報告107 激務に伴う人間の変容
【1】
次の日の朝、私はいつもより気だるそうな様子で教室に足を運んだ。実際、体が重く感じていた。その様子を見て、千歳が声をかけてきた。
「北沢?どうしたの?疲れてるの?」
「ああ。あんまり寝れなかったんだ」
昨日、期末テストについての書類を飛田から受け取り、こちらの予想を遥かに超える試験範囲であることが判明した。それに伴い、今日から行うテスト対策の授業を変更し、計画を練り直すことになったのだ。おかげで、睡眠時間を大幅に削られる羽目になった。ここまで、睡眠時間を削られたのもだいぶ久しぶりであるが、体が若くなっているせいか、そこまでの負担ではなかった。
「ふーん。なんか大変そうだね」
千歳は、他人事のように返事をした。この災難は、別の形で自身にも降ってくることになるというのに暢気なものだ。
その日の放課後、教室全体が混乱に包まれた……いや、もはや混沌としていた。まだ試験2週間前ではないのにかかわらず、試験範囲表がなぜか配られ、さらにその試験範囲が凶悪なものになっていたからだ。私がその様子を眺めていると、大塚が私に声をかけてきた。
「北沢くん、もしかしてこのことを知ってたの?」
「なんでそう思うんだ?」
「昨日、スクールの事務室でおうちの人と慌てた様子でパソコン操作してたよね」
「そうなんだ。手伝ってたんだよ。今回は、あまりにも凶悪な内容だったんでな。今日から、この試験に向けた特別講座を設置する予定だ」
「そりゃ、疲れるね」
「そう言ってくれると報われるわ」
【2】
放課後になり、スクールにはいつもよりも大勢の生徒が駆け込んできた。調子に乗って、スーパー1個分という、とんでもない広さの塾を作ったはずなのに、それでも入りきらず、仕方なく入場制限をかけざる負えない状況になった。当然、質問も殺到して講師も足りない。私はおろか弟まで四六時中駆り出されることになった。
「うう……数学の計算問題、すべての範囲から出るなんて無理だよ~〜」
「千歳!あきらめるな!!全然間に合うから!基本をもう一度復習するぞ」
涙目になっている千歳に、私は声をかけ続けた。
「北沢!すまん、この問題どうやって解くんだ?」
「ん?これか?この問題は……。」
こんな調子で、まるであちこちで起こっている火種を火消しするかのように動き回った。結局、スクールに出勤してから生徒が帰るまで、常にノンストップで動き続けた。もちろん私だけではない、ほかの講師たちも同じような状況だった。私は、生徒全員が帰宅したことを確認すると、事務室のソファーにだらしなく腰かけ声を上げた。
「あぁぁぁ~~~久々に激務だなこりゃ」
「兄さん……これやばいよ」
私のボヤキに合わせて弟が言った。確かに、人員不足なのは明らかである。しかし、そんなことを言っている場合ではない。私は、数秒間ソファーで休んだ後、すぐに立ち上がりパソコンの前に向かった。
「さて、必要な事務処理をやらないとな!!」
「兄さん、マジでやるの?どんな体力してるんだよ……」
【3】
「それでは、四大公害病についておさらいしましょう。あてますので、一人一つずつ言ってもらいましょうか。では大塚さん」
「水俣病です」
「そうですね、水俣病は熊本県の水俣市で起こった公害病です。工場の排水に水銀の化合物が混入しておりそれが原因と言われていましたね。では、二つ目を北沢くん……。北沢くん?」
「……ZZZ」
「おい!北沢何やってんだよ!起きろ!!」
「………ん!?……寝てしまいました。申し訳ありません!!」
「北沢くん・・・最近疲れているようですが大丈夫ですか。もしかして体調悪いですか?」
「いえ、不摂生な生活をしている自分が悪いです。反省します」
「そうですか……。それにしても、北沢くんが寝るなんて珍しいですね、気をつけましょうね」
テスト対策が始まって数日が経過した。連日、遅くまで仕事が残ってしまっており、慢性的な寝不足になっているようだった。その日の放課後、私は飛田に呼び出された。
「北沢さん、社会の授業で寝てしまったと報告が入っています。連日のお仕事で相当体に堪えているようですが大丈夫ですか?」
「ええ・・・あと数週間程度なら大丈夫かと思います。ご心配をおかけしています」
「中学生が過労死するなんてことは、無いとは思いますが、ご自愛なさってください」
「面目ない……。」
「いいえ、私がもっと管理職の先生に交渉できれば、試験についてもこんなことにはならなかったんです。私にも責任があります。何か肩代わりできる業務があれば言ってくださいね」
「ありがとうございます。ともかく、この後も対応がありますので、今日はこれで失礼します」
【3】
飛田と話を終えた後、私は千歳と一緒に通学路を歩いていた。疲れているからだろうか、話す内容が思いつかない。それに、自分の姿勢もいつもより丸まっているような気がする。やはり疲れているのだろうか。そんなことを考えていると、千歳のほうから話を振ってきた。
「北沢・・・最近夜になにかやってるの?睡眠時間、減ってるでしょ」
「夜か?家の手伝いをやってるよ」
「テスト対策?」
「ああ。まさかあんなに試験範囲が凶悪になるとは、思わなかったからな」
「それって、北沢が頑張ることじゃなくない?」
「ああ。確かにそうだな。でも、自分がやりたくてやってるんだ。気にするな……いや、気になるよな」
「え?全然気にしてないけど?」
「それは、それでひどくない!!?」
この時はまだ無自覚だったが、こんな何気ないやり取りが、ここ最近の生活の中で良い清涼剤になっていた。そしてまた、私は教室という名の戦場に繰り出すのだった。
千歳と別れ、スクールに足を運んだ私は、いつものように荷物を置くために事務室に立ち入った。するとそこには、本来いないはずの人物が居た。私は、その人物に声をかけた。
「長沼先生……どうしてここに?」
「北沢先生、ここ最近のあなたの様子を見て気が付いたんです。今、テスト対策に追われて大変なことになってないですか?」
「ええ……まぁそうなっていますが……まさか、それを確認しに来たんですか!?」
疲労で少しイラついているからだろうか、私は彼に辛辣気味に言ってしまった。長沼は、私の態度とは裏腹にある提案をしてきた。
「土日に校庭の木の整備で部活動ができないんです。合唱祭でも、さんざんお世話になりましたし、今週の土日にこちらでお手伝いさせていただけませんか?」
私は、彼の魅力的な提案に驚き言った。
「いいのですか?先生な貴重な時間を・・・。それに、先生は公務員ですからお礼もお支払いできないですよ」
「構いません。お手伝いさせてください」
「ありがとう……助かります……。」
この時ばかりは、若者も捨てたものではないなと生意気ながらに思ってしまった。
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