二十二話
「はわわわわわ」
はわわじゃねえよ!? いやマジで本当に!
「こ、異無さん、なぜここが分かったのですかっ? もしやエスパーさんですかっ!」
別にエスパーは珍しくないだろ、ここは神屠学園なんだから。俺は無能力者だけどな。
「いや、あのな? 確かにな、そんな気はしていたさ。してたよ、うん、お前は無事だと信じていたとも。だけどな……さすがに拍子抜けだわっ! 何だお前!? 何普通にインターホン出てんだよ、何普通に玄関から出て来てんだよ、何普通に生きてんだよ!」
「い、生きてて御免なさいっ」
「そういう意味じゃねえっ! むしろ生きててありがとうだチクショウめ!」
「ど、どういたしましてっ? ですねっ、とりあえずすみませんっ」
なんだこの会話……。
それにしても拍子抜けだ。
いや……まあ、その、無事なのはよかった。よかったは、よかったんだが、あまりにも平穏無事過ぎるというか、数時間前までのシリアスな思考が台無しというか。まさか本当に帰っているとは。当てずっぽうで来ただけなんだけどな。
ここを特定するのは簡単だった。というか家と言っても、奈々乃が住んでいたのはただの学生寮なので、第五十学区高等部の女子寮を回っただけである。神屠学園の生徒の半数以上は学生寮暮らしなのだ。俺と美唯のように、学園内の敷居に一軒家で暮らしているのは少数派である。
何はともあれ本題に入ろう。
「それで奈々乃。お前、一週間前のあの日から今日までどうしてたんだ? そもそもどうやって助かった? つうか怪我とか大丈夫なのか? どこも痛くないのか? 病院には行ったのか? あれから学園から何かされたか? 登校はしていたのか? 時旅のやつにいじめられなかったか?」
「え、ええと、その、ちょっと待って下さい、そんなにいっぺんに聞かれたら……ふえええええ」
一気に聞いたのがまずかったのか、妙な声を上げる奈々乃。相変わらず面白い生き物だ。言語処理能力がキャパオーバーしたため混乱状態に陥っている。
だがすぐに気を取り直し、
「あ、あのっ」
キョロキョロと周囲を見回した後、
「立ち話もなんですし、とにかく中でお話ししましょう」
まさかのシチュエーション。
◆◇◆◇
「粗茶ですが、どうぞっ」
奈々乃の室内に誘われ、小さな丸テーブルの前で腰を落ち着けている俺。
「さんきゅ」
軽く礼を述べ、盆に乗けた熱いお茶を受け取る。軽く一口くいっといく。
……ふう。
すげえ落ち着――――かねえよ。全然落ち着かない、というか落ち着くか馬鹿野郎。何に対して野次を飛ばしているのかもよく分からない。
「奈々乃」
「なんでしょっか?」
しょっかってなんだよ、しょっかって。隙あらば奈々乃語を使ってくるから油断ならない。
「とやかくは言わないけどな、これからはあんまり、安易に男を部屋に連れ込んだりするなよ?」
「はい?」
うわあ、やっぱりか。全然自覚ないぞこいつ。何を可愛らしく小首なんぞ傾げてんだ。アホの子だ、ど天然アホの子だ。
「あのなあ、これは善意から言うんだが……お前は中身はともかく、そのトロットロのものすげえイラッとくる中身はともかくだ、かなり可愛い部類に入る思うんだよ、面は」
何せ自慢の妹のそっくりさんだ。自信を持ってそう断言出来る。
「は、はわわはわないすばでぃ!?」
な、なんつった? 今めちゃくちゃ不自然な言語発したぞ、ないすばでぃとかどうとか。いや、ナイスなバディではねえよお前は。どっちかっつうとかなり幼い。
「だからな、もうちょっと謹んで行動しろっていうかな。たまたま入れたのが俺だったからよかったものの、これがどっかの行地みたいな女タラシだったらまずいだろ?」
「まずい、のですか?」
これだからアホの子は。
「まずい。とてもまずい。覚えておけ、世の中の男は全て狼だ」
「お、狼ですかっ」
「ああ、狼だ。やつらは柔らかい肉に飢えた肉食獣なんだ。もはや猛獣だな。お前みたいなすっとろいアホの子なんかすぐに食われちまうぜ? クラスの男連中は人の目があるから普段は大人しいが、あいつらだって常にお前という名の霜降り肉を狙ってるんだ」
「そうだったんですかっ?」
「そうだったんです。そんなのを部屋に入れてみろ。二人きりになった途端、人の目が無いのをいいことに、やつらはお前をひっとらえるだろう。抵抗することも助けを呼ぶことも出来ず、骨の髄までしゃぶり尽くされること間違いなしだ」
「はわわわわわ」
はわわじゃねえ。
「よかったです、今日お招きしたのが男の方じゃなく、異無さんで」
「俺を男でも女でもないニュータイプみたいに言うな!」
「それでは異無さんも狼なのですねっ? 私を骨の髄までしゃぶり尽くしに来たのですねっ!?」
「お前が入れたんだ、お前が」
「これはうっかりさんですっ」
なんだその面白い言葉は。奈々乃語で反省していますの意だろうか。
「アンドちゃっかりさんです」
いや本当に何語だよそれは。
「あ、あの、それで、私はこれから異無さんに食べられてしまうのでしょうか?」
「いや、食わん。今は腹が一杯だからな、茶で。だがあんまりお前がアホかましてると本当に食っちまうぞ」
「お、おてやわらかにっ!」
「受け入れんな!」
「す、すみませんっ」
これだからアホの子は。このままいつまでもボケ問答を続けられそうな気がするぞ、こいつと喋ってると。結局とやかく言ってしまったし。どうにも調子が狂うな。
「はあ、まあ、いい。とにかく今後一切この部屋に男を上げるなよ? 危ねえから」
「分かりましたです」
これでやっと本題に入れる。
「それで、何で俺がここに来たのか分かるか? なぜお前に会いに来たのか、分かるよな?」
「……すみません、えっと、何か用があるんでしょうか?」
そうか。
ふうん、そうか。
「一週間前のこと。覚えてるか? 訓練場であったこと」
「一週間前、ですか。はい、覚えてますよっ。確か異無さんと火巻さんと一緒に、“五番訓練場”の大掃除依頼をやっていました」
「五番訓練場で、か?」
「? はい」
五番訓練場。違う、俺達が一週間前依頼で出向いた場所は六番訓練場のはずだ。やはり“書き換えられている”のか、あの場に関することは、学生の記憶から。学園の手によって。
「その後は? その後、俺達はどうした?」
「夜十時頃に大掃除依頼を終えて、それぞれ家に帰りました。あのぅ、もしかして何か間違ったこといっちゃいましたかっ?」
「いや、間違っちゃいない。お前は何も、な」
奈々乃の記憶では、そういうことになっているのだ。それが真実なのだと、記憶を弄られている。
あのいけ好かない神々のやつは言っていた、『種保有者』は洗脳に対する強い耐性を持つのだと、――――つまり記憶改変に対しても強い耐性を持っているのだろう。そしておそらく、奈々乃は『種保有者』だ。これはほぼ間違いない、劣級十五組生で固有能力を持っているということは十中八九『種保有者』なのらしいし、だからこそ魔獣に襲われたあの日、彦星は奈々乃と一緒に帰っていたのだ、奈々乃を勧誘するために。だが、そんな『種保有者』の強い耐性をもってしても、奈々乃の記憶は改変されていた。それだけ、学園は秘密保持に力を入れているということだ。今に始まったことでも、この件に限った話でもないが。
「じゃあ質問を変えるが、お前、身体に怪我とかはないのか?」
「怪我、というほどのものではないと思いますけど、昨日、自分の足に躓いた時に擦り剥いた傷が一つあります」
自分の足に躓くなよ。
「そうか。それだけか?」
「? はい、それだけですよ」
怪我も治っているのか。ふん、まあ傷が治療されていてもおかしくはないな。
記憶改変に証拠隠滅か。どいつもこいつもそんなんばっかだな。その点で言うと、『烏合の衆』も神屠学園もやってることは同じだよな。魔獣の時は、俺の憶測ではあるが『烏合の衆』が奈々乃の記憶を弄った。今回は学園が奈々乃の記憶を弄った。……人の記憶をなんだと思ってやがんだ、奈々乃は、あれだけの事件に巻き込まれながら、何も知らずのまま日常を“送らされている”ってか? しかも二回も立て続けに、だ。
ふざけんな!
こいつはプログラムか何かじゃねえんだぞ!? 生きた一人の人間なんだ! それを、人の記憶を、都合の良いようにころころころころとっ。
そしておそらく、何もそういったことは奈々乃に限った話じゃないだろう。学園の生徒全員が、一般人が、洗脳されている本人達が、気付かない内に、知らない内に、誰もが毎日そういう目にあっているとしたらどうだ? 毎日毎日、俺達の周りでは戦争のような有様が続いているのにも関わらず、誰もがその異常事態に気付くことなく日常を歩んでいるとしたら? 記憶を改変され、事実を消され、真実を隠蔽され、もし友達が死んだとしても、次の日にはそいつの存在なんか忘れいて、俺達は笑って談笑なんかしているとしたら?
そんな……そんなハリボテの平穏に何の価値があるんだ!
ただ俺達が気付いていないだけで、ああいった襲撃が毎日のように起こっていてもおかしくはない。もしかしたら、俺だって既に何度も記憶を弄られた後なのかも知れない。美唯だって、行地だって、火雷だって、彦星だって、篤木だって、あの見透かした神々だって、全員が全員、ただ都合の良いように弄ばれているだけなのかも知れない。
有り得ない話じゃない。
有り得ない話じゃ、ない。
吐き気がする。狂ってやがる。腐ってる。おかしい。歪だ。そんなことは、とうの昔から分かっているが。
神々の言葉が蘇る。
――――君はこの世界を変えようとは思わないのかい?
神と名乗ったらあいつの言葉が蘇る。
――――知らないわけじゃないだろう、今の世の中がどれだけ屈折しているのか。
神気取りのインチキ開祖の言葉が蘇る。
――――この屈折した世界を、元の正しく平和な世に導いてみせよう。
あれは、
俺に対しても向けられた言葉だったんじゃないのか?
……。
「異無、さん? あんまり思いつめないで下さい。顔色、悪いです」
気が付くと、横で奈々乃が心配そうに覗き込んでいた。
「うおっ、びっくりした。なんだ、どうした?」
「すすみません、難しい顔で黙り込んでしまったので……やっぱり、私何か余計なこと言っちゃいましたかっ?」
本当に、心配そうに、俺のことを案じて言っているのだろう。おろおろと、ちょっと泣きそうな顔になっている。
……相変わらず、人の保護欲をいたずらに駆り立てるやつである。特にその面は、俺には効果覿面だろう、反則技だ。笛鳴らすぞ。
「あ、あのっ、私でよければ、その、聞きますよっ? 何か、悩んでいることがあるのでしたら、私、喜んで、ええと、と、友達ですしっ、」
言動からそのてんぱり具合が見て取れる。
「っく、くく、ははは、お前の方がよっぽど顔色悪いじゃねえか。そんな挙動不審な言動で相談に乗りますなんて言われても何も相談出来ねえよ、はっはっはっこれだからアホの子は」
「む、むうっ。今のはさすがにちょっとひどいですっ! 勇気を出して言いました、私っ! 異無さんはもう少し相手に気を使うべきですよっ、ミニマム怒りましたっ!」
「なんだミニマム怒るって」
「主に十円取られた時なんかに使います」
「実にミニマムだ! お前さてはあんま怒ってねえな!?」
すると一転、頬を薄い桜色に染め、照れながらも柔らかい笑みを浮かべる。
「え、えへへ、ほら、異無さんはそうやって楽しそうにお喋りしているのが一番魅力的です。だからあんまり思いつめないで下さい」
く、くう、眩しいっ。笑顔が眩しくて見てられない。なんて歯がゆいことを言いやがるんだ、これだから天然娘はっ。
「このアホの子め!」
「ええ!? それはちょっと理不尽な罵倒です!」
俺は奈々乃の顔を見ていられなくなり、手元にあったお茶を一気に飲み干すことでなんとか誤魔化す。
が、
「ぐああああああ、口と舌と喉と胃と食堂が焼けるように熱いいいいいいい」
「いきなり何をやってるんですか!? 大丈夫ですか、とにかくこれを飲んで下さい!」
奈々乃が自分の分のお茶を渡してくる。
「さ、さんきゅごくごくごくごくごく――――お、おま、これ、ぎゃああぁぁああああああっ!? あっつあつじゃねえかあああぁぁあああっちいいいいぃぃいい!!?」
「はわわわわわ」
はわわじゃねえよ!? いやマジで本当に!
本当に!
本当に、
無事で良かった。
ちなみに、
これが実は間接キスだったということに気付いたのは、これより大分先の話しである。
◆◇◆◇
――――もう一人の女の子は確実に死んだよ、細胞一つ残すことなくね。
いつか狭間で現に言われたことを思い出す。
ばあか、しっかり生きてんじゃねえか、細胞一つ余すことなく奈々乃は健在だ。
――――実は生きてた、みたいな展開は絶対に無いから安心して。
ハッ、とんだ節穴野郎め。
聞いてるか? お前に言ってんだよ現。お前の予測は見事に外れたな、ざまあねえ。
“――――くすくすくすくす。本当にそうならいいんだけどねえ?”
“ほざけ負け惜しみが”
◆◇◆◇