報告94 触媒の喩えかた
【1】
私が帰宅しているその頃、水上は大塚と一緒に帰っていた。ついこの間までは、私と合唱練習をしていたため、私と帰っていた。大塚は、その変化を感じ取ったのだろうか、水上に尋ねた。
「ねー。千歳ちゃん。最近、つまんなさそうだよ?何かあったの?」
水上は、ムスッとしながら大塚に言った。
「そんな事ないよ。」
「でも、顔に出てるよ。」
「………。」
水上は、深く深呼吸をしたまま、黙ってしまった。それでも、大塚は水上に話しかけた。
「…北沢くんと何かあったの?」
「別に何でもないって言ってるでしょ!!!」
水上は、思わず大きな声を出してしまった。場の空気が重たくなる。しばらくして水上は、小さな声で大塚に言った。
「…ごめん。大きな声出ちゃった。本当にごめんね。」
水上は、そう言うと走ってその場から逃げ出してしまった。
「待って!!」
大塚は、水上を呼び止めようとしたが、彼女を止める事ができなかった。大塚は自分に無力さを感じ、その場で立ち止まってしまった。その時だった。
「大塚。何やってんだ?」
大塚が振り返ると、そこには大崎が居た。
「大崎くん…。」
「なあ、大塚。少し時間あるか?話したい事があるんだけど。」
「え?」
「ちょっと前に、水上が公園のベンチで1人で座ってた事があってさ。北沢の話になったんだよ。そのときあいつ言ってた。「そっか、私、仲間が欲しかったんだ。」「私なんかが…柄じゃないよね」って。上野から聞いたんだが、水上は北沢の事が好きなんだろ?だから、2人の間で何かあったんじゃないかと思って。」
「そっか…そんな事があったんだね。」
「で、大塚は何か知らないのか?」
「ううん。何も。」
「そうか…。ともかく、北沢の事だ。水上に酷いことを言ったってことは、まずないだろう。(あの人、あの姿になってもずっと先生だし。)だから、お互いにすれ違いでもあったんじゃないか?」
「そうかもね。とにかく、千歳ちゃんが落ち着いたら、私も話を聞いてみるよ。ありがとう、大崎くん。」
「俺も、あの2人には借りがあるからな。少しでも返したいのよ。んじゃ、なんかあったら言えよ。」
大崎は、そう言ってその場を立ち去った。
【3】
一方で、水上は帰宅後、自分の部屋でうずくまっていた。そうしていると、傍に置いてあったスマートフォンから着信が鳴った。水上は、その相手を確認すると慌てて電話に出た。
「もしもし、塚ちゃん。さっきはごめん。」
電話の相手は、大塚だった。大塚は、水上に言った。
「千歳ちゃん。私も変なこと聞いちゃったね。ごめんね。」
「違う!塚ちゃんは悪くないの!…愚痴を言ってもいいかな…。」
「…いいよ。いくらでも聞くよ。」
「北沢のやつさ…私と一緒に帰ってくれるけど、なんかさ…話が進まないよ。」
「進まない?」
「あいつ、私に言ったんだ。「彼女いらない」って、それ聞いたら、今まで私が頑張った事って…。…私、ただのバカじゃん!」
「千歳ちゃん…。」
「でもね、そう思った途端、私、急に冷めちゃってさ。北沢のこと、どうでも良くなっちゃった。」
「本当に?」
「うん。ビックリするくらい。だから、自分でも戸惑っちゃって…。イライラして…。本当に何やってるんだろう。」
「それって、まだ、諦められないって事じゃないかな?」
「どうなんだろう?私、わからないよ…。」
【4】
次の日の放課後、その日も水上は相変わらずいつもの調子だった。クラスの人間関係もこのままダラダラと変化する事なく当分続くだろう、そう思っていた。だが、この日、事件が起こったのだ。合唱練習が終わった後、大塚は田端に呼び出された。別の空き教室に移動したため、そこには大塚と田端の2人しか居ない。大塚は、田端に聞いた。
「田端さん。一体どうしたの?」
「ごめんね。忙しいのに時間とってもらって。聞きたいことがあるんだ。」
「うん。」
「あのね…水上さんの事なんだけど…。」
「千歳ちゃんがどうしたの?」
「その…水上さんって、北沢くんのことまだ好きなの?」
大塚は、この時点で雲行きが怪しくなっている事を感じ取っていた。しかし、だからといって、それは可能性の域を出なかった。そうである以上、正直に話すべきだ。大塚はそう思ったのか正直に田端に言った。
「う〜ん…。よく分からない。何でそんな事を聞くの?」
大塚はそう言うと、田端の口から最も恐れていた事を聞かされることになった。
「こんな事を大塚さんに言うのも、その…アレなんだけど…。私…私ね…北沢くんのことが好きなんだ…。」
田端のその言葉は、大塚の思考を停止させるには十分だった。田端は続けて言った。
「もちろん、水上さんが北沢くんの事、好きなのは知ってるよ。大塚さんが相談にのってたことも知ってる。」
「どうして、私に相談したの?」
大塚は、田端に尋ねた。
「水上さんが、北沢くんのことを好きだから諦めてた。でも、最近の水上さん、北沢くんに興味ないって感じじゃん。だから、大塚さんに水上さんの気持ちを聞きたくて。本当は本人に聞くのが一番いいのは、わかってる。こんな事、聞いて本当にごめんね。」
大塚は、田端に言った。
「ごめんね。私も、今の千歳ちゃんがどう思ってるのかは、わからないよ…。」
「そうだよね。大塚さんに話したら、ちょっと勇気出て来た。私、水上さんにちゃんと聞いてみる。」
「う…うん。じゃ、私帰るね。」
大塚は、複雑な気持ちを含みながら返事をして、逃げるようにその場を立ち去った。
大塚が小走りで、下駄箱に向かうと1人の生徒に声をかけられた。
「大塚…大変だったな。」
「え!?上野くん!?」
大塚に話しかけたのは、上野だった。上野は、大塚に言った。
「すまん。たまたま、教室を通った時に、会話…聞こえちまった。」
「そう…。」
大塚は、そう呟きながら、暗い顔をしながら下駄箱から靴を取り出す。
「…大塚。お前、やっぱりいい奴なんだな。」
「…え?」
「あんな事、ほとんどのヤツは面白がって野次馬に徹するんじゃないか?でも大塚は、今、本気で悩んでるんだろ?」
「上野くんも、面白がってる人?」
「いいや。大塚と同じ気持ちだよ…。」
大塚は、下駄箱に上履きを戻す手を止めて、溜めていたものを吐き出した。
「私…どうするべきなのかな…。」
彼女の手は震えていた。
「俺にも分からない…。」
このとき上野は、そう言ってあげることしか出来なかった。
【5】
次の日の休み時間の事、いつも私は、水上、大塚、上野の3人と過ごすことが多い。この日も例外なく3人と過ごしていた。上野が私に質問して来た。
「なぁ、北沢。さっきの理科の授業で〝触媒〟って出て来ただろ?あれが、よく分からないんだけどさ。」
「触媒か?化学反応のスピードを早めるが、それ自身は変化しないものを触媒って言うんだ。中学校で学ぶ触媒として代表的なのは、二酸化マンガンだな。」
「分かりづれーよ。なんか、いい例え無いのか?」
「そうだな…。じゃ、こう言うのはどうだ?
あるところに、両想いの男女が居たとしよう。仮に男の子をAくん、女の子をBさんとしておく。この二人は、一般入試を受ける予定で、受験が終わったらBさんは、告白しようと思っている。
ここに、推薦入試で既に合格をもらっている、Cさんがやって来たとしよう。突然、CさんがAくんに告白する。しかも、Bさんの目の前で。そしたらBさんはどうする?」
「………。」
上野は、何も言えなくなってしまった。それは、私の質問が理解できなかった訳でも、質問の答えが分からないわけでも断じてなかった。私は、何も言わない上野に対して、仕方なく答えた。
「Bさんが焦って告白するよな。そうするとAくんとBさんは、そのままカップル成立!Cさんは、そのままって訳だ。このとき、Cさんは彼氏持ちにならなかったにもかかわらず、AくんとBさんの告白のタイミングを早めてしまった。こう言う働きをするものを触媒と言うんだ。」
「…お…おう…。」
私が説明を終えたそのときだった。教室の入り口から神田が顔を出して私に言った。
「北沢!飛田先生が探してたぞ!」
「わかった。今行く!!」
そう言って私は、立ち去った。大塚と上野は、私が教室から出て行く様子を確認すると、お互いに目を合わせながら呟いた。
「……胃が痛い。」
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