報告59 夏の定番についての考察
北沢先生の用語解説
フィボナッチ数列とは
前の2つの数を加えると、次の数になる数列のこと。計算自体は単純なため、中学入試によく出題される。
ちなみに、一般項を出すとなると話は別で、特性方程式の特殊解が無理数になる三項間漸化式であるため、計算が複雑である。
【1】
次の日の昼頃、スクールの業務が終わり、事務室で休憩していた私は、スマホの画面を見ながら確認をしていた。ちょうどそのタイミングで、桜が私に話しかけて来た。
「先生、お疲れ様です。千歳から聞きました。明日、遊びに行くんですってね。」
彼女はそう私に聞いて来たが、明らかにそのことを前々から知っている様子だった。私は、機械的に返事をした。
「ああ。そうなんだ。日中にプールで遊んだ後、夕方は花火を見に行くそうだ。これから、準備に行かないといけないですね。」
「準備ですか?」
桜は首を傾げながらそう言った。
「レジャー用の水着を持ってないですからね。ついでに服を買い足そうかと思っています。」
「洋服ですか?…というか先生。洋服どうやって選んでるんですか?」
桜が私にそう尋ねると、私はカバンから雑誌を取り出して、桜に見せた。
「中学生の服装なんて私には分からん。仕方ないから、雑誌を読んで無難なものを選んでます。」
「40にもなる人が、10代向けのファッション雑誌読んでるwww」
桜はそう言いながら、笑いを堪えていた。私は、少しムッとしながら言った。
「これでも必死なんだが!?」
「そうですよね。笑ってすみません。楽しんできて下さいね。なんといっても、夏の定番ですから!千歳をよろしくお願いしますね。」
彼女は、そう言い残し、持ち場に戻って行った。
【2】
次の日、夏休みも後半に差し掛かっているものの、まだまだ厳しい暑さは続いていた。待ち合わせの駅前では、大勢の人が日陰で待ち合わせをしている。私はその様子を眺めながら、駅を出て待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせ場所に指定した、場所には上野が本を読みながら座っていた。私が彼を見つけると同時に、彼もまた私に気づき手を振って来た。
「よお、北沢。お前結構早いな。」
「上野…何分前から居るんだ?」
「いやー。今日が楽しみでさ。30分早く来ちゃった。」
「その本は…問題集か?」
「ああ。英語の読解の本。隙間時間が勿体無いからさ、勉強してたんだ。」
彼は、本当に成長した。初めて会った頃は、英語に散々苦しめられていたというのに…。そんな彼が、苦手を克服し、気がつけば隙間時間に勉強までしている。受験生を指導していると、「その生徒がどの程度の成績まで上がるか。」というのが大体読めてしまうが、ごくたまに予想を遥かに超える成長をする者がいる。彼もまた、そのタイプの生徒だったようだ。しみじみ、そう思っていると他の参加メンバーが次々と待ち合わせ場所にやって来た。
「おはよう。2人とも早いね。後は、大塚さんと水上さんだね。」
そう挨拶をして来たのは、高田だった。どうやら、上野が同じ部活の友人ということで、彼を誘ったらしい。彼は、クラスで学級委員を務め、転校して来たわたしにも、積極的に声をかけてくれた人物だ。絵に描いたような、イイやつなのである。実際のところ、子どもの頃の私とは、無縁の存在である。それ故に、そんな彼が、普段はどんな振る舞いをするのかを見る事が、今回の楽しみの一つだった。
上野が、高田に挨拶を返す。
「おはよう高田。いやー、最初は誘っても来ないんじゃないかと思ったよ!」
「受験勉強は大切だけど、最後の夏だ。…思い出も作らないとな。」
上野の挨拶に対して、高田はそう返した。なぜか、その表情には、切なさが見え隠れしているように思えた。
それから間も無くして、大塚と水上がやってきた。
「あれ?みんないる?ごめんね待たせちゃった?」
大塚は、私たちにそう言った。私は大塚に、「そんな事ないぞ。」とだけ言い、私たちはプールの受付に向かった。
【3】
「いやー暑いな…。早くあいつら来ないかな。」
上野が、そう呟いた。受付を済ませた私たちは、更衣室で着替えを済まし、更衣室の外で女子2名が出て来るのを待っていた。それにしても、上野が言ったように本当に暑い。こんな日には…。
「…キンキンに冷えたビールが飲みたいな。」
自然と声になって漏れてしまった。上野がそれに過敏に反応する。
「北沢!お前やっぱり不良なのか!?」
「そんなわけないだろ!冗談だ…。(この体である事が恨めしい。)」
男子三人でしばらく待っていると、女子2名も更衣室から出てきた。大塚は、私たちに言った。
「お待たせ!さっそく泳ぎに行こ!」
彼女は、思っていたよりノリノリだった。今日だけは、受験勉強から解放されているからであろう。普段、大人びている彼女もこう言った場面を見ると、「やはり中学生なのだな。」と思わされる。
ふと、高田が私に言った。
「それで、北沢くんは何でソッポを向いているんだい。」
私のその様子を見て上野がニヤニヤしながら言った。
「あ!さては、女子の水着見るのが恥ずかしいのか…イテッ!なんだよ!水上!!殴るなよ!!」
上野が、水上に打たれている。私は上野のことはお構いなしにボソッと呟いた。
「いや、恥ずかしいとかじゃないんだ。……罪悪感。」
「え?」
【4】
更衣室で待ち合わせをした私たちは、まず流れるプールに行き、なんとなく流されながら、どのプールを回るか話し合っていた。
「で!?どこから回る?」
上野が楽しそうにそう言った。高田が、それに答えた。
「ウォータースライダーとかいいんじゃないか。この時間なら、まだ空いているぞ。」
高田の提案に大塚も賛同する。
「そうだね。今のうちに滑ろうよ。」
一方で私は、乗り気ではなかった。その手のものは、昔から大の苦手だった。ここは、何か理由をつけて回避しなくては…。私は、皆に言った。
「確か、2人1組で滑るやつだよな。そうすると1人滑れないな。」
「そうだな!グーパーで決めよう!」
上野はそう言った。計画通りだ。私は、さらに提案をした。
「いや、俺は滑らなくて構わんぞ。」
「え!良いのか?悪いな。」
上野はそう言った。順調だ…。後は、1人で滑った振りをして逃げてしまおう。そう思っていたのだが、私の意図に気づいているものがいた。
「え?それじゃあ、不公平じゃん。組み合わせ変えて、何回か滑れば、みんな滑れるでしょ。ねぇ、そうでしょ塚ちゃん。」
そう言ったのは、水上だった。若干こちらを見て悪そうな笑みを浮かべている。こいつ、気づいてやがる。そこに、大塚が追い討ちをかける。
「そうだね、5人だから、1人4回滑れるね。今の待ち時間が大体15分だから…1時間くらいか。余裕で、いけるね!」
4回も滑るの!?誰だよ、コイツに場合の数、教えたやつ…。
って自分じゃん!!!!!!!
抵抗虚しく、一向は、私を連れてウォータースライダーへと向かった。
【5】
「次の方お待たせしました!」
ウォータースライダーの頂上で、ガタイの良いプール監視員が、明るい笑顔でそう言った。
待ってねぇよ!!!!!!!
もはや、プール監視員の笑顔すら嫌味に感じる。とうとう、私が滑る番が来てしまったようだ。ウォータースライダー専用の浮き輪の輪の中に私は腰掛けた。穴が2つ空いている、二人乗り用の浮き輪だ。もう片方の輪には、上野が座っている。正直に苦手だと言って、逃げてしまえば良かったのかもしれない…。しかし、後悔してももう後戻りは出来ない!そう思った私は…。
(1,1,2,3,5,8,13,21…)
私は、恐怖を紛らわせるために、頭の中でフィボナッチ数列を数える事にした。そして、浮き輪が動き始める。恐怖の時間が始まった!
(34,55,89,144…やっぱ怖ぇ…。)
ドボーン…。
ちっとも恐怖は、紛れなかった。…が、あと3回だ。耐えろ…耐えるんだ!!私が必死に何かと闘っている一方で上野の方はというと…。
「たのしーーーーー!!北沢!お前一度も声を上げないなんて、すげ〜な!!」
…なんて、呑気な奴なんだ。
次に滑った時には、ひたすら素数を、その次は、ひたすら円周率を、最後には元素記号を頭の中で念じ続けながら、なんとか耐え切った。せっかくの夏休みだというのに。
どうして私だけ、地獄が続くのだろう?
【6】
ウォータースライダーを耐え切った後、しばらく自由に行動しようという事になり、私はベンチに座って眼頭を押さえながら休んでいた。まだ、フラフラする。私が悶絶していると、何者かが私の隣に座り声をかけて来た。
「やっぱり、ウォータースライダー苦手なんじゃん。」
私が隣を見ると、水上が意地悪そうな笑顔でそう言っていた。きちんと返事をする元気などない。私は、再び眼頭を押さえながら言った。
「位置エネルギーが大きくなる場所は、嫌なんだよ…。」
「何言ってんの?高いところ嫌いって言えば良いじゃん。意外と素直じゃないよね。」
「…………。」
「ねぇ。無視しないでよ。っていうか大丈夫なの?」
水上がそう言った。そんなことよりも、距離がやけに近い。こんなに物理的な距離が縮まったのは、初めてかもしれない…!!!!!??
私の身体に何かが触れている。というか、くっついてる!?目を開けて確認すると、水上が私に寄りかかっている。
「なっ………。」
思わず声が漏れた。心臓の鼓動も若干早くなっている気がする。つまりは、ドキドキしていた。とは言っても、このドキドキはきっと恋愛小説などで描かれるそれとは無縁なものだ。教師として長い間働いていた事が原因なのだろう。私の心中は…
とんでもなく、罪悪感でいっぱいな気がしてならない。
そうだ!これは、ドキドキではない!ドギマギだ!そう自分の中で答えを出した。気がつけば、このドギマギのおかげで、ウォータースライダーでの不快感は、いつの間にやら消え去っていた。私は立ち上がり水上に言った。
「せっかく来たんだ。集合時間まで色々と回るか?」
「うん!」
水上は、笑顔でそう答えた。こんなにも素直な返事を見たのは、いつぶりだろう。
それよりも、後ろの影に隠れている、男子2名と女子1名をどう撒いてやろうか…。
【7】
水上に、「色々見て回るか?」とは言ってみたものの、どうしたものか。私は10年以上、レジャーでプールに来たことなど一度も無い。子育ての経験がないことが、悔やまれる。(いや、この話は悲しくなるから止やめよう。)とりあえず、人気の所を押さえておけばいいだろう。私は、水上を波のプールに連れて行った。
波のプールは、ベンチから歩いて1・2分の場所にあった。時間も昼時になったせいか、波のプールは、ごった返しになっており、大勢の人間が波に乗っていた。私たちも、とりあえず浮き輪に捕まりながら、波に乗って見る事にした。水上は、なんだかんだ言って楽しそうにしていたが、こんなものの何が、良いのだろうか?
一方で、上野・高田・大塚の3人は、相変わらず私たちの様子を波のプールに浮かびながら見ていた。全く、よく飽きもせず見ていられるものだ。ふと、その後ろにある建物が目に入った。私はそれを見てある事を思いついた。私は、水上に言った。
「なぁ、水上。暑いし、ソフトクリーム食べないか?ほら、あそこに屋台がある。ご馳走するぞ。」
「え?ほんと?」
そう言って、水上はプールから出た私について来た。例の3人は、相変わらず波のプールで泳ぎながら私たちの行動を見ているようだ。
私たちは、屋台でソフトクリームを買いベンチに座って一緒に食べた。夏の日差しで、熱くなっていたのだろう、先にベンチに座った水上が言った。
「うわっ!このベンチ熱い…。」
「とは言っても、日陰のベンチは埋まってるしな。」
そう言って私もベンチに座った。確かに熱いな…だが、これでいい。私は、わざとらしく大きな声で言った。
「あいつらもいたら、ご馳走したのにな!残念だ!水上、俺がご馳走したのは内緒だからな!」
……これだけ言っても、3人は私たちの様子を観察しているだけだった。向こうも罠だと気付いているのだろう。さてと、ソフトクリームも食べ終わったし、あの建物に移動するか。
「水上、次の場所に行くぞ。」
そう言って私は、水上を連れて行った。3人もプールから上がり、私たちの後をこっそりついて来ている。私たちが、次に向かったのは、プールではなくアトラクションだった。水上は、そのアトラクションの入り口で私に尋ねた。
「北沢、このアトラクション何なの?」
「これか?この建物の中、気温が−20℃らしいんだよ、氷のアトラクションとかあるらしいぞ。今日は物凄く暑いから、ちょうどいいんじゃないか?」
「たしかに、行ってみようか。」
そう言って、私たちは建物の中に入って行った。中には、氷の彫刻やライトアップなどが、あり幻想的な光景が広がっていた。水上は私に言った。
「−20℃っていうから、すごく寒いと思ったけど、意外と平気だね。」
私は、物理教師らしく答える。
「湿気がないからだ、100℃のサウナに入っても死なないのと同じ理由だな。」
そう説明しながら歩いていると、目の前に氷の滑り台が現れた。目的の場所だ。私は、水上に行った。
「さて、この滑り台を滑るぞ、滑ってしばらくしたら面白いものが見れるぞ。」
「え?どういうこと?」
「滑ればわかるさ。」
そう言って私は、滑り台に座り先に滑って行った。水上も、私の後をついてくる。滑り台を降りた私たちは、少し先に進みちょうど、滑り台から見えないくらいの位置で立ち止まった。水上が私に尋ねた。
「どうして止まるの?」
「どうしてって?そろそろあいつらがトラップにかかる頃だからな。」
「あいつら?トラップ?」
「俺たちは、水着も身体も乾いているから平気だが、水着や身体が濡れている状態で、あの滑り台を滑るとどうなると思う?」
「え?」
水上が、そう言った直後だった。上野が叫び声を上げながら言った。
「うぎゃゃゃゃゃ!!水着が滑り台に張り付いてる、っていうか身体も張り付いてる!!痛えぇぇ!!!」
「ふっ、かかったか!!」
どうやら私の作戦は、上手くいったようだ。満足だ。
水上は、私に言った。
「北沢、これがやりたかったの?」
「まあな。」
「鬼だわ、やっぱりこの人。」
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