塩引き
私も私のお父さんも秋田の生まれです。秋田には塩引きという塩っ辛い鮭の切り身が売っています。売っていました。今はもう見ません。見かけません。もしかしたら今も秋田のどこかには売っているのかもしれませんが、消費組合とか、タカヤナギ、グランマートには売っていません。私はそれを時々寂しく思います。
「塩引き食べたいなあ」
って思う事があります。どうしてかというと、お父さんが塩引きが好きだったからです。とても好きだったからです。お父さんは塩引きが大好きだったのです。お父さんは鮭と言えば塩引きと言って憚りませんでした。鮭の一番おいしい食べ方は塩引きでした。それ以外の鮭を好みませんでした。焼き魚と言えば、塩引き。鮭の塩引き。おにぎりの具と言えば塩引き。鮭の塩引き。お父さんはサーモンの刺身とかに興味がありませんでした。サーモンのお寿司にも興味を持っていませんでした。炙りサーモンにも興味がありませんでした。サーモンポキとかサーモンのカルパッチョにも興味がありませんでした。お父さんにとって鮭は塩引きでした。塩引き以外の食べ方を知ろうとしませんでした。鮭の一番は塩引き。お父さんの中でそれは鮭のゴールであり、その先はありませんでした。どん尽き。鮭は塩引きでした。塩引き以外の食べ方は必要ありませんでした。そもそも何でも一番を見つけるとそれ以外のもの、事、方法、手段、道程を知る必要が無いと思うような人でした。そんなお父さんですから、鮭は塩引き。それ以外はありませんでした。お父さんの世界の中の鮭というのは塩引きであって、それ以外の食べ方というのはまあ、その他。あるいはもう一切無い。という感じでした。
しかも塩引きの一番上級種、激辛、激辛という表現は正しくないかもしれません。でもとにかく一番辛いのを、鮭の切り身に塩が引っ付いてるやつ。振りかけてあるやつじゃないです。目視で塩が凄く付着しているやつ。これは明らかに塩が、塩が塊で引っ付いてるな。と見えるやつ。分かるやつを好みました。
お母さんが鮭の切り身を買いに行ったとして、その日たまたま、そこのスーパーに塩引きの激辛が売ってなかったとして、普通の鮭の切り身を買って帰って、グリルで焼く時にちょっと塩を振ったようなやつ。いわゆるごまかして、ごまかしたものを買って、ごまかして塩を振って、それを食べさせた時、お父さんはすぐにわかりました。
「これ塩引きじゃねえべ。あめ」
あめというのは甘いという事です。
お父さんはすぐにわかりました。そしてごまかしたものを買ってきた母を叱責しました。更に、悲しいかな。悲しいというか、残酷な話かもしれませんが、その当時まだ子供であった私も姉も、お父さんと同じことを思ったのでした。
「あ、これいつもの塩引きじゃないな」
って。
お父さんの好む塩引きは、激辛最上級の品です。一回塩壺の中に入れたんじゃないか。そんでそれを出して、見栄えを整えるために多少の塩を払い落として、それからパックに入れてスーパーマーケットなどに卸しているんじゃないか。そういう代物です。
一口食べたらご飯を一杯食べないとつり合いがとれない様な代物です。皮を残して最後に少量のご飯とお茶をかけて食べたらもう、それだけでちょっとしたお茶漬けになるような。
そういう代物です。
だから、普通の鮭にちょっと塩をかけてごまかそうとしたりしても、それはすぐに露見してしまいます。無理です。塩引きと普通の鮭では保有する塩の絶対量が違います。塩引きはその身の中にも塩が沁み込んでいるのです。それはもうぎゅうぎゅうに沁み込んでいます。
普通の鮭しかなくて、それを買ってきて、一日二日、塩壺に詰めこんで、焼いたりしたらそれはまあ、そしたらまあ、ごまかせたりもしたかもしれませんが、そういう手段を用いなければ、必ずその日のそれが塩引きか、普通の鮭かお父さんはわかりました。
そして、私も姉も、同じくわかりました。必ずわかりました。私も姉もそれが分かったからと言って何か言ったりはしませんでしたが、お父さんは必ず言いました。
「あめこれ」
甘いぞこれ。普通の鮭買ってきたべ。
私も姉も何も言いませんでしたが、でも普通の鮭を食べると物足りなく感じました。普通の鮭を食べると塩引きが恋しくなりました。舌の先が痺れてしまう位しょっぱい。塩っ辛い。塩引き。最上級に塩っ辛い塩引き。母や姉はどう思ってるか知りませんが、私は最近それが食べられなくなって寂しく感じています。
父が死ぬ少し前から、秋田でも塩引きが売られなくなっていきました。私の個人的な肌感ですが、秋田にタニタ食堂が来たくらいの時から世間、世界、此の世の全てが健康志向になっていった様な気がします。そのくらいの時から、塩引きが消え始めました。スーパーでは見かけなくなっていきました。どこかもっと専門的な所では存命していたのかもしれませんが、あるいは個人の家での製法などは残っていたのかもしれませんが、私達の一族はまるっきりそれをスーパー、消費組合とか、タカヤナギ、グランマートに頼っていたので、そういう所で売られなくなると、もう塩引きを食べる機会も無くなってしまいました。そして一度そうなると戻るという事は無いのでしょう。秋田からタニタ食堂が撤退した2018年以降もスーパーで塩引きを見ることはありません。私の目に入らないだけかもしれませんが、でももう私の家でも塩引きを食べる機会は無くなりました。一度無くなってしまったらもう戻ることは無いのです。戻ってきたとしてもそれはきっと戻る前のそれとは違うものなのだと思います。父は死ぬまで塩引きを食べたがりました。普通の鮭を買ってきて、それに塩をまぶして母親に焼かせていました。昔、父はそういう手段を用いた鮭を良しとしていませんでした。普通の鮭を買ってきた母親を叱責していました。
「あめこれ、普通の鮭買ってきたべ」
そう言っていました。
しかし、塩引き自体が無くなってしまって、もうそうするしか方法がないのでした。父の晩年。その時もっと父が若くて、生きる気力が残っていたとしたら、もしかしたらネットで塩引きの作り方を調べて、作ったりとかしていたかもしれません。
しかし、晩年。父にはもう生きる気力が残っていなかった気がします。うまく老いさらばえてきただろう。晩年の父はそういう言葉をよく用いました。
もしかしたら、塩引きのなくなった世界はもう父にとって違う世界になっていたのかもしれません。もう生きる理由のない世界というか。自分の出番は終わったって言うか。
しかし、父が死んでも世界は終わりません。私も姉も、多分母親も、塩引きのない世界を生きて行かなくてはいけませんでした。
普通の鮭、お弁当に入ってる鮭を食べると何か物足りなく感じる世界。勿論私も姉も、母親も、もう大人ですからそれを顔に出したりはしないと思いますが、でも、普通の鮭を食べるたびに頭の何処かで思うのです。
「お父さんは甘いって言うだろうな」
これあめって言うだろうなあって。
ある日の朝、ウェルシアの生鮮食品コーナーで鮭の切り身のパックを見つけました。半額でした。鮭の切り身のパックは、一切れ一切れがパックになっている奴で、半額だったので、二つ買っても一つ分の値段でした。それを見て私は久々に鮭の塩引きが食べたいなあと思いました。しかし私が今住んでいる集合住宅にはガス台がありませんでした。IHの一口コンロしかありませんでした。だから、半額だけど、うーん。どうしようかなあ。と思いました。ちなみに一番前に出てる半額の鮭の切り身のパックをどかしたら、その後ろのやつも半額でした。だから本当に、二つ買っても一つ分の値段でした。
でも、グリルも無いしなあ。どうしようかなあ。
そうして鮭の前でしばらく考えた結果、
「サーモンのバターソテーにしたらどうだろう」
という事を思い付きました。
子供の頃、父の影響で、鮭と言えば塩引きでしたので、塩引き以外の食べ方をあまり知りませんでした。私は大人になって関東圏に出て、そんでスシローとか、かっぱ寿司とか、そう言う所にたまに行って、そんでサーモンのお寿司とか、炙りサーモンのお寿司とか食べたりはしましたけども、でも、帰省するとやっぱり塩引き、あるいは塩引きに似せた普通の鮭を食べたりしていました。
鮭と言えば焼き魚。塩引き。バターソテーなんて食べたことない。出てきたこともないし。作ろうと思ったことも無い。でも、もう父は死んだし、塩引きも売ってないし。
だから、
たまに冒険してみようかな。いいんじゃないかな。小麦粉は家にあるしな。レモン汁もあるし。
私は半額の鮭の切り身を二つともカゴに入れてレジに向かいました。
家に帰ってまな板の上に鮭の切り身を出して、それに小麦粉をふって、塩コショウを振って、フライパンが熱くなったらそこにバターをひいて、それから鮭の切り身を落としました。鮭を焼いている間にまな板を洗って水切り籠に入れて、お皿を準備して、身が崩れないように両面を焼いたら木へらで掬って皿に乗せて。お酒の準備をして、フライパンが冷めたらそれと木へらを洗って。IHのグリルのまわりを綺麗にして。
それからサーモンのバターソテーを食べつつお酒を飲みました。
「……うん」
美味しかったです。
サーモンのバターソテー。
とても。
美味しかったです。
しかし、
でも、
そのあと寝てる時に夢を見ました。その夢にはお父さんが出てきました。死んだお父さんです。もう死んだお父さんです。
お父さんが私の寝ている布団の中から出てきて私にのしかかるみたいにして言いました。
「やっぱり鮭は塩引きだろう」
あれ。お父さん。
「やっぱ塩引きだろ」
ああ。まあ。
「舌先が痺れるくらい塩っ辛い塩引きだろ」
まあ、うん。そうね。
「そうだろう」
やっぱりそうねえ。
「そうだろうそうだろう」
お父さんはそう言って笑うと、布団の中に戻ってきました。私は目を覚まして自分の寝ている布団をめくりましたがそこにお父さんは居ませんでした。
まあ、いても困るけど。
あと、お父さん。そんな事言ってももう塩引きは売ってないからさあ。
でも、
しかし、まあ、やはり、その、何というか、私は少し、幾らか、若干、もう塩引きが売ってない事を寂しく思うのです。