報告61 新学期に行う学級活動
【1】
夏休みが終わり、二学期が始まった。生徒にとって、夏休みが終わると言うことは、あまり望まれない大きな変化である。しかし、私にとっては、夏期講習から解放され、平穏な日常が戻ってくる以外の何物でも無かった。
とは言ってみたものの、心配なことはある。その一つが、北野の件である。かつての私を苦しめた元凶が彼女であると知った今、私は一学期の時のように振る舞うことが出来るのだろうか。ただでさえ、私は北野とトラブルを何度も起こしている。私の振る舞いが変わらなかったとしても、彼女がどんな行動をして来るのかも予想がつかない。そんな、漠然とした不安に私は駆られていた。
私は、きっと不安そうな顔をしていたのだろう。席について、考え事をしていると、上野が声をかけてきた。
「北沢、大丈夫か?」
上野は、顔を傾け、私の顔を覗き込むようにして語りかけてきた。その仕草を見て、私は初めて、自分が俯いている事に気がついた。私は、心配をさせまいと上野に言い訳をする。
「ああ。昨日夜更かししてな。少し眠いんだ。」
もちろんこれは嘘である。私がそう言うと、上野は納得したのか、表情が和らいだ。しかし、私の嘘を見抜いている者もいた。
「でも北沢くん。朝の時間は、いつも手帳を見てるか、勉強してるか、誰かと話してるかしてるよね?本当に眠いだけなの?」
そう言ったのは、大塚だった。全くもって大した洞察力だ。もっとも、それでも私は、ただ眠いだけと押し通したのだが。
間も無くして、北野が教室に入って来た。それを察知した生徒たちは、一斉に自身の座席に着席する。私は、教壇に向かって歩く北野の様子を見ていた。改めて北野を見ると、当たり前ではあるが、やっぱり高幡そのものだった。なぜ、今まで気づかなかったのだろうか…。いや、流石に無理か…。そう思いながら次に私は、隣の机をなんとなく眺めた。その時、私は初めて気がついたのである。
高田がいない………。
【2】
高田が急遽、転校した事を知ったのは、始業式が終わり、教室で学活の最初に北野が説明をした時だ。夏休みに出かけたプールで、高田が悲しそうな顔をしていた事、電車の中で上野に話していた事、その理由が今になってようやくわかった。彼は、気を使って、結局私に何も告げず転校してしまったようだ。おそらく転校の原因は、親の転勤だろうが、受験生の子どもがいるにもかかわらず、転勤させるとは、上司も会社もいい神経をしている。ある意味パワハラである。
さて、話を戻すと、彼が転校した事によって、このクラスでは一つ問題が発生する事になる。さっそく北野は、その問題を解消するために、全員に提案をした。
「高田くんが転校した事で、男子学級委員が欠けてしまいました。今日は、残りの時間で新しい男子学級委員を決めたいと思います。」
そう。高田は、このクラスで学級委員を務めていた。その欠員を埋めなくては行けないのだが…。
誰も手を挙げない…。
それもそのはずである。「大切な受験期に学級委員の仕事をしたくない。」と言うのは自然な考えである。ましてや、このクラスの担任は、説明するまでもなく面倒くさい人物である。そのクラスの学級委員など、誰もやりたいはずがない。私たちは、誰も手を挙げず不毛な沈黙を続けたのだが…。その沈黙を破るものが現れたのだ。
「これでは、決まらないので、投票で決めるのは、どうでしょうか?」
ある男子生徒が、立ち上がりそう発言したのだった。彼は、神田という名前の生徒で、言ってしまえば北野のお気に入りの生徒だった。皆の予想通り、その意見は採用され、投票が行われる事になった。投票することが決まるや否や、北野は忍ばせていた投票用紙を配り始めた。ここまでは、彼女の筋書き通りらしい。全く白々しいことをするものである。それに、神田も得意げな顔をしている。彼は、自分が学級委員になるとでも思っているのだろうか。というか、立候補すればいいだろ。実力で勝ち取りたいのだろうか?この年の子どもは時々わからないことをするものである。
さて、私は誰に投票をしようか…。転校してきたばかりの私に気さくに声をかけてきた、上野の名前を書くべきだろうか?いや、それは違う。彼は、去年まで英語の成績が悪く、北野に痛い目を見させられてきた。彼にこのクラスの学級委員を、しかも大切な受験期に任せるなど酷だろう。となれば、学級委員になっても対して傷つかない人物にやってもらうべきであろうか…よし!私は、投票用紙に神田の名前を書き提出した。
【3】
いよいよ、開票だ。女子の学級委員である田端が投票用紙を読み上げ、北野は黒板に得票数を書き込み始めた。
「次、神田くん…。次、神田くん…。その次も神田くん。」
田端は機械的に神田の名前を連呼していく。私と同じことを考えている者が多かったのだろう。順調に神田が得票数を稼いでいる。神田と北野は満足そうな笑みを浮かべていた。「もう勝手にやっていてくれ。」そう思った矢先だった。
「次、神田くん…。その次、北沢くん。」
…!?私に衝撃が走った。今年転校してきた私に投票をした者がいたと言うのか?その後も田端は、読み上げていく。
「次、北沢くん…。次、北沢くん…。北沢くん。」
私の得票数が次第に増えていく。次第に、北野の表情が曇り始めた。このままの勢いであれば、私の得票数は、神田の得票数を上回ってしまいそうだ。それだけは、何としても避けたいのだが、結果は残酷だった。
「それでは、新しい学級委員は北沢くんに決まりました。」
拍手が教室の中に響いた。それは、私に対する賛辞なのだろうが、私にとっては惨事以外のなにものでもなかった。北野は明らかに不機嫌な顔をしている。投票の結果を全く認めている様子がなかった。また、この女と仕事をしなければならないと言うのか。私は、強い絶望感でいっぱいになった。
【4】
その日の放課後、帰宅する準備をしていると神田が話しかけてきた。
「お前、教科書とノートを持って帰らなくて良いのか?」
よくよく考えたら、彼が私に話しかけてきたのは初めてかもしれない。それにしても、なぜ私に話しかけてきたのだろうか。私は、彼に返答した。
「別に、教科書もノートも持ち帰る必要がないからな。」
私は、どうやら彼の目の敵にされてしまったようだ。彼は、私の発言に過敏に反応して言った。
「そんなの勉強しないだけじゃん。何で、お前みたいなのが学級委員なんだよ!」
私は、冷静にツッコミを入れた。
「なら、立候補すればよかったじゃないか。誰も反対しなかっただろうに。」
「それじゃ、意味がないんだよ!」
変わったやつだ。普通なりたければ自分から立候補すれば良いのに。私は、そのまま思ったことを口にした。
「…変わったやつだな。」
私がそう言うと、彼はそのまま立ち去ってしまった。
私がその様子を見届けた後、上野たちが私の元にやって来て声をかけてきた。
「北沢、お前大丈夫か?お前、夏休み前に北野と揉めて大変だったんだろ?」
上野は相変わらずド直球に質問してきた。普通は気を使うべきだろうが、なんだかありがたく感じる。次に大塚が私に言った。
「でも、北野先生と揉めたこと詳しく知ってるのって、私達だけだから…。だからみんな北沢くんに票を入れちゃったんだよ。北沢くんのこと信頼してるから…。何もできなくてごめん。」
大塚は悔しそうな顔をしていた。そんな顔しないでくれ。だが、こんな私にも心配をしてくれる、クラスメイトができたとは…。最後に水上が声をかけてきた。
「何かあったら言ってよ。飛田先生に相談するから。」
私は、3人に言った。
「何とかやってみるさ、」
そう強がってはみたが、私の顔は明らかに引き攣っていた。
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