59 ニーム攻防戦 10
十四時三十分。エリザ=ド=クルーズは再編成を終えて前進を始めた敵軍を眺め、憤然としていた。
味方の損害は負傷者が十二名だが、キーエフ軍は中級士官五名を含み百名以上の将兵が死傷している。
近年陸軍の戦闘は特に損耗率が激しいが、それでもただ一回の戦闘で一パーセント以上の損害を被り、すぐに再攻撃を仕掛けてくるなど、指揮官が兵を消耗品だと思っている証左であろう。
「あれだけ無様にやられておきながら、また攻めて来るなんざぁ……敵の指揮官は随分とアタシの癪に障るヤツのようだねぇ」
エリザは左手を腰の舶刀の柄に置き、右手は口に咥えた葉巻に添えている。険しい眼光の内には、敵将に対する怒りが渦巻いていた。
――やつらが懲りずに正攻法で攻めようというのなら、先ほどと同じく手痛いしっぺ返しを食らわせてやるだけのことさ。
実際に敵は前回と同じく、隊列を整え並歩で近づいてくる。そしてまたも同じ場所で速歩へ切り替え、前進を続けていた。
ウィーザーも塹壕内で敵を見据え、エリザと同じように考えている。様子見で味方を死なせ、集中砲火と騎兵による奇襲を食らってなお正攻法を捨てない敵将に対し、エリザよりも激しく不快感を露にしていた。
「何度来たって、同じだろうがッ!」
吐き捨てるように言いながらもウィーザーは敵との間合いを慎重に測り、今度は味方に敵中央部隊を狙わせている。
「――撃てッ!」
ウィーザーの雷鳴のような声が響き、先程と同じく敵兵が倒れていく。いくら命中精度の低い銃だからといって、同じ的を狙えば誰かの弾が必ず当たる。こうして狙われた運の悪い敵の兵士達が、前列から次々に倒れていった。
その時だ。
エリザは高地の頂上から下方の戦闘を見下ろし、胸に燻る些細な違和を覚えていた。最前列が倒れたのは、確かに撃たれたからのようだ。しかし後列は自ら伏せて、射線から身を隠したようにも見えた。
――だとして、何の意図がある? 再び立ち上がれば、また的にされるだけだろうに。
エリザの違和感を他所に、敵兵は一向に立ち上がらない。
――やはり、撃たれて倒れたのか?
西からの風を左の頬に浴びて、エリザは顔に掛かる黒髪を掻きあげた。傷の無い秀麗な頬が露になり、本部付きの陸軍将兵がボンヤリと彼女の横顔を見つめている。
三十歳を過ぎてなお些かも衰えない美貌を見た陸軍将兵は、彼女が悪魔と取引をしたのではないかと、半ば本気で思っていた。もっとも、その代価が右頬の傷跡だとすれば余りにも凄惨だ。
美の中に醜を宿したとき、それは美しいといえるのだろうか。あるいは内に醜を秘めるからそこ、美が際立つのかも知れない。
ともあれエリザ=ド=クルーズという人物の中には、相反する二つのモノが同居している。それが現象として表面に生じたものが、「顔の傷」ではないかと他者は彼女の内面を勝手に類推し、大半の場合は納得をした。
つまりフェルディナントの第一海軍卿は、心に深い闇を抱えているように見えるのだ。そしてそれは、間違いではない。
夫と子供を同時に失った彼女が、どうして闇に飲まれずにいられるだろう。鏡に映る自分の顔を見るたび、記憶が呼び起こされるのだから。
しかしエリザ自身は他者にどう見られようと、気にした素振りを見せたことは無い。
今も黒髪の女提督は男たちの視線を全て無視して、踵を返す。
やはり、敵の動きがおかしいと考えたからだ。
――考えてみれば名将と呼ばれる程の男が、部下の無策を許すはずがない。罠――……か。
エリザは自らの直感を信じ守備部隊の全予備兵力を集め、司令部を降りて塹壕付近に展開した。
その間にカミーユ率いる騎兵部隊は再び出撃し、敵の間近に迫っている。
「アタシの杞憂であればいいが。最悪の場合、騎兵部隊を捨てねばならん。その時はカミーユ――……死んじまったら、アタシだけを恨みなよ」
■■■■
騎兵部隊の先頭で馬を駆るのは、前回の成功で気を良くしたジーメンスであった。
「みな、このボクに続けぇぇええ!」
前回の戦いでギャン泣きしていた男が最前にいるから、やはりランス騎兵は全員がイラっとしている。たとえジーメンスが明らかに一騎当千だとしても、そこには何か譲れないものがあった。ゆえに、騎兵達の士気は前回にも増して高い。
「「貴様にだけは、負けられるかァァアアア!」」
カミーユとユセフは後ろを振り返り、苦笑を浮かべるしかなかった。
「なぁ、ユセフ。ジーメンスにはカリスマがあると思わないか?」
「他人をイラつかせるのがカリスマなら、俺はいらないと思うがな、カミーユ」
「ははは……確かに、そうかもしれ――……ん?」
ユセフと並走していたカミーユが、敵軍の異変を察知した。
ここは味方の十字砲火地点だったはずなのに、敵の死体が少ない。しかもジーメンスの突入に合わせて、先の敵が道を開けるそぶりまで見せていた。
前回は岩に亀裂が入るかの如く無残に割れた敵軍が、今回は超常的な力で海が割れるようにして裂けていく。整然としていた。だというのに、むしろジーメンスはこれに気を良くして、変な名乗りを上げている。
「うわはははー! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそはヴァルダー=フォン=ジーメンス! 男の中の男、戦士の中の戦士にしてヴィルヘルミネさま第一の騎士なり~~! 我と思わんものは、いざ、掛かって来るがよい~~~!」
そんなジーメンスを無視して、カミーユは隣のユセフに相談をした。
「――どうも様子がおかしい」
「ああ、ジーメンスのやつ。あんな口上、どこで覚えたのやら……」
「そのことじゃない。ジーメンスの様子は、いつだっておかしいだろう、ユセフ。私が言っているのは、敵がこちらを誘導しているように見えることだ」
「言われてみれば、そろそろ迂回すべき地点だな。しかしジーメンスのやつが調子に乗って、直進ばかりしているから……」
「直進? ――……しまった、これは罠だッ! 見ろ、前方に敵影があるッ!」
カミーユは罠の存在に気付いたが、時すでに遅かった。敵軍の割れた先から、無傷の騎兵部隊が姿を現したのだ。数は明らかにカミーユの部隊を上回っている。
それが地上に沸いた黒雲の如く、前方から砂煙を巻き上げ迫っていた。
「カミーユ、新手だッ! 一戦交えるかッ!?」
咄嗟にユセフが叫び、方針を確認する。
「どう見ても敵の数は一千以上! 勝負にならない、無理だッ! 退けッ! ジーメンス!」
前方を走るジーメンスに向け、カミーユが叫ぶ。
余りの事態に己のキャパシティを越えたジーメンスは、またもギャン泣きするのだった。
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