12 ヴィルヘルミネの内閣
晴れてフェルディナント公国の宰相となったヘルムート=シュレーダーは二十一歳、もちろん独身である。
目下のところ、彼は主君であり弟子であるヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントの隣に部屋を与えられ、今また新たに公宮の一室を貸し与えられたのだが……。
「はあ……これが私の執務室ですか……」
右側の壁には背の高い本棚があり、左側には大きなアーチ形の窓、最奥の壁にはフェルディナント家の紋章が掲げられており、その手前に黒檀の大きな執務机が設えてある。
机の上にはいくらかの処理すべき書類と、秘書を呼ぶ為の鈴が乗っていた。
「では、何か御用があれば、そちらの呼び鈴でお知らせ下さい」
そう言って一礼するのは、どうやら秘書になった男らしい。白髪の目立つ長い髪を背中で纏めた、目の細い無表情な人物である。
先の宰相の時は次席秘書官であった彼だが、その首席秘書官がボートガンプ侯爵の下へ走ったため、今回急遽、首席秘書官となったようだ。彼もまた平民である。
「はぁ……そのときは宜しくお願いします」
今日何度目かの溜息を吐き出すとヘルムートは机の前に腰を下ろし、積み重なった書類の束に目を通していく。それらはヴィルヘルミネの公務において、幾度も目にしていたものだが、しかしこれからは自らの責任において決済せねばならない。肩に大きな熊でも担いだような気分になる。
――ヴィルヘルミネさまは、このような重責を七歳の身でいとも容易く背負われていたのか……
主君に対する尊敬の念を強くしたヘルムートだったが、それは大きな間違いだ。赤毛の令嬢に限っては、ただ闇雲にサインをしていただけである。
ともあれヘルムートは喫緊の課題として、数の足りない大臣の人選を考えていた。内戦を控えた今、最重要となるのが軍務卿であろう。
そもそも公国にあって軍の統帥権は国公に帰するものだが、それをボートガンプは平然と無視し、軍権を私物化している。これを一部であろうと取り戻す為には、ある程度有力な貴族を新たな軍務大臣に据えなければならない。
次にボートガンプの戦略を考えた時、彼が必勝を期す為には後顧の憂いを断とうとするだろう。ならばプロイシェと何らかの協定を結ぶことは明白であった。
これによりプロイシェの支援を得たボートガンプと干戈を交えれば、万に一つの勝ち目も無い。これを覆すには、まずもって外交努力が必要であろう。
――これは、私にしか出来ないことでしょうね……
ヘルムートは顎に指を当て、「ふうむ」と唸り自身が外務大臣を兼任する事とした。
だが、そうなると国内のことは誰に託せば良いのか。ヴィルヘルミネと相性がよく、能力に長けた人物を脳内の人物録から必死で探す。
ほどなくして検索を終えたヘルムートは公爵の病室を訪ね、一人の医師を拝み倒すことに決めた。
■■■■
「嫌だ」
「ラインハルト……そう子供みたいに口を尖らせるな」
「口など、尖らせていないッ!」
病室を隔てた扉の脇で、灰色髪の医師を黒髪の青年が拝み倒している。二人は共に長身で、目を見張る程に美しかった。その彼等がまるで痴話喧嘩のように、「いいじゃないか」「嫌だ」を繰り返している。
このような状況だから時折近くを通る侍女たちが、何だか少し「ハァハァ」しているのだった。
「大体な、俺は医者だ。責任を持つべき病院の長でもある。その俺がどうして――その、なんだ――内務大臣なんぞにならなきゃいかんのだッ!」
白衣を翻して病室へ戻ろうとするラインハルト=ハドラーの腕を、ヘルムートがしっかりと掴む。
近くの胸像の影に隠れ、その様を見ていたヴィルヘルミネはドキドキとしていた。「うはぁ」と思っている。現代で言うならヴィルヘルミネは、BLもイケる少女であった。
「ラインハルト、聞け! 今、この国は病んでいる! お前が医者だというのなら、力を貸してくれ! 共に国の病を治し、人々を救おうじゃないかッ!」
「国が――……たとえそうだとしても、一介の医者に過ぎない俺に、一体何が出来るってんだ」
「出来る。お前は無から立ち上げた病院を、僅か数年で軌道に乗せたじゃないか。今ではヴィルヘルミネさまからの援助を受けずに、独力で切り盛りしているのだろう? 国家も同じだ――予算が多くなっているというだけで」
ヘルムートはラインハルトの両手をしっかりと掴み、紫色の瞳には親愛の情を込めていた。もとより二人は親友だ。誠意をもって話せば、通じない相手では無かった。
「だが、国は国だ……俺には……」
「幸い、フェルディナント公国の人口は百二十万……小国だ。ランスのような大国とは違う」
「だから、俺でも出来ると?」
「ああ。むしろラインハルト……お前以外の誰に内務大臣を任せられるものか。俺はこれから、プロイシェとキーエフ帝国に行く。その間、ヴィルヘルミネ様のことも頼みたいんだ」
この話を聞いてしまい、「がーん」と衝撃を受けたのはヴィルヘルミネだった。
ここ数年片時も離れたことの無いヘルムートが、外国に行ってしまうと言う。止めなければ――そう思ったら、思わず彫像の影から出てきてしまった。
「ヘルムート……ハドラー……」
よろよろとした足取りで、しかしいつも通り毅然とした無表情の令嬢が二人のイケメンの前に立つ。
「これは、ヴィルヘルミネ様」
「お嬢……父君が心配だったのか?」
「いや、そのような事よりヘルムート。プロイシェとキーエフへ行くというのは……」
「はい。これは軍務大臣を決めることと同様、来るべく内戦に勝利を収める為にも、絶対に必要なことかと考えております」
「余が……行くのではダメか?」
眉根を寄せて二人を見上げる令嬢に、ヘルムートもラインハルトも言葉に詰まってしまう。
今、二人はこう思ったのだ。
ラインハルト=ハドラーが内務大臣になることを拒絶している、という事実をヴィルヘルミネは知っている。だから自分が外国を回り、ヘルムートに内政を任せようと考えたのだ、と。
幼いながら、なんと鋭敏な君主なのかと二人の美しき家臣は目に涙を溜めた。
しかし真実は全く違い、ヴィルヘルミネはヘルムートと一緒に外遊をしたがっただけ。要するに言葉がちょっとおかしかったのだ。本当は、「余が一緒に行くのではダメか?」と問いたかったのだが、高ぶる感情がそれを許さなかったのである。
その結果、のちに近代医学の父と称される男は、赤毛の令嬢を前に跪き、癖のある灰色髪をボリボリと掻いてから言った。素直に忠誠心を示すことが、どこか照れ臭かったのだ。
「お嬢に、そんなマネさせられるワケねぇだろ。……内務大臣の職――非才の身ながら、俺がお受けいたします」
そして背後を振り返り、ヘルムートに言った。
「――って訳だから、国のことは任せろ。足りねぇ閣僚や官僚の件も含め、何とかしてやる。だからヘルムート、プロイシェやキーエフへ行って、ヘマやらかすんじゃねぇぞ!」
ヴィルヘルミネは柔らかなほっぺをプルプルと震わせながら、「どうしてこうなったのじゃ!?」と思わずにはいられないのだった。
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