1
ヴィネ大公一族はレヴァニア帝国王族に決して牙を剥いてはならない。800年続く歴史が、時の重さがその掟を決して破らせない。許さない。
生まれたときから理不尽に課せられ続ける天命。
クラウディオ・レヴァニア・ヴィネも勿論例外ではない。
――――それが今は、自身ですら地獄に叩き落してしまいたいほど憎らしく歯痒い。
「良いように利用されるのがそんなに悔しいのか?爪が食い込んでいるぞ」声の主は足を組み換え、頬杖をついて優雅に紅茶を嗜む。
「我が息子ながら随分と素直に育ったものだな」
「―――アンタが言うか?」
「不敬も不敬極まりないが……、許そう」
ヴィネ大公はパンドラの箱から飛び出してきたような息子の顔を嗤いながら見下ろした。おおよそ父が息子に向けるような顔ではないが、ヴィネ大公城では珍しくもない光景だった。
大公直属の護衛騎士兼筆頭執事のローガン・ベルナーはこっそりとため息をつく。
余裕そうにクラウディオを眺めるヴィネ大公こそいつもとはまるで違うことを、大公以外の誰もが気づいていた。
「私から言わせてみれば、どちらも変わりませんが…」
ため息混じりにぽそりと呟かれた言葉は誰にも拾われることなくガンを飛ばし合う似たもの親子の間にひっそりと落ちていった。
◆◆◆
聖女ユリシエン・ロマヌス・シレーヌは、歴代の聖女の中でも随一と言われるほど慈悲深く、平和を象徴するものとして人々から敬愛と信望を抱かれていた。
「レヴァニア国王陛下…お願いです…!どうか、貴方様の国民へ目を向けてください…!!」切実さが滲み出るような声だった。「このままでは貴方様の心が壊れていくだけです…どうか…!」
「…………」
「陛下…目を…覚ましてください」
「…………」
「――――聖女様…」
誠実を丁寧に隙間無く敷き詰めたような青年が、思い詰めた表情でレヴァニア国王を見つめ続ける聖女に小さく、躊躇いながらも迷いなく歩み寄る。聖女と聖騎士の少年はしばらく玉座の間で立ち尽くしていたが、レヴァニア国王の虚ろなアッシュモーヴからやがて目を反らし、背を向けて歩き出す。
――――彼らはこれから正しい道を歩いていく。女神シレーヌの名の下に。
その道がどれだけ血塗られていたとしても、
立ち止まることは赦されない道を、ただ前に進んで行くのだ。