東と西が動き出す
秋大陸の港町は、今日も穏やかだった。
潮風が工房の窓を揺らし、木製の机の上で帳簿の紙がかすかに鳴る。
アマミは、その帳簿から視線を上げずに言った。
「・・・やはり、変化していますわ。冬大陸の魔力反応。数値が戻り始めています」
その声には、驚きよりも確信があった。
「密かに流していた魔道具の使用地域から、情報が先に届きました。暖房用の補助具、魔力を持たない人向けの生活道具。それらだけで、ここまでの回復は起こり得ません」
エリスは、椅子に腰掛けたまま、足をぶらぶらさせていた。にこにこした顔のまま。
「じゃあ、原因はひとつだね」
アマミは、書簡を一枚取り上げる。
「夏大陸出身の魔法使い──ヒサナ。白銀の髪、金色の瞳。水魔法を得意とし、冬大陸の魔力核に魔力を供給した、と」
その言葉を聞いた瞬間、エリスの胸の奥が、ひやりと冷えた。
(・・・供給)
魔力の核。
それは、大陸に流れる魔力の源であり、循環を司る心臓のような存在。
核が弱れば、人は魔法を失い、魔物は歪み、大陸はゆっくりと死んでいく。
だからこそ、核に触れる行為は、どの時代でも選ばれた巫女のみができる禁忌に近かった。
(・・・普通は)
核に魔力を与えるという行為は、水を注ぐような単純なものじゃない。
核は、生きている。
触れた者から、命や時間を、少しずつ削り取る。
(・・・なのに)
少女は、生きている。
それも──英雄として。
エリスは、笑顔を崩さないまま、内心で息を詰めた。
(ただの巫女、だよね?)
巫女。核に魔力を供給する存在。
その呼び名の裏にある現実を、国も知らないはずの現実をエリスは知っている。
供給を続ければ、寿命は確実に縮む。
それでも──数年は、生きられる。
覚悟を決める時間も、守る時間も、残されている。
(それなら・・・まだ)
だが、エリスの脳裏には、もう一つの伝承が浮かんでいた。
長い歴史の中で、たった一人だけ存在した例。
核と、魂が繋がってしまった者。
絶え間なく湧き続ける魔力。
疲れを知らない身体。
奇跡と呼ばれ、希望と持ち上げられやがて、国に管理された。
逃げ場はなく、選択肢もなく。
最後は、自分で命を終わらせた。
耐えきれなかったから。
その話を知っているのは、妖精族の中でも、ごく一部だけ。
(人は、同じことを繰り返す。守ると言いながら、壊す)
エリスは、机の上の書簡を見つめた。
ヒサナという名前。
(お願いだから、ただの巫女であって)
もし、魂が繋がってしまった存在なら。
それは、世界と同じ側に立ってしまった存在。
そんなものを、また国に渡すわけにはいかない。
「・・・エリスさん?」
アマミの声で、エリスは現実に戻る。
「大丈夫です?」
「うん」
にこっと笑う。
「ちょっと考え事」
アマミは、深くは追及しなかった。
話題を戻す。
「ヒサナと、拳で魔法を砕く護衛、キーラ。二人とも、国家に属さず、中立を選んでいます」
エリスは、ほっとしたように息を吐いた。
「・・・それならまだ、救いがある」
「え?」
「なんでもない」
エリスは立ち上がる。
「行こっか。南と北が動いたなら、東と西も、ぼーっとしてられない」
アマミは、静かに頷いた。
「ええ。冬大陸の情勢は、わたくしが把握しています。ヒサナという少女が、どんな存在なのか、自分の目で、確かめましょう」
エリスは、にこにこしたまま、扉へ向かう。
胸の奥に、冷たい覚悟を抱えながら。
(・・・今度は。今度は、壊れさせない)
東と西は、静かに歩き出す。
本編に登場するキャラクター
ヒサナ、キーラ、アマミ、エリスは
「キャラクターデザイン鳴海月花」の表記があれば創作、商用利用可能です。




