4話 新しい約束と幼馴染み。
チーズケーキの焼き上がるいい香りが辺りに漂い始めた頃、厨房は再び人で溢れていた。
「ここに集まらなくても、ちゃんとケーキは全員分あるから大丈夫よ?」
リリーが声をかけるが、皆オーブンの周りから離れようとしない。
出来上がりの瞬間を見逃してはいけないとでも思っているようだ。
気付けば、父のウィリアムまでが使用人と一緒になって目をキラキラさせながらオーブンを覗き込んでいる。
「お父様、確か今日はお仕事ですよね?」
「リリーのケーキを食べてから行く!」
心配になってリリーが確認をしても、返ってくるのは子供のような返事だけだった。
お仕事は不安だけれど……これは皆との約束だものね。
出来れば全員揃って食べたいから、今回は目をつぶりましょう。
次々と焼き上がるチーズケーキを綺麗に切り分け、全員に皿が行き渡った後、リリーは改めて集まった人々を見回した。
「十年前は皆を困らせてごめんなさい。約束していた、私が作ったチーズケーキです。改めて……ただいま!」
するとワッと歓声に包まれた後、一斉にケーキをほおばり、感嘆の声をあげる人々。
「ん~!! これは絶品ですね」
「こりゃあ、やっぱり自分も修行に行かなきゃいかんですなぁ」
良かった、気に入ってもらえたみたい。
しかもレオったら。
おどけた様子でコックのレオが冗談を言うので、リリーも笑ってしまう。
「食べたくなったら、私がいつでも作ってあげるわ」
こうして新たな約束が結ばれたのだった。
甘い香りに包まれてチーズケーキを堪能していたところに、呆れたような声がかかった。
「まさか皆で厨房に居るとはね。悪いけど勝手に入らせてもらったよ。不用心だなぁ」
この声って、昨日の?
リリーが馬車の中から聞こえた声を思い出しながら振り返ると、身なりの良い一人の男性が立っていた。
「悪い、オーウェン。リリーのチーズケーキを食べていてね」
全く悪気が無さそうに謝罪する兄は、まだチーズケーキに夢中だ。
田舎暮らしのリリーには、都会とも思えないこの屋敷ののんびりした雰囲気を嬉しく感じつつ、兄と同年代の男性を見つめた。
昨日、お兄様と一緒に帰ってきたオーウェン様ね。
私の幼馴染み……。
凝視し過ぎたのか、視線に気付いたオーウェンから朗らかに話しかけられた。
「リリー、お帰り。元気になったようで嬉しいよ。僕のこと覚えているかい? 昔、一緒に遊んだんだけど」
「ご無沙汰しています、オーウェン様。覚えていますわ。いつもお見舞いに来て下さってありがとうございました」
リリーは笑顔で無難に挨拶を返したつもりだったが、どうやらお気に召さなかったらしい。
オーウェンの眉間には微かだが皺が寄り、不満げな表情をしている。
「ハハッ。オーウェンは他人行儀な呼び方と口調がイヤだってさ、リリー」
「それはそうさ。以前はオー兄様って呼んでくれていたのに、寂しいじゃないか」
……オー兄様?
私ってば、そんな呼び方をしていたかしら?
兄の指摘は正しかったようだが、親し気な呼び方に戸惑いを感じてしまうリリー。
しかし、呼ぶまで納得しなさそうな態度にこちらが折れることにした。
「わかったわ、オー兄様。今日からまたよろしくね」
リリーが砕けた口調で微笑むと、ようやく満足そうに頷いたオーウェンは、アーサーに自分のチーズケーキを要求していた。
オー兄様の舌にも合ったようで良かったわ。
そういえば、甘いものが好きだったような……。
それにしても、今日は何しにいらしたのかしら?
「オーウェン、急に来るのはまあいつものことだが、何かあったのか?」
リリーの疑問をアーサーが尋ねてくれたが、突然現れるのはよくあることらしい。
「ああ、そうだった。チーズケーキが旨くて忘れるところだった。リリーに頼みがあって来たんだ」
「私に頼みごと?」
思わず二人の会話に割って入ってしまった。
「そうなんだ。僕の妹のジェシーのことで、リリーに力になって欲しくて」
ジェシー……。
なんとなくだけれど、覚えているわ。
いつも元気で、寝込んでいる私の代わりに花を採ってきてくれたり、木に登ってみせてくれたり。
きっと私を楽しませる為にはしゃいでみせてくれていたのだと、今ならわかる。
優しい子だったわ。
「ジェシーがどうかした? 何かあったの?」
リリーは心配になって、思わずオーウェンに詰め寄るように訊いてしまった。
すると、返ってきたのは胸が潰れるような悲しい話だった。
リリーが領地に行ってしまった後、ジェシーはしばらく落ち込んでいたらしい。
しかしいつまでも塞ぎこんでいてはいけないと、同年代のお茶会などにも徐々に出席するようになったそうだ。
そこで、ジェシーの大きめな笑い声や動作、走ったり花を摘む行為が令嬢らしくないと陰口を叩かれるようになった。
最初は気にせずにいたジェシーも、一緒に過ごすことの多いオーウェンとアーサーまでがジェシーのせいで悪く言われることに、段々気を病んでいった。
二人が学院の寮に入ってあまり家に戻れなくなると、孤独もあっていよいよ落ち込むことが多くなり、今では家に籠りきりになってしまったーー。
なんてこと!
ジェシーは私を喜ばせ元気付けようと、元気な振る舞いをするようになったのに。
あの明るいジェシーが家に籠っているなんて……。
僅かに残っていた思い出の中のジェシーとのギャップに、リリーはショックを受けた。
「私に出来ることなら何でもするわ。何をしたらいいかしら?」
「ジェシーに会ってやって欲しい。僕が望むのはそれだけだ」
「会うだけでいいの?」
「ああ。多分それだけで十分だから」
オーウェンは力強くそう断言した。
本当に会うだけでいいのかしら?
もっと色々、ジェシーが元気になることをしてあげたいけれど。
「じゃあ、チーズケーキを持って会いに行くわ。早速明日伺ってもいいかしら?」
「ありがとう! 明日ならまだ僕も屋敷にいるし、助かるよ」
もう一人の幼馴染みとの再会に、リリーは胸が弾むのを感じていた。