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㉟パーマと映画とメガネさん

映画館でアルバイトすることになった私のくるくるさんとメガネさんと過ごすなんでもないできごとの話。

 

 地下にある映画館『シアターウエスト』はレイトショーの上映がはじまり館内は静まり返っていた。


「どうして私を採用してくれたんですか?」


 私――山崎 杏(やまざき あん)は今日の来場者数や売上情報の必要項目を入力したデータを本社に送信している画面から目を離す。長身を屈めながら横に立って指導をしてくれているパーマのかかった社員男性の村上さん――くるくるさんに声をかけた。


「なんとなくだね」


 そう言いながら、くるくるさんが青い缶コーヒーに口をつければ新発売の缶コーヒーから大人な苦味がほんのり漂ってくる。


 くるくるさんは私のアルバイト面接をしてくれた人だった。

 私は内定の出ている大学四年生なのでアルバイトとして働くことのできる期間が決まっている。長期で働ける人がいいんだよね、とくるくるさんは面接のときに言っていたので翌日の夜に電話がかかってきて採用になったと聞いた時は本当に驚いた。


 アルバイト八日目。

 新人アルバイトの教育を行っているくるくるさんとはバイトの毎に顔を合わせていたけれど、二人きりになったのがレイトショーのこの時間だったので冒頭の質問に戻る。


「もしかして、全然募集がなかったとかですか?」

「いやいや、結構集まってたよ」


 くるくるさんの言葉を聞いて、就職活動で培われた面接スキルのおかげかもしれないと思っていたらくるくるさんが口をひらいた。


「まあ正直に言うとさ、山崎さんがここでやった岩村監督特集レイトショーを観にきていたのが決め手かな」

「えっ? そうなんですか?」

「あれさ、俺がはじめてレイトショーの担当を任されたやつだったから単純に観にきてくれたのがわかって嬉しかったんだよね」


 就職活動も面接スキルも関係なかったけど憧れの映画館で働けるなら結果オーライ。岩村監督ありがとう。


「この映画館、岩村監督のこと好きなのばっかりだから山崎さんも話が合うと思うよ」


 くるくるさんは缶コーヒーをトンと机に置いた。青い缶は鮮やかな海みたいでくるくるさんっぽい。


「おっ、本社に送り終わったね。あとは軽く物販の補充するくらいだから上映終わるまでやることはないかな」

「わかりました」

「うん。基本、レイトショーの途中入場はほぼないから『(おもて)』で待機しないでこのまま『(なか)』にいてもいいよ」


 『(おもて)』と呼ばれているのは映画館のチケット売り場。

 館内に入るとチケット販売用のレジと横にパンフレットとペットボトルやちょっとしたお菓子の物販を行うためのレジがある。

 私とくるくるさんがいる『(なか)』は、表のチケット売り場のすぐ奥にあるスタッフ専用ルーム。

 補充用のパンフレットとお菓子などの在庫と事務作業をするためのパソコンが置いてある。四つ並ぶ机の一番奥にパソコンが一台置いてありパソコン横の机がくるくるさんの席になっている。


「じゃあ中にいてもいいですか?」


 アルバイト八日目ながら映画館スタッフが忙しいのは上映前のチケット販売をする時と、上映後のパンフレットを販売する時だけなので上映がはじまるとすごく暇になるのは体験済みだ。

 昼間の上映はぽつぽつ途中入場者もいるので表に誰か待機しているけれどレイトショーは入場者が昼間の半分くらいになる。


 映画館シアターウエストは渋い赤色のタイルの階段を下りた地下一階にあるため、いつもほんのり薄暗くて落ち着いている。趣きがあるといえば聞こえがいいがホラー映画の気分を存分に盛り上げてくれそうな老朽化した建物は、シンデレラの魔法がまもなく解ける時間に表で一人きりで待機するのは遠慮したい。


「うん、いいよ。もうすぐ『(うら)』から水谷くんが戻ってくる頃かな。じゃあその席は俺が使うからこっちに座ってて」


 壁時計をちらりと見たくるくるさんがパソコンの隣のデスクを指差して言った。


 『(うら)』は、映画館の要である映写室。映写機が置いてあり映画フィルムの掛け替え作業で重たい機材を持ち上げるためベテランの男性スタッフに任されている。


「戻りました! 中は涼しくていいですね!」

「映写機の部屋は熱いからね。お疲れさん」

「水谷さん、お疲れさまです」


 制服の深緑のネクタイを緩め、片手で白シャツの中に空気を流すように動かす黒フレーム眼鏡をかけた水谷さん――メガネさんが裏から戻ってきた。メガネさんは季節限定の炭酸ジュースの蓋をあけて飲みはじめる。


「水谷くんって岩村監督好きだよね?」

「めっちゃ好きですね! もしかして、またレイトショーで岩村監督の特集を組むんですか?」

「集客もあったし面白かったからまたやりたいよね――ああ、じゃなくて、山崎さんも岩村監督好きらしいよ」

「へえ、そうなんですね!」


 メガネさんは芸術大学の大学院生。

 穏やかな性格でとても面倒見がいいメガネさんは監督を目指していて、大学生の卒業制作に撮った映画がすごい賞を取っているとくるくるさんが教えてくれた。


 映画学部には女優や俳優、照明などを学ぶ学科があり垣根を越えて数名で集まり映画チームとして映画撮影を行っているらしい。メガネさんのチームに私の大好きな俳優さんがいたことを教えてもらったので、もう少し仲良くなったら卒業制作の映画を見せてもらえたらいいなと思っている。


「山崎さんは、岩村監督の作品はどれが好きなの?」

「私は『夜の帳が下りるころ』がすごく好きなんです」

「いいよね! あれは本当に名作!」


 ビタミンカラーのペットボトルを机に置いたメガネさんが嬉しそうに大きな口でニカっと笑いながらうなずいた。太陽みたいにカラリとした黄色はメガネさんっぽい。


 それからメガネさんは私の知らない岩村監督の隠れた名作や『夜の帳が下りる頃』のすごいところを色々教えてくれて、くるくるさんもキーボードをたたきながら相槌を打ったり笑ったりしている内にレイトショーの上映時間はあっという間に流れていった。

 光と音が外から入らないシアターウエストは時間の感覚がとても曖昧になる気がする。



「もうすぐレイトショーの上映が終わるね」



 くるくるさんの言葉でメガネさんと私は返事をしてシアターウエストの表に向かった。







 ……これは私が大学を卒業するまでアルバイトしていた映画館『シアターウエスト』のなんでもないできごとの話。

挿絵(By みてみん)

感想「感じたままに」

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[一言] なんでもない日常のワンシーンですが、好きなものを話し合える人間関係はとっても貴重ですね! 短い文章の中にもそれぞれのキャラがみてとれて、主人公とのウマが合ってる感じが伝わってきました。ほのぼ…
[一言] 淡々と語られる、なんでもない日常の、少しフィルターのかかったような貴重な時間。日常から少し切り離された空間で、大好きなことをゆっくり語り合うのは、とても贅沢な時間だと思うのです。 出来るなら…
[良い点] 「私」は作者さまご自身なのかな、と。 おだやかなアルバイトの時間を切り取り、映画館という非日常の空間をある種の「期間限定の日常」として切り出した視点がユニークでした。  そこに恋愛はから…
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