38話 お忍びデートの準備中。
第三王子とスペンサー侯爵家長女の婚約が正式に結ばれて以降、中心人物であるリリーの周辺は俄かに騒がしくなった。
と言っても、茶会の招待や噂話の類ではなく、単純にラインハルトのサプライズ訪問と、プレゼント攻撃によるものである。
かつては王族として彼なりに我慢をし、リリーに会うことも贈り物をすることも控えていたラインハルト。
ーーまあ、当然なのだが。
しかし、書類上リリーの婚約者と認められ、リリーの愛を勝ち取った今、彼を抑えるものなど何もなかった。
日々情熱的な手紙と共に、花やお菓子、小物をひっきりなしにスペンサー侯爵家へと送り付けている。
ちなみに、大げさなプレゼントはリリーが恐縮して受け取らない為、絶妙なラインでとどめているところがラインハルトらしい。
リリーの家族は、ますます重くなった王子の愛に唖然とし、見守るしかなかった。
王家の男の執着は今までも見聞きしてきたが、まさかこんな身近で繰り広げられることになるとは思ってもみなかったのだ。
肝心のリリーが喜んでいるのだから、自分達が口を出すべきではないだろう。
出すべきではないーーと分かってはいるものの、王子自ら突然この屋敷までプレゼントを届けに来るのだけは切実にやめて欲しかった。
心臓に悪い。
見て見ぬフリをするには、王子はやたらと目立ってキラキラし過ぎているのである。
まだ二人の婚約は世間一般には公表されていないものの、もう貴族の中で王子とリリーの婚約を知らないものなど居ない。
ラインハルト自身に隠す気がさらさらなく、率先してバレるような行動をとっているのだから、当然の結果だった。
その煽りを受け、急に親しげに近付いてくる一部の貴族達に、スペンサー家のウィリアムとアーサーは迷惑していた。
アーサーはジェシーとの婚約を発表したことによって、殺到する婚約話を未然に防ぎきったと思っていたのだが、それは考えが甘かったとすぐに思い知らされた。
婚約程度では簡単に諦めない家も多く、愛人まで勧めてくる始末に父も息子もうんざりする思いだった。
困ったことに、スペンサー侯爵家は、いまや巷で注目度ナンバーワンの家になってしまっていた。
今日は、リリーがラインハルトとお忍びで街へ出かけることになっている。
リリーは目立たぬように、町娘のような地味なワンピースに着替えていた。
「アイラ、領地に居た頃を思い出すわね。あの時はもっと質素なワンピースだったけれど。やっぱり私って顔も雰囲気も地味だから、完璧に街に溶け込めるわね!」
リリーは無邪気にはしゃいでいるが、はたしてそれでいいのだろうか。
仮にも第三王子の婚約者が……。
侍女のアイラは相槌に悩んだ。
「お嬢様、いくら町娘に成りきっているからといって、街で走っては駄目ですよ? 殿下にご迷惑をかけないようにして下さいね」
「わかっているわ。いつもより走りやすい格好だけれど、今日は我慢するわ」
「見知らぬ方からお菓子をもらってはダメですよ? ここは領地とは違うのですから」
「そうよね! じゃあお菓子は持参しないといけないわね」
「そういうことを言っているのではありません」
安定のお小言がアイラから発せられるが、リリーはご機嫌に返事をしている。
そもそもが貴族令嬢に対する注意事項からズレているのだが、リリーにとってはこれが通常のお小言であった。
そんなリリーを、幼馴染カップルのアーサーとジェシーが影から覗いていた。
「アーサーお兄様、お忍びって、『アレ』ですわよね? 全員が気付いているのに、全力で気付かないフリをするという、はた迷惑なあの企画……」
「うん、そうだね。今回も相当な数のサクラが街に配置されているらしい。町人も買収されてるか、劇団員だとか」
王家の男性陣による街へのお忍び……。
それはこの国では有名な行事だった。
婚約者を溺愛するあまり、お忍びデート自体が城下をあげての大がかりな仕掛けなのである。
今の国王、王太子、第二王子の時も度々行われ、その度に貴族も庶民も大勢借り出される為、もはや風物詩であり、皆手慣れたものだった。
さすがにやたら芝居くさかったり、うまくいき過ぎているので、相手のご令嬢も大抵は途中でサクラだと気付く事が多いのだとか。
今の王妃はあまりの不自然さに、街に着いた途端気付いたらしい。
「あの察しの良い王妃様ならそれも納得だな」
「でも、リリーなら最後まで気付かない気がするわ」
「……そうだろうね。自分が庶民にしか見えないと思い込んでるくらいだからな。本当心配になるよ」
ラインハルトに恋をしてから随分と垢抜け、傍から見ても愛らしさが増したリリーだったが、本人だけは気付いていない。
「アーサーお兄様、面白そうだから私達も街に出かけましょうよ」
「本気かい? 王子に見つかったらどうするんだい?」
「あら、そんなの『奇遇ですわね~』とでも言えば平気よ」
こうして、乗り気でなかったアーサーだったが、ジェシーと共に仕掛けが散りばめられた街へと出かけることになったのだった。