㉞初恋は実らなかったけれど、熱心に花壇のお手入れをしていたら、もっと大きな恋が向こうからやって来ました!
フローナは二歳年上のウルスに恋をしてました。淡い初恋です。しかし、ウルスが選んだのは、儚げなフローナの従姉だったのです。「わたし、結婚出来るのかしら?」フローナは少女なりの悩みを抱えながらも、学校生活を送っていくのです。
春でした。
領地は一面に黄色と白の花が咲き、まるで絨毯のよう。
私はウルス兄さまと一緒に、蝶々を追いかけ、走っていました。
兄さまと言っても、ウルスはお隣に住んでいる、二歳年上の少年です。
もっとも、元は侯爵家からの分家同士なので、親戚筋にあたります。
十三歳になると、貴族の子女は王都の学校に通うので、ウルス兄さまも来月からは、此処を離れます。
ウルス兄さまの薄めのブラウンの髪が、春の日差しでキラキラしています。
「はい、どうぞ。お姫様」
ウルス兄さまが野の花で、カチューシャを作ってくれました。
「わあ! 綺麗!」
いつか……
いつかね。
ティアラを被って、純白のドレスを着て、ウルス兄さまの隣で……
そんな幼い恋心を、私は抱いていたのです。
でも、初恋はレモン味のキャンデイみたい。
初めは甘くて、すぐ酸っぱくなるの。
一つ年上の私の従姉が王都から遊びに来たので、ウルス兄さまに紹介しました。
「ごきげんよう。フローナの従姉、ステアです」
ウルス兄さま、口をぽかんと開けて、しばらく無言でした。
「あ、ああ。どうも……」
頬を染めてステアを見る兄さま。
私の胸は、小さな棘が刺さったような感じがしました。
そしてその棘は、抜けることがなかったのです。
◇◇
従姉のステアは透き通るような肌と、流れ落ちるような金色の髪を持つ、美しい女の子です。
そばかすだらけで、ネズミ色のほわほわした髪を持つ私と、あまり似ていません。
さらに私と違うのは、ステアは体が弱いことです。
初めてステアをウルス兄さまに紹介した翌日、彼女は熱を出して寝込んでしまいました。
ステアを遊びに誘おうとやって来たウルス兄さまは、がっかりしていました。
そんなウルス兄さまの表情、初めて見ました。
私は諦めました。
この想いこの恋、誰にも言わずにさよならしよう、と。
ウルス兄さまは十五歳になると、ステアと婚約しました。
そのお祝いのパーティで、彼はこう言ったのです。
「僕が彼女を守ってあげなきゃ、そう思って婚約を決意しました!」
王都の学校に入学したウルス兄さまは、休みの日ごとにステアに逢いに行っていました。
道理で領地には、全然帰って来なかったわけです。
ウルスはプラウディ子爵家の嫡男なので、ステアは学校を卒業したら、プラウディ家にお嫁入するのだとか。
「正直、体の弱いウチのステアに、結婚相手が見つかるとは思っていなかったですよ」
汗を拭きながら、ステアのお父上、グロリアス伯爵が言ってました。
「いやいや、こんな美人さんと婚約出来て、息子は幸せですな」
ウルス兄さまのお父上、プラウディ子爵もにこにこしていました。
「ステアは私の妹に、そっくりなんですよ」
なぜか私の父までが、自慢げに喋ります。
ステアのお母様、つまり私の叔母様は、若い頃は王都でも有名な美女と謳われていました。
その美貌に一目惚れしたグロリアス伯爵が、熱烈に求婚したというお話です。
女性にとって、美しさは武器なのですね。
では、私は?
一目惚れされるような、容姿をしているのでしょうか。
……多分、していないと自分でも分かっています。
武器になるような要素が、一つも見当たらないのです。
残念ですが、誰かに請われての結婚なんて、考えられません。
その晩、私は母の部屋を訪れました。
「ねえ、お母様。私、結婚できるのかしら?」
母は刺繍の手を止めて、私を見つめます。
「寂しそうな顔ね。どうしたの?」
「貴族の女性は、早く結婚して後継ぎを産むのが仕事って、さっきの婚約祝いで、お父様が言ってたわ。『ウチの娘には期待できないな』なんて……」
母の眉がピクッと動きました。
小声で「あのアホがっ」と言ったように聞こえたのは、私の気のせいでしょう……。
「あのねフローナ。あなたは一人娘なので、結婚してもしなくても、いずれ爵位を継ぐわ。だから心配しなくていいのよ、先々のことは」
そうでした。家を継ぐのは、この私。
では、お婿さんを迎えるのでしょうか。
特に裕福でもない子爵家に、来てくださるような男性、いるのかしら。
「フローナ。どんなに綺麗なお花でも、いずれ枯れる日は来るわ。女性の姿形も、永遠に美しさを保てるわけではないの」
そういえば、伯爵に一目惚れされた叔母様も、今日見たら、なんだか丸くなっていて、ドレスがキツキツでしたわね。
「だけど、大地に根を張った木は、年月がたっても枯れないでしょう? 人間も同じなのよ」
大地に根を、張るのですか。
人間は、両足を踏ん張れば良いのでしょうか?
「あなたが学んだ知識は、誰にも盗まれない。努力して得た技能は、一生使えるの」
母は、大言壮語系の父に代わり、領地の経営を任されている頭脳派です。
見た目は、叔母みたいな派手さはないけれど。
母が手掛けている刺繍は、細やかな図面を細い糸で描いていく、色彩も鮮やかなものです。
それは母が嫁ぐずっと前から、母自身が得た技能です。
「家庭教師のトビュー先生が誉めていたわ。フローナは賢くて、飲み込みが早いって。来年から、あなたも王都の学校へ行くのだから、自信を持って欲しいわね」
母はフローナの頭を撫でる。
「何よりも、笑顔を絶やさないこと。そうしたら、フローナのお婿さんになりたいって男性、たっくさん、見つかるわ」
そう言った母の笑顔は、満月よりもなお、輝いていました。
◇◇
母の言葉を盲信するほど、私は純粋ではなかったのですが、知識と技能の習得に務め、翌年学校に入学しました。
我がドロート子爵家は、王都のはずれに邸があるため、私は寄宿舎に入ります。
そのため入学するまでに、身の周りの事は、自分で出来るように訓練しました。
さらに、いずれ爵位を継ぐのなら、領地の人々の暮らしも知る必要があるので、いくつかの農作業の体験をしたのです。
クラスは入学時の成績順だったそうです。
驚いたことに私は、一番成績の良いクラスに入っていました。
周囲は高位貴族の方ばかり。
貴族社会のルールを守って、なるべく目立たぬように失礼のないように過ごします。
少し学校生活に慣れた頃、昼休みに私は、中庭を歩いていました。
花壇には、領地でよく見た黄色い花が咲いているので、ちょっと懐かしくなったのです。
「クリザンティ、好き?」
花壇の縁で花を眺めていると、声をかけられました。
振り向くと、頭に大きなタオルを巻いた、私より頭一つ以上背の高い男性がいました。
膝まである、黒い長靴を履いています。
学校の庭師の方でしょうか。
「クリザンティって言うのですね。地元で良く見た花なので、懐かしくて……」
「へえ、地元って、何処?」
「ドロート子爵領です。わた、わたくし、フローナ・ドロートと申します」
淑女の礼を取る私に、庭師のような方は、慌てて頭のタオルを取りました。
「ああ、これはご丁寧に。僕は高等部のアルバスト。校内の美化を任されているの」
タオルを取ったアルバストという方は、陽に焼けた顔に真っ白な歯をしています。
銀色の髪が肩よりも長く、後ろで一つに縛っています。
控えめに言って、美形です。
「ドロート子爵領っていうと、プラウディ領の近くかな?」
「はい。よくご存じで」
「ああ、そこ出身の友だちいるから」
なんと。世間は、いや貴族社会は狭いこと。
ウルス兄さま、いえ、ウルス様のお友だちでしたか。
「そうそう、ウルスから種もらってね、蒔いたら、こんなにたくさん咲くようになったんだ」
嬉しそうに花を語るアルバスト様につられて、私もニコニコしていました。
「ねえ、君、フローナ嬢。花って好き?」
「はい」
「土いじり、出来る?」
「ええ、領地では、農作業手伝ってました」
「じゃあ、決まり! 君を『中等部お花いっぱいリーダー』に任命する!」
はい?
◇◇
こうして、高等部の先輩に抜擢され、私は週に何度か、花壇の手入れに駆り出されるようになりました。
あとから、アルバスト先輩は公爵子息と知り、一瞬蒼ざめました。
「校内は身分とか関係ないから。君のことをフローって呼ぶから、僕のことは『アル』って呼んでね」
ムリです、先輩。
周囲の高位貴族と思しき、女生徒の目が怖いです。
アルバスト・イルバ様は、第二王子リンツ殿下の側近で、生徒会の副会長です。
「もうすぐ夏が来るけど、フローはどんな花を咲かせたい?」
私が花壇の土を入れ替えていると、アルバスト先輩がふらっと来ました。
「白い花。たくさんの白い花、見たいです」
アルバスト先輩は顎に手を当てちょっとだけ考えて言いました。
「そうか。では、白い花の選択、フローに任せよう!」
丸投げですか。
仕方ないので、勝手に好きな花を植えますよ。あとで文句言わないでくださいね。
よく領地に咲いている、マトリカという白い花に決めました。
甘い香りがするし、花を乾燥させると、お茶として飲むこともできるスグレモノ。
母に種を送ってもらいましょう。
そうして、週に何回かのはずだった花壇の手入れを、私は毎日するようになりました。
花壇の手入れに従事し、『中等部お花いっぱいリーダー』になったことが、その後の人生にどのような影響を与えるのか、私はまだ、知らなかったのです。




