㉙Q 〜憧れと雰囲気だけの名探偵は、華麗な推理にまるっと乗っかる〜
【 通 学 】
「ここちゃん、早くしないと補習に遅れるよ」
幼馴染の九を迎えにきた美波。
「美波は補習ないだろ? ていうか、いつまでその呼び方するんだよ。高2で“ここちゃん”は無いって」
「高2で補習も無いよ。ほら、いい加減起きなさい!」
空はどこまでも高く、蝉の声と太陽が主人公の季節。
そんなある日、俺と美波は悲惨な事件に巻き込まれていく。
学校のある最寄駅に着き、並んで歩くふたり。
すれ違った両手に荷物を持ったお婆さんに九は視線を向けた。
「ばあちゃん、荷物重そうだね。駅まで行くの?」
見かねて声を掛けた九。
「お兄さん。ご親切に声を掛けてくれてありがとう。休み休み行くから大丈夫よ」
笑顔で答えるお婆さんに、とびっきりの笑顔でこう続けた。
「駅まで荷物を運んであげるくらいへっちゃらだよ」
そう言ってお婆さんの荷物を持つと、楽しそうに駅まで向かう九を、美波は呆れつつも見守った。
「いいことしてる。いいことしてるんだけど、残念ながらこのペースだと遅刻決定ね」
お婆さんの歩幅に合わせ、九は急かすことなく歩いている。
その後ろ姿を見ながら美波は……。
「そういうとこ、評価されないよね。ここちゃんは」
お婆さんは持っていたバッグから日傘を取り出すと、九の方へと腕を伸ばした。
「ばあちゃん、今日も暑いね。日傘って意外と太陽を遮ってくれるんだね。初めて知ったよ」
「最近は、男の子も日傘使うんだろ? 日傘男子がどうのって朝のワイドショーで何やら盛り上がってたのを観たよ」
ふたりの間にゆったりした時間が流れた。
しばらくして駅に着くと、荷物をお婆さんに渡し、九は美波の元へと戻った。
「いやー、いいことした。これで補習チャラになるよね」
「ならないよ! で、随分身軽じゃん」
「ちょっとお兄さん! 忘れ物だよ」
お婆さんが、九に向かって呼び掛ける。
「あっ、俺の鞄!」
慌てておばあさんの元に戻る九。
「ばあちゃん、ありがとう。助かった」
「そそっかしいねぇ。大丈夫かい?」
美波はこう思った。
「助けたお婆さんの恩返し早っ!」
「美波、ごめんごめん」
呆れ顔で待ってくれていた美波に九が声を掛けた。
「私はいいんだけどさぁ。補習で遅刻は、先生怒るんじゃないかなぁ」
ちらりと見た九の顔は見事なまでに引きつっていた。
「い、急ぐぞ美波!」
「まったくもう……ちょっと、置いてかないでよ。ここちゃん!」
【 合 宿 】
九と美波が通う星見台高校では、今日から2泊3日の部活合宿が始まる。
しかし、九は期末試験の出来が良くなかった為に、補習という名の地獄の合宿に参加することになったのだった。
「じゃあここちゃん。しっかり頭使ってきなさいね」
「なんで補習と部活の合宿先が同じなんだよ! 騒がしくて勉強集中できないだろ」
九は、ひとり愚痴をこぼしながら補習の行われるという建物に入っていった。
「私も行きますか。美術室からなら、ちょうどこの辺が見えるから、サボってたら携帯鳴らしてやろう」
美波は美術部に所属しており、夏休み明けの展示会に出品する作品を完成させるのが、この合宿の目的であった。
「美波先輩、ここの部分がいつもうまくいかないんです」
「どこ?」
美波は面倒見が良く、後輩達からよく相談を持ちかけられる。
「それはパースがうまく取れてないからだよ。3次元を2次元に落とし込むのは難しいからね。私なら写真に撮って、2次元を参考にするかな」
「なるほど。私もそうしてみます。ありがとうございました」
ふと、窓の外に目を向けると、九が補習を受けている教室が見えた。
「ん? 何見てるんだろう」
九の視線を追った美波は、携帯電話を取り出した。
「テニス部はいいから、鼻の下伸ばしてないで授業に集中……と」
メールを送信した数秒後、キョロキョロと辺りを見渡し、先生に注意を受ける九を確認した美波は、上機嫌で筆を走らせた。
補習合宿者や部活合宿者のために時を知らせるチャイムが鳴る。
「やっと昼休憩だぁ!」
「九! それくらい勉強にも興味持て!」
補習担当の教師に突っ込まれ教室は笑いに包まれた。
お昼は食堂からお弁当を受け取り、自分達の教室で待ち合わせることになっていた。
この時はまだ、これから起こる事件のことなど、想像すらしていなかった。
【 昼 食 】
お昼休憩は1時間ある。
昼食を食べ、雑談をするには充分といえる時間だ。
「美波はちゃんとやってるのか?」
「ここちゃんとは違うからねぇ」
「じゃあ午後は交換してもらってぇ」
「何が、してもらってぇよ。ここちゃんの補習なんですからね」
九と美波が話していると──
「きゃあぁぁぁぁ!」
女性の叫び声が校舎に響き渡った。
「部室の方から聞こえたよな?」
九が美波に確認する。
「うん。ここちゃん!」
「おう! 急ぐぞ」
ふたりは美術部の部室へ向かって駆け出した。
美術室のような特別教室は、校舎の上の階に集中しており、行き来は階段でしか出来ない。
「ここか!」
ドアノブを回し勢いのまま開けた。
「……これは」
「……酷い」
思わず言葉を失ってしまうような光景が眼前に広がっていた。
「……美紗子先輩」
呆然と立ち尽くす美術部3年の岡部美紗子にそっと声を掛けて傍に寄り添う美波。
九は周囲を観察しながら、美波達の脇を通り過ぎていく。
「絵が切り裂かれてる。凶器は……これか」
作品が置かれた大きなイーゼルの近くに、彫刻刀が一本落ちていた。
「美波、先輩を保健室に連れて行ってやってくれ。その間に俺が、この事件の謎を解いてみせる」
落ちている彫刻刀を見つめ、九はひと言──
「謎が語りかけてくる」
【 美術室 】
ひとりになった九は、あることに気が付いた。
「そうか。わかったぞ。これは……犯人がやったんだ!」
まるで閃いたかのような物言いだが仕方がない。
推理力がある訳ではないのだから。
「そうだ! きっとそうだ。犯人がこの事件を巻き起こしたんだ」
そんな九の独り言に、周りにいた生徒は、教室を覗きながら呆れて九の推理を見守っている。
「犯人はこの彫刻刀を使い、先輩の絵を切り刻んだ。そうか! じゃあこの彫刻刀が凶器なんだ」
一向に進展しない推理に、やじが飛ぶ。
「そんなこと誰でもわかるわ」
少しムッとしか表情を浮かべた九は、教室の外に集まっているやじ馬達に言い放った。
「もう分かってるんだよ。俺には犯人が。そう、この事件の犯人は……この学校の中にいた!」
その一言に、やじ馬の誰もがこう思った。
“だろうね”──と。
「俺って凄くない? みんな俺の推理に感心してるんだな」
大きな勘違いをしている九に後ろから声が掛かる。
「ここちゃん、謎は語り掛けてくれたの?」
美波が、また始まった、九の当たり前の出来事をまるで推理したように話す大きな独り言をピシャリと遮った。
「うるさいくらいに語り掛けてくるから大変だよ。で、先輩は?」
「うん。今保健室で横になってる」
「そうか。もう安心だ。犯人はいるんだから。どっかに、まだ、たぶん」
何も解決していないことは、ここに戻ってくる前に気が付いていた美波。
「ここちゃんの推理、今回はここまでなの?」
美波が催促するように尋ねると……。
「いや、きっと俺がまだ見落としている事があるのならば、必ず暴いてみせる!」
「がんばってねぇ」
「犯人が捕まるまでに、俺が必ずな」
最早、なんのこっちゃ分からない決め台詞をきめた九。
犯人が残した証拠である彫刻刀を見た美波は、あることに注目した。
「ここちゃんの持ってる彫刻刀……」
「あん? これか?」
「この彫刻刀って……もしかして」
美波が何かに気付いた。
「ここ見て。ほら、何か付いてるでしょ? これは絵の具よ」
「そうなんだよ。この絵の具、俺も気になってたんだ。綺麗な色だよな」
「そう。綺麗な色。これは、特別に配合し……」
「配合したものなんだ!」
あたかも自分が言い出したかのように振る舞う九。
「ここちゃん、何がどう特別なの?」
美波が九に疑問を投げかけた。
「こんな綺麗な色、俺の絵の具にはない。こういうのって混ぜて作るんだろ?」
「混ぜて作る。そうか!」
美波は美術部全員の作品を見て回った。
「ここちゃんの言うとおり、この色は混ぜないと作れない。そして、犯行に使われた凶器に付着したとなれば、この色を使った作品があるはず。その作品の作者こそが、この事件の犯人よ」
1枚の絵の前で立ち止まる九と美波。
「これが証拠だ!」
指を差しながら自信満々に言いきったのは九だった。
「ここちゃん。そっち違う。こっちこっち」
伸ばされた九の指を掴み、別の絵へと向きを変える美波。
「これが証拠だ!」
まるで何事もなかったかのようにドヤ顔の九。
「ここちゃん、ここちゃん。ちょっと違うと思う」
美波が小声で九に指摘する。周りの生徒は九の的外れな推理に失笑する。たまに的を射ている推理の時もある。
「何だよ美波。今いい感じに謎が解けかけているのに」
ちょっと良いところを遮られる九。
「だから、違うんだって」
「何が?」
毎度のふたりのやりとりを周りの生徒は見守ることしか出来ない。
ただ犯人だけは心穏やかではない時間が流れていることだろう。
「ここちゃん、目の付け所が全く違うよ」
美波が九に呟く。
「真相が推理を後押ししてくれてるんだ。俺に任せて大丈夫。サラッと解決してみせるから」
何故か自信満々の九。
「まずこの絵。ここに注目して欲しい」
真剣な眼差しの九は、絵の一点を指差した。
「これ」
「それがどうかしたの?」
「この絵の作者は、大きなミスをおかしている」
美波も、やじ馬達も、九の言葉に固唾を飲み続く言葉を待っている。
「ここに描かれているこれ。これは…………何?」
「えっ? 何って?」
「いや、これ何かなぁって思って」
「事件と関係無い疑問じゃん!」
見る角度を変えながら、九は謎を解こうとしている。
「気にならない? 何描いたのかのかなぁって」
いつまでもそこに拘る九。
「ここちゃん。謎増やさないで。いい? 彫刻刀に付着していた絵の具は、この絵にしか使われていない色なの。つまり、犯人はこの子」
美波はとある生徒の前に立ち、肩にポンと手を置いた。
「し、知ってるし。ずっとそう思ってたわ。あ〜、何か先に言われちゃったな。残念残念」
明らかに美波に言われるまで犯人が誰か分かっていなかったであろうリアクションは、その場の空気を凍りつかせた。
「全てお話します。私が岡部先輩の作品を切り裂いた理由を」
宇田川愛佳──
美波と同じ美術部の1年生である。
物静かで他人を傷付けるような言動はしないタイプだと美波は言う。
「私は、真希先輩にどうしても勝たせてあげたかったから。いつもいつも岡部先輩が真希先輩をさしおいて当然のように選ばれてチヤホヤされているから、作品をめちゃくちゃにしてやりたかったのよ!!」
当然のように語る愛佳の言葉を全員が何も言わずに見守っている。
部長の岡部美紗子と、藍島真希は良きライバルの関係にあった。
だからといって、お互いをけなすようなことは無く、むしろ切磋琢磨してそれぞれを高みに引き上げていくといった存在だった。
九は一歩前へ出ると、宇田川愛佳へ言葉を浴びせた。
「宇田川さん。君は自分がしたことがどういうことか理解しているのか?」
「迷惑を掛けたと思っています」
「俺が言いたいのはそんなことじゃない! いいか? 君は先輩が実力じゃ勝てないと言っているのと同じことをしたんだ!」
「あなたに真希先輩の何がわかるというんですか!」
感情的に話す宇田川愛佳の前に、遅れてやって来た美術部3年、藍島真希が姿を現した。
「真希先輩……」
宇多川愛佳が、先輩の姿を見てボソッと名前をつぶやいた。
「……事情は聞こえた。謝らなきゃね。私の実力が足りないが為に、愛佳ちゃんにこんなことをさせちゃったんだから……ごめんね」
「違うんです。先輩は……真希先輩は……」
両手で顔を覆い、声を殺すように泣き崩れた。
全てが明らかになった時、扉が開く音がして保健室に行った部長の岡部美紗子と顧問の宮野先生が入って来た。
「今回のことは私の監督不行き届きが招いたこと。宇多川さんは後で私のところに来なさい。岡部さんの希望で合宿はこのまま続行。コンクールに向けた作品を各自で進めていって下さい」
宮野先生は宇多川さんを連れて美術室を出て行った。
「美紗子、平気? 作品……酷いね」
「さっきは驚いちゃっただけ。大丈夫。時間はまだあるから、何とかするよ」
岡部部長と藍島先輩の会話に、九が割って入った。
「例えば切り裂かれた絵を、切り絵の要領で違う物に作り変えるっていうのはどうです? スクラップ&ビルドです」
岡部部長の顔が明るくなり、藍島先輩も笑顔を見せた。
「九君。天才! いつも美波ちゃんから話を聞いてるよ」
そう言うと、九の手を握った二人の先輩は、早速作品作りに取り掛かった。
「何よここちゃん。ニヤニヤしちゃって、だらしない顔」
「おいおい、そりゃあ無いだろう。事件解決したお礼言われただけだし。それに……」
「それに?」
「美波、俺の話してるって言ってたけど、どんな話だよ」
顔を赤らめた美波は、九に背を向けると廊下を早足で進んだ。
「なぁ、美波?」
「もう知らない」
「美波が教えてくれないのなら、美紗子せんぱ〜い真希せんぱ〜い。教えて……」
「ここちゃん!! 先輩方の邪魔しないの!! 美紗子先輩、真希先輩。邪魔しちゃってごめんなさい。静かにさせておきますから」
そう言って美波は九を連れて部屋を出た。
「美波、丸く収まりそうで良かったな」
九は、さっきの出来事なんか無かったかのように美波に話しかける。
「ここちゃん、ありがとう」
「謎が俺に語りかけてくれたし真相が俺の背中を押してくれたからな。無事解決できて良かったよ」
「もう、ここちゃんたら。そういう事にしておこうか」
「なんだよ、そういうことって」
「だからそういうことだよ」
そう言って前を向いて歩き出す美波の後ろを追いかけるようにして九も歩き始める。
「ここちゃん、補習は出なくていいの?」
美波の一言に
「やべっ! 忘れてた」
教室に向かって全力疾走していく九を笑って見送る美波の姿が、いつもの日常が戻ってきたことを物語っていた。




