46話 嵐の前の静けさ。
「リリー、大丈夫?」
ジェシーはミシェルに絡まれてしまったリリーを案じ、細い肩を抱くと顔を覗き込んだ。
小柄なリリーはしょんぼりとしているせいか、その体は余計に小さく見える。
「私は平気だけれど、お父様が泣いていたわ」
隣の部屋に移り、お茶を淹れてもらったリリーが悲しげに呟く。
「私のせいで、ミシェル様に勘違いされてしまって。お父様、傷付いて可哀想……」
「え? もしかしてリリーってば、ミシェルにポンコツって言われておじ様が泣いていたと思っているの?」
とりあえずリリーを座らせ、即席のお茶会スタイルを整えてから隣に寄り添っていたジェシーが、体を離して呆れたように言った。
「違うの?」
「いやいや、あんな小娘の戯言で泣かされるはずないでしょう? あれはリリーに尊敬されていることが嬉しくて泣いていたのよ。つまり嬉し泣き」
「だってお父様って泣き虫なのよ? 怠け者みたいに言われて悲しかったのかなって……」
「おじ様、ああ見えて侯爵よ!? さすがにそのくらいの悪口で泣かないでしょう。むしろ、娘にそんな誤解をされたとわかったら泣くと思うわ」
黙って周囲で聞いていた令嬢達がクスクスと笑っている。
彼女達はリリーと共にこの部屋へ移動してきた後、せっせと持ち込んだお菓子をセッティングしてくれていた。
「皆様も言ってやって? この子ってば少しずれてるのよね」
ガーン。
私ってばジェシーにもずれてると思われてたのね。
ハルト様だけでなく、ジェシーにまでなんて……。
そして、さっきから私だけお手伝いをさせてもらえないのも何か関係があるのかしら?
ショックを受けていたリリーだったがーー。
「スペンサー侯爵は誰よりも働き者だと、いつも父が申しておりますわ」
「ええ。陞爵も遅いくらいだったと、うちの父も」
父を庇う発言に嬉しくなったリリーは、「ありがとうございます」と笑顔でお礼を述べた。
後でウィリアムに会ったら教えてあげなければ。
……泣いてしまうかもしれないが。
「軽食はこれくらいあれば足りるかしら?」
「ちょっと多過ぎたかもしれませんわね。殿方がいても余りそうですもの」
隣の会場から、話しながら最後の令嬢二人が現れた。
その手には大皿にサンドイッチやスコーンが山盛りになっている。
「夜会の雰囲気はどうなりましたこと?」
一人の令嬢がソワソワしながら入ってきた二人に話しかけた。
確かに、皆が一番気になっていることに違いない。
「まだ何も起きてはいませんでしたけれど、もう雰囲気が怖くて!!」
「ええ。殺伐としておりましたわよ。修羅場はこれからですわね。終わるまで私達はこちらに避難していましょう」
ウンウンと頷く令嬢の中、リリーだけが「殺伐? 修羅場?」と首を捻っていた。
一方、令嬢がごそっと抜けた夜会の会場では。
ミシェルの取り巻きの二人は、リリーとお茶をする為に出ていく令嬢達を恨めしげに見ていた。
絶対あちらに参加するべきだと本能が訴えているが、今更ミシェルを裏切れない。
ミシェルはミシェルで、傍にやって来たラインハルトを上目遣いで見つめ、アピールに余念がなかった。
「ラインハルト様、邪魔者も居なくなりましたし、ぜひ私とお話でも。あ、私達も別室でお茶でもいかが?」
まだ状況が理解出来ていないのか、豊満な胸をラインハルトに押し付けるようにして、しなだれかかろうとしている。
見ている貴族達が顔をしかめ、ミシェルに対する非難の目を強めたその時。
「おおっ、これは何事ですかな? ミシェル、ラインハルト王子とお近づきになるなんて流石我が娘だな」
ご機嫌な声と共に、ミシェルの父であるナムール伯爵が入場してきた。
後ろには二名の男性を引き連れているが、それぞれミシェルの取り巻き令嬢の父らしい。
「ラインハルト王子、うちの娘のミシェルです。美しい娘でしょう? どこぞの田舎娘よりよっぽどあなた様に相応しい。ですから……嫁になどいかがです? 父親の私も、いつでも侯爵になれる準備ができています」
『うわぁ、空気読めよ!』
『馬鹿の親はやっぱり馬鹿だったか……』
アーサーとオーウェンが小声で会話を交わす。
ラインハルトは微笑みを絶やさずに立っていたが、その笑顔が何よりも怖いと多くの者は知っていた。
あえて全く動かず、ラインハルトに一切を任せて壇上で笑っている王族達の本当の怖さも……。
ナムール伯爵の登場で、夜会の会場は更に修羅場と化していくのであった。