9.Gesellschaft des Tees
鳥の声と茶器の立てる音は似ている。一面木洩れ日の床、木の中に入り込んでいるバルコニーで、彼らはテーブルを囲んでいた。先生と弟子、そしてゲストを迎えて三人である。
繋がった建物のどこかで開かれている問題の茶話会とはまったく異なり、ルールの意識は見当たらない。
適当に自由そうに、先生は新聞を読み、弟子は鳥を見たり空を見たり新聞を覗いたりしながら、時々思い出したようにミリアムに話しかけていた。
他愛もないこと。お菓子の好みであるとか、飲み物の習慣であるとか、そんなことをだ。
厨房からマーサにここまで連れて来られたその時から、二人はすでにこんな風に過ごしていた。ミリアムは『フレディ様』により『先生』へと軽く紹介をされ、椅子を一脚与えられた。
以来、そんな時間が続いている。『先生』から流れ出る、白い煙が空気と踊る。
メイドの姿で座った時には、そぐわない場所に迷い込んだようで気持ちが苦しかった。フレディから託されたミリアムに、マーサはまず三人娘と同じ服を着せたのである。
木の葉を隠すには森の中、厨房に居て不自然ではないと言えばメイドに決まっている。だいたい王女に着せられた華やかな服のままでは匿えるものではない。
ついでに言えばその服は、速やかに衣装方のもとに送られている。さらについでに聞こえてきたこと。衣装係の娘たちの間では、第二王女の評判は芳しくはないようだ。
埃と土と――推測に易い。
その厨房の居心地も訊ねられたのだった。
快適だったか? という問いに、ミリアムは肯いた。小さくではあったけれど、自然に笑いさえこぼれたのだった。あの時怯えた自分がおかしかった。
頼もしいマーサと陽気なミミ、イルゼ、マリア。
すぐにばらばらの用事を言いつけられた上に(ミリアムにはジャガイモ洗いが回ってきた)、私語も禁じられてしまったために話すことはなかったが、目配せや笑顔といった好意的な仕草があたたかく嬉しかった。
飢えていたのだと思う。何気ない日常の、そんなささやかなものに。
ミリアムはサーラだと名を教えてもらったその木をまた見上げ、眩しく目を細めた。交わしたばかりの会話を思い返す。
――「君の国の言葉だとなにに当たるんだろう。『聖なる』……『ありがたい』? に近いのかな。先生?」
と、彼は言った。彼らのバルコニーに並ぶ木の、光沢のある葉は黒みがかった深さの緑色、そして一枚がとても大きい。
その葉の間に咲いているクリーム色の花の、姿は睡蓮にとてもよく似ていた。一時に咲くのではなく、一枝に一つずつ順に開いていくようだ。
ビロードの生地を思わせる花弁がちらほらと、ぽつりぽつりと葉の陰から覗いている。
大きな木。バルコニーは三階から張り出しているのだ。
話を振られたフェルカーは、新聞を持ち直し、
「この頭のどこに他国の言語の余地があるものかね」
「いつぞやの夜会ではレディとの会話を器用にこなしていたお姿を覚えていますよ」
「やかましいよ」
「君は? ミリアム。この木の呼び名を知っている?」
「……マグノリアで……」
「それは品種?」
「正式な名前は覚えていません。聞いたはずですけど覚えていないんです。ただ種は確か、……そうだったと、思います」
フレディは感心に二度ほど頷くと、口の中でその名をつぶやきながら木を見上げた。そして、響きが気に入ったのか、また口にのせる。
マグノリア。
ミリアムの中で様々な思考が交差した。断片。遠くから、奥から、涌き出そうとする水のように強い。
「ミス・ジルアード」
「っはい」
フェルカーだった。肘を伸ばし、新聞を遠ざけている。
「君のお父上は植物学者だったね。そう聞いていたことを今思い出したよ」
「そうなんですか? 君も好きなの? お父さんと同じものを」
お父さん。
久方ぶりに耳にした。軽い揺らぎを感じる。
「はい」
「いろいろと教えてくれたのかな? 一人娘さんに」
……「はい」
父はこの木を、空をゆくもののための睡蓮と言っていた。
池にあるはずの花が木に登ってしまった、と考えると可笑しいね。
そうだね。空をゆくものたちは池ばかりではなく、空気の中にも蓮を見るのさ。わたしたちには持つことのできない目を、彼らは持っている。
また私たちも彼らにないものを持っているとはいえ……いいねぇ。空は、広いねぇ。
まるで独白のような調子で、けれど繋いだ手にぐっと力を込め、豊かなバリトンで言うのだった。
父は、世界を愛していた。
――父の話をしたのは、どれくらいぶりだろうか。聞いてくれる人がいなかった。禁忌であるかのように扱われていた、それがとても辛かった。
睡蓮を咲かせる木の向こうには平原、そして森、そして山。それぞれ異なる美しきグリーンの上には、ただただ空があるばかり。萌え輝く風景の中を、太陽は稜線を目指し、刻々と傾いている。
『空は広いねぇ』
もう一度父の声を聞き、母の顔を思う。
不思議な感覚だった。知らぬ土地なのに懐かしく感じ、出会ったばかりの人たちなのに寛ぎが生まれる。
さわわと揺れる葉の音は、心に深く浸み入った。大きなものに攫われてゆくような、自分の心を見失うような、見ているものがぼやけるような。
夢なのかもしれない。
けれどどこからが?
そんな疑問に、これもまた夢の中のようにぼんやりと向かい始めたその時に、
「ここなのねっ!」
声が響き渡り、穏やかも寛ぎも、蝋燭の火が消されるように一瞬にして消え去った。




