㉘大変なこと
【注意】ホラーではありませんが、お食事中に読むのはおすすめしません。
それは七夕祭りも終わった頃でした。
清士朗は田舎の道をひとり、風呂敷片手に、おばさんの家へ向かっていました。枇杷がたくさんなったから、おすそ分けにいって、と言いつけられたのです。
広い空は茜色。帰りは紫紺に星がまたたく頃になるでしょう。「明日になさい」と言われたのですが、清士朗は押しきって家を出てきました。明日は友だちと虫捕りの約束があるからです。
一本道の両脇は、背丈ほどに伸びた夏草が青々と茂り、そこここに待宵草の黄色や昼咲月見草の儚げな薄桃色、藪虱の泡のような白が見られるのでした。草むらのどこかで、りぃん、りぃん、と鈴虫が鳴いています。
道の片側は広い広い草原です。その向こうにはこんもりとした雑木林。視線を横にずらせば、黒っぽい屋根の連なりが見えます。おばさんの家はそちらの方角で、一本道を進むだけです。でも、草原を大きく回り道をするので、どうしても時間がかかります。
草原をつっきれば早いのですが、大人たちは草原に入ってはいけないと言います。草原にはヘビがいるからだそうです。でも、清士朗はヘビなんか一度も見たことがありません。
サァッ、と少し強い風が草原を撫でていきました。少しだけ、草の色が濃くなった気がします。
まだおばさんの家まで半分も歩いていません。
清士朗は急に不安になって、枇杷の入った風呂敷をキュッとにぎりしめました。風呂敷に赤く染め抜かれた達磨の難しそうな顔は、無謀にも黄昏時に飛び出してきた清士朗を「それ見たことか」と咎めているようです。
空は茜色半分、紫紺半分。足を止め、くるりと草原に向き直った清士朗は、心を決めました。
草原を通っていこう。
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さり、さり、と草をかきわけて急ぎ足で進みます。草で見えませんが、地面は石ころだらけで、しょっちゅう転びそうになります。
でも、急がないと。
足元ばかり気にしていたからでしょうか。あっ! と思った時にはおそく、枇杷の入った風呂敷を草に引っかけて落としてしまいました。
草の下をのぞきこむと、緑の合間に小さく達磨柄の赤色が見えます。清士朗は拾おうとしゃがみこみ、顔を引っ掻こうとする草に思わず目を瞑り……
「あ、あれ?」
目をあけると、あたりの景色はガラリと変わっていました。
地面から何本も何本も、緑の太い木が天まで届けと伸びています。空はそれらに遮られて、さっぱり見えません。地面に目をやれば、灰色の岩があっちにもこっちにも、ゴロゴロと転がっています。
「ここ、どこ?」
さっきまで草原にいたはずです。こんな高い木はありませんでした。
それに、その木には葉っぱがありません。太い幹がずぅーっと上の方までのびて、緩やかなカーブを描き、枝先を垂れているのです。竹に似ていますが、葉っぱが一枚もないのは変です。
首をかしげながら清士朗はクルリとふり返って、ひゃあっと尻もちをつきました。
だって、家ほどもある、大きな大きな赤色オバケがギョローリ、おそろしい眼で清士朗をにらみつけていたのですから。
「わ……、わ……」
あんまりこわくて口をパクパクしていたところに、ポンと肩を叩かれたのだからたまりません。清士朗は「ぎゃっ」と叫んでピョンと跳びあがり、またペタンと尻もちをついてしまいました。
「あらあら。なんてことかしら」
頭の上で声がしました。顔をあげると、清士朗のすぐ後ろにカンテラを持った女の人が立っています。
「人間はここに来ちゃいけないのよ」
彼女は諭すように言いました。
とても美しい人です。ふんわり広がるスカートは新雪のような真白。髪も眉も、大きな黒目をふちどる睫毛も純白。肘までおおう手袋だけがあでやかな赤色で、白い服によく映えます。
「人間?」
清士朗が聞き返すと、女の人は持っていたカンテラで、清士朗の後ろを照らしました。そこにはあの大きな赤色オバケと、なにやら大きなオレンジ色の丸いものが転がっています。清士朗はその丸いものに見おぼえがありました。
「あれは……ひょっとして枇杷?」
目をまん丸にする清士朗に、女の人はうなずきました。
「あなたは小さくなってしまったの。この草原に入ってしまったから。元に戻るには、幻の金色を見つけないといけないわ」
「ええっ!」
たいへんなことです。自分の体が枇杷より小さくなってしまうなんて。
「その幻の金色は、どこにあるの?」
すがる思いで聞きましたが、女の人は気の毒そうに首を横にふるばかり。
「そんな……」
清士朗は不安でいっぱいになりました。元に戻れなかったらどうしましょう。もう家に帰れないのでしょうか。
草原の中は暗くて、おなかも減ってきました。今ごろ、家では夕飯の時間でしょうか。家族は、戻らない清士朗を心配しているでしょうか。
「助けになれなくてごめんなさい。でも、代わりに灯りをあげましょう」
女の人は慰めるように言うと、清士朗に温かな光の漏れるカンテラをくれました。六角錐の火屋の中で、月の光を思わせる柔らかな白い火が燃えています。辺りがほんの少し明るくなって、清士朗は少しだけ元気を取り戻しました。
「ありがとう。あれ?」
女の人の姿が消えています。さっきまでいたはずなのに。カンテラを掲げてみましたが、どこにも姿が見えません。
「どこに行っちゃったんだろう」
キョロキョロする清士朗の動きにあわせて、カンテラの白い火が揺らめき、キラキラと光の粒をふり撒きました。真珠を砕いたような光の粒が照らしだしたのは、ギザギザ葉っぱの屋根とモコモコのネオンサイン。
『Blanch Measure Tailor』
「お店?」
こんなところにお店なんて、あったでしょうか。暗闇の中に、カラフルでおしゃれな文字が踊ります。入口からそっと中をのぞいてみると、目にも鮮やかな布地がずらーり。
「ようこそいらっしゃいませ、お客さま」
扉が開いて、小柄な店員が清士朗に恭しくお辞儀をしました。
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「さあさあ、どうぞ。ごらんくださいまし。このハラゲのチビめがご案内!」
清士朗をむかえたのは、チャコールグレイのスーツ姿の店員です。
一見地味な格好ですが、小さな彼はオシャレなんですよ? 複雑な織り模様のスーツに毛皮の腹巻きを合わせる大胆さ。袖や裾には、さりげなくフリンジがついています。
「こちらナミナミ織りの新作、こちらはインパクト絶大の大目玉プリント、そしてこちらは贅沢な逸品、水蝋織りの一点モノ! アンダーシャツもございますよ? いかなる翅にも合う海老柄。お色も白黒のモノクロームから金黒のトラ柄、幻想的な夕闇色も人気がございます!」
お客さんを前に布地を次々と広げ、得意げにセールストーク。
「ドレスを新調したいの。白と黒で私に合う優美なドレス」
ふさふさキツネ襟巻のお客さんが店員を呼びました。
「これは梅枝のお嬢様! こちらのマダラ染めはいかがでしょう? 緑濃い梅の葉によく映えるかと」
勝手に尺を取る魔法のメジャーでちょいと採寸、ハサミでチョキチョキ、ちくちく縫って……あっという間に、白黒マダラの優美で儚げなドレスができあがります。
「私はビロードがいいわ。大人でシックなドレスがいいの」
「はい! ただ今!」
あちらへヒラヒラ。こちらへヒーラヒラ。店員は大忙しです。