⑤槍姫ローニャ婿を取る
崖の上の姫ローニャが槍を背負って婿取り行脚に出かける。ローニャは森で赤毛のヴァリと出会う。
切り立った崖の城、ローズウェーブ王国は波砕城の玉座の前で、メタルピンクの甲冑を身につけた人がひざまづいている。
「一の姫、“槍姫”ローニャ、御前に」
「面をあげよ」
「はっ!」
勇ましい姫は、波打つ紫銀の髪を惜しげなく広げて父を見る。父親譲りの高い鼻に形の良い額は波打つ紫銀に縁取られ、さながら波間の岩礁のようだ。騎士らしく日に焼けた頬にはしなやかな筋肉がついている。金色に鋭く光る両の眼は、獲物を狙う猛禽のよう。
「婿取り行脚に出立せよ」
武骨な王は単刀直入である。
「畏まりましてございます」
父によく似た惣領娘も簡潔に承る。豊かに染みる優しい声だ。王の肯首を受けて直ぐに立ち上がり、そのまま謁見の間を退出する。扉の前に控えていた乙女従者から剣、槍、兜を受け取って、ガシャガシャと鎧を鳴らして城を出る。
兜は勿論、柄頭に翡翠を飾った細身の剣も、斜めに傾け背中に背負った長槍も、全てが薔薇色の金属だった。槍に巻かれた滑り止めの鹿革さえも可憐なピンクに染めている。今は背中に納めているが、いざ戦となれば、握るその手の赤銅色によく映える。
日に焼けた逞しい指先に、薄紅色の爪が華やぐ。健康的な地肌の色が、爪の中で日に焼けずに透けて見えるのだ。槍を握ることで出来た豆と、補助武器で作られた剣ダコで飾られた分厚い手のひらも、赤みを帯びた白さを残す。
愛馬白浪号を厩舎で受け取り、従者の乙女ライトに引き綱を預ける。繊細な線彫が、ローニャの鎧に胸一面の薔薇と波を描く。旅立ちの空へ、太陽はメタルピンクの鎧を反射して、妖精たちの餞を贈る。
故郷離れて幾千里、ここは異国の森の奥。昼尚暗き闇の内、愛馬ロブは危なげなく歩む。従者ライトはランタンを掲げ、僅かな視界を確保する。このランタンも、やはり輝くメタルピンクだ。
「止まれ!何者だ」
突然頭上から、魅惑の低音が降ってくる。姫は兜の中で頬を染め、目尻を下げて立ち止まる。そして兜を脱げば名乗りを上げる。
「我が身は遠くローズウェーブのその地から、波薔薇紋を身に帯びて、尊き婿がねを訪ね求め、諸国を遍歴いたす者なり」
震えず名乗るその声は、しっかと葉陰の人に届く。まだ顔を上げずたたずむ主従に、艶やかな美声が重ねて問う。
「して、その名は」
「星を宿せる浪頭、
岩に砕けて散るを見下ろし、
月の光も流れる傍ら、
猛く聳ゆるその城尊し。
たなびく旗は誇らかに、
薔薇を抱きてたゆとう波間、
切り立つ崖も勇壮に、
夜を呼ばいて朝咲く木の間、
憩え今、武士よ、
波と薔薇との印の下に。
集え今、旅人よ、
楽の音優しきこの城に。
永遠の誓いを薔薇色に染め、
荒波越えて幽玄郷へ進め。
ローズウェーブが一の姫、
“槍姫”ローニャ!
愛馬ロブ号!
従えたる乙女の名はライト!
貴殿は?」
ローニャの口上を受け、ガサリと葉擦れの音を立て落ち葉や小枝を従え、大きな赤毛が降ってきた。動じず静かに立つローニャを気怠い翠の瞳が捕える。金色の筋が混ざる翡翠の眼は、闇の中で光っていた。
燃える赤毛を振り立てて、その顔立ちの良い若者が真っ直ぐにローニャを見て名乗る。
「深き森の民、名はヴァリ」
従者がランタンをゆっくりと上下して、ヴァリの全身を検分する。乱れた短髪の間から、尖った耳が突き出している。耳が付いているのは頭の上だ。しなやかな細身の長身を下に辿れば、長い脚には細く赤い尻尾が巻きついていた。
「貴様っ妖獣かっ!」
ローニャは愛馬ロブ号の真っ白な背から飛び降りる。得意の槍を逆手に取って、弾みをつけて上方に引き上げた。放るように斜め上に繰り出すメタルピンクの槍が、ライトの持つランタンの火を反射した。
ヴァリが瞳を糸のように細めた隙を捉え、ローニャは順手に持ち替えた槍をするりと自らの足元へと送って、僅かに傾ける。石突は地面から程よく浮かせ、ヴァリの喉をメタルピンクの穂先が狙う。
ヴァリの三角耳はペタリと伏せられ、長い尻尾の先が不機嫌そうに形の良い脛を打つ。
「深き森の民だつってんだろ!」
「人間に、猫が如き耳など生えるか!」
2人は暗闇で怒鳴り合う。安心感のある低音と、微睡を誘う豊かな中音が、森の梢に口汚く反響する。
「第一、狼だって?そんな形姿して、ふざけやがって!」
途端にヴァリの三角耳がピンと立つ。
「ローニャは古き森の言葉が解るのか!」
「え、少しだけ」
ヴァリは喉を鳴らして近づく。思わず下がったローニャの踵が太い木の根に当たって金属音を響かせる。深い森の枝を絡め合う木々は、鎧の立てる音を増幅して跳ね返す。
「うぉっ、うるせぇ」
ヴァリは三角の耳を伏せ、くしゃりと笑ったその頬からは白く細い髭をシュピンと出す。きゅっと縮まる翠金の瞳は、愉快そうに開く口元を伴って乙女主従の警戒を解く。
「森の民はよく殺されるからな。厄除けに、強そうな生き物の名前を付けんのさ」
「へーえ、そんな習慣がねぇ」
感心するローニャに、ヴァリは不思議そうな顔をする。
「ローニャの馬だって、そんな名前だろ?」
「いや?」
「馬がよく盗まれるから、厄除けにつけた名前が白浪ってんだろ?」
「え、違う。こいつはなあ、よく他の馬の人参盗ったり、私のおやつのりんごを強奪したりすんだよ、子馬の頃から」
「にょえー」
意外な理由に、ヴァリが謎の音声を漏らす。ローニャは構わず説明を続ける。
「最初は雲て名前だったんだけどね」
「んにゃー」
「あんまり横から持ってっちゃうから、今じゃ白浪号ってのさ」
「にゃ、にゃ」
「さっきからまるで猫だな」
ローニャの指摘にヴァリがハッとして抗議する。
「失敬だな、深き森の民だよ!」
「正気に戻ったな」
「フッ」
「ハッ」
「ふふふふ」
「はははは」
2人はなんとなく目と目を合わせて朗らかに笑う。愛馬と従者は素知らぬ顔で控えていた。
ローニャはまたロブ号に寄り添い、ライトが引き綱を取る。ヴァリはその様子を眺めて、声をかけた。
「付いて来なよ。里に泊めてやる」
「かたじけない」
ローニャはメタルピンクの槍を納めて馬上の人となる。ヴァリはひょいひょいと木の根や苔むした岩を避けながら先導してゆく。しばらく進むと大木が四方から下枝を差し伸べてきた。
「降りよう」
「それがいいよ」
ローニャはロブから降りる。ロブは低い枝をなんとか迂回しながら、ライトに引かれている。ヴァリは、苦労する馬に合わせて歩を弛めた。
「気遣い感謝する」
「なんの」
ローニャのお礼を軽く流して、ヴァリは雑談を始める。
「そんで、婿取りって、どんくらい旅してんの?」
「どうだろう?2ヶ月から先は数えてないな」
ローニャは助けを求めてライトを見る。が、ライトは黙って目を逸らす。ライトは初手から月日を数えていない。
「ふーん」
ヴァリもたいして気にしない。
「いい男はいたかい」
「そうだなあ」
ヴァリはちょっとだけ期待を滲ませてローニャを見る。
「砂漠の戦士は逞しく、沃野の王子は優しかった」
ローニャは道すがら出会った花婿候補を指折り数える。
「湖の歌い手は細やかで、山の皇子は思慮深く」
ヴァリは不満そうに鼻に皺を寄せる。ふと手近な蔓から楕円の実をもぎ、姫に差し出す。姫は頭を下げ、灰色の皮を剥いて紫の果肉を齧る。
「花畑の貴公子は目端が利いて、海の覇者は豪胆だった」
ローニャの行手に垂れ下がる枝を、ヴァリが持ち上げて2人と馬を通す。ローニャとライトは会釈で謝意を表す。
「だが、誰もが決め手にかけた。もう顔も朧げだ」
ヴァリはにこっと牙を見せ、金翠の瞳をローニャの黄金色にひたと合わせた。
「俺はどうだい?これでも里長の三男坊さ」
「売り込むねえ、私がお気に召したのかい?」
「うん、気に入った」
「どのへんが?」
ローニャの猛禽の眼がぎらりと光る。ヴァリは毛を逆立てて目を見開く。
「にゃっ!」
「なんだ、だらしのない」
「言ったろ、森の民はよく殺されんだよ、弱いんだ」
「威張ることか」
ヴァリは拗ねたように口を曲げる。ローニャの胸がとくんと跳ねた。ローニャは思わずメタルピンクの鎧の胸元を抑える。
「えっ、なんだ?」
「キュンとしましたね?」
ライトが淡々と確認する。
「え?」
「ほんとっ?やったー」
ヴァリが満面の笑みを見せると、ローニャの鼓動が速くなる。
「ヴァリ、最初の殺気はなかなかだったが?」
ローニャはヴァリの端正な顔立ちを横目で見上げて問いかける。
「なぜ逃げ腰になるんだ?ヴァリはもっと上に行けるぞ」
「んー、俺そういうのいいや。里を脅かす者はお引き取り願うけどねえ」
「我らローズウェーブとて、いらぬ争いはせん」
「へえ、それじゃあおんなじだな!」
擦り寄ってくるヴァリをひらりと躱し、ローニャの金目は疑わしそうに翠眼を射る。
「一体何が気に入ったんだい」
ヴァリは今度はローニャの視線を受け止めて、きりりと見返す。
「美しく揺れる銀の巻き毛も、鋭く光る金の眼も、豊かに響く優しい声も、健康的な銅色の肌も、素早く動く全身も、自ら婿を探して遍歴する心意気も、何もかもが素敵だ」
ローニャは顔を赤くする。
「婿取りは父上のお達しだがな」
「そう?それでも、こんな森の奥まで来てくれるなんてさ。勇敢でかっこいいよ」
「ありがとう。ヴァリも里を守ろうとしてかっこいい」
ローニャは頬を緩めて下を向く。ヴァリは思わずローニャの手を取った。
「ローニャ可愛い!」
2人ではにかみ合ううちに、ヴァリの里に到着した。
ローニャは里にしばらく滞在し、2人は更に打ち解けた。里長の許しも受けて、ヴァリは波砕城の花婿と定まる。
それから半年ほどたった頃、切り立つ崖に建つ城の庭で、赤毛の猫男が寝転んでいた。歳に似合わずあどけない寝顔を見せるヴァリの唇からは、真っ白な牙がはみ出している。ローニャは忍び笑いを漏らす。それから、節のある日焼けした指で真っ赤な木苺を摘み、愛おしそうに牙をつつく。
「ん?」
目を開いたヴァリは半身を起こして木苺を口で受け、ローニャの腰を幸せそうに抱きよせた。