二十五話
あの閃光野郎の目的は俺との戦闘だろう。
美唯のベッドの上に置いてあった紙にも書いてあった、“これはゲームだ”と。それはつまり、誰かの指示ではなく、あいつ個人の私的な行動ということであり、そしてあの閃光野郎は殺し合いに充実感を見出す、脳のネジが緩みきったイカレ野郎だ。一週間前の襲撃で俺との殺し合いの味をしめたのだろう、あれはそういう類の人間である。
今までにもああいった、生と死の駆け引きでしか生への実感を見出せない“学園の失敗作”の類は何度も見て来たが、だがあいつは今までになく、その狂い度合いが高い。狂っているほどに狂っている。あそこまで人間としての理性を見失ってしまっては、もはやまともな人間に戻ることは不可能だろう。その点で言えば、あの閃光野郎も学園の被害者ではある。人智を越えた人体実験により、理性を見失った盲目の狂人。
被害者と加害者は紙一重だ。過去犯罪に巻き込まれ、多大なトラウマを負ってしまった者が、成人してから同じ犯罪を犯すことは珍しくない。子供の頃親から虐待を受けていた子供が、親になったら自分も子供を虐待するようになることが多いのと同じ理屈だ。
被害は電波する。加害は伝染する。
いいぜ、俺も乗ってやろう、その電波に、加害者になってやろう、あの閃光野郎をぶち殺す。ぶち殺す。絶対に、確実に、だ。そうすれば俺も加害者だが、そんなことは知らん、人の大事な妹を攫いやがったのだ、脳漿ぶちまける覚悟ぐらいはあるのだろう、いいぜぶちまけてやるよお前の脳漿を。
かつての被害者が、人を貶め加害者と成り、加害者となった被害者を、かつて被害者だった加害者によって被害者となった者が、かつて被害者だった加害者を再び被害者へと貶める。
加害者が被害者を陥れ、被害者が加害者を陥れる。
それが“ここ”だろう?
だから俺も容赦しない。容赦せず閃光野郎をぶち殺し、美唯を取り戻す。
美唯を取り戻す。
閃光野郎の目的は俺との戦闘、だからあいつに有利な場所に、あいつはいるはずだ。右半身を光纏し、光速移動を可能にする、あの身体強化系超能力に有利な場所で、あいつは待ち構えているはずだ。
それは十中八九“段差が無く開けた平地”だろう。
一週間前の戦闘から確信するが、やつの能力は縦の軌道変更に弱い。横の軌道変更ならばある程度融通が利くみたいだが、あの戦闘で閃光野郎は縦の軌道変更をほとんど見せなかった。だから段差が少ないところの方が有利である筈だ。
そして、あの能力は土地が広ければ広いほど、比例してその凶悪さを増す。何せ嘘偽り誇張も比喩も無しでの光の速度だ。一秒で地球七週半分の移動距離を実践出来るアホ臭い速度なのだから、敵がどこにいても、障害物さえなければやつにとってはゼロ距離に等しいだろう。つまり、俺にとってどれだけの間合いがあったとしても、やつにとっては全ての距離が無になるということ。俺が百メートルを数秒で詰める間に、やつは俺を何万回でも殺してみせるだろう。だから障害物の無い、開けた平地が有利である筈だ。
やつの能力は土地によって大きく左右されるのである。絶好の条件が揃った場所でヤツに敵うヤツは皆無と言っていい、が、逆に条件が悪ければ途端に弱体化する。だから直接俺を襲わずに、美唯を攫うことで場所を指定したのだろう。
“段差の無い開けた平地”。
そんな場所はかなり限られてくる。
そして、やつは絶対にこの五十学区のどこかにいるはずだ。俺が見付けられなければ意味がないのだから、少なくとも探せば見付かる範囲にヤツは居るはずなのだ。
だがなぜだ。
なぜ見付からない!?
「……っ!」
ガンッ、と。
美唯が攫われたという焦燥感から、いくら走り回っても見付からないイラつきから、俺は力任せに壁を殴りつける。時は刻一刻と過ぎていく。
冷静になれ、俺、落ち着いて考えろ、まだ時間に余裕はあるんだ、ここで焦って無意味に時を浪費するな。
まず、“段差の無い開けた平地”で真っ先に思いつくのは“校庭”だ。この第五十学区には、十五の校舎が存在する。小等部が六校舎、中等部、高等部、大学部がそれぞれ三校舎ずつ。そして校庭もそれと同じ数だけある。だがどのグラウンドにもヤツは居なかった。念のため一つ一つ入念に調べたのだがヤツは見付からなかった。
残る“段差の無い開けた平地”と言えば、第五十学区内じゃあ、森林公園ぐらいしかない。そこも既に探し尽くしたがやはりヤツは見当たらなかった。
大体、本当に“段差の無い開けた平地”にヤツはいるのだろうか? ただ居る可能性が高いというだけで、絶対に居るとは限らないだろう。そもそも、“段差の無い開けた平地”とは、具体的にどれだけの広さなのだろうか? 多少広い程度なら体育館か何かでもいいだろう。だが体育館の数は校庭と違ってかなり多いし、それ以前に、体育館内を調べるにも学園のセキュリティを掻い潜り潜入しなければならない。やろうと思えば潜入出来ないこともないが、だがそれは時間が掛かる、まだ日曜零時まで余裕があるからと言っても、学区内全部の体育館一つ一つに潜入し探索するほどの時間はさすがに無い。それに、体育館ほどの広さの場所ならいくらだってあるのだ、それを虱潰しにしていたらキリがない。
キリがない。本当にキリがないが、だがやるしかない。もう走り回り過ぎて足がパンパンだが、それでも足を動かすしかない。つうか見付けてほしいなら手掛かりの一つや二つ残せというものだ、馬鹿じゃないのかヤツは。いや、そもそもそれだけ深く考えての行動ではないのだろう、あれは楽しめればなんだっていいのだろう、この理不尽な捜索も余興なのだ。
このまま何の手掛かりもなしに探していたら、おそらく日曜零時には見付からない。だがむしろ、やつの狙いはそれなのだ。一日中探し回らせた挙句、時間が来たら美唯を殺し、逆上した俺と殺し合う、それがヤツの計算だろう。だからこそ、なんの手掛かりも残さなかった。探し続ければいつかは見付かるが、見付けた頃には日曜零時を過ぎ、美唯は死んでいる、それがヤツの理想のシチュエーションだ。
だから“段差の無い開けた平地”に居るには居るのだろう。それが俺にとっての唯一の手掛かりだからだ。あいつ自身、その条件を守らなければ、いつまで経っても俺はヤツを見付けることが出来ないのだから。それはヤツも御免のはずだ。
「……はあッ……はっ……はあ……」
一旦足を止め、息を整え、携帯の時計を見る。
三時四十分。探し始めてから五時間以上も経っている。日付が変わっていることに気付かなかった。零時まで後二十時間。その間に見付けられるだろうか? いや、まだ二十時間あるんだ、焦って取り乱すな、俺。
美唯がヤツの手に掛かるまで、まだ二十時間ある。
……本当にそうなのか?
あいつは俺と殺し合えればそれでいいんだぞ? 人質のために美唯を攫ったわけじゃない。人質じゃあ、ないんだ。だから美唯が死んだところで、ヤツには何の損も無い。むしろ俺の怒りを買えるのだ、ヤツなら喜んで買うのではないか?
そうだ。そうなんだ。
わざわざ律儀に約束なんか守らずとも、すぐにでもヤツは美唯を殺してもいいんだ。
「焦るな、焦るな、焦るなっ」
今まさに美唯は殺されかけているのかも知れない。
「焦るなっ、俺っ、冷静に、……冷静に、なれっ」
そもそももう殺されているのでは?
「っ! 黙れ、黙れ黙れっ、馬鹿を言うな、そんなはずはないっ、それはないっ、あってたまるか!」
むしろ生きている確率の方が少ないだろう。そうだ、冷静だ、冷静に考えてみろよ。どうだ? 冷静に考えてみたか? それなら分かるだろう? 美唯が既に殺されている確率の方が高いってことが。
「……っは……はっ、! ……ぜっ、……っ……うぇっ」
走る、走る、走る。
冷静になれっ、頭を冷やせっ、慌てるなっ、落ち着けっ、落ち着け、落ち着けよっ!!
ゴッ、
「――――っっ!!? ……つうっ!」
頬に何か硬い物がぶつかり、俺は後ろに飛ぶ。がむしゃらに前進していたこともありダメージ倍増だ。
……何だ? 目の前に障害物があることも分からないほど、俺は錯乱していたのか? いや、さすがにそこまでではない。……おかげで少し落ち着いたが。それに、今の感覚は、ぶつかったというより、“ぶつけられた”だ。
そう、まるで、誰かに殴られたかのような――――、
「ハッ。ざまあねえな、異無」
声につられて見上げると、そこにはガタイの良い、筋肉質な男が立っていた。威圧的な視線で、地面に倒れたままの俺を男は見下す。
「誰、だ?」
「それは今必要なことか? 今、お前は何をするべきだ? 俺の名を知ることか? ハッ、違うだろう」
酷く皮肉なものを見るような表情をする。街頭の逆光でよく見えないが、相当頭にくる顔をしていたことは確かだ。
そいつは、見たこともない服装で身を包んでいた。どこか古い民族衣装のようでもあるし、逆に最先端の技術が詰め込まれた機能性重視の服にも見える。だが、何よりも目を引くのは、その特異な服装ではなく、男が背負った巨大な“ソレ”だった。
なんだこれは……。
思わず絶句してしまう。二メートルかそこらの男の身長を優に越え、剣の柄は右肩のところから、剣の先は左足首辺りから、大きくはみ出しているのだ。男が前を向いているにも関わらず、剣を背負っているということが分かったのは、そのためだ。これだけ長身の人間が、斜めにして背負い、ようやく持ち運べることが出来るほどの、もはや鉄柱か何かに近い剣。これをこいつは武器として振ることが出来るのか? いや、それともこの巨大過ぎる剣を利用した異能力の持ち主なのだろうか? どちらにしても普通じゃない。
「妹を助けたいんだろ?」
「……」
なぜそのことを知っているのか? という疑問は、不思議と出てこなかった。何を知っていてもおかしくない、そんな超然とした雰囲気を男は纏っていたのだ。それに、なんだろうか、この感じは。何と言えばいいか分からないが、……、俺は、こいつを、知っている。なぜだか、そう確信できる。俺はこいつを知っている。顔も名前も分からないのに、こいつという存在を、ずっと前から俺は知っている。小さい頃から、いや、生まれた時から、だ。
「っ!?」
凄まじい殺気を察知し、咄嗟に飛び退く。
ザンッ、
瞬間、目の前の空間がごっそり消えてなくなる。
見ると、男は大剣を振り抜いた後だった。
俺が先ほどまで居た地面に、大きく抉れた跡が残っている。まるで龍か何かの爪が地面を引っ掻いたような、そんな跡。
いや、抉れたどころではない。
空間が、“消えてなくなったのだ”。
地面ごと、剣が通過したその空間が、消え去ったのだ。俺の目の前の空間は、何か別の、この世のものではない、黒い空間になっていた。まるでそこだけ世界から切り取りたったかのような、黒い空間。……漆黒。その言葉がこれほどしっくりくるものもないだろう。
「……」
俺は声も出せないでいた。
やがて黒い空間は消え、元の何ともない空間と、抉れた地面だけが残った。
「ハッ、避けたか」
男は大剣を肩に掛け、つまらなそうに嘯く。
「どうでもいいけどな。今殺すのは待ってやる。まだやることがあるんだろう? ……異無」
異無。
苦虫でも噛み潰したかのように、俺の苗字を口にする。
「立て。そして行け。だがその前にやることがあるだろう。言っておくが、このままあいつの元に行ってもお前は成す術も無く死ぬだけだ。妹を助けたいんだろう。それならまずやることがあるはずだ。やつは強い。それも、お前が以前戦ったときよりも、ずっと強くなっている。むしろ前のが弱すぎたんだ。気付いてたか? やつがリミッターを解除せずに能力を使っていたことに。今のお前じゃ妹は助けられない。ならどうすればいい?」
「……」
今、俺が、やること。美唯を助けるのに、必要なこと。やつを倒すのに、必要なこと。
“今の俺では”美唯を助けられない。
そうか。そうだ、もっと戦力がいる。男の口ぶりからして、今のヤツはリミッターとやらを外しているらしい。前はなんとかなったが、あれよりも更に力を増しているというのなら、俺では勝ち目は無いだろう。
なぜ男がそんなことを知っているのかは分からない。だが、それは確かにそうだ。行くべきところがあるだろう。
今の俺で無理なら、――――過去の俺に頼ればいい。
全盛期の無能力者に、戻ればいい。
ああ。
それは分かった。分かったさ。目が覚めた、どこのどいつか知らんが感謝はしておこう。だがそれだけでは駄目だ。根本的な問題が解決してねえじゃねえか。
「ヤツの居場所か。それが分からなければ意味がない」
「……」
心まで読んできやがった。得たいが知れないにもほどがある。
男の言葉はその通りで、結局、閃光野郎の居場所が分からないのだから意味がないのだ。それが分からなければ美唯は助けられないのだ。
「なぜ見付からないか分かるか?」
「……」
「簡単だ。そこが“見付からない場所”だからだ」
「はあ?」
周りくどいやつだ。もっと率直に言いやがれ。
「存在しない場所だよ、ヤツがいるところは。だから見付からない」
「そう、か」
本当に回りくどい。
「存在しない場所。“人々の記憶から、存在しないことになっている場所”、か」
障害物や段差がなく、開けた平地。それでいて、存在を消されている場所。そんなところ一つしかない。学園の処置が正しければ、あそこは今、それらの条件を満たす場所になっているはずだ。
「さあな」
もう言うことは無いという風に、背を向ける男。
俺は、その背中に語り掛ける。
なんとなく、口が動いてしまう。
「あんたは……多分、この世に居てはならない」
なぜそんなことを言ったのかは、自分でも分からないが。
「――――ハッ。その言葉そのまま返す。……皮肉だな」
言い残し、男は消える。
瞬き、する間も無かった。
文字通り、元から何も無かったかのように、そいつは消えた。
やることは決まった。
今行くべき場所も、ヤツの居場所も分かった。
拳を握り締める。
美唯を、助け出そう。絶対に。
過去、俺はあいつを助けることが出来なかった。あいつは、二度と歩けない身体になってしまった、どころか、精神にどうしようもない傷を負ってしまったのだ。
今度こそ、今度こそ、
俺は美唯を助けるんだ。
後は覚悟を決めるだけだ。
過去の俺を、取り戻す覚悟を。
そして、
死ぬ、覚悟を。
「……」
ところで、
あの俺の言葉、どこが皮肉なんだ?
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