表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

サキちゃん起きないで

作者: 林なろ

 三年前、従妹のサキちゃんがトラックに轢かれた。

 外傷は僅かだったが、問題は中身だ。

 サキちゃんは手術を終えても意識を取り戻さなかった。

 三年間、ずっと眠り続けている。


 毎月、第一土曜日の午前が、私と父がお見舞いに行く日だ。

 父の運転する車の助手席で、手持ち無沙汰にスマフォを触りながら、私はため息を吐いた。

 行きたくないなあ。

 毎回この日は憂鬱になる。

 眠っているサキちゃんに声をかけて、お花を変えて。ただそれだけなのに、それだけの行為がすごく嫌だ。

 どうして私がこんな目に遭わないといけないんだろう?

 偶々、サキちゃんと同じ血縁に生まれて、偶々、サキちゃんが入院した病院の近くに住んでいて、偶々、眠る前のサキちゃんと仲が良かっただけなのに。

「楓」

 と、運転しながら父が私の名を呼んだ。

「何?」

 と、私もスマフォの画面から目を離さず答える。

 一応SNSを開いているけど、開いているだけだ。

 そこに、意味なんて無い。

「サキちゃん、早く目を覚ますといいな」

 予め指示されたセリフを読むような、感情を感じ取れない言葉。

 だいたい、この場で願望を吐いても、どうしようもないだろうに。

 サキちゃんが目を覚ますか覚まさないかは、私たちにはどうしようもないことだ。

 お父さんだって、私がサキちゃんと仲が良くて、病院の近くに自宅があるから、世間体で毎月通っているに違いない。

「なあ、楓。サキちゃん目覚めて欲しいな」

 しつこい。

 私に何を求めてるんだ。

 私は神でも救世主でも医者でもないんだから、私がいくら目覚めてほしいと願っても、サキちゃんが目覚めるかはまったく関係ないじゃないか。

 私の呼びかけでサキちゃんが目覚めるなら、最初の一年でとっくに目覚めているだろうに。


 だいたい私は、サキちゃんに目覚めてほしくない。


「楓。楓、聞いてるのか」

 面倒くさいから、私は頷いた。

 それで父は満足したのか、何も言わなくなった。

 もうすぐ私たちは病院に着くだろう。嫌だなあ。


 私は神でも救世主でも医者でもない、ただの十四歳の中学生だけど、一つだけ、他人とは違う能力を持っている。

 嗅覚。

 人の何倍とか、そういう犬みたいな話ではなく。

 私の嗅覚には、常人には嗅ぎ取れないある匂いを嗅ぎ取れる。

 私がこの匂いを嗅ぎ取れたのは、八歳の時だった。

 学校からの帰り道。一人で帰っていると、私はある男とすれ違った。

 だぼだぼのコートを着て、帽子を目深に被った男。

 男は独特の匂いを発していた。

 獣臭と線香が混じりあったような奇妙な匂い。

 なんだか嫌な感じがして、私は横道に逃げた。

 それからもこの奇妙な匂いは時々出くわした。

 大通りを歩いている時、満員電車に乗っている時、時々漂ってくるのだ。

 私はこの匂いは嫌いだったけど、自分の知らない香水か何かだと思って、気にしなかった。

 ある日、匂いの正体に気が付いたことがあった。

 私が十一歳の時。

 土曜の昼下がり、近所の公園近くの自動販売機でウーロン茶を購入していると。

「ねえ、君」

 と、声をかけられた。

 若い男の声。

 知らない人の声。

「何ですか?」

 と、私は顔を上げた。

 病的なまでに細くて、目だけがぎらぎらしている、大学生くらいの男だった。

「ねえ君、何買ったの?」

「ウーロン茶です」

「へー、いいね」

 何がいいのだろう?

「実はね、僕、道に迷っててね。市役所の場所が分からないんだよ。ねえ、教えてくれないかな君」

「えっと」

 市役所の場所は知っていた。

 でも、男に教えることがどうも嫌だった。

 男からは、あの獣臭と線香が混じった匂いがしていて。しかも今までより数倍匂いが強かった。

「教えてよ、ねえ。向こうでさあ」

 私は逃げようと思った。その時は赤い笛も防犯ブザーも持ち合わせていなかったので、困ってしまった。

 けれど。

「楓、何してるんだ」

 と、私に父が声をかけた。

 すると男は舌打ちをして、足早に立ち去った。

 私は助かった、と本能的に察した。

 しばらくして、男の顔はニュースに登場した。

 児童連続誘拐殺人。恐ろしい言葉が八文字並んでいた。

 被害者は私と同じ歳の女の子が三人。

 私は四人目になっていたかもしれない。

 恐ろしい、と震えて。

 同時に、匂いの正体を察した。

 私は、殺人者の匂いを嗅ぎとることが出来る。


 病室に入った瞬間、私は思わず鼻を摘まんだ。

 あまりにも濃厚な、あまりにも濃密な、もはや痛みに近い匂いが私を襲った。

 だから、来たくなかった。

 サキちゃんはトラックに轢かれて。

 私は急いで病院に駆けつけて。

 絶句した。

 三人殺していたあの男。

 あいつの何倍もの臭いをサキちゃんは発していた。

 前会った時は、サキちゃんは無臭だった。

 なのに、意識を失くしたサキちゃんからは、殺人者の匂いがしたのだ。


 お父さんが花を変えて。

 看護婦さんと雑談している時、私はずっと匂いを我慢していた。

「楓。サキちゃんに声をかけなくていいのか?」

 お父さんにそう言われ、私は渋々サキちゃんに近づいた。

 サキちゃんは静かに寝息を立てていて。

 私は顔を近づけた。

「サキちゃん、早く目が覚めてね」

 心にも思っていないことを呟く。

 毎月のこと。

 このままずっと眠っていてほしい。

 本心を明かさず、私は嘘を吐く。

「サキちゃん、早く元気になってね」

「楓ちゃん」

 と、サキちゃんの唇から小さな音が漏れた。

「楓ちゃん、秘密にしててね」

 私は、しばらく絶句した後、頷いた。


 

  


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] タイトルがシンプルだけど凄く良いです。 読んでみようかなって気になります。 [気になる点] 楓の描写がもっと見たい。 でも短編だから仕方ないですよね(*_*; [一言] サキちゃんに何があ…
[一言] 面白かったです!  序盤からひたひたと不穏が募り、ラストでぞくっとしました。そうくるなんて思っていませんでした。 楓ちゃんのキャラクター、私も好きです。連作として拝見してみたいと思いました。…
[一言] 生きた人間が最大のホラーと言う事ですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ