは見えている。揺らがない、芯。揺らがない、我侭。
なんて無茶苦茶で支離滅裂で欲望、願望丸出しな説得なんだろうか。
いや、説得じゃないか、良人はただ、そうありたいんだ。だからこんな下らない話を誇らしげに語る。それが自分が貫きたい思いだから。
こいつは今まで、ずうっとそうやって生き抜いて来たんだろう。そうまでして生きたかったんだろう。
通したい自我が……守りたいものが……きっと守りたい、誰かが……あるのだろう、良人には。
だからこんなにも強くいられる。
クラスで見放されても、皆から疎まれても。
歪でも、曲がっていても、荒んでいても、錆びていても、折れないでいられる。太い、芯。図太い、自分。
きっとこいつに想われているものは――――守られている人が、いるとした――――とても、幸せなんじゃないだろうか。
ふと。
思ってしまった。
そんな風に守られて――――想われてみたいな、なんて。
「……っぷ」
「ああ?」
つい、
「あっはハハハハハハっ! アハ、あはははははは、なにそれ!? なーにそれ!? バカ!? あっははははは馬っ鹿みたい!!」
バカみたい――――私。
笑ってしまった。
なんだか、死にたい死にたいだなんて思ってた自分が馬鹿らしくなってしまった。
今までクールだと思っていたこいつが、真面目な顔して、誇らしげに、あんな情熱的に、子供みたいに真っ直ぐに語られてしまったら、これはもう笑わずにはいられない。
こんな愚直で一途なやつを見てしまったら、……ずっとめそめそしていた自分が、バカらしくて、笑わずにはいられなかった。
「こ、こいつ、……ぶっ殺すぞ!? 死ね! やっぱいい、お前はいいから死んじまえ! 自殺しろ自殺っ!」
打って変わって顔を赤らめる良人が、なんだか可愛い。これが噂に聞くギャップもえというやつだろうか。
「ほんと馬鹿! ああいやだ押し付けがましっ、熱くなっちゃってまあ、ふふっ、ふふふ、う、ぅ、ふふ、っく、はは、ひっく……うぅ、う、っぅ、バカ」
瞳から、涙がこぼれてしまった。
仕方ないだろう。
今まで、こんなに一生懸命に、必死になってくれた人なんか、いなかったんだから。
「……っ。……――――っちっ」
何が“ちっ”なの。
私から目を逸らす良人。
泣いているところを見られたくなくて、意地を張り下を向く私。
交差しない視線。
交錯しない想い。
交わらない会話。
どれをとっても噛みあわなくて。
どれをとっても、お互いどん底の駄目人間で。
どれをとっても不一致な、そんな、関係。
それから二人。
保健室で、少しゆっくりと過ごした。
ずっと無言だったけれど。
冷たかったけれど。
暖かくなかったけど。
優しくなかったけど。
痛かったけど。
怖くなかったと言えば嘘になるけど。
――――嫌ではなかった。
あの卒業式の事件から、
今まで、初めて、
嫌ではないと、
そう思えた。
思わせて、くれた。
◆◇◆◇
しつこく続きますよ、過去編。
十万話は続きます。