報告10 1章エピローグ:初任者の業務記録
【1】
私は、その日の夜昔のことを思い出しながら、物思いにふけっていた。そのきっかけはもちろん今日の事が原因だ。私は教師になったばかりの頃を思い出していた…。
【2】
「北沢明と申します。若輩者ではありますが何卒ご指導の程お願いいたします!」
私が、初めて勤務した学校は、公立の中学校だった。なぜ、教師という仕事を選んだのか、正直なんとなくだった。おそらく、面倒を見ることが昔から好きだったからだろう。そんないい加減な理由で教師になったが、当時の私は、その割には燃えていた。毎日遅くまで、授業の準備をしたり、部活動の練習を見ることはもちろん。その内、昼休みに生徒と一緒に遊んでみたり、放課後に勉強を教えたりする様になり、より忙しくなっていった。ある日、私は隣に座っていた先輩の先生に声をかけられた。
「北沢先生、最近頑張ってますね。いつも遅い時間まで仕事していますけど大丈夫ですか?」
「いえ!体力だけはありますから!」
私は即答した。別に見栄を張っているわけではない。まだ若かったこともあり、疲れをあまり感じていなかった。
「ならいいですけど、頑張りすぎないようにして下さいね。」
「ありがとうございます!気をつけます!」
だが、私はこのとき、ある大仕事に取り組むべく準備を進めていたのだ。
【3】
次の日、私はある家の前に立ち、インターホンを鳴らしていた。この家には、自分のクラスの生徒が住んでおり、この生徒の家庭訪問に来ていたのだ。最近は個人情報保護やプライバシーの保護の観点から、家庭訪問は行わないのだが、今回は特別である。なぜなら、私はこの生徒と一度も会ったことがないのだ、要するに不登校というやつである。今後のことを考えながら、私は扉が開くのを待った。平静を装ってはいるものの、その手は震えていた。
しばらくして、扉が開き母親が出て来た。その姿は、中学生の母親にしては若かったのだが、子育てに疲弊しているのだろうか、目が死んでいる。いや、死んでいるは言い過ぎか。ともかく、生気というものを感じない印象だ。それにしても、約束していたはずの生徒の姿がない。私は母親に挨拶をするとともに話しかけた。
「おはようございます。私が清くんの担任の北沢です。今後ともよろしくお願いします。ところで清くんはどちらに?」
「こちらこそよろしくお願いします。さっきも先生が来ると言ったんですけど、なかなか部屋から出てこなくて…。」
そんなことだろうと思っていた。このことは私にとって想定内の範囲だった。その後、母親と簡単に現在の状況を確認したところ今日のところは撤退した。なかなか直接会うことは難しそうだ。私は、なんとか彼とコミュニケーションを取るためにあることを思いついた。また、仕事が増えそうだ。
【4】
それからというもの、私はいつもの業務に加えて、清くんとの連絡を取り合うようになっていった。そんなある日だった。隣の席の先輩に声をかけられた。
「北沢先生、放課後、生徒に勉強教えてるよね。」
「ええ。まぁ…。」
「それは、誰かに相談してやっていることなの?」
「いえ、生徒から教えてくれと頼まれて始めた事ですので。」
「うちの部活の子がさ、部活に来ないでそっちで勉強してるんだよ。こっちの指導が成り立たなくなるかれ止めてほしいんだけど。それに、理科以外の教科も教えてるよね。あれだと、教科担当の先生の顔が立たないよ。社会人なんだからそういう事を考えなよ。」
「はい…。分かりました…。」
私はハトに豆鉄砲を食らったかのような顔で返した。今まで良かれと思ってやっていた事が、どうやら裏目に出ているらしい。きちんと相談するべきだったのだろうか?私のしていた事は、組織にとって不必要どころか邪魔なものでしか無かったのだろうか。考えてみれば、面倒を見過ぎたら、生徒は私に頼りっぱなしになるのでは無いだろうか…。そんな私に依存する生徒が、学校を卒業したら、果たして自立出来るのだろうか?私は、その次の年に退職し、私立の高校教員に転職した。
【5】
「…………ん?」
どうやら、考え事をしながら眠ってしまったらしい。スマホのアラームの音に私は起こされ、椅子にもたれていた体をゆっくりと起こした。起こそうとした体がどうにも重たい。きっと、その原因は椅子の上で寝てしまった事だけではないのだろう。あまり、思い出したくない事を思い出してしまった。中学生になってからの私の行動と、教師になりたてだったあの頃の自分が重なってしまったからだ。ともかく、今日も北野とは話さなくてはならない。その事を考えながらコーヒーを啜った。
朝の時間が終わった後、私は1枚の書類を持って、北野に手渡した。
「これが、学校で検定を受けなかった理由です。今回二級を学校で実施しなかったので、外で受けました。」
彼女に手渡したのは、英語検定の合格証の写しだった。
「そう。なら文句は言いません。勝手にしなさい。」彼女は、バツが悪い様子で職員室に戻って行った。おそらく今回の事で完全に目をつけられたのは言うまでもないだろう。さて、気持ちを切り替えて授業を受けよう。
【6】
今日の3・4時間目は家庭科の授業だ、特に、今回は調理実習ということもあって、クラスの生徒たちのテンションがやけに高い。私は毎日料理をしているから、別に特別でも何でもないのだが、ほかの生徒の様子を観察するのはちょっと興味深い。私も別の意味で、調理実習を楽しみにしていた。私の班は、自分を含めて男子2人と女子2人の班だ。このことから、積極性のある生徒が多いことが伺える。積極性のない生徒が多いクラスであると、男子だけ何もしなかったりするのだ。ちなみに理科の実験だと、これとは真逆の現象が起きて、男女混合班にすると女子が男子任せにしてしまう事が度々起きるのだ。だが、今回は男女混合班。という事はみな積極的に動くのだろう。これは、面白い事になりそうだ。
「それでは、始めて下さい。」
今日の実習のメニューは、豚汁ときゅうりの酢の物だ。まず、班のメンバーの役割を分担することから始まった。班の男子は私と高田という男子生徒だ。彼は、明るくしっかり者なので、学級委員も務めている。だから転校生の私と同じグループにしたのだろう。彼がどのようにこの班をまとめるのか、興味があった。問題は、女子生徒の方なのだが…。
「北沢、料理絶対出来ないでしょ。失敗しないでよね。」
水上が言った。同じ班の女子生徒は水上と大塚だった。まったく、理不尽なレッテルを貼られたものだ。さっそく、高田が口を開き話を進めた。
「とりあえず、役割分担しようか、何かやりたいことある?」
「じゃぁ、私とつかちゃん(大塚のことだろう)で豚汁の野菜を切るよ。」
水上が言った。
「そしたら、男子2人できゅうりの酢の物作るのと、豚汁の出汁取っとくよ。北沢くんそれでいい?」
高田は言った。私は心の中でツッコミを入れた。
いや!米炊けよ!!!!!!
「いや、俺は米研ぐわ。」私はそう言って米を研いだ。炊飯中におかずを作るのは、時間短縮のために絶対必要だ。
「そうだな。北沢くん、お米お願い。」その後それぞれが分担して調理を始めたが、しばらくして、トラブルが発生した。水上がジャガイモを切っていたのだが、高田が問題に気づき水上に声をかけた。
「いや、お前皮剥けよ!!」
やばい…笑いが止まらない…。
その後もトラブルは続いた。人参の皮も剥かないわ、肉とわかめは切っていないわ、なかなか笑わせてくれる。その全ての戦犯は水上だった。それでもなんとか、完成させて班で作った料理を食べることが出来た。水上はちょっと落ち込みながら言った。
「おねーちゃんは料理出来るのに…。」
そのことを聞いて私は、昔のことを思い出しながら口を滑らせてしまった。
「確かに、バレンタインデーの時に手作りのお菓子、いろんな生徒に配り歩いてたなあいつ…。」
「北沢、なんでそのこと知ってんの!?」
「あ!?いや!?違うんだ!別の人の話だ。」
「それにしても北沢くん、野菜切るのとか早いし綺麗だし、凄かったね。」
高田が言った。
「ああ。料理よく作るんだよ。」
「え?そうなの?お家の人作らないの?」
大塚が言った。
「いや、親忙しくてさ…。」
他愛もない話をしながら調理実習は終わった。それにしても、ご飯、豚汁、酢の物を食べた後に給食とは、これはひどい。私は胃もたれしていまい早退する事になってしまった。余りにも情けない理由だ。酒は飲まなくなったくせに、胃は若返っていないらしい。だが、所詮は食べすぎ、家に帰って、胃腸薬を飲んでしばらく休んでいると、あっという間に回復した。
さて、宿題と勉強をしておくか。そう思って机に向かった矢先、ドアのチャイムが鳴った。宅配だろうか、頼んだ覚えはないが。
ドアを開けると、水上と大塚が立っていた。