㉚アラサー聖女が婚約破棄されるまで。理由は……「酒浸り」ですって?
ある日突然異世界に呼び出され「浄化の聖女」と崇め奉られ、その国の王子に求婚された私。魔物との激しい戦闘やキツイ訓練を努力で乗り越え、それなりに楽しくやってきたのだけれど、2か月前に新たな聖女が呼び出されたことで状況が変わりだした。
これはヤケ酒におぼれた私が裏切られ、「酒浸り」「酒乱聖女」と罵られて婚約破棄になり、聖女改め悪女(?)として国を出るまでのお話。
その昔、世には魔がはびこり、人間は魔物に虐げられるばかりだった。
そこに現れた原初(創造)の聖女は全能の力を持って魔物を退け、倒し、瘴気を祓い、時には清浄な生き物に生まれ変わらせる奇跡を起こした。
やがて聖女と、彼女と結ばれた男は人々が安心して暮らせる地を作り、そこを治めた。
人々は聖女が亡くなるまで幸せに暮らした。
しかしその力は原初の聖女が亡くなる時に幾つもに分かたれ、異世界を含む各地に飛び散ったのだという。
以降、人間は魔物と闘いながら、魔物対抗の切り札として聖女を探す旅や占い、果ては召喚術までも研究するようになった。
これはそんな原初の聖女の力を得た、一人の聖女……いや悪女かもしれない女の物語である。
普段は漆黒の闇の様な夜空も、月に一度はその色が浅く、藍色に近くなる。
それは満月の日の事だ。特に今宵の満月は大きく、赤い。
ここ数か月の間、満月には魔物が王城を襲う確率が非常に高くなっていた――――
* * *
「おいオーカ!! まだ呑むなよ! 絶対に呑むなよ!?」
「えっ、王子、それって『吞んでいいよ』ってフリだよね!」
「フリって何だ!? とにかく呑んだらダメだからな!!」
そう言った私の婚約者、クライヴ王子は私から未開封のワインの瓶をひったくった。チッ。魔物との戦いの前にかけつけ一杯で飲もうと思っていたのに。
「えー、最近私、お酒が無いと調子が出ないんだよね!」
「そう言って一杯を許したら、もう一杯もう一杯となって収集がつかなくなったことがあっただろう!」
「流石に魔物と戦うのにそんな事しないわよ。ねえ、来月には貴方の妻よ? もっと優しくしてよ!」
ふざけ半分で彼の綺麗な金髪に指を通して梳くと、クライヴ王子はとても嫌そうな顔をしてそっぽを向き、私の手から逃れた。
あららら。馬車の中で二人きりとはいえ、遂にそこまであからさまにする様になったのね。
そんなに嫌ならちゃんと段階を踏めば良いのに。……あぁ、もうヤケ酒したいわ。
私は王子の手元にある瓶を恨めしそうに見ていたと思う。
今、私たちは王城を出発して城下町を取り囲む城壁の正門に向かって馬車を走らせている。そしてそこには多分、一足先に向かった守りの聖女のヒナが居る。
ここ最近、満月の夜には魔獣型の魔物がどこからともなくやってくる。出所は西の森かなと思うんだけど、普段は捜索しても魔物の巣みたいな所が見つからないんだそう。だから都度返り討ちしかない。
守りの聖女の力で結界を張り、魔物の侵入を防ぐ。そこに浄化の聖女と呼ばれている私こと、塩谷 桜花が魔物を浄化してやっつけるって算段だ。
どう、と御者の掛け声がして馬車が止まった。
王子が先に降りる。後に続いた私が降りきる前に、守りの聖女サマが群衆を割って飛び出してきた。
「あっ、クライヴ様ぁ~!」
「ヒナ!」
二人は駆け寄り見つめ合う。オイオイ、仮にも婚約者の目の前だぞ。もうちょっと自重しろ!
ヒナ――――染野狩 陽菜と名乗ってた。18歳だそう――――は、以前の私と同じように現代日本からこの異世界へ2ヶ月前に召喚されてきた子。
一方私と言えば、28歳。アラサーである。肌色も髪色も顔の作りもフツーで地味め。以前は全くのフツーの、中小企業に勤めて晩酌を楽しみに働く26歳の独身OLだった。
それが1年半前のある日、突然足元に変な魔方陣が現れて、気づけばこの剣と魔法の世界に召喚されていたの。
もう最初はパニクったわよ。でもなんか聖女サマだとか言われて、祭り上げられて、この世界を救ってくれと言われて、王宮で酒と肴で目一杯もてなされたの。
……うん。この世界、何故か酒とメシが異常に、いっじょ~~~~に旨いのよね。
そんで横にぴたりと寄り添ってお酒を注いでくるクライヴ王子も金髪碧眼でなかなかのイケメンだし。優しくされたら悪い気はしないじゃない?
元の日本に帰れる方法もわからないし(その召喚術って無責任だよね!? もし聖女じゃない人を召喚しちゃったらどうすんのよ!?)まあ、私にできる範囲で協力しようと思った訳。
で、数百年前の伝説によると、原初の聖女サマの力がバラバラになって散ったせいで、聖女サマとやらはこの世界だけでなく異世界も含めた色んな所に居るんだって。
力の種類も強さも様々なんだけど、その力の系統は大きく分けて四つになるそう。
浄化の聖女 … 魔の瘴気を祓い、清め、無垢なる者に還す力
守りの聖女 … 魔の攻撃を無力化し、すべての禍から守る力
力の聖女 … 魔を倒すための圧倒的な攻撃力を付与する力
癒しの聖女 … 魔により傷ついた体と心を治療する力
当時、私は何か黒い靄(今考えると、アレは瘴気だわ)が入った水晶玉みたいなのを触らされて、水晶が透明になったから「浄化の聖女だ!」って事で皆が大喜びしたのよ。
浄化の聖女は四種類の中では一番レアらしい。その次が守りの聖女なんだって。
その日の内に王様に報告が上がって祝賀パーティになって、その翌週にはクライヴ王子のプロポーズがあって、何が何やらの内に私は王子の婚約者になってた。
うん。正直私もお祭り騒ぎに流されていた所もあった。そこは反省してる。だけど流してきたのは王子とこの国の人達だよね?
……なのに。
「オーカ! 何をぐずぐずしている。早く来い!」
その婚約者は今や氷のような冷たさなのよ。
原因はその王子の隣でベタベタしているヒナ。
バリバリの日本人らしいけど大きなお目目に長~くてばっさばさの睫毛、髪の毛はブリーチしてピンクに染め、毛先をしっかり巻いている。健康状態が心配になるくらい肌は白いし手足もほっそりしていて、まあパッと見は日本人離れしたか弱い女の子ってカンジ。
王子は一目で彼女に心を奪われた。
まぁね。わからなくもない。たとえ見た目が同じレベルだとしても、18歳のピチピチのお肌と、最近水を弾きにくくなって小ジワも目立つ28歳のお肌を比べたらクライヴ王子のテンションもダダ下がりだろうさ。
「はいはい」
「なんだその気のない返事は! 少しはヒナを見習え!」
ヒナを見習え? あんなやたらと語尾を伸ばした話し方をしろと?
……まあ、私の素っ気ない塩対応よりは可愛気はあるかもね。でもアラサーがやってたらイタイだけよ。
だけどね? 自分で言うのもなんだけど、私って元々は真面目な性格なのよ!?
「王子の婚約者として、ゆくゆくはこの国の王妃となり皆を守ってくれ」と言われたからこの1年半近く、結構頑張ったつもり。
この街に襲いかかる魔物の数々を倒して瘴気を浄化するだけじゃない。王宮書記官に協力して貰い過去の聖女についての文献を紐解いてみたり、魔術師や騎士団に協力して貰い特訓もした。
おかげで聖女の力は鍛えればある程度は強くなったりコントロールしやすくなる事がわかったの。
まぁ、それでも元々持っている力の強さが大きくモノを言うけどね。実はこの世界でも年に一人か二人は聖女の力を持つ者が現れるけど、大抵は召喚した聖女よりはかなり弱いみたい。だからこの世界の聖女達を集めて、鍛えたり指導までしてあげたのよ。
そうしてこの一年半努力してきた私を「頑張り屋な所が好きだ」とか言ってた王子が、今や「ヒナ、ヒナ~」と目の前でデレデレしているのは正直キッツい。
そりゃー、ついついヤケ酒も進むってもんですよ。あーハイハイ。「酒浸り」とか「酒乱聖女」とか陰口を叩かれてるのも知ってますよ。
そんなにヒナが良いなら、ちゃんと私に詫びて婚約を解消してからヒナと婚約し直せば良いのに。
それにヒナも。王子に媚を売ったり、ご自慢の美しい見た目を維持する努力を、少しでも国を守る事に使うよう変わってくれれば――――
そんな事を考えていた時、突如として夜空を裂くような咆哮が響き渡った。
「魔物だ!!」
騎士団と魔術師団を含めたその場の全員が顔色を変える。
「大丈夫ですぅ! 私が守りますからぁっ!」
甘ったるい喋り方でヒナが皆に向かってバチン☆とウインクをした。マジ? イタくない?
私たちは騎士団に守られながらも、走って正門の外に向かう。かなり遠くから魔物がこちらに向かって駆けてくる。その姿は月明かりでうっすらと見えていた。やはり……
「ヒナ、 魔獣型! 1体単独! 推定10メートル以上!」
そうヒナに声をかけつつ振り返って「ゲェ」と声を出しそうになった。
騎士に四方を固められていた筈のヒナの横に、何故かピタリとクライヴ王子が寄り添っている。
彼女が祈りの形に組んだ手に自分の手を添えて、なんか囁いてるよ。愛の言葉かな?
邪魔! あんた王位継承権第一位の存在でしょ! こんな前線で怪我したらどうすんの! 周りの騎士さんもやりにくそうにしてるじゃん!
ヒナもまんざらでもない顔をしてる。このバカップルめ!!
日に日にアホさを露呈していく王子に、何でこんなやつに惚れたのか……あ、顔か……そういや日本でもホストに少々貢いだ事もあったなぁ……とか場違いな事を考えつつ、既に冷めていた恋心メーターが尚一層急速に下がっていくのを実感する。
そのメーターに比例するように魔物が距離を詰めてきた。……デカイ。全身からは瘴気が漏れ出ているのか、通り過ぎた周りの木が何本か萎れて傾いた。
闇に溶けそうな青鈍色の体毛が月の光を照り返して所々銀色に見える。目は魔物特有の血の色。大きく裂けた口からは白い牙がギラリと光り唾液が滴った。
犬……狼の魔獣型魔物かな。コイツなら真っ向勝負の方が良さそうだ。私はたった独りで騎士団より数歩前に出る。
「ヒナ、プランAで!」
「はぁい!」
城壁の50メートル程外にはこの街をドーム状に取り囲むように聖女が張った結界がある。それを魔獣がビニールか何かのようにアッサリと前足の爪で切り裂く。大きさで予想済みだったけどコイツ相当強いな。
「5秒前、4……」
視界に陰がかかる。魔獣が赤い月を背にして私の前に立ったのだ。ヤツが私に爪を振るおうとした時、計算通りカウントダウンが丁度終わった。
「……1、ゼロ!」