雷狼降り立つ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いないいない……ばあ~、と。ふう、ようやく喜んだか。
最近、いないいないばあ耐性でも、ついてきたんじゃないかねえ、こいつ。それとも、このあやし方のタネをつかみだしたか。
研究者の話だと、このあやし方は子供の短期記憶に訴えかけるやり方らしい。
「さっきまではこうだったから、次はこうなるんじゃないか」という、つい先ほどの状態から将来を予想する力がつき始めるんだと。
そうなると、「いないいない……」をし始めたとき、子供の頭の中じゃ「ついさっきまで相手の顔があったはずなのに、いきなりなくなっちゃっている……けれど、そこにいるはずなんだ」と計算をするのだとか。
そして「ばあ~」と顔を表したとき、子供は笑う。
何も変顔をせずとも笑う理由は別にある。「うひょ~、やっぱり自分の予想が当たった! 俺、私、さいきょ~!」といった、正解を得る心地よさかららしいのさ。
成功体験、自信の根付き、大いにいいものだ。その気持ちよさが、将来の何かしらの行動の糧につながるかもしれない。
根が張るには多かれ少なかれ、繰り返しが必要だ。
ゆえに異様に見える反復も、今後を考える大事な伏線。はた目には効果も行く先も分からない奇行に思えるときもあるかもしれないな……。
俺の昔に聞いた話なんだが、耳に入れてみないか?
雷狼という生き物が、かつての俺の地元に存在したといわれている。
稲光とともに生まれ、毛を逆立てながら生まれた子犬は、犬でありながら雷に連なる狼としての資質を備えていると。
それは雷雨を自在に操る力を宿し、御することができれば大きな恩恵を得ることができると考えられていた。
古い時代に雷を有効活用する手はそうそうないが、雨を得ることの自由が利くとなれば、農耕への大きな助けとなる。
条件の難しさもあって、雷狼はめったにお目にかかることはできない。
よしんば、いいタイミングで生まれて毛を逆立てていたとしても、育つ環境がふさわしくなければ意味を成さない。
なんでも雷になじませなければ、雷狼たる素質が芽吹かないとされていてな。嵐や荒れた梅雨の時期でもない限り、十分な環境は整えづらいのさ。
とはいえ、それでも達する確率は決して高いとはいえず。俺たちの地元じゃ長いこと、伝説どころか幻の存在とうたわれていたんだ。
その中、幻から伝説へ話を引き戻したのが、江戸時代初期とされる。
とある農村で飼っていたメス犬が、手違いで逃げ出してしまい、しばらくしてから戻ってきてな。その際、お腹の中へ子を宿していたらしいんだ。
子犬まで飼っておく予定は、かの家にはなかったという。しかし、いざ母犬が産む段になってにわかに空がかげり出し、遠く雷鳴のとどろき始める様子を見ては、ただならぬ警戒をしなくてはならない。
家族以外にも、村の者たちもまた犬の妊娠を知っている。そしてこの天候と来ては、よもやの心配をして、ぞろぞろとかの犬の元へ集まってきていた。
そして、よもやは来た。
稲光ととどろき、二つがほぼ同時に襲い掛かり、皆の心臓が縮みあがりそうになったおり。
皆の見守る前で、新たな産声があがった。子犬が産まれたんだ。
狐に似た明るい毛を持つ親に対し、その子はくすんだ灰色の毛で全身を覆っていた。
湿って、ペトリとへたっていた毛たちは、しかし新しい雷鳴の音を聞くや、一斉に逆立つ。
誰も触ってなどいない。音とともにひとりでに、だ。
そのとがりよう、集まりようは栗かウニのようにも思える有様で、およそ犬のものとは思えなかった。
雷狼の再来だ、と年寄りたちはウワサした。
親犬ともども、彼らは村の高所に設けられた祭壇に住まいをうつされ、最低限の雨よけだけは用意されて、できる限り風雨にさらされて過ごすのだ。
犬を飼う家の子は、強引な引き離しに反発するも、またとないかもしれない雷狼誕生の機会は、個人の願いよりも優先されるものだったという。
雷は雲にまぎれて、その気配を止ませることなく響き、そのたび子犬は産まれたばかりとは思えない頑健さで、早くも四本足で立ち上がり、その身の毛を逆立て続けていたそうだ。
対する親犬はというと、当初から寒さに震えて、雨よけの簡素な屋根の下で身を震わせているのがほとんどだったらしい。
屋根はあっても、まともな壁はない。横殴りに吹きつけられたら、もうそれはびしょ濡れへの一直線で、早くもくしゃみを何度もし始めている。
あくまで産まれたての雷狼候補の精神を、安定させるための役目に過ぎないと、村人たちは考えていたらしい。
この悪天候に耐えられなくばそれまでで、その間に雷狼が育ちきってくれることが願われたとか。
子犬が産まれた日から10日あまり、この地域に雷はとどまり続けた。
雨量はまちまちではあったが、雷の全くならない日というのは存在せず、人々はめったに見られない天候に、ますます雷狼の降臨に確信を持っていく。
親犬はすでに鼻水が絶えない状態で、病気にかかっているらしいことは確実。もう子犬から引き離されているが、子犬自身はもう一人立ちをしている。
その図体は日増しに大きくなっており、とどろく雷鳴とともに、大人の犬とそん色ない咆哮を周囲に響かせた。
大きくなった逆毛は、その密度、その鋭さを増し、それなりの防備なしに近づけば、たやすく皮を破って肉に刺さった。
常人は少なく、世話役にしてもおそるおそる。なおのこと、神のごとき扱いへ近づいていった。
――よもや自分の代で、雷狼を目の当たりにできようとは……。
村人の多くは、その感動に胸を躍らせていたのだとか。
しかし、それが自分たちの益になるかというと、判断が難しかった。
晴れ渡った空の下であると、雷狼は普通の犬と変わらぬ様子で過ごすが、いったん天気が崩れればびんびんに毛を逆立てる。
やがて咆哮は雷鳴に、雷光に先んじて、地域の空に響き渡り。それを合図として稲光が大地に振り落ちた。
彼らが丹精込めて作った、田畑に対して、だ。
青々とした葉を茂らせる彼らが、瞬間的とはいえ超高熱の洗礼を受けて、こらえられるはずがない。
そのようなときに限って、雨がほとんど降っていない状態ということもあり、火の手は抑えられるもののないまま、盛大にそそり立つ。
数日をかけて、皆が持つ田畑の半分以上を焼け野原にしてしまったのだから、大損害などという言葉でも済まされない。しかも、雷はそれ以外の箇所には一切落ちず、狙いすませたように、耕地にばかり降り注いだ。
たたりだ、と村民たちは噂しはじめた。
無理やりな生活に持ち込んだから、雷狼が猛り狂ったのだと、これまでの崇め具合から手のひらを返し、この地をたたる者だと評し始めたんだ。
これまでまつってきた責もある。雷狼はすぐ命を取られることはなく、さりとて親のところにも、飼い主の家にも戻ることはできなかった。
親犬はすでに亡くなり、また飼い主の家にしても、これより少し前に起こった不幸な事故にあり、一家離散の憂き目にあっている。
空の見えない地下に幽閉される形になった雷狼だが、その弱り方もまた常軌を逸していた。
一日でまともに身体を動かさなくなり、二日目には毛も尾もぺたんとしなだれ、覇気のはの字も身体から抜けた。いっぺんに10も20も年取ったようなくたびれ具合だった。
そして三日目には、その灰色の毛をもう一度も逆立てることなく、息を引き取っていたらしいのさ。
やがて迎える秋。
大規模で突然の焼畑農業が功を奏するはずがなく、村の収穫は大いに落ち込み、どうにか年貢はおさめたものの、どの家も内職や出稼ぎの手を増やさざるを得なかった。
しかし、それ以上にその年の地域の作物は、悪いものが非常に多かったらしい。
米や野菜、それらを食した人々は食中毒に見舞われた。命にかかわることも珍しくないほど重く、その広がりようは流行り病もかくやという勢いがあったという。
その中で、あの田畑だけ。
雷降り注ぐ中、無事を保ったあの田畑に実ったものだけは。なんともなかった。
それははかったような区別のされかたであり、事情を知った者はあの雷狼を思う。
あの雷の落ちたところは、すべて悪いものであったのではないか。だとしたら雷狼は、やはりあがめるべき存在であったのではないかと。
後悔を残したまま、いまに至るまでも、まだ雷狼は姿を再びは見せずにいる。