6話 本屋での出会い。
王都に戻って数日。
リリーはお菓子を作ったり、そのお菓子を持ってお隣のジェシーを訪ねたりして楽しく過ごしていた。
リリーの領地での話をせがむジェシーに、面白おかしく牛達のことを話してきかせる。
「最初の頃なんて全然言うことをきいてくれなくて、追いかけっこばかりでね……」
「あ、牛のフンって量がすごいの! うっかり転んじゃった時なんて……」
あちらでの失敗談を、ジェシーが目を丸くしたり、涙を流すほど笑いながら熱心に聞いてくれる。
とても令嬢のお茶会に相応しいとは思えない内容に、控えている侍女は複雑な顔をしつつも、ジェシーが楽しそうにしているので止めるに止められない。
十年前はリリーが聞き役だったが、今では正反対だ。
ふふっ、変な感じね。
でも昔のジェシーの笑顔だわ。
ブランクがあっても変わらない笑い顔が、リリーには嬉しかった。
二人の兄であるアーサーとオーウェンは、連休後に学院に戻っていった。
元気に並んでお見送りをするリリーとジェシーに苦笑しつつ、手を振り返していた二人だったが、ふとオーウェンがリリーに近付きこっそり囁いた。
「ありがとう」
目を細めながら紡がれたその感謝には、万感の思いが詰まっているように感じられて、リリーは笑顔で頷いた。
こうして、日に日にジェシーは前向きになり、昔の明るさを取り戻していったのだった。
◆◆◆
今日、リリーは侍女のアイラを連れて町の本屋を訪れている。
一応お忍びという形で、平民の娘が着るような簡易なワンピースに身を包んでいるが、もともと領地で作業服ばかりだったリリーには、むしろ綺麗目な格好ともいえた。
しかも、リリーは見た目が地味だと自負しているし、所作も令嬢らしさに欠けている為、自然と町に溶け込んでいた。
誰も私に注目していないわ。
これなら恋愛小説も選び放題ね。
令嬢の立場でありながら、自ら恋愛小説を買いに行くことに少し気が引けていたリリーだったが、誰にも気付かれていない様子に安堵する。
恋愛小説を読むのが大好きなのに、領地では新作は手に入りにくい上、種類も少く、いつも物足りない思いをしていたのだ。
王都に戻ったら本屋を訪れることを、ずっと楽しみにしていたのである。
ジェシーも小説が好きなので誘ってみたが、ドレスを新調するとかで仕立て屋さんが来るらしく、泣く泣く断られた。
今まで屋敷に籠っていたジェシーを静かに見守ってきたジェシーの母だったが、明るくなった今がチャンスとばかりに、張り切って仕立て屋を呼んだらしい。
気持ちはわかる。
ジェシーはそんな母にちょっとうんざりしているようだったが、ゆくゆくはリリーも夜会やお茶会に出席せねばならない身だ。
どうやらジェシーは、いずれリリーが社交界デビューをした際に、『田舎育ち』などの悪口を言われても自分が守るんだと奮起し、ドレスを作ることを決めたようだった。
私だってジェシーを守るわ。
優しい幼馴染みの気遣いに頬を緩めながら、リリーは兄、アーサーお薦めの路地裏の本屋に足を踏み入れた。
「わぁ、新作がこんなに!」
リリーは思わず歓声をあげていた。
王都の本屋なので期待はしていたが、まさかこんなにたくさんの恋愛小説が置いてあるとは思っていなかった。
思わず興奮してしまう。
この本屋はアーサーお薦めの隠れた名店らしく、路地裏の目立たない場所にあり、知る人ぞ知るお店らしい。
恋愛小説を買いに行くと言いづらく、酪農の本を見に行くと告げたら、このお店を教えてくれたのだ。
実は、ここは本来通好みの専門書が充実している本屋であり、恋愛小説は形ばかりしか置いていないのだが、田舎育ちのリリーは全く気付いていなかった。
恋愛小説専門の店は、他にたくさんあるのだがーー。
とにもかくにも、領地にあった本屋とは比べ物にならない小説の量に、リリーは早速本棚に手を伸ばした。
アイラは気を利かせて少し離れた場所に立ってくれている。
「こちらの本屋へは初めていらしたの?」
ふいに背後から声をかけられた。
振り向いてみると、リリーの母親くらいの年齢だろうか、地味な緑色だが明らかに上質なワンピースを身にまとった、美しい女性がクスクスと笑いながらリリーを見ていた。
「はい。兄のお薦めのお店だと訊いて。……あの、うるさくして申し訳ありません」
つい興奮して周りを見ていなかった為、近くに他のお客さんがいることに気付いていなかったリリーは、邪魔をしてしまったと思い謝罪した。
「ふふっ、少しもうるさくなんてなかったわ。ただあまりにも嬉しそうだったから、つい声をかけてしまったのよ。お目当ては恋愛小説かしら?」
「恋愛小説と、酪農の本を少々……」
素直にリリーが答えると、女性が驚いたような顔をしたが、リリーも内心ドキドキしていた。
この女性、物腰も柔らかだし、とても上品で洗練されているわ。
しかもこの理知的で、何事も見逃さないような瞳……。
もしかして貴族の中でも相当上位の夫人なのではないかしら?
しかし、田舎に籠っていたリリーが貴族の顔を知っているはずもなくーー。
「酪農って、牛を育てるあの酪農よね? あなたみたいな若い女の子が、珍しい本に興味があるのね」
「私、領地から戻ってきたばかりなんですけど、そこでずっと酪農のお手伝いをしていて。もし新しいエサの配分や、加工品が研究されている本があったら勉強したくて」
領地の話をすると、女性はリリーの瞳を覗き込んだ後、納得するように頷いた。
「なるほどね。その瞳の色と酪農……。スペンサー家の令嬢ね」
独り言のように呟かれた言葉はリリーには聴こえず、首を傾げるリリーに女性は微笑んでみせた。
まさかこの出会いがリリーの人生を大きく変えることになるなんて、この時は知る由もなかった。