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29 戦士の本懐


 ブルーノは到着した敵本隊を望遠鏡で眺め、舌打ちを禁じ得なかった。


「ちっ……やはり厄介な敵だ。さっきの騎兵どもは、どうやら先遣隊に過ぎなかったらしい」

「ど、どうするのだね、ブルーノ少尉。ここは我々も一端退いて、体制を立て直すべきではないのかね?」


 ジーメンスが目を白黒させながら、ブルーノに問う。


「そうしたいのは山々だが……」


 肩を竦めたブルーノが、「お手上げ」といったポーズをした。


「ふざけている場合じゃあ無いぞ、ブルーノ少尉! ほら、奴等は砲兵を前面に出している。ここに居たら危険なのだよッ! さっさと退かなければッ!」

「どこに退くってんだ、ジーメンス。少しは考えろ、この森以外に敵を抑え込める地形はねぇんだ。脱出するだけなら難しい話じゃねぇが――……そうしたら敵は今からでも、こっちの本隊に追いついちまうだろう」

「ぐっ……じゃあ、どうするというのかね?」

「どうもこうもない。敵を、そうだな――……最低でも一日は、ここで食い止める」

「い、一日ッ!? まってくれ、ブルーノ少尉。敵は師団規模なのだよ!? それを一個中隊で凌ぐなんて、無茶が過ぎるのではないかねッ!? 全滅するに決まっているッ!」


 当初は死ぬことも辞さぬ覚悟だったジーメンスだが、鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)が鮮やかに敵を退けたから、うっかり命が惜しくなってしまったのだ。なので、こんなことを言っていた。

 だが実際、いかに鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)が精強とはいえ、たった二百の手勢で一個師団を相手にするのは荷が勝ちすぎる。ブルーノも頬を指で掻き、苦笑を浮かべてジーメンスを見た。


「うるせぇ、お前、俺たちを誰だと思っていやがる。フェルディナント最強を誇る鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)だぞ。

 しかしまぁ、万が一のことがあるかも知れんし、ガキの出る幕は既に終わった。てなわけでジーメンス、お前にゃあ一個小隊ほど付けてやるから、さっさと逃げろ」


 ブルーノは青い瞳に愉悦の色さえ浮かべていたが、彼が死を覚悟していることをジーメンスは鋭敏に察知した。


「な、何を言っているのだ、ブルーノ少尉。ボクは最後まで、共に戦うぞ……!」

「黙れ、ジーメンス。お前さんがいたら、足手まといだって言ってんだ」

「そんなことはないッ! 敵の一人や二人、必ず道連れにして見せるともッ!」

「……いいか、聞け、ジーメンス。俺たちは敵の補給物資を、三分の一以下にまで減らしたな? これは間違いなく、お前たちの功績だ」

「ボクたちの、だ。ブルーノ少尉、あなたの功績でもある」

「まあ、その点はいいさ。ともかく俺たちに補給物資を潰されたことで、敵は遠からず撤退するだろう。俺たちは勝ったんだ。あとは、どれだけ多くの兵が生きて帰れるかって問題でな……」

「だからあなたは、ボクたちを逃がすために犠牲になるっていうのか?」

「六百人全員が死ぬか、俺たちがここで踏ん張るかって話だろう。べつに犠牲になるつもりはねぇよ」

「ボクのせいだ。ボクが最初に、あなたの言うことを聞いていれば……」

「ばぁーか、今更そんなこと関係あるかよ。だいたいな、俺は死なねぇって言ってるだろ」


 優し気な笑みを浮かべ、ブルーノは静かに首を振っている。


「だ、だったら、ボクも残って最後まで戦う。勝てる可能性があるんだろう!? 鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)は最強なのだろう!? 死なないんだろう!?」

「おいおい、ジーメンス。馬鹿なことを言うな。お前は未来の元帥閣下だろう? 万が一流れ弾にでも当たったら、俺は死ななくても、お前は死ぬぞ?」

「ば、ばば、馬鹿なことを言っているのは、ブルーノ少尉の方だ! ボクはやると言ったら最後ま――ッ!?」

「やれやれ……世話を焼かせるんじゃない」

「――……うぐぅ、かはッ」


 ブルーノはジーメンスの腹部に当て身を入れて、気絶させた。これ以上、口論をしていても時間の無駄だと思ったからだ。

 それからシュミットを含めて四十人程の部下を呼び、ジーメンスを連れて逃げろと命令を下す。その部下達の全員が、妻子か恋人のいる者達であった。


「ま、待ってくれ、ブルーノ少尉! 俺もここに残るッ! 俺がいた方が、何かと役に立つでしょう!?」

「はぁ? 何言ってんだ、シュミット。お前が誰より役立つからこそ、このボウズを任せるんじゃあねぇか。たぶんコイツは、良い元帥になる。こんなところで死なせちゃあ、勿体ないだろう」

「し、しかし――」

「それに俺は、結構な利己主義者でな。妹の旦那を、戦場で死なせたくねぇのさ」

「だからって――……兄さん……」

「おう。嫌だ嫌だと思っていた呼ばれ方も、案外と良いもんだな。ハハハ」


 カラカラと笑うブルーノの顔を、しかし溢れる涙でシュミットは見ることが出来ない。自分は屈強で血も涙も無い男だと思っていたが、どうやら随分甘かったらしいと、このとき童顔の戦士は思っていた。


「兄さん……これからはずっと、そう呼ぶことになる……だから……ぐすッ」

「ハハハ、まあ、それはそれとして、これをクララに渡してくれよ。一応、念の為にな。それから――……ジーメンスには、この徽章を渡してくれ」


 そう言ってブルーノは懐から手帳を一冊、ポケットから徽章を一つ取り出した。徽章は銀色の薔薇と刀剣サーベルが交差した意匠だった。


「これは、俺たちの隊員徽章……?」


 手帳を大事そうに懐へしまってから、シュミットは言った。隊員徽章は部隊結束の証だ。


「ジーメンスのヤツに伝えてくれよ。お前はもう、鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)の準隊員だってな」

「分かりました」

「おう。じゃ、時間も惜しい。もう行け――……シュミット。クララと幸せになれよ」

「はい。ですが必ず、生きてお戻り下さい……隊長」

「おうよ。だいたい俺が戦場から生きて戻らなかったことなんざ、一度だってあるか? ハハハ――……似合わねぇ敬礼なんぞしてねぇで、さっさと行きやがれッ!」


 こうしてブルーノはシュミットの尻を蹴り、四十名ほどの部下を追い出した。そして懐から酒の小瓶を取り出すと、残った百六十人の前で掲げて見せる。


「さて、どうしてお前らが残ったか、もう分かっているよなぁ?」

「俺たちこそ最強無敵、真の鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)だからであります!」

「おう、その意気や良し。だが違うんだなぁ。今残っているのは、国に恋人や妻のいない、モテない奴等ってことさ。もちろん、俺も含めてなァ!」

「「「「ウワハハハハハハ! そんなこったろうと思いましたよ! 隊長!」」」」

「だが、命の惜しいヤツは立ち去れ。止めはしない――……」

「隊長、そいつは俺たちを馬鹿にしてるんですかね? いる訳ないでしょう、そんなヤツ」

「そうか、助かる。それなら諸君、一つだけ朗報だ。ここで俺たちが踏ん張れば、ヴィルヘルミネ様の寵臣が二人も生き残るぞ」

「「「「「なんだ、なんだ? どういうことです?」」」」」

「つまりヴィルヘルミネ様の、お役に立てるってことさ」

「そりゃあいい。あの方の為に死ねるなら――戦士の本懐。天上界ヴァルハラで、戦神トゥールに自慢できるってモンだぜ」

「ああ、そうだな」


 ブルーノは不敵に笑い、「さあ、お前達も酒を出せ」と言った。


「「「「「おうッ!」」」」」


 鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)の面々は全員、懐から酒の小瓶を取り出した。誰の顔も不敵に笑っている。


「今こそ女王陛下ヴィルヘルミネさまに、我等が魂を捧げよ――……乾杯プロージット!」

「「「「「乾杯プロージット!」」」」」


 ■■■■


 翌十七時五分――鋼鉄の薔薇(シュティール・ローゼ)は見事に一日以上の時間を稼ぎ、百六十名全員が死亡した。

 

「フフッフー――……流石はヴィルヘルミネの精鋭部隊。ずいぶん手を焼かせてくれましたが、これにて終幕でぇす」


 焼け野原となった森の中、ブルーノの死体を見下ろし、薄笑みを浮かべるジークムント。

 その手には最後の襲撃を仕掛けてきたブルーノを迎撃し、彼の身体を両断した刀剣サーベルが未だ握られている。


 ジークムントは不思議な動きで刀剣サーベルをクルクルと回しながら、ブルーノの突撃をいなすと同時に、胴体を斬りつけた。フェルディナントの者は誰も見たことが無い、不思議な剣術であった。

 体格的には圧倒的に劣るジークムントが、均整の取れた肉体を誇るブルーノを圧倒したのだ。


 いや、それだけでは無い。

  

 ジークムントは同時に三方向から鋼鉄の薔薇(シュティーム・ローゼ)の生き残りに襲われながら、それらを斬り、薙ぎ、払い、秒殺している。

 そもそも鋼鉄の薔薇(シュティーム・ローゼ)は護衛たちに気付かれることなくジークムントへ接近し、攻撃を加えた程の猛者たちだ。それを軟体王子はたった一人、細身の身体で一蹴したのだから、恐るべき剣の腕前であった。


「ご無事ですか、閣下!?」

「問題ないよ。こういう場合も想定して、私は訓練をしていたからねぇ」

「そ、そうでありましたか。しかし、その剣術は一体どこで?」

「フフッフー。この技は『輪廻』と言ってね。先生は東方からやってきた人で、凄く華奢なんだ。私にピッタリの武術だと思ったから、無理を言って教えて貰ったのさ。興味があればキミにも教えてあげるけれど、最初は痛いよぉ?」


 ピタリと止めたジークムントの刀剣サーベルから、まだ暖かい血が刀身を伝い、大地へと零れ落ちた。

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ブルーノ少尉よ、永遠なれ!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ブ、ブ、ブルーノ、イケメン過ぎる 86点じゃなく言動込みなら100点狙えましたね! 戦記物である以上は仕方ないとは思いますけどかっこいいと思った人がいなくなるのは辛いですね [一言] 前回…
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