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14.この世の春を呼び起こす


 家。


 その単語が呼び起こすのは、遠く北の島のあの菫だけだ。春ともなれば菫の絨緞となる原の中に家は在った。


 父は母を、春を告げるその花の名で呼び、彼にはミリアムは小さな菫だった。リトル・ヴァイオレット。白も紫も菫は菫、咲き誇る春の記憶。


 そんな美しいものを愛した父を、祖母は嫌い切り捨てたのだ――意に染まぬ息子を切った男爵夫人。このたび王女の遊び相手に孫娘を推した、真意は明らかではない。


 義務かもしれないし、虚栄かもしれない。わかる日がくると、期待は生まれない。


 何ヶ月かを過ごした祖母の屋敷も、そこへの旅程で一泊をした旅籠と同列、その程度にしか刻まれていなかった。


 戻る気持ちにはなれない。押しつぶされるような心地におちいる。戻りたくないと、強く思った。戻れないだろう、あそこには。


 父の捨ててきた石の家だ。石に固められた堅牢な屋敷……としか、自分には思えなかった……。


「私……」


 励ますように二人はうなずき、それは実際ミリアムを勇気づけた。気持ちを言葉にする勇気を。


「こちらに、置いていただけるでしょうか……」


 まずフレディが言った。


「君が望むなら」


 フェルカーは乾杯の仕草のように、カップを挙げた。


「酷い目に合うかもしれんがね。私は君に居て欲しい」


「望むときに出て行ける。そちらについても当然ですよ」


「さすがのフレディ君にそつはない。どう呼ばれていたね?」


「え?」


「ご両親は君をどんな名前で呼んでいたのかな。ミリアムと?」


「あぁ、そうですね。差し支えなければ、僕たちにも教えていただけると嬉しい」


 脳裏にはっきりと、まるで本物であるかのように父母の顔が見えた。この手が届くように。届かないことは理解しているというのに、なぜこんなことを思うのか。


 けれど悲しい気持ちではなかった。いや、どこか悲しさは在るのだけれど、思い出せることが嬉しい。

花が開くように嬉しさがこぼれた。満ちるように花は咲いた。


「ミーアです」


 先生と弟子はそろって微笑む。


「よろしく、ミーア」


「よろしく、ミーア」


――忘れていても、また春には。


 春は廻り、菫は咲くよ。人は大地の優しさを知るのさ。忘れてしまったとしてもまた春は廻る。すると思い出す。人は春を失うものではないんだよ。


 ……お父さんお父さん……、言葉も声も、どんどん思い出していく。くるくると(まわ)る幻燈のように。(めぐ)ると言うなら心の中に、春が廻ってきたように。


 冬の季節を越えて、春は再び廻り来よう。ミーア。


 確かにあった幸せを継ぎ、紡いで明日へと生きる。この場所でならそのように思うことができそうだった。父と母の、思い出と共に次の季節に向かうこと。


 幾度目だろう、鐘の音を聴く。それまでとは違う大きさに聞こえる方角を求めれば、まさしく塔は真上にあった。


 圧倒されるような大きさにて、なおも心地の良い響き音に包まれて、娘は二時の鐘を思い出す。


 あの姫になんとあいさつをして始めようか、ミーアはそう思い、すぐに思い直した。


 これはもう始まっているのだ、あの鐘の時。蔦の葉に半ば埋もれて、太陽の光をいっぱいに浴びて、姫が負けずに輝く笑顔で言ったあの時に。


『私と一緒に遊ばない? みんなをびっくりさせるのよ!』




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