十五話
「アッはァ、おんもしれェ、黒い血流とか化け物みてェで吐き気がすんぜェ、醜悪さはボクとどっこいどっこいってとこかァ!?」
良人の変わり果てた姿を目の当たりにし、楽しそうにはしゃぐ狂人。
それは確かに狂人の言う通りなのかも知れない。
額から、両肩から、両太腿から、ダラダラと垂れ流される血。しかも血の色は赤ではなく黒。人間の体内に通っているような液体ではない。
放っておけば確実に出血死するだろうに、そんなことはものともしない強い眼光。善でもない悪でもない、ただ暴力的なだけの、内に溜まった怒りを発散することだけを見据えた危険極まりない眼光。言ってしまえば末期の犯罪者のようですらある。全身を覆う漆黒の血流と合わせて見れば、とても人のものとは思えない悪鬼の如き外見。なまじ形が人型なだけあってより歪。
その異質さは、異常さは、右半身の欠けた狂人と同等。
行地が見れば、奈々乃が見れば、美唯が見れば、思わず一歩引いてしまうような化け物が、そこに居た。
「――――が、ぁああああっ!!」
咆哮と共に地を蹴る良人。
「いいぜ遊んでやらァ!!」
同時に光に包まれる場内。
互いの距離は約十二メートル。
良人にとっては十分な間隔だが、しかし狂人からしてみれば一ミリにも満たないゼロ距離。いくら異様な姿になろうと、見たところ良人の身体能力は変わらない。流れる黒血を分析してみても、特別な力が通っているわけでもない、気色悪いだけの液体。狂人は一目でそれらを見破るだけの分析力を持つ。
更に狂人は自らの状態を確認する。
先ほど行地を葬るのに使った大技、即ち極太ビームはしばらく使えない。だが身体を一時的に光の速度まで底上げする超能力がある。
身体強化系能力者の弱点である“発動までのタイムラグ”は一秒。身体強化系にしては、さすが超能力者と言える驚異的な短さだが、しかしこと戦闘においての一秒は十分雌雄を決するほどの隙に値する。だが一度発動さえしてしまえば勝ちは決まったようなもの。つまり一秒の時間さえあればいい。そして既に充電は完了した。
標的である良人は前方二メートルのところまで迫っているが(つまり生身で十メートルを一秒で縮めたのだ、それもスタートダッシュで。驚異的な身体能力である)、もう問題ではない。このまま光化された義足で光速移動、義手で薙ぎ殺す。それだけで狂人の勝ちは決まる。
超能力者の圧倒的優位が揺らぐことはない、はずである。はずである。相手がただの人ならばだが。良人の黒い血に、何の力もなければだが。
黒い血。実際それには“何の力も通っていないのだが”。
イメージ通りに狂人は超加速で良人の背後に回る。そして首筋へ、光を纏った手刀を叩き付ける。何の抵抗も見せることなく命中。
キイィ……ン、
と。
音が遅れてやって来る。
次いで、ズシャアアア、と良人の首を義手で掻っ切った音。
血飛沫が舞う。黒い、どす黒い血飛沫。
びしゃびしゃと。びちゃびちゃと。
まっさらな和紙に墨汁をぶちまけたかのように、地面を濡らす漆黒。
「あ、あひゃ、っひゃひゃヒャひゃひゃひゃひゃひゃ、きひゃ、きひひゅアハひはははハハハッッ!」
腹を抱えダラダラと唾液を垂らしながらの高笑い。
その結果にご満悦な狂人。
あの速度の攻撃をしたにも関わらず、倒れることなく睨みつけてくる良人。その結果が楽しくて仕方ないといった風に、わらう。
そう、首は掻き切られていなかった。消されていなかった。未だ良人の胴と首は仲良く繋がっている。
代わりに。
攻撃した側であるはずの狂人の義手が無くなっていた。肘のところから指先まで、綺麗さっぱり消失していた。
「やってくれるぜェ、そうこなくっちゃあつまんねエよなァ? 虫ィ!」
良人は何をしたのか?
攻撃に反応出来たわけではない、反応など出来るわけがない、攻撃がいつ始まったのかも終わったのかも分からない。気がついたら“予想通りに狂人の義手が消え去っていた”、ただそれだけ。
反応が出来なければ、では何をしたのか? 反応が出来ないから、“対応”をしたのだ。
反応が無理なら対応をすればいい。その場で防げないのなら、攻撃を受けた時ガードと共に狂人の義手を削除できるような対応をすればいい。
良人がやったことは至って単純。
狂人に向かって突っこむと同時に、前方へ血液を飛ばしただけ。一秒後に調度自分の後ろ首に血が降り掛かるよう計算し、黒い血を飛ばした。
後は勝手に狂人が自滅してくれた。案の定、血塗れになった首の後ろに手刀を振り下ろしてくれた。それが狙いだとも知らずに。血そのものが良人の武器であり、鎧であるとも知らずに。一秒経てば、数瞬の間も待たずに首筋を狙って来るのは予測していたから、血が後ろ首に落下するタイミングの計算は簡単だった、全力疾走で一秒後に自分が居るであろう場所に目掛けて血を飛ばせばいいのだから。
“血液に何の力も通っていない”ということは分かっていたのに。
“一切、何の力も通っていない”のがどれだけ比類無き力かも分からずに、狂人は攻撃した。
この世には念粒子と呼ばれるエネルギーがある。
化石燃料とは比べ物にならない利便性、多用性、質量諸々を兼ね備えた完全なるエネルギー。そして数ある長所から中でも特に目を引くのが、その精製方法である。実に簡単に作り出せるのだ。大気中に流れる“外気”を、有機物に流れる“内気”の中に取り入れる、それだけでいい。なにせ外気も内気もそこら中に溢れているのだから、いくらでも簡単に念粒子の精製が可能なのである。
これを利用し、自らの体内の内気に外気を取り込み、精製された念粒子で能力を発動することに特化した人種を異能力者と呼ぶ。といってもそれは異能力者でなくとも、基本的な能力を発動するだけならば一般人なら誰でも可能なのだ、工程さえ間違わなければ誰でも何でも念粒子を練り異能力を発動することは出来る。特別な訓練と学業を終え、自分ならではの“固有能力(行地で言えば『いい火減』、奈々乃で言えば『愚天使)”を身に付け、試験に合格し異能力者ライセンスを取り、初めて正式に“異能力者”を名乗ることが出来る。
つまり異能力者というのは、異能力を専門的に扱う者の総称であって、異能力そのものは誰にでも使える。
誰にだって内気と外気を合成させられるのだから。
誰にだって体内に内気は流れているものだし、生物でないのならば外気が流れているもの。それが世界の法則であり原則であり鉄則。
だから本来、“血液に何の力も通っていない”なんてことはあっていいはずがないのだ。有機物なのだから“内気という力”が通っていないとおかしい。
だが良人には生まれ付き体内に内気が通っていないのである。“人間や動物以外のナニカ”。それが良人を科学的に分類した場合の名称である。
いつからだったか、過剰な怒りや憎しみ、激情によって血の色が変色するようになったのは。
いつからだったか、変色した血に触れたものがこの世ではないどこかに消えていってしまうことに怯え始めたのは。
いつからだったか、この体質を研究者に知られ、学園の診察という名の人体実験を受けはじめたのは。
いつからだったか、黒い血に触れたものを消すか消さないか自在にコントロール出来るようになったのは。
化け物と呼ばれ始めたのは、性格が荒れ始めたのは、喧嘩ばかりの毎日になったのは、周りに誰も居なくなったのは、不良人と呼ばれ始めたのは、人間兵器として暗躍し始めたのは、学園暗部に無謀な戦いをし始めたのは、仮初の平和を取り戻したのは、また化け物と呼ばれるのが怖くなり始めたのは、いつからだったか。
血に触れたものを消し去る力。消すか消さないかは思いのまま。
その封じていた体質の発動と共に、過去の記憶が頭の中を駆け巡っていた。
(久しぶりだな、この感覚は)
首筋の黒血に触れた狂人の義手を消し去ったと共に訪れた、比類無き虚無感。心が黒色に喰われるような怠惰感。人であることにすがっていた感情が、本来の冷たいナニカに汚染される悲壮感。
良人の瞳が死ぬ。
光を失う。
もう怒りも湧かない。何も湧かない。
無いとおかしいはずの感情が無くなる。
無いとおかしいはずのものは、元から無い。
無能力者。
友達に、自分の友達に、平和に、自分の平和に、汚らしい手を出した狂人を削除する機械仕掛けの殺戮者へと全身が変貌する。
「削除」
呟き。
腕を振るい血飛沫を飛ばす良人。
一度突っこんだとはいえ、まだまだ充電たっぷりの狂人が、思わず一瞬後退する。その後退時間は一秒に満たないのだから隙でもなんでもないのだが。コンマ一秒の経過も許さず、すかさずもう一度良人に特攻を仕掛ける狂人。あんなもの当たらなければ怖くない、と軽く血飛沫を避ける。
カラクリさえ分かれば楽勝だ、と。血に触れさえしなければいい、と。あの血に濡れていない無防備な腹をぶち抜いてやろう、と。
光速移動をし、良人の右側で足を止め、その足で上段蹴りを放つ。義手が無いため少しばかり面倒だが、光速の超能力者にそんなものは関係ない。刹那一秒で出来たことが刹那二秒掛けなければ出来なくなっただけ。攻撃到達までの速度が二分の一になったからといって、その差はたった刹那一程度、それはやはりゼロと変わらない。
キ……ィン、
事が終わる。事は終えている。
今度こそ致命傷を与えた、心臓付近をごっそり持って行った、抹殺完了、ここでの任務はとうに終えているのだから後は帰るだけ。多少てこずったがこれでお終い。なかなか楽しい死合いが出来たぜ、と言おうとしたのだが。
「……ァ?」
ドサッ。
右に倒れる。
頭を埋めつくした疑問符に気を取られ、受身を取ることなく迫って来る右側の地面に身体をぶつけた。地味に痛いダメージが頭を冷静にする。
次に、この戦闘初の驚愕が訪れる。
義足が無い。やつの腹をぶち抜いたはずの義足が、付け根の辺りから無くなっている。
上段蹴りは失敗? 抹殺は失敗? 足を消された?
焦燥した思考で敵を見やる。
すぐ近くにまで接近している良人。
狂人が蹴り付けたはずの部位は、かなり深く抉られていた。どくどくと尋常でない量の黒い血が流れている。早く止血しなければ、まず命は無い。だがおかしい、貫通していなければおかしい、それだけの威力の蹴撃なのだ。だけれど良人の腹に穿たれた傷は、内臓を傷つけるギリギリの深さしかない。肋骨は無事ではないが、それでも内臓は無事。大怪我ではあるが、即死するほどの致命傷ではない。
――――なぜだ?
――――なぜやつの腹を貫けなかった?
答えは一つ。
蹴り付けた義足が“体内の血に触れた”からだ。
途中まで抉ったはいいものの、体内の黒血に触れてしまったため、狂人の義足は消滅した。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
それはつまり、常時無敵の鎧で身を包んでいる、ということになる。
出血というリミッター付きだが。
――――まずい。
倒れ伏した狂人の目の前まで迫る良人。
まずい、まずい、まずい。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいッ――――、
「削除」
呟き。
振り下ろされる拳。血に濡れた拳。当たれば終わり。
「ッソがアァ!!」
残った義身から光を放ち左へ光速移動、その場を凌ぐ狂人。義手も義足も無いが、右胴の代わりである鋼の義身は残っている。
だがそれは間違った使い方。本来、義手と義足の光速動作を調節し、コントロールするための義身。本来、莫大な速度と威力の反動を抑制し、生身の左半身への負担をゼロにするための部位。
義足で移動し、義手で攻撃し、義身で抑制する。それがこの能力の使い方。三位一体の、一つだけでは欠陥だらけの超能力。一つだけでは絶対に使ってはいけない超能力。
が、その禁を破った。破らずを得なかった。
直後、狂人の身体に訪れる代償。光を制御するための場所で光を放出してしまった副作用。いつもはゼロにしているはずの、光速移動による生身への負担を抑制し切ることが出来ず、取りこぼしが出る。反動の取りこぼしが身体を襲う。
激痛。
呻き声――――
「グ、ァ」
「削除」
――――を上げる間も無く踏みつけて来る血塗れの足。
ダンッ、
再度義身から軽く光を噴出し、なんとか避ける。
今度は距離を取ると同時に、器用に起き上がる。片足片腕だが、寝そべっているよりはマシだ。
(もウ追いつきやがったのか!?)
少なくとも二十メートルは距離を取ったはずなのに。二秒足らずで追撃して来た。
(アレが生身の身体能力だっつウのかァ!? しかも手負いだァ!? イカれてやがるぜェ!)
さきほどよりは軽度な副作用が訪れるが、痛覚に構っている暇は無い。立ち上がると同時に念粒子を練り、消費した充電を再充填する。まだ半分ほど残光があったため、充電時間は零点五秒で済む。だがこれも通常ではやってはいけない荒業。きっかり残量を使い切ってからでないと、エネルギーの充電は身体に負担を掛けるのだ、がやるしかなかった。この調子で光を使い切り、一秒の間を開けると詰んでしまうことが目に見えているのだから。一秒の隙が出来たと同時に調度仕留められるよう計算した上での、間髪を入れない連撃なのだから。
「、ガハッ」
無理矢理の充電による負担で吐血する。
だが血を吐きながらも速攻で良人に視線をや――――、
「削除」
「嘘だろウ?」
――――るが、狂人の目の前。文字通り目の前。眼球の数センチ先にある、良人の眼球。超近距離で目が合う。
死んだ目。
人間以外の何かの目。
(こイつのがよっぽど化け物じゃねェか)
ガッ、
頭突き。
数メートル吹き飛ばされる。
仰向けに寝転がる狂人。
額から少なくない量の血が流れる。まだ死んでない。黒く血塗れの額で頭突きはされたが、まだ死んでない。
それは良人が“血に触れたものを消す力”を発動しなかったからではなく、単に狂人がギリギリのところで後退したからである。頭から出血したのは、僅かに良人の血に触れ、頭蓋が頭皮もろともすれすれのところまで消失したことによる。危うく脳まで到達するところだった。
(ッチィ、こんな虫どウとでもなるが……ちィっとばかし分が悪ィ。十分楽しめたし、任務は終エてんだ、ここは後日改めて死合ウとしよウ)
キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ、
場内を強力な閃光が覆う。同時に聴覚が狂ってしまうかのような音。
狂人が現れた時と同じ現象。
襲撃と撤退のための、閃光手榴弾を数個爆裂させたような光と音の暴力。
「ボクはてめえが気に入った、今度はもっとおもしれェ舞台を用意してやらァ! 能力のリミッターも解除してやるよォ、手加減抜きだァ! また会おうぜェ!?」
「削除」
呟き。
逃げようとする人影を掴む良人。
「削除。削除。削除削除削除削除――――」
そのまま掴んだ人影を何度も何度も拳で殴る。
殴る度、黒い血により消し貫かれる人影。
淡々と、淡々と、機械のように同じ動作を繰り返す。
光も音も、声も気にならない。
ただ掴んだそれを繰り返し殴りつける。
数秒で跡形もなく消えさる人影。だがそれは狂人の残していったダミーに過ぎない。
そんなことは良人にも分かっていた。だけれど殴らずにはいられなかった。
行き場を失い冷たく狂った感情を、どうにかして収めようと。
行き場を失い鋭く腐った劣情を、どうにかして吐きだそうと。
ただただ、殴り続ける。地面を。そこにはもう何もないのに。
仕方なく次は周りの残骸を殴り、消す。
殴り。消す。
殴る。消す。
消す。消す。消す。
削除。
削除。
削除。
……。
遠のく意識。
曖昧になる現実。
「……おい」
それは誰が誰に問いかけた言葉なのか。
「……誰か、返事を、しろよ」
返事はない。
倒れる。
閃光は止んだはずなのに。
目の前は白い。
静寂。
自分の血が流れる音がうるさい。
でも心臓の音が小さくなっていくのは心地よい。
どくん、どく、ん、。
それはなんだか、別の世界に連れて入ってくれそうで。
命のカウントダウン。
とく、、ん――――、
何も聞こえなくなる。
白があるだけ。
どうして世界は平和なままではいられないのだろう?
最期に純粋な疑問を残し。
尽きる。
……。
白ずくめの少女。
――――そんなに泣くなよ。