二十六話
俺は薄暗い路地裏を歩いていた。
路地裏、と言っていいのかどうか定かではないが、とにかく暗くて狭くてじめじめしている、そんな通りを歩いていた。
よく分からない建物が乱雑に並び、その建物間の隙間が偶然上手い具合に各地で繋がり、迷路のような構造になっている。このよく分からない建物というのが本当によく分からない建物で、この路地を構成している建物はどれもこれも四方八方、扉も窓も何も付いていない奇妙な建物なのである。奇妙というか薄気味悪くすらある。
なんなのだろうか、この謎の建物の群れ。
そもそもここを知っている人間自体がほとんどいない。この路地に入る方法が実に特殊だからだ。
どこでもいい、どこの路地裏でもいいから入り、目を瞑り、心の中で“私は鉄に惰する者”と唱えながら百メートルほど歩く、でもって目を開けるといつの間にかこの謎の通りに辿り着いている。だからここを知っている人間はほとんどいない。方法を知らなければ、誰も行き着くことの出来ない場所なのだから。
ここに始めて来たのは、俺がまだ中学生の頃だった。ある時なぜか、気が付いたら俺はこの路地裏を彷徨っていたのだ。何の前触れもなく、突拍子も無しにである。“入り方”を知ったのは、その後からだ。
あの時は“ああ、俺死んだんだな”とか思ったりもしが、実際にはそうではない。ここは地獄や天国に続く道などではなく、“鍛冶屋”へと続く道なのだから。
通称『直通路地』というらしい。“真っ直ぐな道”という意味ではない。この入り組んだ迷路のような道を、どのように歩いても行き着く場所が同じ、という意味だ。そう、どのような道順を辿っても、必ずある場所に行き着くのである、この不可解な路地は。“土地主”の許可を得ていない人間が入った場合は、必ず出口に行き着くのだそうだが。
この『直通路地』を先に進んだ場所に、“土地主”はいる。俺はそいつに用がある。
あの大剣の男に言われるまで、完璧に忘れていたが。
……いや、違うか、意識の外にあったと言った方が正しい。俺はここには二度と来ないと決めていたのだ。中学時代、学園の裏から足を洗うと同時に、俺はここの土地主にアレを返却したのだ。もう、使うことがないようにと戒めを込め、ここの存在ごと頭の中から消していたのだ。正確に言うならば、ここの土地主に頼んで“消してもらっていた”、のだが。
が、今はそれが必要なのだという。アレがなければ閃光野郎とは勝負にもならないのだという。
だから再び、俺の記憶はここを思い出した。ここへの行き方と、アレの存在を思い出した。アレが必要になったから。
土地主のやつに言わせれば、“それは世界がバランスを取ろうとしているから”なのだそうだが。必要な時に、ここの存在を思い出す。そういうものらしい、ここは。よくわからんが。
とにかく俺は今、当時妹を救い出すために手にした武器を、再び妹を助けるために手にしようとしているのである。
しばらく歩き、ようやく土地主の住む建物が見えてくる。他の謎の建物とは赴きの違う建物。違いすぎる建物。
それは何の変哲も無いラーメン屋だった。
このシンプルでいて奇怪なミステリースポットに、忽然と佇むラーメン屋は実にシュールであった。ただでさえ薄気味悪い雰囲気を更に際立てている。
「……相変わらずセンスがよくわかんねえな」
言って屋台の横開きの扉を開ける。
ガラガラガラガラ、
「へいらっしゃい」
無精髭が無駄に似合う精悍な顔付きをした男が、いかにもといった服装に身を包み佇んでいる。外見年齢は三十台半ば辺りで、その渋い顔に似合わず人懐っこい笑みを浮かべていた。
店内は外の雰囲気とは打って変わって、どこにでもある、普通のラーメン屋となんら変わりない構造。客が一人も居ないのを除けば何の変哲も無いラーメン屋である。
「この前は乾物屋じゃなかったか?」
俺は男を見るなり、開口一番そう言う。
「ハハ、挨拶も無しに世間話たあ、気が早いっすねえ。乾物屋はつい一昨日閉めやしたよ。ほらありゃあ、あっしにはちいとばかし地味っつうか、こう、やっぱイマドキは麺っすよ麺。ナウいっつうんすか? あっしも流行にのっとってみたんでさあ」
癖のある、妙なフレンドリーさを醸す口調で男は快活に世間話を始める。
「別に取り立てて流行ってるわけじゃねえよ、ラーメン屋は」
「そうなんすかい? っかしいな、私子ちゃんから聞いた話しなんすがねえ」
「だから騙されたんだろ、また。私子に。これで何回目だよ」
ちなみに、私子というのはこの男の親戚か何からしい。昔ここに来ると時々見掛けたんだけどな、今日は居ないみたいだ。
「あちゃあ、また騙されちゃいやしたかー」
「何て言ってたんだ? 私子は」
「“最近、ラーメン屋の売れ行きが伸びてるんだ。ラーメンだけに”ってドヤ顔でさあ」
「思い浮かべるだけでイラッとくるな」
「そっすかい? 可愛いじゃねえっすか」
「見た目だけはな。中身は闇鍋をひっくり返したようなやつだろ、あいつ」
話しながら、俺はカウンターの前に並べられた椅子の一つに腰を落ち着ける。
「あと“ナウい”とか死語使うなよ、聞いてるこっちが恥ずい」
後ろを向き、何やら作業をしながら男は言う。
「あらま、死語なんすかい? あちゃあ、こりゃまたオッサン臭いとこ見せちまいやしたねえ」
「あのな、イマドキの親父はナウいなんか使わねえよ」
「ハハ、あっしはこう見えて年季入ってやすからね、そろそろ歳でさあ」
「百年経ってもくたばりそうに無いけどな、あんたは。つうかあんた何歳なんだ? 実際のところ」
「あっしっすか? ……ううん、あっしぁ『惰鉄一賊』の中でも古株っすからね、もう誕生日すら忘れちまったっすわ」
どんだけいい加減なんだこのオッサン。……いや、ジイサン?
今ちらっと出てきた『惰鉄一賊』に関しては、俺もよくは分かっていない、“鍛冶によりバランスを取る者”ということ以外は。
「へいおまち」
男は振り向くと、今の短時間でどうやって作ったのか、ラーメンの入った丼を二つ持っていた。
「俺はそこまで大食漢じゃねえぞ?」
「何言ってんすかい、これはあっしの分でさあ」
「あんたも食うんかい」
俺の右隣の席にラーメンの丼を二つ置くと、
「よっこいせ」
カウンターを飛び越え右隣の席に座る男。随分身軽なオッサンだな。
そして割り箸を二膳割り、両手に一膳ずつ構えると、右手と左手を器用に動かしながら二つのラーメンを同時に食う。
「俺の分は!?」
「だから言ってんじゃないすか、これはあっしの分でさ」
「二つともかよ!」
あの“へいおまち”は何だったのか。
「当たりめえっすよ、あっしが何のために乾物屋からラーメン屋に乗り換えたと思ってんすか? ずばり乾物よりラーメンのが美味いからでさあ!」
「しょうもねえなこのオッサン」
「で、旦那。どうして旦那が、また“ここ”の存在を思い出し、辿り着くことが出来たのか、分かりますかい?」
箸を止め、世間話の時と同じ口調で、本題を切り出す男――――泥毒島 餓々作。
泥毒島 餓々作。
初めてその名を聞いた時は偽名か何かだと思ったのだが、れっきとした本名らしい、この実にふざけた毒々しい名前が。
こいつら『惰鉄一賊』の名前は、皆こぞって奇妙なものばかりなのだ。
他にも、この泥毒島から聞いた話なのだが、我々島 魂三郎という無駄にゴツそうな名前のやつもいるとかどうとか。
「お前ら言うところの“力のバランスを取るため”だろ?」
と、質問に答える。
「そうでさあ。あっしら『惰鉄一賊』の役目は、鍛冶技術により世界のバランスを保つこと。旦那は今、自らの力量に見合わない敵に挑もうとしている。だから旦那はここに導かれた。あっしが腕を振るい、旦那と旦那の敵のバランスを保つために」
「どうにも意味がわからないんだよな、その理屈。色々穴がありまくりだろう。そもそも、力が拮抗していない戦いなんて世界中にありふれてるじゃねえか。なのに何で他のところじゃなくて、わざわざ俺に加担するんだ?」
「その質問には前に何度も答えやしたよ? この物語りの基本が旦那だからっすよ。どんな戦争よりも、旦那とその相手のバランスを取ることの方が重要なんでさあ。まあ、つってもあっしらが加担しているのは旦那だけじゃねっすけどねえ。世界中の『惰鉄一賊』が世界中の主要人物に加担してるんでさあ。旦那はその中でも特別重要度が高いんすけどね」
「だからその“物語りの基本”っつうのが意味わかんねえんだよ。なんだ重要度って」
「主人公。旦那は主人公なんすよ、この世界の」
「はあ? この世が創作物か何かみたいなことを言うな、あんた」
「その通りでさあ。ここは創作物なんす」
「……それは、あれか。何かの宗教の受け売りか」
「ハハ、まあ信じてもらわなくてもあっしらはかまやしぁせんよ」
そこで一旦間を空け、再びずるずるとラーメンを食い出す泥毒島。物凄い勢いで二つの丼の中身が減っていく。二、三分もすれば平らげる勢いだ。
チラと時計を見る。
午前、七時十七分。
「大丈夫っすよ、ここじゃ時は進まねんすから」
泥毒島がラーメンを貪りながら言う。
そう、この空間に居る間、外では時間が流れないのである。……いや、逆だ、“こっち”が止まったままなのか。だから焦る必要は無い。だからこそ、俺は自分を落ち着けるために、のんべんだらりと世間話なんかしているのだ。
確か『直通路地』に入ったのが五時だったから、美唯が殺される零時まで残り十九時間ある。時計は二時間進んでしまっているが、それは外に出た時に戻せばいい。
だから焦らなくていい。焦るな。ここで焦ったところで意味は無いんだ。
やがてラーメンを平らげた泥毒島が、
「さて、と。っんじゃま、副業としゃれ込みますかい」
と、どこからともなく黒い布に包まれた何かを取り出す。本当に唐突に、どこからともなく取り出した。
……まあ、今更驚くことではないが。ここは泥毒島の“固有領域”なのだから、こいつがある程度の念粒子を使役すれば、それで大抵のことは出来てしまう。それが固有領域だ。
副業とは、泥毒島が属する『惰鉄一賊』の職業、“鍛冶職”のことだろう。
『惰鉄一賊』は、タイプこそ違えど皆共通して鍛冶職を営んでいる。そのずば抜けた創造能力により、様々な用途の武器やらを作り出すのだ。その作った武具を、こいつら言うところの“力のバランスを保つ”ため、俺達に貸し付けるのだそうだ。“俺達”といっても他に誰か知っているわけじゃないが。
「つうかそっちが副業なのかよ」
「あっしの本業はラーメン屋っす」
なんでラーメン屋本人がラーメン食うんだ。とは突っこまないが。いい加減話しを先に進めたいからな。
泥毒島は、取り出したそれを包む黒い布をバサッと剥ぐ。
と、そこには一振りの長剣……などではなく、一見何の変哲もない木製バットだった。
それは中学時代、一度泥毒島に返却した俺専用の武器。だが、あの時よりも少しだけ長くなっている。
「あっしの『武起用』で今の旦那に最適なサイズに調整しぁした。ほい、いっちょ一素振りどうっすか? シックリくるはずでさあ」
木製バットを手渡される。
すると、まるで十数年使い続けたかのように自然な感覚が、バットを握る掌に伝わる。
「相変わらず器用だな、あんた。いい仕事してる。むしろ以前よりぴったりだ」
「ハハッ、あっし武起用っすから」
精悍な顔付きに似合わない、にへらっと無邪気な笑みを浮かべる。見た目は渋いオッサンのくせに中身は俺より子供なのだ。
『武起用』。
この駄洒落みたいなのが泥毒島の固有能力名である。いやまあ、なぜか能力名はどれもこれも駄洒落ばかりなのだが、今そこは突っこまないでおく。
「確か、使用者に合わせて“武器”を“起用”する、だったか? あんたの能力」
武器と起用を合わせて武起用。オッサンなだけあって親父ギャグが利いてる。
「まあそっすねえ。あっしは鍛冶職人は鍛冶職人でも、“対象に最適な武器を起用する”のに長けた職人なんでさあ。“既に世界のどこかに存在する武器”をコピーし、多少調整してからクライアントに貸し付ける。あっしがやってんのはそれだけっすよ。自身は鍛冶をやらないのに鍛冶職人っつうのも変な話っすけどねえ」
何でもないことみたいに言うが、“既に世界のどこかに存在する武器をコピーする”、その能力がどれだけ途方も無い能力なのかは言うまでもない。つまりそれは、この世界そのものに干渉する能力だということなのだから。“対象に最適な武器”という条件付きではあるが、泥毒島は間違いなく超能力者だ。いや、もしかしたらその更に上を行く“何か”かも知れない。現代異能技術じゃ有り得ない、方法論だけが確立している、“固有領域”なんてとんでもない芸当をやってのけるだけのことはある。
「そうか」
バットを軽く一振りしながら、
「あんたらが何者なのかはよくわかんねえけど。……礼を言う」
「だからあっしらはバランスを取るためにやってるだけっすから、いんすよ礼なんて」
さあ。
準備は整った。
後は美唯を助けに行くだけだ。
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まだまだ毎日更新は続きます。一気に決着まで書き上げます。