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なろう系作品の考察

なろう系作品における現代ダンジョンものについて

作者: 虎臼歩尾麻
掲載日:2026/07/06

 近年、いわゆる「なろう系」と呼ばれる作品群の中で、一つの人気ジャンルとして定着したものに「現代ダンジョンもの」がある。その名の通り、現代社会に突如としてダンジョンが出現し、人々が探索者となって未知の迷宮を攻略していくという物語である。


 異世界転生や異世界召喚とは異なり、舞台は我々の住む現代日本、あるいは現代社会そのものである。そのため、現実世界の法律や経済、政治、科学技術などが物語の土台として存在しているはずなのだが、実際に読んでみると、その土台がほとんど考慮されていない作品が少なくない。


 もちろん、フィクションである以上、多少のご都合主義や現実との乖離は許容されるべきである。しかし、世界観そのものを支える根幹部分まで深く考えられていない作品が多いのも事実である。


 ここでは、現代ダンジョンものを読んでいて特に疑問に感じる点について述べてみたい。


## 誰でも自由に潜れるダンジョンという設定


 最も疑問に感じるのは、一般人が誰でも自由にダンジョンへ潜れるという設定である。


 多くの作品では、ダンジョンが現れた後も、多少の登録制度こそ存在するものの、基本的には一般人でも探索者登録を済ませれば自由に潜ることができる世界になっている。


 しかし、これは現実的に考えて極めて不自然である。


 ダンジョンとは、モンスターが徘徊し、一歩間違えれば命を落とす危険地帯である。遭難の危険はもちろん、落盤や罠、有毒ガス、未知の病原体など、現実の洞窟以上の危険性を孕んでいる。


 仮に現実世界へ本当にダンジョンが出現したなら、政府は真っ先に立入禁止区域として封鎖するだろう。


 実際、日本には自衛隊演習場や原子力施設、空港制限区域など、一般人が立ち入れない場所は数多く存在する。それらですら厳重に管理されているのである。


 ましてモンスターが出現する危険地帯など、一般開放されるはずがない。


 さらに、ダンジョン内部は警察の監視も行政の管理も届かない空間である。


 これは犯罪者にとって理想的な環境となる。


 殺人、強盗、恐喝、監禁、誘拐。


 監視カメラもなければ目撃者もいない。


 死体をモンスターに食べさせれば証拠すら残らないかもしれない。


 現実世界では山林ですら犯罪の温床になることがあるのに、それ以上に隔絶されたダンジョンを自由開放するという発想そのものがおかしい。


 山登りをするのとは訳が違うのである。


 もし本当にダンジョンが出現したなら、自衛隊や警察、あるいは専属の国家組織によって管理され、選抜された人員のみが探索を許可される形になる可能性が極めて高い。


 民間企業への委託はあったとしても、厳しい資格制度や国家試験、身辺調査を経た者だけが入場できるだろう。


 少なくとも高校生やフリーターが気軽に放課後ダンジョンへ向かうような世界にはならない。


## 超人化を政府が放置するとは思えない


 現代ダンジョンものでは、探索者になることでレベルアップし、身体能力が飛躍的に向上する設定も珍しくない。


 筋力が十倍になる。


 銃弾を避ける。


 魔法を使えるようになる。


 炎を放ち、雷を操り、治癒魔法まで扱える。


 しかし、このような超人が誰でも誕生できる状況を国家が放置するとは到底思えない。


 国家というものは暴力を独占する存在である。


 軍隊も警察も、その究極的な目的は国家だけが武力を管理するために存在している。


 そこへ国家の管理外で超人的戦闘能力を持つ集団が大量に誕生したらどうなるだろうか。


 国家安全保障そのものが崩壊する。


 探索者一人が小隊規模の軍隊に匹敵する戦闘力を持つなら、それだけで国家は対策を講じざるを得ない。


 現実でも銃器の所持が厳しく規制されているのは、人間に簡単に殺傷能力を持たせないためである。


 ところが現代ダンジョン作品では、それ以上の力を自由に入手できる。


 これほど危険な状況を政府が黙認するとは考えにくい。


 さらに問題なのは、すべての人間が善人ではないという事実である。


 善良な探索者ばかりではない。


 暴力団。


 テロリスト。


 過激思想団体。


 連続殺人犯。


 快楽殺人者。


 そのような者まで超人的能力を得られるのであれば、治安維持はほぼ不可能になる。


 現代社会は「誰もが人を簡単には殺せない」という前提で成立している。


 しかし超人が大量発生すれば、その前提が崩れる。


 法より腕力。


 裁判より暴力。


 力こそ正義という世界になりかねない。


 多くの作品では探索者ギルドが秩序維持を担っているが、一民間団体が国家権力に代わって武装超人集団を統制できるとは思えない。


## ギルドという組織の不自然さ


 現代ダンジョン作品では、探索者ギルドという組織が登場することが非常に多い。


 依頼を受け、報酬を支払い、ランクを認定し、探索者を管理する。


 まるで異世界ファンタジーそのままの制度である。


 しかし現代社会には既に行政機関が存在している。


 厚生労働省、経済産業省、防衛省、警察庁、消防庁など、それぞれの専門機関がある。


 未知の危険地帯が出現したなら、まず新しい省庁や特別機関が設置される可能性が高い。


 それにもかかわらず、よく分からない民間ギルドが国家以上の権限を持っている設定は違和感が大きい。


 国家予算を超える資金力。


 独自の武装。


 犯罪者の逮捕権。


 国家資格の認定。


 これでは国家そのものが存在する意味がなくなってしまう。


## ダンジョン産資源への過度な依存


 現代ダンジョン作品では、魔石や魔鉱石、モンスター素材などが重要資源となっている場合が多い。


 発電。


 医療。


 兵器。


 工業。


 通信。


 ありとあらゆる分野で魔石が利用される。


 しかし、これも現実的に考えると極めて危険な社会構造である。


 理由は単純で、供給が極めて不安定だからである。


 魔石はモンスターを倒さなければ手に入らない。


 つまり採掘できる鉱山ではなく、狩猟によってしか得られない資源なのである。


 これは石油とも天然ガスとも異なる。


 むしろ野生動物を狩って燃料を得るようなものである。


 その日の収穫によって供給量が変動する。


 探索者が減れば供給も止まる。


 ダンジョンが閉鎖されれば文明全体が停止する。


 そのような資源に国家のエネルギー政策を依存するとは考えにくい。


 現実世界でもエネルギー供給は多重化されている。


 石油だけではない。


 天然ガス。


 石炭。


 原子力。


 水力。


 太陽光。


 風力。


 国家は供給が止まるリスクを避けるため、複数のエネルギー源を確保している。


 それなのに作品中では、魔石だけで世界中が動いていることすらある。


 あまりにも脆弱な社会である。


## 魔石をどう利用しているのか


 さらに気になるのは、魔石をどう資源化しているのかがほとんど説明されないことである。


 魔石とは何なのか。


 結晶なのか。


 鉱物なのか。


 生命体の臓器なのか。


 エネルギー保存媒体なのか。


 そこが曖昧なまま、「魔石発電所」で終わってしまう作品も多い。


 現実では石油一つ利用するにも膨大な研究が必要だった。


 精製。


 分留。


 触媒。


 燃焼効率。


 安全性。


 輸送方法。


 数百年にわたる技術開発があって現在の文明がある。


 未知の物質を数年で実用化してしまう方が、ダンジョンそのものよりも非現実的に感じる。


## 命の危険に対して報酬が安すぎる


 現代ダンジョン作品では、探索者の報酬が極端に低い場合も少なくない。


 命懸けでモンスターを倒して数万円。


 一日働いて五万円。


 そんな描写も珍しくない。


 しかし死亡率を考えれば全く割に合わない。


 現実でも危険作業には危険手当が支払われる。


 深海作業。


 高所作業。


 戦場取材。


 特殊部隊。


 危険性が高い仕事ほど報酬も高くなる。


 ましてモンスターと戦う仕事である。


 死亡率が数%でもあるなら、年収数千万円でも人材確保は難しいだろう。


 命の値段があまりにも軽く描かれている作品が多いように感じる。


## ダンジョン配信という不可解な文化


 そして何より理解し難いのが、近年急増しているダンジョン配信というジャンルである。


 探索の様子をライブ配信し、広告収入や投げ銭を得るという設定である。


 一見すると現代らしい要素ではあるが、よく考えると疑問だらけである。


 まず通信インフラはどうなっているのか。


 地下数百メートル。


 岩盤の奥深く。


 そこでリアルタイム通信が可能な理由が説明されない作品が非常に多い。


 基地局はどこにあるのか。


 衛星通信なのか。


 有線なのか。


 魔法通信なのか。


 そこが曖昧なままである。


 映像撮影も同様である。


 誰が撮影しているのか。


 ドローンなのか。


 自動追尾カメラなのか。


 ヘルメットカメラなのか。


 戦闘中でも綺麗なアングルで映るのはなぜなのか。


 まるでテレビ番組のような映像が流れている作品も多い。


## 倫理観の欠如


 技術的問題以上に気になるのが倫理面である。


 命懸けの戦闘を娯楽として視聴する文化が、あまりにも自然に受け入れられている。


 探索者が瀕死になる。


 仲間が死ぬ。


 血しぶきが飛ぶ。


 そうした映像を何万人もの視聴者がコメントを書き込みながら楽しむ。


 これは現実なら極めて異常な社会である。


 現在でも事故映像や戦争映像には厳しい規制や年齢制限が設けられている。


 テレビ局も放送倫理を重視している。


 それにもかかわらず、ダンジョンでは死の瞬間すらエンターテインメントとして消費される。


 もし本当にそのような配信が存在すれば、人権団体や保護団体、行政機関などから激しい批判を受けるだろう。


 視聴者の側も常識的とは言い難い。


 「頑張れ」「もっと奥へ行け」と気軽にコメントを送りながら、画面の向こうでは命のやり取りが行われている。


 それはスポーツ観戦とは全く異なる。


 戦場を娯楽として消費しているようなものである。


 配信者も視聴者も、その倫理観は現代社会とは大きくかけ離れていると言わざるを得ない。


## 世界観を作り込めばさらに面白くなる


 もっとも、ここまで述べたことは「現代ダンジョンもの」というジャンルそのものを否定したいわけではない。


 現代社会にファンタジー要素を持ち込むという発想自体は非常に魅力的であり、実際に優れた作品も数多く存在する。


 問題なのは、「現代」であるにもかかわらず、現代社会の仕組みをほとんど考慮せず、異世界ファンタジーの設定をそのまま持ち込んでしまっている作品が多い点である。


 もし本当にダンジョンが出現したなら、各国政府はどう動くのか。国際連合はどのような枠組みを作るのか。軍や警察、大学、企業、保険会社、金融機関はどのように対応するのか。探索者にはどのような資格制度や税制が設けられるのか。超人的能力を持つ者を法はどう裁くのか。ダンジョン資源はどのように流通し、どのような規格で取引されるのか。こうした点まで掘り下げて描けば、作品世界ははるかに説得力を持つものになるだろう。


 ファンタジーだから何でも許されるという考え方も一つではある。しかし、現代社会を舞台にする以上、現実の制度や価値観との整合性を意識することで、物語はより深みを増す。


 兎角、現代ダンジョンものは魅力的な題材である一方で、設定の甘さが目立つ作品も少なくない。だからこそ、現実社会を真剣にシミュレーションした上でダンジョンという非日常を描く作品が、今後さらに増えていくことを期待したい。


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