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5 病院を作ろう 2

本日3話目です


 年の瀬――街道の樹木は葉をすっかりと落とし、雪がちらつく薄暗い日にヴィルヘルミネはゾフィーの家へ向かっていた。供をするのは九十五点のヘルムート=シュレーダーと、八十七点の医師ラインハルト=ハドラーである。どうやら医師は令嬢のイケメン審査を突破し、覚えもめでたく馬車への同乗も許されたのだった。


 赤毛の令嬢はイケメン二人に挟まれて、頬まで赤く火照らせ馬車に揺られている。「うはっ!」という喜びに満ちた声は、ガラガラという車輪の音に紛れて聞こえなかった。


 ヴィルヘルミネ達三人が訪れたゾフィーの家は、果たしてあばら屋であり、二人の痩せた男女が簡素な寝台の上に寝かされている。ここまでは、確かに聞いた通りであった。

 しかし年若いゾフィーの姉二人は特に彼等を看病するという訳でも無く、暖炉の前に座り、あるいは寝そべり、家事の一切をゾフィーが行っている最中だったのである。


「あれ?」と思ったのは、何もヴィルヘルミネだけではない。ヘルムートも姉の二人に嫌悪感を覚えている。


 だが流石に、それも一瞬のこと。ヴィルヘルミネの姿を認めると、姉二人もすぐさま立ち上がる。そして、にこやかに三人を出迎え茶を振る舞った。

 そうしている間も、ゾフィーはヴィルヘルミネをチラチラと見ながら家事を続けている。この事が不愉快で、令嬢は可愛らしい眉間に皺を寄せていた。或いは姉二人の点数が四十点未満だったから、彼女は最初から不機嫌だったのかも知れないが。


 だがともかく、彼女たちの両親が回復さえすればゾフィーも解放され、靴を履くことも出来るだろう。そう思ってプニプニほっぺを震わせ、令嬢は今、必死で怒りを堪えていた。


「ハドラー医師――ご両親の容体はどうか? 聞けばここで姉二人が看護し、様々な医者に見せたが快方へ向かわないという。お前なら、すぐにも何とかなるか?」


 抑揚のない声で、ヴィルヘルミネが問う。


「――無理だな、ご令嬢。この病は現代の医学では、完治すら難しいものだ。神ならざる身の俺では、対処療法がせいぜいさ。むしろこの病に対し治ると嘘を吐き、訳のわからん薬を出す町医者の気が知れん」


 ラインハルト=ハドラーは既に寝台の横に侍り、聴診や触診に余念が無かった。そして既に病名までを診断した上で、迷う事なく言い切ったのである。


「はへ?」


 ヴィルヘルミネにしては珍しく、椅子の上から落ちそうになった。優秀な医者と評判だから連れてきたのに、治せないとはなんてこと。それにラインハルトの言葉は頑として、彼女に媚びる様子が一切無いのだ。不思議なことであった。


 そもそも、この灰色髪の医師は、基本的に人の命を助ける以外の事に興味が無い。だからこそより戦死者の多いランス王国軍の軍医になったわけだし、その言動性格から大貴族に恨まれもした。そんな男だから、今もヴィルヘルミネに対して何ら遠慮というものを知らなかったのである。


 だがイケメンこそ全てのヴィルヘルミネにとって、彼は八十七点の男。十分すぎる程に及第点だった。ゆえに赤毛の令嬢は傲然と笑みを浮かべ、紅玉の瞳に覇気を湛え彼に問うたのだ。


「余はその者等を治療してやりたいのじゃが……手が無いと申すか?」


 ヴィルヘルミネが少ない語彙から選んだ言葉を、ラインハルト=ハドラーは挑戦だと受け取った。名医と呼ばれる男に、治療できない患者がいるのかと令嬢が言っているように思えたのだ。

 だが彼は子供相手に憤然としている自分に気づき、小さく頭を振る。そして言った。


「……手が無いわけじゃねぇ。対処療法にはなるが、二十四時間監視下に置いての投薬治療、そして体力の適切な維持だな。これらのことを専門の病院で行うなら、かなりの確率で回復が見込めるだろう。少なくとも、間違った今の療法を続けるよりは遥かに良い」

「病院? 教会などに預けろ――ということか?」

「いや――彼等には医療に関する専門的な知識など無い。ここで俺の言う病院とは、医師が常駐し適切な治療が施せる、寝台を多数備えた施設のことだ」


 ヴィルヘルミネはここで八十七点から視線を切り、九十五点の顔を見る。どっちを見てもイケメンなので、彼女の機嫌はうなぎ上りだ。不敬な言葉遣いなど、気にもならない。


「ふむ……ヘルムート。我が公国にラインハルトが申すような施設は存在するか?」

「残念ながら……今のところ一つも御座いません」


 ヴィルヘルミネの背後に立っていた未来の宰相が、首を左右に振る。


「では――諦めるしかなかろう。ただし、瀉血しゃっけつなどという時代遅れな治療は、即刻やめることだな。それが余計に患者の体力を奪っている。というところだ、では――診察は終わった。俺はこれで失礼するぞ」


 ラインハルトは立ち上がり、手を布巾で拭いていた。そのまま去ろうとする彼のムーブを、ヘルムートが肩を掴んで止める。


「待て、ラインハルト! ここで去るなど無礼だぞ!」

「無礼と言われても、俺は医者。患者がいる所へ行くだけのこと……」

「何を言ってる! また戦場へ戻るつもりか!」

「あそこはまぁ、患者がいるからな……」


 ここに至り、ついに公爵令嬢が立ち上がる。このままでは八十七点の男が手元から去ってしまう――それは彼女にとって、許容できる事ではなかった。


「……ラインハルト=ハドラー。医師のいる病院であれば、二人を治療できるのだな?」

「まあ、長い目で見れば」

「ならば余が病院を作る。ハドラー医師――卿がそこに常駐し、治療に専念せよ」


 ヴィルヘルミネが「常駐」だの「専念」だのといった難しい言葉を知っているのは、公爵令嬢の嗜みだ。逆に言えば、簡単な言葉を彼女は知らなかった。このせいで、無駄に天才だの神童だのと言われている。

 今もまた、周囲の人々に大きな勘違いを齎している最中だった。


「え? ラインハルトを常駐……ですか? しかしヴィルヘルミネ様――建物は――……」


 ヘルムートが焦り、眉間に皺を寄せている。流石にそのような施設を一から作っては、いくらヴィルヘルミネのお小遣いと云えども尽きてしまうだろう。


「クリューガーの邸を改装せよ」


 ヘルムートにとって、この言葉は晴天の霹靂であった。まさか貴族の邸を開放して病院にしようなど、なんと彼女は開明的な君主なのだろう。

 またも彼の紫水晶アメジストにも似た目は涙で溢れ、顔を手の平で覆う羽目になった。やはり我が主君は最高だ! そう思わずにはいられない。

  

 一方ラインハルト=ハドラーは口の端を歪め、赤毛の令嬢の前に片膝を付く。貴族嫌いの元下級貴族――人命を救うこと以外に興味を持たなかった男が、初めて自らが忠節を尽くす対象を見つけた瞬間だ。彼は今、ヴィルヘルミネちゃん最高かよ! と思っていた。


「――お嬢の心意気、確かに受け取った。この地に最高の医療を齎すこと、この俺が約束しよう。気高き至高の薔薇に、全ての忠誠を捧げて」


 こうしてフェルディナント公国に初の公立病院は誕生した。初代院長はラインハルト=ハドラー。そして看護師は、いやいやながらゾフィーの二人の姉が務めたのである。


「だって卿ら、ずっと両親の看護をしていたのであろう?」


 姉二人もヴィルヘルミネに言われれば、嫌々ながらも頷くしかなかったという。

 もっとも、この処置はラインハルト=ハドラーがイケメン過ぎたので、彼女達も満更ではなかったようだ。真面目に働く、良い戦力になってくれた。


 こうしてゾフィーは両親と姉達から解放、労働の軛から放たれ、ついにヴィルヘルミネの幕下に加わったのである。


 そう――彼女こそ後に「ヴィルヘルミネの猟犬」「常勝ゾフィー」と列強各国に恐れられる陸軍元帥、最強の騎兵、ゾフィー=ドロテア=フォン=フェルディナントとなる人物。

 だが今は紺碧のような両目をぱちくりと不思議そうに瞬いて、薄汚れた綿のエプロンを握りしめる小さな乙女に過ぎないのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 勘違いもの大好きなので、更新楽しみにしています。 頑張って下さい。 [一言] 侯爵令嬢の嗜みだ。 →公爵 余はその者等を治療してやりたいのじゃが……手が無い申すか? →手が無いと申すか?…
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