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1話 涙は見せません。

新連載、よろしくお願いします。

「おはよう、外は良い天気よ」

「今日もよろしくね!」


リリーは今日も牛舎を歩きながら、元気に声をかけて回る。

牛達との毎朝のコミュニケーションは日課であり、体調管理は酪農にとっても欠かせない。

うん、今朝も皆元気そうだ。


満足げに微笑みながらも、ここでの生活もあとわずかだと思い出し、リリーは胸がキュッとなった。



リリー・スペンサーは、一応名ばかりの伯爵令嬢である。

王都で生まれた彼女は、両親、兄と共に王都の屋敷で五歳までを過ごした。

しかし、生まれつき身体が弱くすぐ体調を崩しては寝込む娘を案じ、両親はリリーを領地で静養させることにしたのである。

愛するリリーと離れて暮らすことは、リリーの家族にとっては断腸の思いであったが、全てはリリーの身体の為と、泣く泣く彼女を領地へと送り出したのだった。


ここスペンサー領は王都の北部に位置し、酪農が盛んな土地として有名で、牛や山羊を飼育して乳製品を生産している。

今ではこの国に流通する乳製品の大部分を占めているほどだ。

そして、自然豊かと言えば聞こえはいいが、つまりは「ド」がつくほどの田舎であった。

人より動物が多く、都会の娯楽など何も無い。


しかし幼い内に家族と別れ、数少ない使用人と暮らし始めたリリーは、あっという間にここでの生活に馴染んだ。


それから十年。

リリーの身体は、嘘のように健康になっていた。

むしろ元気過ぎると使用人達に心配されるほどである。


朝早くから牛の搾乳、牛舎の清掃、餌やり……。

領主の娘であるリリーにそんなことはさせられないと最初は止められていたのだが、リリーは自然と酪農に興味を持ち、牧場に入り浸るようになった。


動物と触れ合い、領民達と近い距離で接し、野山を駆け回り……。

リリーは気付けば型破りな伯爵令嬢へと変貌を遂げていたのである。



そんなリリーも十五歳。

とうとう王都へ呼び戻されることになった。


今まではのらりくらりと先延ばしにしていたが、学院への入学や、社交界デビューも控えている。

本来は体調が落ち着くまでの滞在のはずであったのだから、充分我儘は通した。

本心では王都へ帰りたくないが、三日後にこの地を発つことに決まっていた。


寂しさと、王都での生活へのわずかな期待を胸に、リリーはそっと空を見上げた。 



◆◆◆



今日、リリーは王都へ発つ。


早朝から通い慣れた牛舎を訪れ、牛達に最後の別れを告げた。


「私は見届けられないけれど、元気な子牛を産んでね」


お腹の大きな雌牛に撫でながら話しかけると、言葉が通じているのか、雌牛も悲しそうな瞳でリリーを見つめていた。


山羊や馬達にも挨拶をし、全ての場所を目に焼き付けるように見て回る。


「またすぐに戻ってこられれば良いのだけど。しばらくは無理そうね……」


リリーの悲しげな呟きは、朝のひんやりとした空気に溶けていった。



王都へは馬車で五日の距離だ。

すでに荷物は馬車に積み込まれ、屋敷の前には別れを惜しむ使用人や牧場の人間が集まっていた。


「お嬢様がいらっしゃらなくなると寂しくなりますね」

「リリー様の笑い声が聴こえないと屋敷が静かすぎて……」


涙を拭いながら悲しそうに口ぶりの従者やメイドに、最初は胸を打たれていたリリーだったがーー。


「お洗濯ものが一気に減りますね」

「お食事の量も」

「繕い物だって半分以下になります」


からかうような口調で次々と使用人が話し出すと、思わず唇を尖らせた。


「それではまるで、私が暴れん坊の大食らいみたいじゃない!」


リリーが言い返すと、何を今更とカラカラと笑われた後、一転して今度は神妙に口を開いた。


「お嬢様、王都では走り回ってはいけませんよ」

「木に登るのも駄目です」

「知らない人から物を貰うのは危険ですからね」


もはや小さな子供相手にするような注意の数々に、ついムッとしながら反論する。


「わかっているわ!私だってもう十五歳のレディよ!」


しかし、皆がわざと明るく振る舞ってくれているのだと気付くと、「次に会う時はみんなが驚くような令嬢になって、ビックリさせてみせるわ」と冗談めかして言ってみせたのだった。



いよいよ出発の刻限となると、馬車に乗り込むリリーに、それまで静かに人々の後方で見守っていた執事のスチュアートが近付いた。


「リリーお嬢様、お嬢様はそのままでよろしいのです。どうか変わらずに。辛いことがありましたら、こちらにお帰りください。私共はいつでもお嬢様のお帰りをお待ち申しております」


温かい笑顔で告げられ、思わずリリーの涙腺が緩むが、なんとか堪えて微笑む。


「ありがとう、スチュアート」


動き始めた馬車の窓から大きく手を振りながら、見送る者に笑顔で叫んだ。


「行ってきます!」


 

手を振る皆の姿が小さくなり牛舎が見えなくなっても、しばらくの間見られなくなる愛する風景を、リリーはずっと眺めていた。



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