魔法使いじゃない男が廊下の真ん中で黄昏るのは失恋したからに他ならない
「ああ~。思い出した。そうだよな、あの前線基地でレイナさまが俺にいろいろの魔法を見せて弄らせてくれたから、俺はイグニッションを見つけられたんだよな。その後は、学会で異端技術扱いされて、使用すれば犯罪って法律まで作られて。だから俺は魔法使いになれないままなんだよな」
アルバートはぼやき、自分の右手をじっと見つめた。
彼の手の平には、卵の大きさ位の丸い火傷の痕がある。
彼が生まれて初めてファイヤーボールを作り出せた、そのよすがである。
アルバートはその時まで知らなかったのだ。
魔法で手に火傷をする、という危険性に。
彼は今まで他人のどんな魔法でも手を突っ込むことができたし、その行為によって怪我をするなんてことは無かったのである。
それが、初めて感じた。
炎魔法はこんなにも熱いのか、という感覚を。
彼は感動したまま、手の平でファイヤーボールを燃やし続けるなんてことをしてしまったのだ。
「バカ!!投げるかなんかしろ!」
「俺がこの程度の怪我で済んでいるのは、レイナ様が俺に水を掛けてくれたからからだな。あの人は俺のことをよく知っているから、魔法錬成した水を掛けるなんてことはしなかった。だけどさ、バケツの水よりも錬成水の方が良かったです。錬成水は魔法の完了による二次的化合物なので、普通の水と同じですから!!」
アルバートがこの怪我の痕について後悔のこの字も無いのは、この怪我をレイナが手当してくれた記憶があるからだ。
「あの人は本気で優しいよな。人に寄り添おうとするから、人の痛みが分かるんだろう。あの辺境伯に嫁ぐなら、優しい人同士幸せになるんだろうな」
アルバートは王国の守りの壁と呼ばれる辺境伯を思い出す。
なぜ彼が辺境伯を知っているのかといえば、前線を渡り歩かされた第三騎士団がガリバール領の国境線に派遣されないわけはなく、砦で身を寄せ合い共闘し合ったことのある相手だからである。
またそれだけでなく、アルバートはガリバールに何度か助けて貰っている。
一番記憶に残ってるのは、終戦一年目に行われた祝賀パーティでの出来事である。
第三騎士団を持て囃す風潮からか、彼らと戦場を渡り歩いていたアルバートも評価され論文が学会に通り博士号を手に出来た。その恩恵として彼に祝賀会パーティの招待状が届いたのである。
レイナに会える。
それだけを希望にアルバートは会場に足を運んだが、彼は平民でしかない。博士となろうが紹介者がいなければ王族の近くに寄ることも出来ず、王族が呼んでくれねばそもそも近寄れない。彼はレイナに挨拶どころか、彼女のそばによることも出来ず、遠目で彼女の姿を見つめるしか出来なかった。
だが、彼女は誰よりも美しかった、と彼は見惚れるだけでも満足だった。
終戦後、彼は学園に戻ったが、レイラは学園に戻ることは無かった。
だからこそあの頃のアルバートは、あのパーティに参加し、必死にレイラの姿を探したのだ。
二度と会話できない天上の人であるが、女神に恋をした男などこんなものだ。
それでも彼女を見れたのだ、満足だ、と自分に言い聞かせながら彼女への賞賛の声を心のうちであげる。
背が高いからこそ、彼女が纏うドレスのラインは、誰よりもきれいな流線を描く。蜂蜜色の髪はキラキラと照明で輝き、歓談する彼女の瞳も宝石のように時々キラキラと輝いている。
なんて、綺麗なんだ。
「君がリーヴェス博士かな?」
彼は博士なんて初めて呼ばれたと思いながら振り向いた。
一瞬で振り向くのではなかったと、とアルバートは後悔した。
彼に呼びかけたのは、豊かな大地色の髪に誰をも癒せそうな緑色の瞳をしている、辺境伯のユーリ・ガリバールであったのだ。
ガリバールは優しそうな外見に騙されてはいけない、剣を握れば剣鬼となってしまう恐ろしい男である。けれど、当時のアルバートは、反抗期とも言える十七歳である。
「疑問形とは、悲しいばかりです。ガリバール様」
「おやおやおやおや。リーヴェス博士って、ちっこい君のことだったのか」
「失礼ですね。どうせ俺はあなたに比べたら成長不良のもやしです」
「いやいや、体のことじゃないよ。確かにちっこいけど、私が言っているのは年齢のことだ。君はまだ十七歳でしょう。博士って聞けば爺さんぐらいの人物だって思うじゃないの。そうか、君自身が博士号か。ちゃんと評価できる国だったんだな。ほらこの国は、出来る奴こそ虐げられる歪んだ面があるでしょう」
「ちょちょちょ、ガリバール様」
武力も名誉も家名も財産もある上に、リンゴン王国の守り砦と尊敬されているガリバール辺境伯は、とっても毒舌な方であった。アルバートが慌てるぐらいに。
「それで、アル。どうして君の姫様に挨拶しないんだ?」
「接点も無い俺は単なる平民です」
「彼女の自慢の部下だったのではないのか?」
「徴兵で派遣されただけです。彼女は責任感が強く誰にでも優しいから、俺を守って盛り立てて下さったんです」
「うわ。卑屈だねえ」
「レイナ様に言われたんです。決して交わらない俺達が今回幸運にも交わることができたから互いに生き残れた。今後はそれぞれの道を歩むだろうが、」
「いつまでも友達だぞ? 確かに傷つくな」
「いえ。達者に暮らせよ。マル。でした」
アルバートはその時大人の男性の手の大きさを頭に感じた。
ガリバールが大柄でありアルバートが小柄という体格差があるからか、アルバートは数年ぶりに幼い頃に亡くした父親を思い出していた。
「――ありがとうございます。あなたの優しさに死んだ父を思い出せましたって痛い。頭を叩くなんて!!」
「君は二十代のお兄さんに何を言うのかな。頭に来た。そこで君達の綺麗な思い出を台無しにしてやろうと思った」
「え、っと。ガリバール、様?」
「ユーリと呼べ。アル。お兄様、だ。親父なんて呼ばせねえ」
「って、ええと」
ガリバールはアルバートの首根っこをむんずと掴み、なんと、言葉通りに彼を引き摺ってレイナの元へと連れて行ったのである。
結果は、レイナは見事に作り笑いと社交辞令なだけの挨拶をアルバートに向け、アルバートに二度とパーティに参加したくない気持ちを植え付けた。
しかし、アルバートはガリバール、ユーリには感謝している。
アルバートを虫けら扱いしない貴族であり、家族のいない彼に「兄」を差し出してくれた恩人なのだ。
「――ユーリ様がレイナ様の結婚相手ならば、俺は喜ぶべきだ。彼女は絶対に幸せになれる」




