報告110 6章エピローグ:プレーンオムレツとオムライス
北沢先生の補足
作中に登場する小説について、今回は実際にある教科書会社様が中3国語の教科書で採用されている作品が登場しますが、作品の著作権の関係で、文章をかなり変えています。ご承知下さい。
【1】
その日の帰り、私はスーパーの特売品を手に入れ、上機嫌で帰宅していた。その帰り道、学校の前を通りかかる。かなり遅い時間だというのに、職員室は相変わらず明かりがついている。少し気になり、遠目に覗き込んでみると、飛田をはじめとして3年生の先生は、全員仕事をしていた。それもそのはずで、この時期は生徒の調査書を準備しなくてはならないし、ましてや今回のテストは、試験範囲を広げ、都立入試に問題を近づけているため、テストを作る側の負担も大きいのだ。本当に、こればかりは公立の先生に頭が上がらない。しばらく様子を見ていると、スマートフォンから着信がなった。私は、電話の相手を確認すると、少し嫌な予感を抱きながら電話に出た。
「もしもし、飛田先生ですか?どうしたんですか、こんな時間に?」
「北沢さん、すみませんね夜分遅くに。遠目からこちらをずっと見ているので、構ってほしいのかなと思いましてね。」
「は!?気づいていたんですか!?気持ち悪いです……」
「え!?せっかく構ってあげようと思ったのに、ひどくないですか?それはそうと、こちらの心配は無用ですからね。心配して覗いていたのでしょう?北沢さんもご承知だと思いますが、調査書の作成もありますし、今回はテストの作成にもかなり時間がかかっています。おまけに北野さんは、退職しましたしね。今は、調査書の業務を私が引き継いでいますよ。とはいえ、うまく分担してやってますから心配には及びませんよ。長沼さんも仕事結構早いですし」
「……そうですか。本当に大丈夫ですか?」
「この間まで、北沢さんも忙しかったじゃないですか。お互い様です。それに、さすがに社会の勉強には時間がかかるでしょう。今は自分のために時間を使ってもバチは当たらないと思いますよ」
「はい。お気遣い感謝します」
「お互い無理せず頑張りましょう。無理がたかって体がボロボロになったら元も子もありませんからね……本当に……。テストが終わったら打ち上げでもしましょう」
「ええ。では、失礼します」
……体がボロボロになったら、元も子もない……ですか。
私は、飛田の何気ないその言葉にとんでもない重みを感じてならなかった。そうして、スマートフォンの画面を見ると、寒さと息で画面が曇っていることに気が付いた。もう12月になるのだな……。季節がとっくに冬になっていることに改めて気が付いた私は、ふと夜空を見上げた。そこには、私の予想通りの位置にオリオン座が輝いていた。
そしてついに私たちは、試験本番を迎えた。
【2】
試験初日、この日私は普段より早めに登校した。調査書の内申にかかわる大切なテストだ、私が教室に入った時には何人もの生徒が、テストに向けて最後の追い込みを行っていた。とはいえ、ここまでガリガリ勉強するのは、公立の中学では非常に珍しい。一つは、この学年がかなり落ち着いているということ、そして何より、わかばスクールの存在が非常に大きいのだろう。今日の教科は、国語・英語の2教科だ。どちらも最小限の時間での準備だったため不安が残るが、難易度が上がれば上がるほど私は有利になる。特に、英語に関しては、初見の長文が出題されることが分かっている。これだけでも中学生にとっては恐怖だろうが、私にはどうと言うこともない。さて、勝負と行こうじゃないか。
最初のテストは国語だった。この時期は、古典が中心の出題になるため、古典文法を知っていれば対応可能だし、教科書本文の作品も和歌や俳句が中心になるため、ほめられることではないが内容を覚えこめばかなり得点できてしまう。私は、順調に問題を解き進めあっという間に最後の大問に突入した。最後の問題は、事前に200文字の意見文であることは聞かされていた。さて、何が出題されるのだろうか。私は、若干わくわくしながら、問題用紙をめくった。しかし、問題文を読んだとたん、私の手は止まってしまった。そこには、島崎藤村の『初恋』の詩が書かれており、問題文が1行書かれていた。
自分の経験から『初恋』の詩の人物の心情を想像して書きなさい。
自分の経験からだと!?……勘弁してくれ!!!!!!!!
その日の放課後、飛田が私に話しかけてきた。
「北沢さんどうですか?テストの出来は?」
「まぁ、予定通りですよ」
「そうですか。国語の最後の問題もちゃんと書けたと?」
「……!?」
「いやー国語の先生に提案したら、本当に採用されちゃいましたよ」
「おまえかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
その後、私の解答は、飛田によって数日間おもちゃにされたことは言うまでもない。
【3】
数日後、凶悪だった期末テストもようやく終わり、一息ついた私と弟は、飛田お気に入りの洋食屋に来ていた。今日は、テスト終わりの打ち上げということで、飛田から食事に誘われていたのだ。少し、早めについてしまった私たちは、先に席に着き飲み物を飲みながら待っていた。
しばらくすると、飛田が申し訳なさそうにやってきて言った。
「すみません、遅くなりました。成績処理に少し戸惑ってしまいましてね」
「いえ、お忙しいところありがとうございます。とりあえず乾杯しましょう」
私は、飛田の飲み物を注文し一緒に食事を楽しんだ。だが、今回の目的は、それではなかった。私がしびれを切らしてソワソワしていると、飛田はその様子を察したのか、私たちに言った。
「さて、そろそろ本題に移りましょうか?今回の5教科の平均点についてお伝えしましょう」
そう、私たちはこれを聞きに来たのだ。あれだけ難しいテストでどれだけの平均点になったのか、私も弟も気になって仕方なかったのだ。本来、塾などで対策をしなければ、平均点は5割を切ってしまうような難易度の試験だ。飛田は、にっこりと笑いながら言った。
「お二人の協力のおかげです。5教科すべて平均点70点越えです」
私と弟は、年甲斐もなくガッツポーズをしてしまった。その後、私は飛田に言った。
「今回は入試レベルの問題もかなり多かったですからね。これなら……」
私が飛田にそう言うと、彼も合わせたように返事をする。
「……ええ。もちろん」
「今年の都立進学実績は。とんでもないことになりますね~」
私と飛田は、口をそろえてそう言った。その様子を、見ていた弟が私と飛田に言った。
「2人とも、悪だくみをしている人の顔になってますよ。しゃべり方も、悪い人ですし……」
「まあまあ、今日はお祝いしちゃいましょう。乾杯!!!」
飛田はそう言って、麦茶の入ったジョッキを持ち上げた。その麦茶は、少しでもバランスを崩せばこぼれてしまいそうだ。私は、飛田の持ち上げたジョッキに、コーラの入ったグラスをぶつけて言った。
「飛田先生、全然飲んでないじゃないですか。もしかして、疲れていますか?」
「ええ、さっきまで仕事に追われていましたからね。ちょっと食欲がね。申し訳ない」
「そうでしたか、気を遣わせてしまいましたね。申し訳ないです。そういえば、国語の最後の問題、飛田先生が考えたのですか?」
「ええ、雑談のつもりで言ったら採用されてしまいました」
「実は、ほかにも国語の問題で先生に聞きたいことがあるんですよね」
「え?なんですか?あの『初恋』の問題以外は関わっていませんよ」
「………………………………」
私と飛田は、少し沈黙した後、弟に目線を合わせて言った。
「すまない、永。少し席を外してくれないか?」
「うん……。わかった……」
弟は、静かに席を離れた。その様子を見て飛田は、思わず身構えた。私は、そんなことなどお構いなしに、話をつづけた。
「飛田先生は、中学3年生の1学期中間テストで何が出題されたか知っていますか?」
「さぁ・・・。私は知りません。何が出題されたのですか?」
「ある、小説が出題されました。その小説は、主人公がかつて世話になった恩師と洋食屋で食事をするところから始まります。その恩師は、オムライスを注文しテーブルに運ばれてきます。その後は、主人公と恩師との思い出話が続くというものです。読んだことありませんか?」
「そうですね……記憶にはありませんね……」
「その思い出話の最中で、主人公は恩師の前に置かれているオムライスに違和感を覚えます。そして、こんな文章が続きます。『空気を入れたラグビーボールのような恰好のオムライスは、そのままグラウンドに持ち出せそうである』この文の意味が分かりますか?」
「そうですね……。オムライスがとてもおいしそうなことを表しているのではないですか?」
「いいえ、違います。これは、実際に中間試験で出題された問題でしたが、ほとんどの生徒が飛田先生と同じ答えを書き、不正解になっていました」
「ほう……。それで、正解は何ですか?」
「オムライスがラグビーボールの形のまんまである。つまり、恩師がオムライスに全く口につけていないことの表現なんです。そういえば、飛田先生もこのお店のオムライスを頼んでは、同じように口につけないこともありましたね。……飛田先生……この恩師は、主人公と別れた後どうなったと思いますか?」
「………………………………」
飛田は、黙って私の目をただただ凝視するばかりだった。私は、話をつづけた。
「私たちに、先生はまだ隠していることがあるのではないですか?もう、気づいているんですよ。あなたが部活で生徒と一緒に運動しなくなったことも、給食を実は、口につけていないことも……。」
飛田は、しばらく目を閉じ無言になった。
「………………北沢さん」
飛田がゆっくりと口を開いた。
「………………やっぱり、隠せないものですね」
飛田の放ったその声は、震えていた。
いつも、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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