魔力コントロール
王宮の保護区画は、ひどく静かだった。厚い石壁。外の音を遮る
結界。空気は澄んでいて、魔力の揺らぎも少ない。
「・・・ここ・・・静か・・・」
ヒサナは、足を踏み入れた瞬間にそう呟いた。
「刺激が少ないよう設計されています」
グリードが淡々と説明する。
「魔力が不安定な人ほど、環境の影響を強く受けますから」
部屋には、最低限の家具しかない。寝台と机、椅子が一脚。
余計なものは、何もない。
安全。そう言われれば、確かにそう見えた。
「キーラも・・・近くに・・・?」
ヒサナが不安そうに尋ねる。
「隣室です。行き来も自由ですよ」
その言葉に、ヒサナの肩から力が抜ける。
「よかった・・・」
キーラは、部屋の隅に立ち、出入口と窓の位置を一瞥した。
(・・・閉じ込める場所じゃない)
◇◇◇
指導は、翌朝から始まった。
「まずは、魔力を出さないことから始めましょう」
グリードはそう言って、ヒサナの前に立つ。
「魔法は、使わないことも制御です」
ヒサナは、小さく頷いた。
「・・止める・・・」
「はい。溢れそうになったら、呼吸に意識を向けてください」
深く、ゆっくり。ヒサナは、言われた通りに呼吸を整える。
すると指先に滲みかけていた魔力が、わずかに引いていく。
「・・・あ・・・」
「できています」
淡々とした評価。
否定も、過剰な賞賛もない。
それが、ヒサナには心地よかった。
(ちゃんと・・・教えてくれる)
キーラは、部屋の隅で腕を組み、黙って見ていた。魔法の理屈は分からない。
だが、ヒサナの呼吸が楽になっているのは分かる。
二日目、三日目。指導は、規則正しく進んだ。
決まった時間。
決まった動作。
決まった休憩。
「刺激を減らしましょう」
そう言われ、外出は控えめになる。
「集中した方が、回復が早いですから」
理由は、いつも合理的だった。
ヒサナは従う。実際、少し楽だったから。
だが、三日目の午後。指導の内容が、わずかに変わった。
「今日は、少しだけ反応を見ます」
グリードはそう言って、小さな水晶盤を机に置いた。
「・・・反応・・・?」
「はい。あなたが止めようとした時、魔力がどう振る舞うか」
ヒサナは、不安そうに指先を見る。
「・・・あんまり・・・出したくない」
「分かっています」
即答だった。
「だから、出さない訓練です」
その言葉に、ヒサナは納得してしまう。
(・・・止める・・・練習・・・)
キーラは、水晶盤にちらりと視線を向けた。
(昨日まで・・・あれ、なかったよな)
だが、まだ口を出すほどではない。
「指先に意識を集めてください。そして、何もしない」
何もしない。それは、ヒサナにとって一番難しい。魔力は、使おうとしなくても、勝手に溢れてくる。
(・・・だめ・・・)
ヒサナが目を閉じ、呼吸を整える。
その瞬間、水晶盤が、かすかに光った。
「・・・っ」
ヒサナは慌てて力を引く。光は弱まるが、完全には消えない。
「・・・止まら・・・」
「大丈夫です」
グリードは、一歩、距離を詰めた。
「そのまま・・・今の感覚を、覚えてください」
声は、変わらない。教える人の声だ。
だが、ヒサナは気づかない。
止める訓練から、出る瞬間を観測する段階へ移っていることに。
水晶盤の光は、しばらく消えなかった。
「・・・ごめんなさい・・・」
ヒサナの声が、震える。
「謝る必要はありません」
グリードは、本心からそう言った。
(やはり・・・)
彼の胸に、静かな確信が芽生える。
(制御が未熟なのではない。入口が、他と違う)
普通の魔法使いは、杖や石など媒介を通して魔力を流す。
だが彼女は、身体そのものが通路だ。
(教科書通りでは・・・追いつかない・・・)
理解したい。
安定させたい。
それは、彼にとって純粋な欲求だった。
ヒサナのためだ。そう、疑っていない。
ヒサナは、疲れていなかった。王宮の保護区画で数日を過ごしても、顔色は変わらず、歩調も乱れない。
それどころか以前より、安定しているように見えた。
「・・・今日も・・・大丈夫、です」
ヒサナはそう言って、小さく頭を下げる。
その姿を見ながら、グリードは胸の奥に、言葉にできないざわめきを覚えていた。
(ありえない)
理論が、追いつかない。
媒介を使わず、身体そのものを通路にする魔力制御。
それを数日続ければ、疲労が出ないはずがない。
(なのに・・・何も起きていない)
順調 ではない。不自然だ。
彼の視線は、ヒサナの指先、呼吸、心拍へと移る。どこにも、消耗の兆しがない。
(減っていない)
いや最初から、減るという概念が存在していない。その考えに至った瞬間、背筋にぞくりとしたものが走った。
(流れている、止まらずに・・・)
魔力は、溜まっていない。放出もしていない。それでも常に満ちている。
供給源が、途切れていない?)
その可能性に気づいた瞬間、思考が、異常な速度で回り始めた。
危険だ。
(これを・・・観測できるのは、私だけだ)
口の端が、わずかに上がる。
いや、違う。上がったのではない。抑えきれなかった。
(奇跡だ)
それは、魔法使いとしての興奮だった。学者としての、理解への渇望。だがその奥に、もっと歪んだ感情が芽生え始めている。
(この状態を失うわけにはいかない)
問題は、この現象が不安定だということ。
もし外的要因が加われば。
もし誰かが、余計な刺激を与えれば。
(壊れる)
その想像に、初めて恐怖が混じった。
(守らなければ)
だが、その守るは、ヒサナ本人ではなく、この現象そのものに向いていた。
(まず、余計な要素を排除する)
キーラ。
彼女は、ヒサナにとって精神的な支えだ。だが、予測不能でもある。
(感情は制御できない)
グリードは、静かに結論を出す。
──切り離す。
それは、冷静な判断のようでいて。実際には、焦りから生まれた決断だった。
「ヒサナさん。少しだけ、環境を変えます」
声は、いつも通り穏やか。だが、内側では思考が止まらない。
(時間が惜しい)
「・・・キーラは?」
ヒサナが不安そうに尋ねる。
「一時的な措置です」
即答。説明は、最小限。
ヒサナが頷くのを見て、胸の奥がひくりと震えた。
本編に登場するキャラクター
ヒサナ、キーラ、アマミ、エリスは
「キャラクターデザイン鳴海月花」の表記があれば創作、商用利用可能です。




