⑲悪魔になった人間
悪魔を呼び出した男。人間に絶望したという男の望みは悪魔となること。悪魔になった男が人間界に仕掛ける策とは。
ある男が悪魔召喚の儀式を行った。呼び出された悪魔は男に問いかけた。
「お望みは何でしょう。お金ですか。地位ですか。それとも美女をご所望ですか」
「私を悪魔にしてほしいのです」
「何だと」
目を丸くする悪魔に、男は真剣な顔で頼み込む。
「人間社会ではストレスとコンプレックスばかり。悪魔になってこの世をめちゃくちゃにしてやりたいのです」
「ほう、面白い。人間の立場からの意見なら、より効果的に悪を振り撒くことができるだろう」
悪魔が手を振るうと、男に蝙蝠の羽根と先の尖った尻尾が生えた。
「半月後に悪魔の会合がある。それまで悪魔の世界のことを教えてやろう」
「よろしくお願いいたします」
男は悪魔に色々と教わり、半月後、二人は崖の上の古城へとやってきた。
「諸君、久しいな」
「知らん奴を連れているな。そいつは誰だ」
「私は悪魔の皆さんに憧れて、人間から悪魔にしてもらいました。どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「そうかそうか」
「しっかりやれよ」
「ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げる男に、集まっていた悪魔たちはまんざらでもない顔をした。自分を慕う後輩というものに、悪魔とて悪い気はしないものだ。
「では会議を始めよう。議題はいつも通り、いかに人間たちを混乱に導くか、だ」
すると列席した悪魔たちはめいめいに口を開いた。
「やはり貧富の差を拡大させて奪い合わせるのが有効だろう」
「とびきりの美男美女を生まれさせ、愛欲と嫉妬に陥らせよう」
「希少な資源を掘り当てさせれば、争いの元になる」
「あまり不自然なことをすると、神や天使の介入を招くぞ」
「それが厄介だ。どうしたものか」
革新的なアイディアは出されず、これまでに成功した例を並べるばかり。それは新しい提案をして失敗すれば、責任を問われることを知っているからだ。
「おいお前、何かいい案はないか」
話が停滞したところで、男に話が振られた。
「そうですね」
男は少し考えてこう言った。
「人間の最も醜いと思う部分は、自分さえ良ければ良い、という自分勝手な感情です。これを増幅させてはいかがでしょう」
「おお、確かに言う通りだ」
「さらに知能を高めましょう。賢い者の方が、より悪辣なことを考えるものです」
「うむ、そうだな」
「しかし一部の者だけがそうなると、人間はそいつらを排除してしまいます。世界中の人間を一斉に自分勝手に、しかもずる賢くする必要があります」
「大きな話になってきたな。わくわくするぞ」
「神や天使に気づかれないよう、少しずつ進めていきましょう。数年で知能の高い人間たちが欲望に任せて奪い合う世界が実現するかと」
「素晴らしい。さすがは元人間だ。諸君、この提案に従って行動しようと思うがどうだろう」
議長の言葉に、悪魔たちは拍手で応えた。この流れなら、成功したら全員の手柄、失敗したら男のせいにできる。こうして悪魔たちは世界中に散らばり、少しずつ人間の自分勝手な気持ちと知能を高めていった。
「こんな遠大な計画は初めてだな」
「結果が楽しみで仕方がない」
悪魔たちは時折会っては計画の成果に胸を膨らませていた。しかしどうにもおかしい。人間の犯罪や戦争が目に見えて減っていたのだ。
「どうなっている」
「人間は自分勝手になっているはずだ。確かめなければ」
悪魔が一人の人間の前に姿を現した。
「何ですかあなたは。ははぁ、悪魔という存在ですね」
「おお、理解が早い。あなたの願いを叶えにきました。さぁ望みを仰ってください」
「いえ結構です」
「どうしてですか。何か望みはあるでしょう」
「望みは平穏に生きることです」
「そんな志の低い。大金持ちになりたいとか、高い地位に就きたいとかあるでしょう」
「何を言うのです。人に羨まれるような生活をすれば、どんな災難に遭うかわからない。最低限生きるために必要なものさえ得られれば、後は貧富の差を減らすために寄付をします」
「そんな。それはまるで聖人のような行いだ」
「奪われるものを減らし、狙われる確率を減らすのは常識です」
「ならば結婚はどうです。心優しい絶世の美女をご用意いたしますよ」
「結婚は目立たないためのものでしょう。私は平均的な女性と半年後に結婚が決まっています」
「ではあなたの望みは本当に平穏に生きることだけなのですか」
「何を驚くのです。自己保存本能は生物の最大の欲求でしょう」
「ならば不老不死の身体など欲しくはありませんか」
「不審に思われて研究などされたらことです。どうぞお引き取りください」
追い返された悪魔の報告を聞いた悪魔たちは、想定外の事態に困惑した。
「何ということだ。自分勝手な気持ちと知能を共に高めた結果、自分の安全のために欲望を抑え込むようになるとは」
「しかも世界中で行ったせいで、どこもかしこも聖人だらけだ」
「貧富の差も格差も格段に少なくなってしまった。これでは戦争や革命どころか、日常の嫉妬や逆恨みも起こらないぞ」
悪魔たちの怒りは、男へと向いた。
「あの人間あがりのせいだ。あいつを追い出せ」
「それがいい。あの聖人の中ではさぞかし苦労をするだろう」
「やめてください。あんな世の中には戻りたくない」
「うるさい。せいぜい苦しむがいい」
羽根と尻尾を奪われた男は、地上へと追い返された。溜息をついた男の元に、純白の天使が光に包まれながら降りてきた。
「大天使様、お見事にございます。悪魔の力を使って地上に平和をもたらすとは。神様もお喜びです。さぁ天界に帰りましょう」
天使から輝く輪と純白の羽根を受け取った男は、天界へと飛び立ちながら、地上へ悲しげな視線を送った。
「戦争はなくなり格差も減った。だがそれはお互いを信じず、自分のことしか考えなくなったからだ。私は人間を救ったのだろうか。お互いを信じ合う未来を奪い、悪魔に変えただけではないだろうか」




