閑話休題の章
いやはや、ここしばらくは本当に忙しかった。
特にエスターが来てからこっち、イカ捕まえたり異世界でドラゴン狩ったり、歓迎会したりと怒涛の日々だった。
おまけにこの間まで、『極限定特区』で幼稚園児達に見せるリアル巨大ロボットの制作に追われてた。
苦労した甲斐があって大盛況だったのはよかったけども、どたばたと騒がしい毎日だった。
「……ふにゃあ」
魔王の島、ストリートに面した喫茶店の軒先に出されたテーブルに突っ伏すケモ耳の少女から、気の抜けたネコっぽい声が上がった。
無論、俺だ。
椅子の背もたれの隙間から出された尻尾にも覇気がなく、だらりと垂れ下がってる。
「疲れた……」
肉体的疲労なんてものは、魔王はほとんど感じない。
感じないはずなんだけど、なんかこう体や頭が重い。
あぁ、風邪じゃないよ。ウイルスなんか効かないからね、俺たちには。
だからこれは単にくたびれてるだけ。
「……」
テーブルに突っ伏して久々に日向ぼっこしながら、ぼんやりと道行く魔王たちを見る。
真っ白いペンキで塗られたテーブルの上には、トロピカルなジュースのグラスとクッキーの山。
それと古びたハードカバーで覆われた、分厚い本が一冊置かれてる。
俺の魔導書だ。
今日は朝からここに座り、ここひと月の間に起こった出来事を、のんびりと書き留めていたんだ。
この魔導書、いくつかの章に分けてあって、最初の方は俺の作った魔法や道具、魔法陣とかの説明が書いてある。
後ろの方に自伝だ。
元々この本に書く予定じゃなかったんだけど——いや、この言い方は正しくないな。
最初は『俺たちはどういう存在か』を書いていたんだけど、途中から自伝っぽくなってきて、今や日記とほぼ同じ状態になっている。
この本に書く予定の内容じゃなくなってきた、と言った方がいいな。
自伝あたりまではまあ、魔導書に書いてあってもいいかなと思ってたんだけど、最近じゃ『この間こんなことがあったヨー』なんて感じになっていて、こうなるともう魔導書に似つかわしくないなと思う次第。
けど結構な量を書いてきちゃったから今更ほかの本に移すのも面倒で、結果今日も群青色のインクで書かれた文字とページが増えている。
「……ふみゅう」
突っ伏したままぐりっと頭を回して起こし、グラスに刺さった長ーいストローを咥える。
——ずぞぞぞぞぞ。
南の海みたいに真っ青なジュースが、俺に吸われて減っていく。
「(ごくん)」
これ冷えてるから飲めるけど、温かったら飲めないなあ。甘くて。
いや、美味しいんだけどね。
気だるげに手を伸ばしてお皿からクッキーをつまみあげ、口の中に放り込む。
「(がりごり)」
しっとり系のクッキーも好きだけど、ここみたいに暑いところではやっぱり固い方がいいね、うん。
新鮮なバターをたっぷり使って作られたクッキーは俺の大好物だ。
濃厚なバターの香りと味、トッピングされたチョコチップやココナッツ。
あぁ、たまらん。
「アーリャ、少しよろしいでーすか?」
「むぃ?」
獣耳に春風のように穏やかな声がかけられる。
見ると、喫茶店の奥から店主が姿を見せていた。
言うまでもなく魔王だけど、外見はごく普通のおじさん。名前はアントニオ。俺はトニーって呼んでる。
細身だけどしまった体をパティシエみたいな恰好で包み、頭にはコック坊。
宿のオーナーは料理全般だけど、このおじさんはお菓子作りに特化した腕を持ってる。
人間だったころはイタリアやフランスあたりで修行してたらしい。
「そろそろ昼時ですが、お食事はどうしまーすか」
「うーん」
確かに彼はお菓子に特化してるけど、別に他の料理ができないってわけじゃない。
オーナーと知り合う前はしょっちゅうご馳走になってたんだ。
きっと『アレ』が来るだろうけど、うーん。いいか。
とある覚悟を決め、
「ここで、いただきます」
そういうと、トニーはにっこりと笑った。
必要以上に明るくなく派手でもなく、だた自然と浮かんできたって感じの、柔らかな笑顔。
俺、この笑顔は好きだなぁ。
「おぅ!それはよかった!それでは久しぶりに、アーリャのために腕を振るいましょう。ご希望はありますかー?」
「えーっとね……」
テーブルの上のメニューを取って開く。
陽光の下でまぶしいなと思ったら、トニーがパラソルを立ててくれた。
「ありがと」
「どういたしまーして」
ぱちんとウインクされた。
こういう仕草、似合うねトニーは。
イタリアンを基本にしたいくつかのメニューはどれも美味しそう。
種類はそんなに多くないけどね。
「それじゃ、ピザのマリナーラ。それとパスタ・ボロネーゼを」
「かしこまりました。ワインはどうしまーすか?」
「ごめん、あまり詳しくないから種類はお任せしていい?」
トニーがにっこりと笑った。
「はい、お任せくださーい。少しお待ちを。あぁ、クッキーは下げましょうか」
「うん、包んでもらえると嬉しい」
トニーは優雅に一礼すると、クッキーの残った皿を持って下がる。
代わりに置いてってくれたミネラルウオーターを飲みながら待っていると、しばらくして店の奥からいい香りが漂い始めた。
ニンニクを油でいためてる匂いかな?
「……」
くんくんと鼻を鳴らす。
うむー、いい匂い。おなかすいてきた。
トニーの言う通り昼時に差し掛かった島のストリートでは、またあちこちに店が開き、いい香りを量産している。
店員たちが呼び込みをはじめ、通りを歩く魔王たちが行ったり来たりしながら品定めしてる。
みんな笑顔だ。
魔王になってるってことは、人間社会で少なからず心を病んだり絶望したりしてきたんだろうけど、ここにいればそんな煩わしさを味わうことはない。
皆心に余裕ができて、のんびりゆっくり暮らしてる。
うむ、いいことだね。
「あれ、アーリャさん?」
「んむ?」
五メートルもの巨大魚をさばいていた魔王から目を離すと、見知ったボサボサの白髪頭が近づいてきた。
「エスター。やっほ」
手と尻尾を振り返す。
「こんにちは、アーリャさん。お食事ですか?」
「ん」
いつもの黒マント姿じゃなく、Tシャツに短パンというラフな格好をしたエスターが、俺の座っている店の看板を見る。
「Calmo、ですか。イタリアンのお店ですね。素敵です」
「良ければ一緒にどう?」
「ここは喫茶店ではないのですか?」
「うんにゃ、ご飯も出る」
エスターは少しだけ考えてから、頷いた。
「はい、それではご一緒させてください」
俺の隣に腰を下ろす。
テーブルに置かれた小さなベルを鳴らすと、しばらくしてトニーがやってきた。
「お呼びですか、アーリャ」
「うん。一人増えた」
トニーはエスターの姿を見て破顔する。
「おお!それは嬉しい。いらっしゃいませ」
「あ、こんにちは」
「この可愛らしい少年は、アーリャのお知合いでーすか?」
「ん。エスターっていうの」
かたんと椅子をよけ、エスターが立ち上がった。
「エストル=ラックマンです。エスターと呼んでください」
「ご丁寧にありがとうございまーす。ワターシはアントニオ。トニーと呼んでくださーい、エスター」
「はい、トニーさん」
トニーがエスターにも注文を取る。
「では……鯛のカルパッチョを。それとアンチョビのピッツァをください」
「おお、魚をメインになさるのでーすね。かしこまりまーした。ワインは白が合いますが、ご希望はありまーすか?」
「そうですね。ではオスコ・ビアンコを」
「承知しまーした。それでは少々お待ちくださーい。アーリャの料理は、じきーに出来上がりますので」
「ん」
トニーはもう一度腰を折り、建物へ引っ込んだ。
「エスター、お酒飲めるの?」
人間だったころ十三歳って言ってたし、思い切り未成年のはずだけど。
「飲めますよ。といってもそうたくさんじゃないですけど」
「ふぇ?」
飲めるんだ?
「ボクたちの国では、イースターやクリスマス、収穫祭をはじめ様々な催し物があります。残念ながらボクは病院で雰囲気を味わうだけでしたけど、病院食の中にもほんのちょっぴりだけお酒も出されるんです。稀に家に帰ったときは家族での団らんの中でワインも出ましたしね」
エスターはそう言って懐かし気に目を細めた。
「懐かしいなあ。十一歳ごろまでは病気も落ち着いていたので結構家に帰ってたりしたんです。パパやママがいて、親戚の人も来てくれて。プレゼントももらいました」
「……」
俺も少しだけ、昔を思い出す。
大学生あたりまでは結構好き勝手、のんびり暮らしてたな。
高校までは親元から通ってたし、大学も他県のを受けたけどぎりぎり通える範囲だったからそのまま暮らせた。
人間だったころのノイともずっと付き合いがあったし、楽しかった。
かなり複雑な家庭環境だったって、その頃によく聞かされた。
まあ俺はあえて気にしなかったし、そういう俺に、ノイは心を許してくれてた。今でもそうだと思うけど。
就職は氷河期時代だったから底辺職だったけど、人には恵まれてたと思う。
ただどうしても、人間社会が嫌いだった。
人が嫌いだった。
自分も含めて。
いろいろと這い上がるチャンスはあったんだろうけど、その時の生活でそこそこ満ちていたからものにする気はなかった。
腰が重いというかなんというか。
そんな自分が嫌いだった。
ネットやメディア、本なんかで知る世の中が嫌いでうっとおしくて仕方なかった。
いや、そういうマルチメディアを提供する人間からしてもう、嫌いだったんだ。
魔王になった瞬間全力で逃げ出すくらいに。
一分一秒たりともそこにいたくなかった。
ああでも、人間が嫌いとか言ってておかしな話だと自分でも思うけど、両親は好きだったな。
ん?魔王になった瞬間?
うーん、前も言ったけどあまり覚えてない。
家のごたごた、仕事のストレス、人間社会へのうっ憤。
そういうのが自分でも我慢できないくらいに溜まりに溜まって、頭がおかしくなりそうで、いっそ狂えれば楽なのにと思ってもできなくて。
薬を飲んで誤魔化して、隠し続けて毎日生きて。
魔王になったのはたぶんそんな時だったんだと思う。
仕事帰りだったかな。
急に頭がボーッとして、気持ち悪くなってその辺の椅子に座りこんで、気づいたらこの姿。
……だったと思う。
このあたりの記憶は本当に曖昧なんだ。
「それからボクは……。のはずが……」
懐かしそうに過去を語るエスターがまぶしく見える。
俺の記憶はそんなにまぶしく輝いてない……からね。
いろんなことができるようになったと確信した俺は、とにもかくにも空へ飛びあがった。
なぜかって?
だってそれが、長年の夢だったから。
飛行機械を使わないで、自分の身一つで空を翔けること。
何よりもそれが、俺は自分の心を解放できる唯一の手段だと考えてた。
理由なんてない。ただ直感でそう感じてただけだ。
でもって……それは正しかった。
街を俯瞰できる高さまでたどり着いたとき、ずっと体に巻き付いて纏わりついていた鎖や重さが、一気に消えた気がした。
脳にまとわりついていた霞が取れてクリアになり、体を押さえつけていた何かががなくなって軽くなった。
本来あるべき自分を見つけられたって思った。
『生まれ変わった瞬間』。
ノイが魔王になった瞬間の自分をそう評してたけど、ああ、その気持ちはよくわかるね。
それ以外に表現が見つからない。
「って、アーリャさん?どうかしたんですか?なんかアンニュイな顔になってますけど」
おっとっと。
急いで表情を取り繕う。
「……うんにゃ、なんでもない。たまには顔見せに行ってあげたら。気になってるんでしょ?」
「あ、えぇ……まあ。そのうち、ですね」
エスターがあははと乾いた笑い声をあげた。
「そういえばノイさんは?今日は一緒ではないのですか?」
「ノイ?あぁ、今日は例の、キット化のお話のために人間社会に出張ってるはず」
先日やったリアル巨大ロボット戦、その主人公機である【トライニャンZ】と敵の親玉である【グレートマスティフ】。
この二体をいろいろなアプローチでキット化する企画があって、ノイは今日、製作者代表としてその会議に出席してるはずだ。
大丈夫かな。ノイ、一人で。
いや別に、ちっこいから的な意味で心配してるわけじゃない。
中身は多少なりとも社会をかじってるから。
むしろ切れてビルふっ飛ばしたりしてなきゃいいけど、って話。
「発売予定って来年でしたっけ?」
「まだ未定だけど、そのはず」
「楽しみですねぇー」
「ん」
俺たちがやったお話し、【三猫合体トライニャン】は今正式にアニメ化されて、毎週日曜日夜五時から好評放送中。
これが一段落した後は修理の終わった本物の【トライニャンZ】と【グレートマスティフ】による、イベントが行われることになる。
先に正義の味方と悪の親玉って図式を世界中にインプットしておかないと、人間の悪いやつらが悪事を俺たちに擦り付けようとしたときに、勧善懲悪もののこのアニメを引き合いに出して、悪いことやった方にバカを見せるって計画が使えない。
アニメ化やとその放送、キット化は、それらの第一歩なんだ。
ちなみに、あれらロボットの技術を人間側に提供しろなんておかしな話も合ったけど、『何を言ってるんだお前は』の一言で黙らせておいた。
そんな義理も義務もないのに、なぜ命令してくるのか理解できない。
でも技術を渡さないってのは、別に俺たち魔王に負ける可能性が出るとか、そういう意味じゃない。
そもそも俺たちなら、あの金色の【トライニャンZ】だってパンチ一発で壊せるし。
懸念してるのは、今の人間には過ぎた技術渡せば、世界中の戦争行動はどうなる?ってこと。
ぶっちゃけ人間がどうなろうと俺たちの知ったこっちゃないけど、うるさいから静かにしててくれって話だ。
なにしろあんな技術渡したら、地球が滅ぶなんて可能性まで出てくるわけで。
面倒ごとを起こすな増やすな。
だもんだから、断じて俺たちの技術を渡すわけにはいかない。
『我々を信用しないのか!お前たちよりよほどましだぞ!』
なんて唾飛ばすおっさんがいたから、
『信用してもらえると思ってるのか?未だ無駄な戦争続けて地球を何百個も壊せるだけの核兵器突きつけあってるくせに、どの口が言うか』
っていったら何も言えなくなってた。
抑止力?バカ言ってんじゃないよ。
隙あらばぶっ放そうとしてるくせに。
大体撃てば世界が終わるような武器なんて抑止力の域超えてるんだーっつの。
そりゃ最終兵器ってんだ。
そうでなくても戦闘用二足歩行ロボの技術なんて渡したらリアルガン○ムかボ○ムズの世界になっちゃうだろーに。
間違いなく戦争は激化するよ。断言できるね、うん。
「ふん……」
「おまたせシマーシタ!」
不機嫌気味の鼻息を漏らしたとき、トレイに出来立ての料理を載せたおじさんが、俺の背後からおかしなイントネーションで喋りながら現れた。
「トニー、それいつもよりワザとっぽい」
「おぅ!これは失礼」
片目をつむり、おどけて見せる。
「こちら、ピッツァ・マリナーラでございまーす!こちらはパスタ・ボロネーゼ!」
ことりと俺の前に二つのお皿が置かれる。
出来立てほやほやのイタリア料理が湯気を立ててる。
ふんだんに使われたハーブやトマトの香りが食欲をそそる。
わあぁ、美味しそう!
「どちらもトマートを使ってあるので、ワインは赤を用意しまーした。キャンティ・クラシコでございまーす」
逆さまに置かれていたグラスをひっくり返し、トニーがワインを注いでくれる。
「サンジョヴェーゼ種を多く使い、果物の風味に富んでいまーす。柔らかな味わいはトマト料理にぴったりでーす」
まずはワインの香りを楽しむべくグラスを取る。
軽く揺らして香りをかぐと、なるほど、確かに果物の香りがする。
「いい香り」
「でしょう?」
一口飲んでから、ピザに手を伸ばす。
「お先に」
「あ、おかまいなく」
一応エスターに断っておく。
チーズの使われていないピザはカリッと焼いてあって、軽めの舌触りだ。
「マリナーラはイタリア語で船乗りの意味でーす。トマート、オリーブオイル、オレガノ、ニンニク、塩だけなので、どんどん食べられるピッツァでーすね」
「おいふぃ」
日本で頼んだら四千円くらいはしそうな大きさだけど、ほんとだ。しつこくない味わいだから簡単に食べれる。
続いてパスタにとりかかる。
フォークで巻き取り、ソースを絡めてっと。
「(もぐ)」
「どうでーす?」
ぐっ。
もぐもぐと頬張りながらサムズアップ。
トニーの笑顔がまぶしい。
「あまーりソースっぽくはないですが、ひき肉が多めなので力がつきまーす。玉ねぎやセロリも入っているので、栄養もばっちりでーす」
「(ごくん)」
ほんとだ、トマト料理に赤ワインて合うんだなぁ。
料理に舌鼓を打つ俺をトニーはニコニコと眺めてたけど、急にポンと手を叩いた。
「おぅ!そろそろエスターの料理ができるころでーす。ワタシは厨房に戻るので、アーリャ、ごゆっくりどうぞ」
「ん」
このピザ初めて頼んだけど、美味しいや。
それにしてもピザとパスタ合わせると結構な量があるなぁ。
「エスター、味見してみない?」
「え!?いやいや、いいですよ。アーリャさんが頼んだんですから、食べちゃってください」
「そう言わずに、ほら。おいしいよ?」
手つかずの部分をつまみ、エスターの口の前へ。
「あああああの、これはまさか」
にやり。
「はい、あーん」
「やっぱりー!」
エスターが慌てる。
かわいい。
「ほれほれ、あーん」
「アーリャさん、絶対ボクで遊んでますね!?」
「なんのことやら」
「わーん!」
道行く魔王が俺たちを見てくすくす笑ってる。
俺?全然気にならないもーん。
遊んでるだけだし。
「私の食べかけじゃ、いや?」
うるるっ。
顔を伏せて悲し気にして見せると、人のいいエスターはきまり悪そうに両手を振る。
「い、いえ。そんなことは……ッ」
「じゃあはい、あーん」
年下の男の子を手玉に取るってこういうことなのかしらん?
結構楽しいやこれ。
「ぐぬぬぬ。アーリャさん、いじわるですぅ……!あ、あーん……」
ぱくっ。
観念したエスターが目を閉じ、俺の手からピザを食べた。
餌付け成功。……違うか。
「いかが?」
もぐもぐとエスターの口が動く。
「っ!!」
「うぉ」
カッ!とエスターの目が開いた。
「こ、これは……!薄めの生地はカリッとしててサクサク感さえあって、それでいて下味がついているので決して軽すぎないッ!」
「え、ちょ、エスター?」
「新鮮なトマトは臭みがなくべちゃべちゃしていないッ!それでいて甘く、オリーブオイルが絶妙にマッチ!オレガノとニンニクは互いを引き立てあい、適度に振られた岩塩が全てをピリリと引き締めているッ!」
「……なんだこりゃ」
何かグルメ系のスイッチが入っちゃった。
エスターってこういうキャラだっけ?
「それぞれは軽い味わいと食材なのに、その全てがそろうことで一つの世界を作り上げているーッ!素晴らしいです!まさかこの島でここまでのピッツァ・マリナーラを味わえるなんてーッ!」
「……それはよかった」
「アーリャさん、もう一口いただけますか……いえ、やっぱり結構です。ボクも頼みます!」
「お、おう」
エスターがトニーを呼び、追加でピッツァ・マリナーラを頼む。
声が聞こえていたらしく、トニーは無言の笑顔でエスターと握手してから厨房へ引っ込んだ。
なんだろう、こう、分かる人には分るんだよって感じで通じ合ってたような雰囲気醸し出してた。
おかしなスイッチの入ったエスターを眺めながら自分の分を食べていると、トニーがエスターの料理を持ってやってきた。
「こちら、鯛のカルパッチョでございまーす。それから、ピッツァ・ロマーナと、追加注文のピッツァ・マリナーラでございまーす」
「おおお!」
「魚がメインとなっていますのでワインはご希望通り、オスコ・ビアンコをご用意いたしまーした。それではエスター、どうぞ召し上がってくださーい」
「いただきます!」
おーおー、すごい勢いで食べだした。
「これも素晴らしいッ!鯛を薄造りにしてハーブを添え、オリーブオイルや塩コショウで味がしっかりとついているッ!白身魚の臭みはなく、身に乗った脂もちょうどいい具合ッ!」
「ハーブには、バジルとタイムを使ってありまーす。レモンを振りかけることで、魚の身が引き締まると同時に、さっぱりした食感を与えるのでーす」
そしてこちらが、とトニーが片方のピザを示す。
「アンチョビを使ったピッツァ、ピッツァ・ロマーナでございまーす。使っているのは、トマートソース、モッツァレラ、バジル、ペコリーノ。そしてアンチョビでーす。いわゆるマルゲリータのアンチョビのせ、と言えまーす」
片手にナプキンを携えたトニーが嬉しそうに説明してる。
どっからどう見てもイタリアンのシェフだなぁ。
普段お菓子作ってるようには見えないし、間違っても魔王には見えないね、うん。
しかしなんだな、ここでイタリア料理食べてるとそのうち、俺たちのどっちかが異常に健康体になりそう。
疲れ目や肩こり直ったりとか。
最後におなか爆発したりしなけりゃいいけど。
「スライスした玉ねぎとオリーブ!粗めに刻まれたチーズ、トマトソースの味も抜群で、バジルの香りが食欲をそそるッッ!」
「ワインもお楽しみくださーい」
トクトク、とエスターのグラスにワインが注がれる。
「オスコ・ビアンコはハーブや柑橘系のさわやかな香りを備えたワインでーす」
淡い麦わら色の液体がグラスの中でさわやかに揺れる。
エスターは香りを楽しみ、液体に口をつける。
「これは……ッ!洋ナシ・黄色いリンゴのフレッシュな味わいッ。柔らかな酸味と果実味豊かなワインッ!」
「お気に召していただけまーしたか?」
「はい、全力で!」
「おぅ!料理人にとって、その言葉が何よりの報酬でーす。それではアーリャ、エスター、この後もごゆっくり食事をお楽しみくださーい。追加注文があればすぐに承りまーす」
「ありがとうございます、トニーさん!」
「あ、うん……」
なんかエスターのノリがすごいことに……。
そのうち『んまァーい!!』とかいいそうだなぁ。
まあいっか。楽しそうだし。
「おいしいね」
「はい、とても!誘っていただいてありがとうございます。お礼と言っては何ですが——」
「むぃ?」
「はい、どうぞ!」
「……」
差し出されるフォーク、固まる俺。
ぐ、しまった!
これは俺がさっきエスターに仕掛けた奥義、『はい、あーん』ではないか……ッ!
まさかここで『はい、あーん』返しをやってくるとはッ!
「こ、これは予想外」
「うん?何がです?」
「なんでもない。……いただきます」
なんかこう、周囲からの視線が強くなった気がするけど気にしないでおこう。
うん、気にしたら負けだ。
「(ぱくっ)」
「どうです?」
「(もぐもぐ)」
アンチョビのピッツァをかじり、咀嚼。
うむ、確かにおいしい。
思ったよりさっぱりしてて、後味もすっきり。
それでいて、食べている最中は複雑に絡み合った食材たちの奏でるハーモニーが舌を楽しませてくれる。
「ほんと、美味しい」
「ですよねー!」
結局俺たちは恥じらいなど捨てて、互いに『はい、あーん』を繰り返し、互いに頼んだ料理を食べさせあった。
「おいしかった……」
「はい、幸せです……」
パラソルの下、俺たちは空になったお皿の前でおなかをさする。
満足だー……。
「アーリャさんはよくここに来るのですか?」
「来るけど、食事をしたのは久しぶり。いつも軽食だけだから」
「そうだったんですか。でもそれだけじゃもったいなさそうですね」
「ん」
普段トニーに頼むのはクッキーとかジュースの類だけだったからなあ。
最後のアレがなければもっと食事頼みたいんだけどなぁ……。
そう、アレがなければ……っ!
今日こそ回避してやる。
「ご満足いただけまーしたか?」
「トニー」
盆になにやらデザートらしきものを載せたトニーが現れた。
「はい!大満足でした!とてもおいしかったです、トニー」
「Grazie、Signore Ester。こちらはデザートのパンナコッタでございます」
そう言ってトニーは俺たちの前に器を置く。
「あれ?でもこれ頼んでないよ、トニー」
首をかしげると、トニーはまたにっこりと笑った。
「これーはサービスでーす。久しぶりにイタリア料理を頼んでくれたアーリャと、イタリア料理を愛してくれているエスターへの、ワタシからのお礼でーす」
エスターと顔を見合わせる。
「そういうことなら」
「はい、いただきます。トニー」
「どうぞどうぞー!」
パンナコッタは日本でいう、プリンに似たスイーツ。
ゼラチンで固めるからババロアにも近いかな。
その上からイチゴやブルベリーのジャムをかけて食べると、これがまあ美味しいこと!
「むふー」
「ふみゃー」
エスターと二人、とろけた顔でスプーンをなめる。
できるだけ小さく、ちまちまと何度も掬い取って長く味わおうと頑張ってみる。
一方のエスターはがばりと崩し取り、頬張ってから時間をかけるという方法を取っている。
結果は、残念ながらあまり差は出ず、俺とエスターのパンナコッタはほぼ同時に最後のひとかけが消えうせた。
「満足」
「はいー」
スプーンを置いて幸せのため息。
「お下げしまーすね」
トニーが皿を下げ、同時においてった紅茶を飲んで一息入れる。
「本当はボク、ラーメンというの食べてみようと思ってたんですが、ここに来てよかったです」
「食べたことなかったの、ラーメン」
「ええまあ。人間だったころは味気ない病院食でしたし、主任のところでお世話になってからは肉や魚をワイルドに焼いたものが多いですから。といいいますか主任、普段はあんな感じなんですね」
「あんな感じ?」
「主任は料理が得意でいろんな料理を知ってます。それは確かです。でも普段は結構手抜きで作るんですよ」
「あー……」
覚えはある。
豚や牛の丸焼きとか、北京ダックとか、巨大なパンを切り分けて食べるなんてこともやってたな。
つまり、グレッグは確かに料理好きだけど、それは『誰かに美味しく食べてもらう』ために作るんじゃなくて、『自分がこれを食べたいから作る』人なんだな、これが。
「だから彼が作る物には結構な偏りが出る」
「あぁ、そういうことですかやっぱり」
エスターが苦笑した。
「でもまあ、どれも美味しいんですけどね。味付けとかすごく上手で、ボクの好みなんかももう把握しちゃったみたいです」
「さもありなん、だね」
暖かい紅茶を含むと、程よい熱さが体の中心を落ちていく。
「さて、この後エスターは?」
「ボクは……そうですね。ぶらぶらとこのストリートを歩きます。主任からも自由にして来いと言われてますので」
「そか」
「アーリャさんは?」
「私?私は……」
自伝描くのも一段落したし、特にやることないな。
うーん。どっかでのんびりするか。
「広場見つけて日向ぼっこでもしてるよ。ここ最近忙しかったからね」
「いいですね日向ぼっこ。でもまるで猫みたいです」
そういってエスターが笑った。
「猫じゃないけど、耳と尻尾はあるからね。生態は近いかもしれないよ?」
そういってケモ耳と尻尾を揺らす。
「もふもふです。暑くないんですか?」
エスターがそっと俺の尻尾の先に触れる。
「魔法で温度調節してるから何でもない。……いいよ、もうちょっと触っても」
「す、すみません。それでは……」
エスターの手が俺の尻尾に触れ、ふわふわといじる。
こそばゆい。
「あったかくて柔らかい。それにお日様のにおいがします。あぁ、これと一緒にお昼寝したら気持ちよさそうです」
「うむ。気持ちいいのだ。君とはいい酒が飲めそう」
「あ、あはは」
「でも、そう簡単には一緒に寝かさないよー」
大事な尻尾だからね。
「残念です。でもいつか一緒に昼寝させてください」
「考えとく」
席を立って、トニーに勘定をお願いする。
さあ、戦いの始まりだ。
「二人合わせで二千二百クレムでーす」
「ほいほい」
「って、アーリャさん、いいですよ!ボクの分はちゃんと払いますから……」
「いいのいいの。代わりに今度、美味しいワインでも買ってちょーだい」
「で、ですが……」
「エスター、確かにあなたはワインのことをお判りのようでーす。ここはアーリャにご馳走になっておいて、今度美味しいワインでお礼をしてあげてはいかがでショウ?」
「ん。それがいいな」
ナイストニー。
「……わかりました。ではアーリャさん、ここはご馳走になります」
「ほいきた」
金貨をレジに置き、会計。
三、二、一。
「ありがとうございましたー。またどうぞ、ごひいきに!」
ゼロ!
「おいしかったよそれじゃまたねトニー」
「アーリャさん?ちょっと、アーリャさんてば」
おもむろに、行動を加速させる。
体に魔力を行き渡らせ、十倍速で行動開始。
レジの前で十倍速の回れ右を決め、木製の階段を下りストリートを右足が踏みしめ——。
「おぅ!つれないですねアーリャ!いつもの、忘れてまーす」
「ぐ」
しまった、掴まった……っ!?
トニーめ、こちらの動きを読んでいたのというか!
「にしても早すぎデース!危うく逃げられるところで—した」
作戦、失敗。
確保されて……しまった。
よっこいしょ、と俺のおなかの前で手が回され、お人形よろしく階段の上に持ち上げられてしまう。
「ちょ、こら、トニー!」
「トトト、トニーさん!?アーリャさんに何を……!?」
「ンッフッフッフッフッフ……」
トニーは左手で俺を捕まえたまま、右手を持ち上げる。
「はーなーせー!」
目の部分は黒くシャドウが入り、背景には紫色の揺らめき。
怪しげなオーラを纏いながら、その右腕がゆぅらりと俺の頭に——。
ぽふ。
「へ?」
「……やっぱり」
「ンンン〜!」
ギャグマンガのごとく顔のデッサンが狂いまくったアントニオが、俺のケモミミを愛でていた。
「これでーす!これでーすよ!このふわふわでむにむにのケモノミミ!これこそ至高の萌えパーツゥ!」
それにしてもこのシェフ、ご満悦である。
「……」
エスターの目が点になってる。
俺は……逃げるに逃げれない。
「あ、アーリャさん、どうして逃げないんです!?」
「つまーりですねエスター。アーリャは逃げたくても逃げられないのデース。ワターシに掴まったのが運の尽きデース」
だから語尾!つーか発音!わざとらしい外国人止めろしー!
「むにゅ、へにゅ、きゅむ」
トニーが俺の頭を撫でくるたびにおかしな声が漏れる。
「実はさっきのお食事。普通の値段ならば合わせて五千クレムほどになってまーした。でも、それが半額以下に。なぜだか分かりまーすか?」
「い、いえ。や、まさか……」
「そう!こうしてアーリャの可愛らしいケモ耳を撫でさせてもらうことで!私はその半分のお題をいただいているのデース!!」
なすがままにされながら、俺は盛大にため息をついた。
「実はねエスター。トニーって無類のケモ耳好きなの。自分がケモナーな見た目になれなかったことがそれはもう悔しくて仕方ない人なの」
だからこうして道行くケモナーさんを食事に誘い、格安でおいしいご飯を提供して、残り半分のお題をケモ耳を愛でさせてもらうことで我慢しているというわけ。
「なんともざんね……不憫な方ですね」
「いい迷惑」
「とかいう割にはアーリャ、よくワタシの料理を頼んでくれまーすよね?嫌ではないのでしょ?」
「うーむむうぅ」
確かにトニーの撫で方は優しいし、小さいころ父さんに頭撫でてもらってたような安心感すら覚えるから、嫌いじゃないってのはほんとなんだけど。
「もちょっとそっとして」
「了解デース」
もふもふ、なでなで。
道行く魔王からは、アーリャご愁傷さま、とか、あーあーまたやってるよトニーのヤツ、みたいな声が聞こえてくる。
「へむ、ふみゅ、にゅ、くすぐったい」
「さいっこーの手触りデース」
「なんかこう、見てはいけないもののような……」
エスターが顔を赤くして俺を見ている。
「そんなことあーりませーん!べつーに、エッチなことするわけでも、エッチなところ触るわけでもないのデース!ワターシがいじるのは、このかわいい耳だけデース」
「当然だ—!」
えっちなことなんぞされてたまるか!
「アーリャさん、ほっぺ紅くなってます」
「うっしゃい」
いかん、声まで幼く……!
「ぐはぁっ」
なぜかエスターが胸に矢でも受けたみたいな顔してる。
「アーリャさん、今のは反則、ですっ!か、かわいいっ!」
「……」
忘れてた。
今の俺ってケモ耳オッドアイの美少女で、つまり萌え萌え要素を多分に含んでいるということで。
それが顔紅くして舌足らずに『うっしゃい!』とか言ったらもう大変なことになるわけで。
コミケ会場における萌え行為禁止条項に抵触した気分!
はあはあと鼻息荒くしたエスターまでがにじり寄ってきた。
「……ひぃっ」
て、貞操の危機!?
「ちょ、トニー!そろそろ離して……」
「もうちょっとだーけでーす。……すうぅ」
「匂いかぐなー!」
シャンプーとリンス、セットで毎日やっててよかった。……じゃなくてぇ!
じたばた、じたばた!
「アーリャさん……少し、少しだけその耳、触らせてくださいぃ!」
がばあっと迫るエスター。
興奮してるのか目が光ってて犬歯まで見えてる。
いーやー!吸血鬼っぽい—!
「ギニャーッ!!」
この日、俺は統括者になって初めて悲鳴を上げることになった。
まったく、ひどい目にあった。
「うー」
お気に入りの丘の上に座り込んでさめざめと涙を流す。
トニーだけならまだしも、エスターまで参加してくるとは思わなかった。
ひたすらにケモ耳と頭を撫でられまくり、何とか逃げ出してきたのが十分ほど前。
エスターに襲われる前にトニーの拘束を振りほどいて、空に飛びあがると同時に過剰なまでにかく乱魔法を発動させて、姿からにおいから存在から全部を隠匿。
俺を見失って慌てふためく二人をしり目に、全力でここまで逃げてきたとこだ。
「やれやれ……」
かわいがってもらえるのは嬉しいけど、もみくちゃにされるのは好かない。
トニーめ、覚えておれ。
今度調味料の瓶の中身入れ替えておいてやる。
定番の砂糖と塩とか、ケチャップがタバスコになってるとか。
エスターは……まあ今回は許す。
俺も結構遊んでたし。
「(くしくし)」
手櫛で乱れた髪を直す。
綺麗にそろえたわけじゃないから少々ワイルドだけど、まあこれはこれでよかろう。
ようやく落ち着いてきたので、改めてあたりを見回す。
ここは町はずれの小高い丘の上。
背後には林、眼前には真っ青な海。
今は昼間だからパノラマの海が堪能できるけど、夜には満天の星を見られる。
人工の灯りなんてものがないから、本当に綺麗なんだよ。
少しばかり開けたここが、俺のお気に入りの広場。
「……」
草地に座り込み、黙って空を見上げる。
吹き上がる風の音、岩にぶつかる波の音、背後で木々の葉がざわめく音。
あぁ、どこかで小鳥が鳴いてる。
人の手によらない、あるがままの音が俺を包み込み、癒してくれる。
心の底にある物を吐き出すように、深呼吸を繰り返す。
青と緑と夏のにおいが、胸いっぱいに広がった。
「落ち着く……」
木陰に移動して太い木の幹に背を預け、足を投げ出してぼんやりと海を見る。
葉の隙間からちらちらと木漏れ日が落ちてきて、真っ白なワンピースを光の粒で彩ってくれた。
トニーに弄ばれて動揺していた心が落ち着きを取り戻していくのが分かる。
「ん……あふ」
湿度も気温もちょうどいい。
風も冷たくなく、俺の素肌にそっと触れていく。
おなか一杯ということもあって、だんだん瞼が重くなってきた。
ケモ耳もだんだん垂れてきて、うつらうつらと頭が落ちる。
あー、ウミネコの声だ。
にゃーにゃーと猫みたいな声が風に乗ってくる。
「もふ」
尻尾を抱き込むと、それを抱き枕代わりにして俺は目を閉じた。
ああ、なんて素晴らしいひと時。
たまには一人だけというのもいいものだ。
誰にも邪魔されず、憂鬱はなく、何の心配もいらない。
真に満ち足りて穏やかな空気に俺は全身を浸しながら、眠りの中へ落ちていった。
目が覚めると、腕に暖かさと重みを感じた。
「ん?」
「……」
見慣れたゴスロリ服が、俺に寄りかかって無邪気な寝顔を見せていた。
帰ってきてたんだな、ノイ。
どうやって見つけたのかは……まあいい。
ノイならなんでか俺の居場所分かりそうだし。
人間だったころは思いっきりコミュ障を発症してたっていうけど、魔王になってからは一人で会議とか言ってるんだから、人って変わるもんだなぁ。
いや、人じゃないけど。
むしろ、それだからかな。
「くー……くー……」
久々に見るノイの穏やかな寝顔。
それはとても俺と同じ二十八も過ぎた元男の顔とは思えない。
どう見ても歳相応——十歳前後の幼女だ。
「すぴ……」
「ふふ」
伸びた銀髪がちっちゃな鼻にかかり、ノイがくすぐったそうに鼻息を漏らした。
時間を確認すると、三時半を過ぎようかという頃。
二時間くらい寝ちゃってたか。
相変わらず海は波の音を響かせ、雲はのんびりと浮かんでいる。
ゆっくりと過ぎていく、時間。
何にも追い立てられることのないこの時間を、俺は心から愛している。
そっとノイを抱き寄せ、頭を撫でる。
「んうぅ」
ゴス幼女は起きるどころか俺にくっついてきた。
そのままノイを撫でながらぼーと海を見ること一時間。
日も暮れ始めた頃、ノイの目が開いた。
「ん……あれ」
「あ、起きた」
「アーリャ?あ、あれごめん。寝ちゃってた」
「いいよ。疲れてた?」
「そんなことはないけど……気持ちよくてつい」
「分かる」
最後に一撫でされてから、ノイが身を起こした。
「んーっ!」
万歳するみたいに体を伸ばしてる。
ふと、ノイの手元に何やら細長いバッグがあるのを見つけた。
「ノイ、それ何?」
「ん?あぁこれ?」
ゴス幼女が自分の腕の長さくらいのカバンを開け、中身を取り出した。
銀色で細長い金属の筒。全体にたくさんの蓋とそれを押すためのボタンがついている。
フルートだ。
「どしてまた急に」
「いやー、たまには吹きたくなってね」
ゴス幼女がにははと笑う。
こう見えてノイはフルートとかサックス吹けるからね。
俺と一緒によく吹いてたんだ、昔は。
「指使いとか忘れちゃわないようにと思って持ってきたんだけど、アーリャが気持ちよさそうに寝てたから起こしちゃ悪いと思って」
「そりゃごめん」
「いやなに……。ところで」
ノイがあたりを見回した。
四時近くなって日も暮れだしたとはいえ、まだ十分あたりは明るい。
いや、これはむしろいい頃合い。
「アーリャ」
「ノイ」
二人同時に名前を呼ぶ。
「少しやろうか」
「ん」
俺もまた久しぶりだけど、大丈夫でしょ——。
収納空間から長方形の箱を取り出す。
取り出したのは、オーケストラでも主役を張る管楽器。
「久々だね、アーリャのトランペット見るのも」
「そうかな」
金色の管がキラキラと光る。
「アーリャが統括者になる前だもの。二人で吹いてたのは」
そんなになるか。
三本のピストンをそれぞれ開け、オイルをつぎ足す。
各管の作動部分にも液体状のオイルを垂らし、スムーズに動くよう調整。
これでよし、と。
指はともかく、唇が吹き方覚えてるかしら。
軽く布でふいたマウスピースを唇へ。
下から上に持ち上げるようにセットする。
「♪ヴー」
うん、覚えてる。
ノイもフルートを口に添え、ぴーぷーと音を出す。
「いけそう?」
「うん。大丈夫」
人間だったころは恥ずかしくて人前では吹けなかったけど、今ならできる。
ノイっていう友達もいるしね。
「何から行く?」
「そうだね……」
ノイはしばらく考え、フルートに息を吹きいれた。
澄んだ音があたりに響く。
これは……。
中国有数の大きな河をモチーフにした、オカリナの曲だ。
そういえばノイ、あのオカリナの巨匠好きだったもんなぁ。
「♪〜」
曲の主旋律はノイに任せ、時折合いの手をトランペットで入れる。
「♪——」
「——♪」
時折目線を合わせながら、体でリズムをとる。
穏やかな旋律は大きく広がった河、その滔々とした流れを表現する。
目を閉じれば、行ったことのないはずの光景が瞼の裏に浮かんでくる。
上流では下が見えそうなほど透明な水と、荒々しい岩肌に薄霧を纏わせた山々が連なる。
下流に行くにしたがって河端は広く、広く、そして平らになり、川底の砂の色で黄色になってゆく。
長い長い時を旅した水は、やがて海へ還っていく。
そんな曲だ。
前半は主としてノイが。
サビにかかったときに俺のトランペットがそっと、けど華やかに参戦する。
体は自然と揺れてリズムをとる。
ノイのフルートが高く澄み切った音の枝を夕暮れの空に伸ばし、俺のトランペットが枝に花を咲かせていく。
「「♪〜……」」
一曲目がデ・クレッシェンド。
今、俺たちの間に言葉はいらない。
高まる気持ちのままに、次の曲へ。
今度は俺から。
ある海外ドラマのテーマだ。
ホロコースト生存者を載せてフランスからパレスチナへ向かう移民船の物語。
イントロは激しく吹き、Aメロに入ると一気に音量を落として重厚に。
ノイには高音域に色を添えてもらう。
長くない曲の中には、移民たちの苦労や、道の先にある希望、そこに到達した時の解放感が重く、激しく描かれている。
俺の体も大きく振られて、曲の持つすべてを表現しようと努める。
トランペットが海に向かって叫び、二曲目が終わる。
日暮れが進み、あたりが暗くなってきた。
もう数曲いける。
互いにバトンタッチを繰り返し、フルートとトランペットだけで曲を奏でていく。
この小さな広場は、俺たちのコンサート会場だ。
時に激しく、時に静かに。
時に明るく、時に物悲しく。
手拍子も交え、俺たちのコンサートは続く。
何度目かのノイの番が来た時だ。
「(?)」
ふと背後に気配を感じて振り向く。
そこでは、グレッグとフランツ、エスターを含めた数名の魔王たちが木の影から俺たちの方を見て、聞き耳を立てていた。
右手で、『おいで』とジェスチャーをすると、全部で十名の魔王たちが現れる。
俺たちは自然と車座になり、その真ん中にグレッグが魔法で火を灯す。
煌々と燃えるたき火の真ん中で、俺とノイは一層音を張り上げる。
今ノイが選んだのは、アンデスは、パンフルートの名曲。
大自然の織りなす山々の上空を飛ぶ、孤高の鳥を表した有名な一曲だ。
あぁ、目に浮かぶだろうか。
乾いた大地に描かれる不可思議な紋様、緑を繁茂させる高い山。
その中腹に作られた石造りの不思議な村々。
霧に覆われた段々畑。
すべてを見下ろし、円を描いて飛ぶ大きな大きな鳥。
魔王の一人が自分の収納空間から巨大な棒を取り出した。
あれは、まさにそのアンデスで使われている楽器だ。
中にはたくさんの粒が入っていて、振ると——。
ザアァァァァァァァ……。
水音とも風音とも似て非なる、流れそのものと言った音が響く。
その魔王は続いて、本物のパンフルートを取り出し、片手でもって吹き出した。
ちらりと俺を見たので、ウインクを返す。
飛び入り参加は大歓迎。
それならばとフランツが二つに連なった縦長の太鼓を取り出し、リズムをとる。
グレッグやエスターは楽器を持ってないみたいだけど、代わりに飲み物や軽食を取り出し、皆に配る。
コンサートはちょっとした宴会になっていた。
ああ、でも俺こういうの大好きだ!
たき火を囲んでみんなで音楽をかき鳴らしながら食事。
まるで絵に描いたみたいなファンタジーじゃないか。
現実世界ではあまりやらないからね、こういうの。
二曲、三曲とアンデスの名曲が続く。
パンフルートやケーナ、例の棒楽器が加わったことで、フルートやトランペットだけでは表現できない独特の旋律が俺たちを楽しませてくれる。
曲は俺の番になり、選んだのは太陽系でも最も大きな星を表した曲。
有名なサビ部分だけでなく、その前後もしっかりと演奏する。
楽譜なんていらない。
メロディーは全部覚えているから。
楽器の数が少なくたって、そんなのは関係ない。
主旋律がしっかりとれていれば周りが適当に合わせてくれるからね。
とはいっても、オーケストラの曲をやっちゃうと、ほぼ俺の独唱みたいになっちゃう。
適当にメロディーをつなげて短くごまかして、曲を終わらせる。
もうあたりは暗くなり、すっかり夜になっている。
ここで曲目はジャズに変わった。
ノイの楽器がサックスに変わる。
トランペットとサックス。
この二本があればジャズはどんなものでも行ける。
往年の名曲から新しいものまで。
手を変え品を変え俺たちは音楽の木を育てていく。
夜空の星がちかちかと瞬き、大きな月が海面から上がってきたころ。
「じゃ、そろそろラストにしようか」
「そうだね。結構やったしね」
「ああ、いい気分なのぜー……」
「私も、楽しかった。ありがとう統括者、それにノイ」
「ん」
「最後は何にすんだ?」
いつでもどこでもお酒を手放さない緑の巨人、グレッグが、茶碗酒を流し込んでる。
「そうだね……」
「アーリャに任せるよ」
ふむ。
ふと、俺は上を見上げる。
都会では見られない、満天の星空。
人間の目では見えない、低い等星の星までが、俺たちならはっきりと見える。
まぶしいくらいだ。
「星、か……」
自然と俺の手はトランペットを構え、
「♪ー♪ー……」
音を奏でだす。
『夜空のトランペット』。
俺が知ってるトランペットの曲の中でも一番好きな曲だ。
「あぁ、こいつぁいい。俺もよく知ってるぜ」
グレッグが目を閉じ、巨体を揺らす。
トランペット一本で吹ける曲だけど、ノイのサックスやフランツの太鼓といった楽器たちが一緒に歌ってくれる。
まさにこういう、星が瞬く夜空の下で吹きたくなる曲ナンバーワン。
広く広く、空に音を行き渡らせるように。
歌詞パートはグレッグが、その低い声で歌う。
青白い月がビロードのような海面に揺れる姿を映し、俺たちの創ったメロディーの樹が透明な枝葉を茂らせ、星々と繋がっていく。
活性化した魔力の粒子が、こぼれた星屑のように煌めき、ああ、なんて幻想的な雰囲気。
同じメロディーの繰り返しにもかかわらず、強弱や音程、リズムをずらして吹くことで曲はいろんな顔を見せる。
車座になった魔王たちが皆目を閉じ、それぞれのイメージに浸っている。
ぱちぱちと燃えるたき火、炙られる肉の匂い、鳴り響く音色のすべてが一体になっていく——。
ぱちぱちと拍手が鳴り響き、俺たちの演奏会は終わった。
ノイと俺だけでこじんまりとやるつもりだったデュエットは、最後には十人もの魔王が参加するコンサートとなって終わりを告げた。
魔王たちが三々五々、散っていく。
みな笑顔で俺たちの肩を叩き、親指を立てて帰っていった。
「予想外だったけど、気持ちよかったねアーリャ」
「ん。久々に全力で吹いた」
唇がじんじんと痺れてる。
もう月もすっかり空に上がり、星も見えなくなるくらいの光の玉になってる。
「いい時間だったぜ。ありがとよアーリャ」
「ボク、感動しっぱなしでした!まだ鳥肌が立ってます」
「ありがと」
「じゃ、またな」
「ん。また明日」
エスターとグレッグも楽しそうに帰っていった。
ぷふ、エスター、グレッグに肩車されてら。
グレッグも、まるで弟ができたみたいなはしゃぎようだねぇ。
「さて……私たちもご飯食べに行く?」
フルートとサックスの手入れを済ませ、ノイが立ち上がった。
「そうだね。オーナーのところで何か食べよう」
トランペットを軽く手入れし、収納空間に送る。
俺の差し出した手をノイがとり、俺たちは宿に向かって、コンサート会場となっていた広場を後にした。
オーナーのところで注文したのは、パンと新作のシチュー。
それにたっぷりのサラダと蒸かしたジャガイモ、ローストビーフ。
搾りたてのヤギ乳を発酵させたお酒と、デザートにはアイスクリームを載せたアップルパイ。
昼間食べたトニーのイタリア料理も好きだけど、俺にはやっぱりオーナーの作った食事が合うなぁ。
ノイと二人、ワイワイと話しながらあっという間に平らげてしまった。
俺たちのコンサートの音は、風に乗って宿まで聞こえてたみたいで、オーナーも気分良く食事の支度が出来たって言ってた。
嬉しいことだね。
「ぱく」
温かいシチューをほおばると、ほくほくのジャガイモやニンジンがごろりと入っていた。
む、ブロッコリー発見。
こっちは……羊肉かな?
「はふ、はふ」
うん、おいしい。
フランスパンの切ったのでシチューを掬って食べるのもおつなもの。
蒸かしただけのジャガイモには塩だけを振ってかじりつく。
「あち、あち」
でも、うん。おいしい。
「もが」
「?」
おかしな声が聞こえたので隣を見てみると、ノイがサラダをほおばってリスみたいにほっぺが膨らましてた。
「きゅむ〜」
「……」
手でほっぺたを押しつぶす謎のパフォーマンスをしてるノイから目を離し、ローストビーフに手を伸ばす。
やらわかく煮詰められた肉はほろほろと崩れるので、その前に口に押し込んだ。
濃い目のソースがたまらない。
ヤギ乳のお酒とよく合うんだなぁ、これが!
「美味しい」
「ん」
俺たちの呟きを聞いたオーナーが、カウンターの向こうからにっこりと笑ってた。
宿の食堂は今夜も繁盛してるみたいで、何組もの魔王たちがオレンジ色の照明の下で楽しそうに飲んだり食べたりしてる。
グレッグやエスター達はいない。
きっとあの塔で食事してるんだろうな。
「ふぃー」
「食べたー!」
デザートのアイスクリーム乗せアップルパイまでを堪能した俺とノイは、一度外に出た。
俺はこのまま宿の自室に引っ込んでもよかったんだけど、今日は珍しく外に出たくなる日だった。
大きな月を見上げて深呼吸を繰り返す。
夜風の匂いが、俺の心を静かに昂らせていく。
「アーリャ?」
「ん?」
すぐ横を歩きながら、ノイが俺を見上げている。
「この後はどうする?」
「どっかのバーに入って一杯やりたい」
「私も」
魔王の島にはレストランから喫茶店、バー、カジノまで、何でもそろってるからね。
雰囲気良いところをいくつか知ってる。
「でもその前に」
「ん?」
ノイがにやりと笑った。
「アーリャ、飛びたがってるでしょ」
「……ばれたか」
さっきから体の芯が熱い。
俺が空を飛びたくてうずうずしている証だ。
「少しだけ付き合うよ。久々に行こう」
「ん。行こう」
立ち止まり、ノイと同時に飛行魔法を発動。
瞬時に島を見下ろせる高さまで上り詰めた。
「ノイ、大丈夫?」
飛ぶの苦手だからなぁ、ノイ。
「大丈夫。少しずつ練習しているし。こうやってただ飛ぶだけなら何の問題もないよ」
ほう。随分上達したもんだ。
飛行魔法を発動したまま、島の上空を適当に飛び回る。
宙返り、背面飛行、逆立ち飛びなんてことまで。
空を上に見て寝転がれば、視界は全て満天の星空。
ぼんやり浮いていると、横にノイが上がってきた。
「気持ちいいね」
「ん」
何もない空中で、椅子に座るみたいな姿勢で、ノイが浮いている。
「見て、アーリャ」
「ん?」
ノイはその身一つで空に浮いていると思ってたけど、違った。
「ホウキ?」
「そそ。魔女みたいでしょ」
ノイはちゃんと削り出したオークの木に、そろえた枝を巻き付けたホウキに座っていた。
「ついでにこれも作っちゃった」
と、魔女の三角帽子を取り出してかぶってみせる。
「おぉ。似合う」
「へへ。ありがと」
ゴスロリ服と三角帽子、ホウキか。
某有名シューティングゲームのキャラクターを思い出させるね。
顔は全然違うけど。
「戦闘時は使えないだろうけど、日常で使う分には結構楽しいよ。アーリャの分も作ってあげようか?」
ふむ。いいかも。
ちょっとだけ考えて頷く。
「それじゃ、一本よろしく」
「ほいきた」
ノイがにこりと微笑んだ。
俺は自分の身一つで空を飛ぶのが好きだけど、確かにこういう小道具があっても楽しいかもしれない。
眼下では島のストリートの灯りが光の道を作っている。
全身を夜風に浸しながら、俺はそっと目を閉じた。
自然と口に上ったのは、とあるアニメの劇中歌。
『いつか私はこの狂った世界を出て、誰の名前も知らない世界へ行くの』
『そこでは私は誰でもなく、君もあなたも、名を持たない。生きるためにあがくこともない』
『そこで私は壊れた心を癒し、太陽のもとで穏やかに過ごす』
『私はいつか、そこに行くの——』
そんな歌だ。
ノイは黙って、俺の口ずさむ歌を聞いていた。
切なそうな横顔を、銀色の前髪が隠している。
きゅ、と俺の手が握られた。
暖かくてちっちゃなノイの手だ。
俺は歌いながら、そっと握り返す。
「……さて、そろそろ行こうか、ノイ」
呟くように歌い終わった俺は、寝転がっていた体を縦に戻した。
「そうだね。行こうか」
俺たちは何もない広い空の上を後にし、狭くて暗い、タバコの匂い漂うショット・バーに入っていった。




