依存
サイコホラー?
こたつの上のみかんが破裂しそうだった。何もまとまったことが考えられない。あたしは小説を書きたいのだ。投稿サイト『小説家になりお』に華々しくデビューして、みんなにちやほやされたいのだ。
自分は凄いものが書けると信じていた。みんなをびっくりさせたのち、強く共感させられるような、そんなものが書ける人間だと自負していた。デビュー作はとっくに投稿していたが、それは削除した。軽い気持ちでみんなを見下しながら『あたし様の凄さを思い知るがいい』と思いながら書いたその短編小説は、結構読まれた。一日でpv36も稼いだ。しかしポイントは0。やはりあたしが凄すぎるせいで誰にも理解されないのだな、と思った。自分では気に入っていたその作品を削除すると、あたしは本当のデビュー作を書こうと改めてパソコンに向かった。
しかし書けないのだ。頭の中がごちゃごちゃで、何もまとまったことが考えられない。レベルを平凡人並みに落として、わかりやすいものを書こうと思うと、何も書けない。こたつの上のみかんは目の前で膨れ上がり、今にも爆発しそうだ。あたしは寝転がって何度も左を向いたり右を向いたり繰り返すと、がばっと起きあがった。
「もう、なんでもいいや!」
ヤケになり、とてもありきたりなことを書いてしまった。
何のひねりもない、自分の平凡な日常をありきたりな言葉で書いただけの小説を、2,753文字を18分で書き上げると、投げ槍に投稿した。
期待はしていなかった。疲れたのでそのままこたつで眠ってしまった。
目が覚めると3時間経っていた。部屋の中が死んだように静かだった。こたつの上のみかんは小さくなっていた。あたしはそれを一つ取り、皮を剥いて一房口に入れると、作品を投稿していたことを思い出した。
ちょっと唖然とした。
3時間でpvが100以上もついている。
ポイントが54もつき、ブクマが2件。
なんで?
あの渾身のデビュー作が無視されて、なんでこんないい加減なのが受けるわけ?
そう思いながらも、顔は笑っていた。
それからあたしは自分を殺し、受けるための小説をバンバン書き始めた。どうやらあまり文学的にならず、ありきたりなことをわかりやすく書いたほうが受けがいいようだと知った。
逆お気に入りユーザーがつくようになった。あたしも相互お気に入りユーザーとして登録し、友達を増やして行った。
感想やレビューを貰えるようになり、そのお陰かポイントもコンスタントに100を超えるようになって行った。
あたしは他の人のものをあまり読まなかった。読まずに一言『面白かったです!』と感想をあげれば、その人があたしにもポイントを恵んでくれる。次第に虚しくなって行った。あたし、何をしているんだろう。
あたしは、あたしのことを誰かにわかってほしくて、小説を書いていた。あたしの気持ち、あたしのこの寂しさ、あたしの孤独、あたしの世界一の惨めさ、そこから産まれるあたしの世界一素晴らしい小説を、誰かに読んでもらい、びっくりさせて、そしてあたしをわかってもらいたかったのだ。
それがどうしてこうなった? 今、あたしはただコミュニケーションをしているだけだ。星を五つあげるから、あたしにも星を五つ、ちょうだいね。そんな物々交換をしているだけだ。
そんな時、お気に入りユーザーの評価した作品を眺めていて、たまたま彼に出会った。
なんとなくタイトルに惹かれて、なんとなく読みはじめただけだった。彼の小説は、まるであたしを描いているようだった。誰にも理解されない主人公が犯罪に手を染め、破滅して行く様を描いた彼の作品は、絶望的なラストシーンながら、あたしの代わりに主人公が破滅してくれたようで、あたしにとんでもないカタルシスを与えてくれた。
「この人……、あたしをわかってる」
読み終えたあたしは、うっとりと笑いながら、こたつで呟いた。
「この人……、あたしを知ってる!」
こんな素晴らしい作品、読まれてないわけがないだろう。評価されていないわけがないだろう。そう思いながら確認して、愕然とした。あたしよりも読まれてない。あたしなんか比べようもないほど評価されていない。なんで?
こんなのおかしい!
「よし、あたしがフォローする!」
あたしは初めてその作者さんをこちらからお気に入りユーザーに登録した。そしてその名前を覚えた。
窮鼠神猫丸。あたしは彼のファンになった。
感想はもちろん、レビューも書いた。良いものをわかるアタマのない大多数の馬鹿どもに知らしめるため、彼のプロモーションを頑張った。
すぐに彼のほうからもあたしを逆お気に入りユーザーに登録してくれた。嬉しかった。きっと彼もあたしの小説を読んでくれるだろう。読んで……共感……してもらえるような小説をあたしは書いていなかった。
万人に共感されるような、くだらないものばかりだった、あたしの作品群は。自分を殺し、万人受けだけを狙って書くようになっていたので。彼のような天才からは鼻で笑われることだろう。
あたしは作風を変えた。
今まで通りの親しみやすい文体に毒を忍ばせた。読む人が読めば毒だとわかる、しかしそうでない多くの人達にはちょっとだけヘンテコなだけの、平凡で普通に面白い小説にしか見えないものばかりを書くようになった。
あたしにはファンがついていた。彼らがあたしの作品を持ち上げ、ランキングに載せてくれた。お陰であたしの小説は初めて1000ポイントを達成し、ブクマも100を超えた。
たくさんの感想がついたが、彼からは来なかった。彼のマイページを見に行っても、評価をつけた作品の中にあたしのものはなかった。
どうしたんだろう。読んでくれてないはずはない。あなたに読んでほしくて書いた作品なのだから。恥ずかしがってるのかな。それとも気を遣ってくれているのだろうか。あなたが読めばこれは毒だとわかるはず。だからあなたの感想でそれがみんなにばれないように、気を遣ってくれてるのかな。それにしてもポイントぐらいつけてくれてもいいのに……。
しかしすぐに、その理由はわかった。
彼の新作小説を読んで、わかったのだった。
彼の新作は暗い前作とはうって変わって、明るいものだった。歴史ものだった。虐げられている民衆を美しい少女が鼓舞し、悪い領主をみんなで打ち倒すというシンプルな物語だ。ふつうの人が読めば、ジャンヌダルクか天草四郎の物語を明るく描いたようなものだと思うだろう。
しかし、あたしにはわかった。そこには大量の毒が含まれていることが。心優しい主人公の少女は、神の啓示を受けて民衆を率いるまでは、誰にも愛されない少女だった。内気で読書を好み、誰からも理解されず、いつも一人でいるような女の子だった。それが神から『彼女を崇めよ』と命令された途端、民衆は彼女を女神扱いした。
少女は民衆に劣等感を抱いていた。明るく社交的で社会のためになることの出来る人々を、自分とは違う立派な人だと思っていた。引っ込み思案な自分を『役立たず』だと責めていた。それが神の力でみんなの役に立てるようになった喜びに、自分が自分でなくなったような喜びを感じていた。
少女は最後にはりつけにされ、左右から槍で突かれて処刑される。しかしその表情は明るく、民衆達もわかっている。死んだ彼女を神が天国に迎え入れ、幸せにしてくれることを。
凄い、と思った。
やっぱりこのひと、あたしのことをわかってる。
この少女はあたしだ、とすぐにわかった。
感想を書く代わりに、作品にあたしを出して、応えてくれたのだ。
少女が民衆に対して抱いていたのは劣等感などではない。あたしにはすぐにそれがわかった。少女は民衆を憎んでいる。自分達とは違うというだけの理由で、変わり者の少女を差別する民衆を、憎んでいる。少女は彼らを騙し、己を彼らの女神に仕立て上げることで、復讐を完遂したのだ。彼女は彼女のまま、実は何も自分を変えることなく、民衆を騙すことで天国に一人、昇って行った。みんなに相手にされなかった内気な少女が、実は自分自身を変えることのないまま、みんなに崇められる存在に高められて行ったのだ。
あたしは感激して感想を書いた。しかしそれを感想欄には書かず、直接メッセージで送った。まだやりとりをしたこともないのにそんなことをしてもいいのかな、とは思ったが、彼のことだ、あたしのことをわかっていてくれるから、きっと返信をくれる。そう信じていたが、返信は来なかった。よく見ると他の人から貰った感想にも彼は返信をしていなかった。恥ずかしがり屋なのだろうか。あるいは作品を書くことに専念してコミュニケーションはしない、ストイックな人なのだろうか。
返信が貰えなくても、あたしが彼を崇める気持ちは少しも変わらなかった。
その翌日、珍しく彼がエッセイを投稿した。
それを読んで、あたしは『そういうことか』と嬉しくなった。
それには彼の住んでいる町のことが書いてあった。あたしの住んでいるこの町と同じだった。『僕はすぐ側にいるから、僕を探してほしい』というメッセージをあたしはそのエッセイから受け取った。
興信所に依頼した。この町に住んでいる『小説家になりお』に投稿している人物で、『窮鼠神猫丸』という名前で活動している人を探してもらった。そんなの見つかるものだろうかと不安だったが、さすがはプロだ。探し当ててくれた。
彼はスーパーマーケットの店頭でたこ焼き屋さんをやっている人だった。いつ見てもあまりお客さんが来ていない屋台のようなお店で、結構な時間を暇にしている。その時間を使って、スマホで小説を書いているらしかった。あたしはその話を探偵さんから受け取ると、すぐに会いに行った。
そのスーパーは結構寂しい界隈にあった。たこ焼きは既に焼かれてガラスの保温ケースの中に並べられてあった。その奥で、頭にタオルを巻いた男の人が椅子に座り、スマホに文字を打ち込んでいるのが見えた。ひょろりとした黒縁メガネの人かと想像していたが、意外にも体格の逞しい、茶髪のイケメンだった。
あたしはドキドキしながらたこ焼き屋さんの前を行ったり来たりした。彼はあたしにまったく気づいていないようだった。凄い集中力だ。話しかけたら迷惑なように思えた。せっかく筆が乗っているところを邪魔したら悪いだろうか。そんなことを思いながら何度か目に、お店の前を、彼を見つめながら通り過ぎようとした時、彼があたしに気づき、スマホを置いた。
「いらっしゃいませぇ~、たこ焼き、いかぁっスかぁ~」
その笑顔と人懐っこい声に、あたしは勇気をもらった。あたしはお店のカウンターに駆け寄ると、言った。
「たっ、たこ焼き……ひとつ、くださいっ!」
「あっしぇ~す。温めたのならすぐありますけど、新しく焼きましょうか? お時間かかりますけど」
そう言いながら彼の目があたしを見つめる。かわいい目だと思った。あたしが誰だか気づいていないのだろう。無理もない。あたしは彼の聞いたことには答えず、逆に聞いた。
「あっ、あのっ……、窮鼠神猫丸さんですよね?」
「えっ!」
彼のかわいい目がまん丸くなった。
「なんで……。なんで、それ……」
「ファンですっ!」
あたしは前のめりになりながら告白した。
「ファンだから、探し当てましたっ!」
「そ、そうなんですか」
彼は嬉しそうに、照れ臭そうに頭を掻くと、言った。
「……で、どっちにします?」
「どっち……?」
「温めたやつと、新しく焼いたやつ」
「あ……」
これは相当な照れ屋さんだな、と思った。
「じゃ、温めたほうで……」
「ありやーっす!」
ガラスの保温ケースの中からたこ焼きを取り出すと、それにソースや青のりをかけ、彼の温かい手が渡してくれる。
「おっ……、応援してますっ!」
たこ焼きを受け取りながら、あたしがそう言うと、彼はなんだか困ったような笑顔でもう一度、「ありやーっす!」と言った。
恥ずかしさと興奮で、あたしは逃げるようにたこ焼きを持って小走りで車に戻った。抱えた紙袋があったかかった。
いつでも会える。いつでも会えるんだから、今、新作を執筆中であろう彼の邪魔をしてはいけない。
時間をかけて仲良くなろう。これから毎日たこ焼きを買って、そのうち小説の話を彼と出来るようになろう。
それからしばらくして、あたしはまた小説が書けなくなった。本当に書きたいものをストレートに書けないことに疲れ、ありきたりなものをわざと書いてみんなを騙すことに疲れて。何よりも待ち焦がれている彼からの感想をいつまで経っても貰えないことに疲れて果てて、何も書けなくなってしまった。
あたしは彼の新作を待った。
彼は誰よりもあたしをわかってくれている。
彼の新作小説は、あたしにパワーを与えてくれるはずだ、絶対!
そう信じて待っていると、やがて待望の窮鼠神猫丸の新作小説が投稿された。
あたしはそれを読み、驚いた。
……何? これ。
彼の新作小説は、ひたすらに明るいものだった。バカな女がアホな男とくだらない恋愛ごっこをするだけの、アタマがおかしいとしか思えないものだった。
あたしのことをこんなバカだと思っているのだろうか? イケメンな彼と、寂しさを紛らわすだけのためにイチャイチャして、自己陶酔しているとしか思えないような台詞を吐き、男のために自分を犠牲にすることが最上の幸せだと信じているような、男に依存しきって生きているような女。このあたし様のことを、そんな、小説を書くこととは無縁の、才能のない女だと思っているのだろうか?
まだたこ焼き屋は開いている時間だった。
あたしは勢いよく立ち上がると、彼のところへ向かった。
「らっしぇーす」
今夜も彼はそこにいた。
彼に会うのはあれ以来、二度目だった。
毎日たこ焼きを買いに寄ろうと思いながらも、やはり照れ臭くて、来ていなかった。
「たこ焼き、いかぁーっすかぁー? 美味しいっスよぉ~」
嘘つき、と心の中で詰った。この間買って帰ったたこ焼きはびしょびしょで、タコも小さくて、全然美味しくなかった。
「たこ焼きひとつ……ください」
あたしは彼を睨みながら、言った。
「ありやーっす! 温めたのならすぐありますけど、新しく焼きましょうか?」
彼はあたしのことを覚えていないようだった。
「焼いてください」
「はーい。時間かかりますのでスーパーで買い物されるんならどうぞー。出て来られた時にちょうど焼きあがってるくらいっスよ~」
「お話があります」
「へ?」
「窮鼠神猫丸さんですよね?」
「ああー!」
彼は思い出し、にへらと笑った。
「この間の~……。なんで僕がそうだとわかったんですか?」
「あなた、あたしのこと、わかってくれてるんじゃなかったの?」
「へ?」
「信じてたのに……! あたし、あんなんじゃないわよ!」
「あの……?」
彼は鉄板に敷いたタネの上にタコを撒きながら、不思議そうな顔であたしを見た。その手を、上から勢いよく、鉄板に押しつけてやった。彼の手が鉄板で焼かれる音をあたしは聞いた。
彼の悲鳴が響き渡るスーパーの前からあたしは走って逃げた。
『ざまぁ見ろ』
あたしは急いで車に乗り込みながら、心の中で言った。
『裏切りやがって!』
車を走らせながら、涙が溢れて来た。明日から何を信じればいいのか、わからなかった。
主役のモデルはけっして作者ではありません