報告30 水上桜の教科指導力について
【1】
夕方になり、上野たちは家へと帰っていった。私は、塾の手伝いがあると言ってその場に残った。この後、塾での会議が控えていた為だ。私は永に声をかけた。
「今日の会議って19時からだったよな?」
「そうだよ。何人か講師の学生にも来てもらう予定だよ。」
「桜もか?」
「そうだね。気合入れて早く来ちゃったみたいだけど。」
私が、弟と話をしていると、桜がこちらに近づいて来て言った。
「塾長、もしかしてこの子って息子さんですか?」
私と弟は、彼女の質問にドキッとし、一瞬固まってしまった。この桜という子は、本当に鋭い感性を持った子だ。もしかしたら、私たちの秘密に気付いてしまうかもしれない。この子を雇ったのは、やっぱり失敗だったか…。弟は、なんとかその場を誤魔化そうと、嘘をついた。
「ああ、この子は僕の養子なんだ。ほら、自己紹介。」
「あ…うん。北沢明と言います。父がお世話になっています…。」
私は、恐る恐る彼女の顔を伺った。案の定、何かを考えているような顔をしている。そして桜は、弟に質問をした。
「お兄さんと同じ名前なんですね…。」
「た…たまたまだからね!!」
やはり、名前も変えた方が良かったのだろう。だが、どうしても手続きの関係で名前の変更が面倒だったのだ。まぁ、今更悔やんでも仕方がないか…。弟とのやりとりを見守っていると、桜が予想もしない提案をしてきた。
「会議まで、時間まだありますよね?もし良ければ、明くんに授業をしてもいいですか?」
「え!?」
「明くんだけ、友達と帰らずに残っていると言うことは、この後仕事が終わったら塾長と一緒に帰る約束でもしてるんじゃないかと思ったので。」
本当に洞察力・思考力に優れた子だな。弟は、困ったように私の方をチラチラと見てきた。いいだろう、せっかくの機会だ。彼女の力を見てやろう。私は、彼女の提案を受け入れることにした。
「はい。受けてみたいです。よろしくお願いします。」
「分かった。じゃ、行っといで。」
私と桜は、個別指導用のブースに移動した。
【2】
私は、個別指導ブースの椅子に座り数学の教科書とルーズリーフを取り出した。桜はその様子を見るなり、私に聞いてきた。
「明くん、数学やりたいの?」
「はい。」
私が数学を選んだのには理由がある。中学校の個別指導で最も短時間に成果が出せるものが数学だからだ。実際に個別指導塾などでは、無料の体験授業を行うことが多い。その時に授業をする科目は大抵数学なのだ。そして、それと同時に講師の力量も大体分かる。私は、彼女の教科指導力を見る絶好の機会だと思い、あえて数学にしたのだ。桜は、私の意図に気づくはずもなく快く私の提案を受け入れ、私に質問してきた。
「どこを教えてほしいの?」
「二次関数をお願いしてもいいですか?」
「分かった。二次関数だね。中1・2年で勉強したことも使うことが多いから難しいんだよね。」
もちろん、私が二次関数と言ったのも意図がある。彼女が言う通り、この項目(単元)は、今までに学んだ知識を応用して解くことが多い。そのため、講師の力量が、はっきりする単元なのだ。私は続けて彼女に意地悪な注文をした。
「この塾にあるおすすめの問題集を教えて下さい。今日は、それをやります。」
桜は私の注文に対し返事をした。
「分かった。それじゃ、まずは実力を知りたいから教科書の章末問題を解いてくれるかな?」
「分かりました。」
私が、教科書の章末問題を解き終えた後桜は一冊の問題集を持ってきた。標準レベルの問題集だ。どうやら、問題集の種類や難易度について知らないようだ。これは、どこかで指導しないといけない。解説も、まだまだ未熟である。どこかで鍛えてあげる必要がありそうだ。
だが、一点気になることがあった。それは、私が問題集を一通り解き終えた後でのことだった。桜が私に言った言葉だった。
「明くん。もしかして、高校の数学できるんじゃない?」
「…!!なんでそう思うのですか?」
「うーんなんだろう。途中式見てると、高校生みたいと言うか…。それに解いてるときになんか物足りなさそうにしてる感じがしてさ。」
この子は、エスパーか何かなのだろうか?私も、生徒に勉強を教えているとその程度のことは見破れる。しかし、それは長年の経験から言えることであって、彼女の場合は、それとは全く違う。おそらく彼女の才能なのだろう。これは、磨けば光るかもしれない。
時計は18時半を指しており、授業を始めて1時間は経とうとしていた。私は、桜に質問してみることにした。
「水上先生は大学生なんですよね。大学は楽しいですか?サークルとかはやってるんですか?」
桜は答えた。
「うん。いろいろと楽しいよ。サークル活動もやってるしね。」
「ここで、アルバイトするってことは、学校の先生を目指しているのですか?」
「うん。そうだよ。高校生の時から、なろうって決めてたんだ。」
「どうして、先生になりたいんですか?」
この質問に桜は、少し沈黙し答えた。
「初めは、理科が好きだからって単純な理由だったんだけどね。最近、私の高校の先生が行方不明になっちゃってさ。その先生、受験に合格させるために、いろんなことをしてくれたんだよ。きっともっとやりたい事があったんだろうな…。それでね、その先生がやりたかった事、私が代わりにやってあげたい。だから、教師になろうって改めて思ったんだ。」
「いや…なんか、その…すいませんでした。」
「そろそろ、時間だね。私はこれから会議なんだ。」
桜はそう言って去っていった。
【3】
桜の授業が終わった後、私は、説明会のときと同様に、会議室隣の部屋から会議の様子をモニター越しに眺めていた。まず、学校への宣伝方法や、授業の確認などを簡単に確認した後、弟が本題を切り出した。
「それじゃ。いよいよ、この塾の名前決めだね。いくつかこちらで候補を選んでみたんだけど…。」
すると、桜が口を開いた。
「あの、私たちで考えた案があるのですがよろしいですか?」
「いいよ。」
「私たちは、青葉学園の卒業生です。今度は、私たちが中学生という若葉を立派な青葉に育てる番です。そんな願いを込めて、わかばスクールって言うのはどうでしょうか。」
周りの学生たちは、一斉に永を見た。永は笑顔で答えた。
「うん。もちろんいいよ!いいね、わかばスクール!これから皆で頑張って行こう!!」
私も画面越しではあったが、熱い気持ちを抱いた。この気持ちは、かつて進路指導主任をしていた頃と同じ気持ちだ。わかばスクールか…。面白い!
こうして、わかばスクールは、はじめの一歩を歩み始めた。
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