㉝セクシャルお姉さん、婚活す。
芹沢明香音は実家の母からの圧力に根負けし、結婚相談所に登録をした。素直で誠実な人を第一条件に、見付かればいいなくらいの軽い気持ちで相手を待った。
気が付けばもう三十路も半ば。
芹沢明香音は言い得ぬ焦燥感に心身を削られるような日々を送っていた。
このままでは……。
しかしどうする事も出来ない。
明香音は、実家からの脅迫染みた『私もそう長くはないから、ね?』の一言に、ため息を漏らすのであった──。
「本日は御登録の程、誠にありがとうございます」
とある結婚相談所にて、男が女性相談員と相対していた。名を清水政行といった。
28の誕生日を迎えたばかり。まだまだ焦る歳でも無かったが、特に秀でる物も無く、淡々とした日々を送っていた為、結婚するなら早い方が良いのではと思い立ったのだ。
「エントリーシートの御記入ありがとうございます。早速拝見させて頂きますね」
女性相談員は、政行の書いたエントリーシートを一目見ると、ヒクつく眉を笑みでそっと上塗りした。
「御相手様に求める御希望の条件ですが……」
「巨乳で」
政行は出されたコーヒーにガムシロップを二つ入れ、そう応えた。その顔は極めて明るく、とても清んでいた。
「あ、あのー……」
「それ以外に条件は特に無いです」
眩い程の笑顔を向けられた女性相談員は、仕方なくそのままパソコンに向かって条件を入れ始めた。
内心『ココは風俗じゃねーぞ、おい』と怒りが沸いていたが、ときたまこういった会員も無きに在らずなので、仕事上笑顔を繕ってはいた。
が、政行ほど清々しく率直に「巨乳で」と、希望をぶちまけた会員を初めて見るのも確かだった。
システム上は、お互いが希望するステータスのマッチ具合で相手を見付ける仕組みなのであったが、相談員が独自に入力した隠しステータス、主に顔、スタイル、癖、言葉遣い等を加味した結果、政行の前に一人の女性のエントリーシートが差し出された。
「芹沢明香音さん。今年で三十Ⅳ歳の方です」
「おおっ!」
政行はエントリーシートを手に取り、添えられている写真の胸部をまじまじと見つめた。申し分ない、そんな顔だ。
「この方にします! お願いします!」
「分かりました。では御相手の方にご連絡を致しますので、しばしお待ち下さいませ」
女性相談員が奥へ向かい、電話を手にした。
そして明香音に電話を掛けた。
「──もしもし、お忙しい所申し訳ありません。こちら崖っぷち相談所の樋口と申しますが」
女性相談員の樋口は実に頭を悩ませていた。
明らかに体目当ての男を、会わせて良いものかと。
しかし、明香音側の希望としても、多少難ありでも紹介して欲しいとの事だったので、樋口は壁に貼られた自分の営業成績の小っちゃい棒グラフを見て、行ったれと決意した。
「──はい、はい。では日時は後程」
電話は五分ほどで終わり、暇をしていた政行の所へ樋口相談員が戻ると、食い入るように「どうでしたか!?」と、顔を迫らせた。
「はい。オーケーでした。御対面の日時は後程御登録頂きましたメールアドレスの方へお送りさせて頂きます」
「──ッッシャァァ!!」
人目もはばからず、政行はガッツポーズを。
あまりに勢い良くしたものだから、脇腹を肘で強打してしまい、たまらず咳き込んでしまう。
「ゴホッ! ゴホッ! あ、ありがとうございま、した……」
「後程対面の練習をしますからね!!」
政行は脇腹を押さえながら、相談所を後にした──。
初対面当日、とあるカフェテリアにて政行は緊張した面持ちを見せていた。彼女居ない歴=年齢族の政行にとって、女性と二人きりで会うことは、とてもハードルが高かったのだ。
「あのー……」
政行の背中に明香音の声が掛けられた。
胸元の少し開いた、清楚感のあるシャツ。政行は視線が釘付けになった。
「清水政行……さん、ですか?」
「…………」
「あ、あのー」
「あ! えっ、あ、はいっ! 清水政行です! 28です! とぅえんてぃーはちです!」
「初めまして、芹沢明香音です。今日は宜しくお願い致しますね」
明香音は挙動不審な政行を、少しばかり警戒した。
ゆっくりと席に着き、政行の顔を見る。その視線は明らかに胸元へと注がれていた。
「どうして私を?」
「えっ? あー、マッチングが良かったらしいです」
政行は正直にこたえた。
嘘は良くない。それは対面時のマナーとして樋口相談員にされたアドバイスの一つだった。
「エントリーシートになんて書かれたんですか?」
「えーっ……と」
乳のことは言うな。
樋口相談員から固く、とにかく固く言われている。
「特にそう多くは……ハハ」
「そ、そうですか」
「あ、何を頼みますか?」
「んーと……」
対面の場をカフェテリアに選んだのは、明香音だった。
普段カフェテリアに縁の無さそうな政行を試すつもりでいたのだ。
「政行さんは何を?」
明香音は『じゃあ自分も同じ物を』をいち早く防ぐプレイを見せた。
「…………」
政行はメニューを見たまま固まった。
頼み慣れないメニューの数々に、どれを選んだら良いのかさっぱりだったのだ。
いっその事、マッ〇シェイクかモ〇バーガーでも頼んでやろうかと、政行の脳は混乱していた。
「おかわりを」
「まだ何も頼んでいませんよ?」
思わず明香音が吹き出した。
それを見て政行にもようやく笑顔が咲いた。
「すみません、何を頼んだら良いのかさっぱりでして……オススメとかありますか?」
政行は樋口相談員のアドバイス通り、無駄な策を弄さず、素直に、そして率直に問いかけた。
ついでに乳出しOKかどうかも聞こうとしたが、樋口相談員に何を言われるか分からなかったので、止めた。普通に考えてOKのわけがない。
「こうして会うのは明香音さんが初めてでして、緊張してしまってどうにも……」
「大丈夫ですよ。気楽に行きましょう」
樋口相談員のアドバイスの成果もあってか、二人はすぐに意気投合した。
「衣しか無いと思ったら、それカメレオンの唐揚げだったんですよ」
「やだぁ~」
他愛も無い会話で盛り上がり、気が付けば予定の時間を少し過ぎたが、二人とも気にせず笑って別れの挨拶をした──。
「めっちゃセクシャルでした!」
耳をつんざくような声に、思わず眉をヒクつかせる樋口相談員。
電話の向こう、政行の様子はとにかくハッピーだった。
「それはそれは良かったです」
樋口相談員は意外な結果に苦笑いをするしかなかった。明香音から、お付き合いをしても良いとの返答があったからだ。
「くれぐれもスケベ精神を出さないよう、お願い致しますね」
樋口相談員は口を酸っぱく、具体的にはpH1.5くらい酸っぱくして、政行をたしなめた──。
「あの……政行さん」
「ん? なんでしょうか?」
四度目のデートを迎え、政行にも慣れが見え始めていた。今日はホテルのディナーを予約しており、二人の前には温かい食事が並んでいた。
遠くに見える遊園地の観覧車がライトアップされ、やけに綺麗に見えた。
「ずっと言わなきゃと思って居たのですが……その……」
「?」
流石の政行も、明香音から何やら重大な発言があることくらい、予測がついた。
借金だろうか、整形だろうか、それとも余命数ヶ月だろうか。政行の頭の中であらゆるパターンが算出されてゆく。
「私……男の人がずっと苦手でした」
口火を切る明香音の顔を、政行はじっと見つめ、その続きを待った。
「高校の時、付き合っていた彼に無理矢理……それ以降、男の人が信用出来なくなりました」
「…………」
「社会人になって何人かの男性とお付き合いもしましたが、どうしても一線を越えることが出来ませんでした」
「…………」
「こんな……こんな私でも良いですか?」
その顔は明らかに涙ぐんでおり、今にも雫が流れ落ちそうだった。
政行を一瞬だけ、ほんの一瞬だけ『どゆこと?』と思ったが、すぐに、奇跡的に察知を決めた。
「初めてお会いしたとき、明香音さんの服はとても刺激的なものでした」
そっと、政行が口を開く。明香音は俯いたまま耳を傾けた。
「婚活に自信が無かったんですね。体を見せてまで相手に気に入られようとするのは、とても辛かったでしょうに……」
「…………」
「俺からも一つ、良いですか?」
「……はい」
明香音がそっと、顔を上げた。
──カパッ
「こんな俺ですけど、良いですか?」
カツラを外し、政行は涼しげな頭皮をさらけ出した。その顔には一点の曇りも無い。
しかしよく見れば、その頭頂部には光り輝く指輪が鎮座していた。
清水の舞台から飛び散るかのように、政行の心臓は強く鼓動を刻み、明香音の返事を待った。
「ダメです」
明香音は目の前のステーキを口に放り込み、ワインで流し込み早々と席を立つ。
立ち去るヒールの音が、冷ややかなホールに小さく響いた。
「……なんでや」
政行はぽつり、小さく呟いた。
そしてカツラで顔を覆い、すすり泣いた。