47話 王子様はご立腹。
夜会の剣呑な空気も知らず、リリーは会場の隣室で同年代の令嬢との初めてのお茶会気分を味わっていた。
なにしろ幼馴染みのジェシー以外とは今まで話す機会すらなく、正式なお茶会にも参加したことのないリリーである。
領地暮らしの長い彼女には、紅茶より、ミルクや果実のジュースのほうが身近だったくらいだ。
今回は急遽開催された上、それぞれがリリーとお近付きになりたいという願望から、大きめの円を描くように椅子が配置された。
ところどころに置かれたサイドテーブルには、カップやお菓子、軽食が並べられて準備万端だ。
二十名もの令嬢達と輪になって顔を合わせるのは緊張するものの、隣にはジェシーが居ることもあり、リリーはワクワクする気持ちの方が勝っていた。
すっかり気持ちが高揚し、思い切って自分から周囲に話しかけようと試みたーーが、ふと令嬢らの名前を知らないことに気付いた。
困ったわ……。
もし私が家名すら知らなかったら、きっと気を悪くされるわよね。
でもマナーはまだよく知らないけれど、高位の者から声をかけるべきらしいし、今日はハルト様の婚約者お披露目の夜会なのだから、ここは頑張って私が率先して話すべきよね?
名を尋ねようかとも逡巡した挙句、ここは先に名乗るのが礼儀かと考え直したリリーは、徐に立ち上がると緊張気味に切り出した。
「あの……リリー・スペンサーと申します。こういう場は不慣れで申し訳ございません。仲良くしていただけると嬉しいです」
ペコッとお辞儀をしたリリーに、温かい拍手と笑い声が起きた。
「ふふっ、リリー様を知らない者なんてこの場にはおりませんわ。本当にリリー様って可愛らしい方ですのね」
「せっかくリリー様から自己紹介をして下さったのですから、私達もいたしましょう。爵位はとりあえず置いておいて、ジェシー様からお隣に順番にというのはいかが?」
「それはいいですわ。名前だけでも覚えていただけたら嬉しいですもの」
こうして、極めて和やかにお茶会は進んでいった。
リリーが料理をすることを聞き付けていた令嬢が、噂のミルクスープを飲んでみたいと言ったことで、今度皆で料理の会を開くことになったり、リリーの好きな恋愛小説の話で盛り上がったり……。
「実は内緒なのですが……恥ずかしながら、うちの兄が小説を書いておりますの。『王子様との秘密の恋愛』という本が少しだけ売れて……」
「『王子様との秘密の恋愛』!? 私も持ってますわ。王妃様もお好きなのです!」
ある令嬢の暴露に、リリーはすぐさま食いついた。
もはやリリーの恋のバイブルとも言える本の為、テンションが上がってしまう。
「私も読みましたわ。特に続編の最後、口付けで終わるハッピーエンドが最高でしたわ」
「ええ、やはりラストは王子様との口付けですわよね!」
あちらこちらで紡がれる小説の感想を耳にしたリリーは、ふとラインハルトとの会話を思い出した。
そういえばハルト様、以前口付けの先がどうとか言ってたような。
……先って結局なんなのかしら?
つい物思いに耽ってしまったリリーに、心配そうな声がかけられた。
「リリー様? どうかなさいまして?」
優しく接してくれる令嬢達にすっかり気を許していたリリーは、せっかくなので尋ねてみることにした。
流行や恋愛に詳しそうな彼女達なら、きっと知っているに違いない。
「あの、口付けの先って、皆様はご存知ですか?」
「リリー!!」
ジェシーが慌てて止めたが、そこは噂好きの若い女子の集まり。
楽しそうな話題を聞き逃すはずもなくーー。
「まぁ、リリー様、口付けの先がどうなさったの?」
「ええと、ハルト様がそのようなことを仰っていたのですが、私はよくわからなくて。先があるのですか?」
「「「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」
部屋中に高い悲鳴のような歓声が響き渡った。
「ラインハルト王子ってば、お綺麗で優しい顔をなさっているのに、まぁ!!」
「第三王子もやっぱり殿方ですものね。リリー様には特別なお顔を見せるのですわ」
本日一番の盛り上がりを見せていたが、肝心のリリーは一人意味がわからずに取り残され、曖昧に微笑むしかなかった。
ジェシーは「あの変態腹黒が……」と小声で罵っていたが、他の令嬢達はリリーのうぶな発言に「ミシェル様はリリー様が女を武器にしているなんて言っていたけれど、やっぱり嘘だったのね」と、更に好意的にリリーを受け入れたのだった。
こうしてお茶会の熱気が最高潮の頃、打って変わって寒々とした空気が流れる夜会会場では。
ラインハルトが驚異の忍耐力で、笑顔をキープし続けていた。
その美しい笑顔に勘違いをし、どんどん本性を現すナムール伯爵親子。
「お父様、私がラインハルト様に頼んで、すぐにお父様を侯爵にしていただきますわ」
「はっはっは。それは心強いな。やはり持つべきは、都会育ちの洗練された美しい娘だな。辺境の田舎育ちなぞ話にならん」
馬鹿な親子は、いかに自分達がラインハルトや国王を侮辱しているかに気付いていない。
躊躇無くリリーを貶める言葉は聞いているだけでも不快を感じ、皆が顔をしかめている。
この場に留まっているだけで、相当なストレスを感じてしまうほどだ。
「ナムール伯爵、近々あなたとは個人的にお話ししたいことがあったのです。せっかくなので、今この場でお時間をいただいても?」
ラインハルトが作り物の笑顔を張り付け、あえて丁寧に切り出した。
『王子が動いた!』
貴族達の間に緊張が走る。
「おおっ、それはそれは。話とは娘との結婚ですか? それとも私の陞爵? どちらにしても構いませんとも。ここにいる皆さんに証人になっていただきましょう」
「そうですね。証人に……」
そこでラインハルトの顔付きが変わった。
今までの笑顔を消し去ると、温度のない冷たい目付きで伯爵を睨んだまま、低い声で話し出す。
「父上、ここは僕に任せて下さいますか?」
「いいだろう。好きにやるが良い」
国王がにやっと口角を上げて笑い、王妃が一つ頷く。
許可を得たラインハルトは大きく手を叩き、叫んだ。
「証人をここへ!!」
いよいよ最愛の婚約者を馬鹿にされたラインハルトによる復讐が始まる。




