8話 気になる令嬢(第三王子視点)。
第三王子視点となります。
王子、ようやく登場です。
王宮の長い廊下をぼんやりと歩いていると、向こうから軽快な足取りで母上が歩いてくるのが見えた。
あの地味な服装は、またお忍びで町に行ってきたに違いない。
……さてはいいことでもあったかな?
機嫌が良さそうだ。
「ごきげんよう、母上。町で楽しいことでもありましたか?」
「ああ、ラインハルト! いいところに。ちょうどあなたに話したいことがあったのよ。あとで部屋にいらっしゃい」
「畏まりました、母上」
母と別れて、ラインハルトは一度自分の部屋に戻ることにした。
ラインハルトはこの国の第三王子だ。
母は王妃だが、時々目立たないワンピースを着てこっそり町に出かけている。
ーーまあ、城の使用人は皆気付いていることだが。
頭の回転が早く行動的な王妃は、町で刺激を受けてきては、ラインハルトの父である国王に様々なことを進言していた。
今日も町で何か新しい発見があったのだろう。
僕に話があるっていうのは珍しいことだけど。
しかし、母の突飛な行動に振り回され慣れているラインハルトは、しばらく経ってから言われた通りに王妃の私室を訪れた。
自分で呼んでおきながら、テーブルに置かれた本に熱中している母を大人しく眺めていたラインハルトだったがーー。
ん?
『初めての酪農』に、『王子様との秘密の恋愛』?
「またずいぶん変わった本を買ってきたのですね」
本のタイトルの意外性に、思わず声をかけてしまった。
母上の行動的な性格は十分理解しているが、まさかこの王宮で酪農を始める気か?
それに、なぜ恋愛小説……。
『王子様』って、この国の王子はあなたの息子達ですよね?
意味がわからなさ過ぎて頭がグルグルしていると、ようやく王妃が本から顔を上げた。
「今日、面白い女の子に出会ったのよ。町の本屋で。王子様がお相手の恋愛小説が好きで、酪農に詳しいの」
「はぁ」
だから母上も興味を持って、本を買ってきたということだろうか。
……しかし、女の子が酪農?
町ということは平民の女の子に会ったのだろうが、何故その話を僕に?
まだ母の真意がわからず、気のない返事になってしまう。
「その子ね、スペンサー伯の娘なのよ。伯爵と同じ色の瞳をしていたわ。お互い名乗ってはいないし、向こうは全然私の事に気付いていなかったけど」
「は? 伯爵令嬢? 令嬢が酪農を?」
確かにあそこの領地は酪農が盛んな地だと聞いたことはあるが。
……って、スペンサー伯?
ラインハルトはふいに思い出した。
「この前、スペンサー伯が『娘が帰ってくる』って大騒ぎして早退していましたが、もしかして……」
「そうよ、その娘よ。最近まで領地にいたと言っていたわ」
領地育ちの、令嬢らしからぬ娘ーー。
それはちょっと興味があるとラインハルトの気分は高揚したがーー。
「王子様が出てくる小説が好きだと言うから、その理由と、王子様と何がしたいのか訊いてみたのよ」
続けられた王妃の言葉に、ラインハルトの興味は一気に冷めていた。
あー、またか。
どうせ見た目と地位、お金に決まっている。
よくあることだ。
きっと綺麗なドレスを着て、豪華な夜会で一緒に踊りたいとかなんとかーー。
「ミルクスープを作ってあげたいんですって」
ーーミルクスープ?
どういうことだ?
思わずキョトンとした目で母を見つめたラインハルトに、王妃はいたずらっ子のように笑いながら言った。
「王子様は格好良くて公平で愛情深くて素敵だけど、大変だろうから得意料理のミルクスープで癒したいんですって。ラインハルト、胃が弱いからちょうどいいわね」
クスクスと王妃は笑っていたが、ラインハルトは戸惑うばかりだ。
そんなことを言ってくれる令嬢に、今まで出会ったことがなかったからである。
「ミルクスープか……」
ラインハルトから自然と笑みが零れた。
飾り気のない素朴な料理に、会ったこともない彼女の優しさと温かい人柄を感じる。
直接会って、話してみたいとすら思った。
無意識に頬を緩ませるラインハルトを、王妃は静かに微笑みながら見ていたのだった。