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「千と千尋の神隠し」の’’カオナシ’’に見る自己のあり方

作者: 緑山佐久

「千と千尋の神隠し」にて’’カオナシ’’というキャラクターが登場する。多くの人が知っていると思うので、カオナシ自体の説明についてはここで省き、その行動やセリフから自分が感じたことに注目しようと思う。カオナシははじめ、一人で橋の上に立っていた。そこを千が横切った際に、千に目が釘付けにされたように、千をじっと見続ける。そしてどこまでも千を追いかけていく。


 なぜ、千についていったのか、ということを考えてみる。千は湯屋で働く他の人々と比べてかなり若いほうだと考えられる。見た目から小学4年生くらいの少女だと考えられるが、他に同年齢の見た目をしているキャラクターはハクのみである。そして特に根拠はないが、自分はカオナシを男性であると感じている。それは千に好意的に思ってもらおうと、お湯の札を渡したり、金を差し出したりする姿からそのように感じているのかもしれない。カオナシが男性であると仮定して考えると、カオナシは千に対してある一種の、恋のような感情を抱いていたと感じる。しかし千とは違ってそれは愛に昇華されることのない恋である。千はつねにハクのことを中心にして考えていた、つまりハクを()()()()()考えていたのに対し、カオナシは常に()()()()()である。カオナシがお湯の札を差し出したときも、金を差し出したときも千はそれを明確に拒絶している。あれらの行動は千のことを考えて差し出したのではない。自分かわいさから生じた行動である。それがはっきりと示されたのが、終盤で差し出される食べ物をたらふく食べて巨大に膨れ上がったカオナシが千に拒絶されるときの「一人は嫌だ」というセリフである。カオナシは孤独を回避するためについていったのだと考えられる。たまたま自分が一人で橋でいるときに、自分を満たしてくれそうな物分かりの良い子どもがたまたま通りがかったので執着したということである。千である絶対性は無いが、他のキャラクターは皆自我が強く形成されていて自分の入り込む余地がなかったため、千が都合が良かったのであろう。千とゼニイバの家から帰る時、カオナシはゼニイバにお手伝いとして家にいてくれ、と言われるがそれに対して驚くほどあっさりと了承する。それまでの執着っぷりとは真逆の態度である。このことからも千である絶対性はないと考えられる。


カオナシは「顔無し」という意味である。私達はほとんどの人が、毎日鏡で自分の顔を見るであろう。自分の顔を自分で見ることは出来ない。鏡を通して顔を確認することで、自分が他の人からどう見えているのかを確認し、他人から見た自分を自分が思う自分を統合して自己形成している。つまり顔は自分が何者であるか、を決定する重要な因子である。その顔が無いカオナシは、自分というものが適切に形成されず、まさに「空っぽの自分」な状態である。そんな「空っぽな自分」であるカオナシはそんな空っぽの部分を埋めるものとして千を求めるが、千はそれに応えない。代わりに湯屋の他のものが金につられてやってくる。カオナシは自分を求めてくれるものに出会い、それで満たされるかといえばそうではない。欲望はだんだん膨れ上がり(食べ物をどんどんもってこいという行動がそうである)、やがて制御できなくなる。最初は気前よく金を振りまいていたカオナシだが、やがて求められているのは自分ではなく、金であると感じたカオナシは「千を出せ」と要求するようになる。自分を埋めてくれるものとして千を求めている。しかしそれも拒絶される。その後ゼニイバの家に行き、編み物を手伝う。ここでカオナシに手伝う者としての「役割」が与えられる。役割とはすなわち、アイデンティティである。空っぽだったカオナシを埋めるものとしてゼニイバは家で自分を手伝えといい、それにカオナシも了承するのである。


自分は、このカオナシの一連の行動に現代人の自己のあり方をみる。自己は、自分だけで規定することは出来ない。現代はインターネットが広く普及した影響で簡単に他者と関わることが出来るが、カオナシのように「空っぽな自分」状態である人が多数いるのではないか。自分を満たしてくれるものとして他者を求めるが、その中で求められるのは自分自身でなく、体であったり他の付加価値である。当人も一時しのぎにはなるものの、欲望は肥大化し本当に欲しているものは手に入らない、という皮肉である。空っぽな自分を埋めてくれるのは、「他の人のためになにかしてあげる」ということではないか。カオナシが千のために編み物をしたように、他人を主語にしてなにかしてみることが一つの解決方法なのかもしれない。

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