長篠会戦②
ねぼけてました
すみません
信長もまた境界部に着目していた。
徳川軍という同盟軍の存在が連携面での不安を感じさせていたのだ。一方で丸山には大きな関心を払わなかった。防御設備が若干薄いとはいえ丸山は守勢に適した丘陵部であり、同地点を守る佐久間信盛は6000人もの大兵を指揮下に置いている。
「左翼は佐久間に任せる」
信長の指示は常に唐突で短い。藪から棒にいう。そのため、織田家の諸将は常に頭脳をフル回転させて言葉の真意を瞬時につかまなければならなかった。
(織田家と徳川家の軍事境界線。本陣への最短ルートであるここを勝頼は狙ってくる。殿はそう読んでおられる。ワシと丹羽殿で境界部の背後を固め、その間、佐久間殿は一人で左翼を固めろとの指示だな)
現在、織田軍左翼は佐久間、羽柴、丹羽の三隊で守っている。丹羽隊と羽柴隊が右翼に位置する境界部へ移動するとなると、佐久間隊は単独で左翼を守らなければならない。
織田家中で最も明敏な頭脳を持つ羽柴秀吉はいちはやく回答にたどり着いていた。しかし、信長は鋭敏すぎる頭脳を好まない。鈍すぎず、されど鋭すぎず。
ここらのさじ加減は秀吉の最も得意とする所。すぐに発言することは避けひとまずは傍観に徹する。
(最初に発言するのは佐久間殿であろう。だが、佐久間殿では正解にたどりつけまい)
「殿…。任せるとは具体的にどういうご指示でしょうか…」
「左翼はそち一人で守れ。いいな?」
「はぁっ…」
信盛はぽかんとしているが信長は強引に話を打ち切る。ここで秀吉は助け船をだす。
「殿。羽柴隊は今日中に移動を完了させればよろしいですか?」
「ニ刻以内に終わらせよ」
信盛はようやく理解したとばかりに頷くが、同時に左翼を単独で守るという重責に震えていた。
織田軍の主力は右翼に集中する。その間、信盛は一手で左翼を支えなければならない。
信長の指示が下ると丹羽隊と羽柴隊は早速移動を開始する。信長は鈍重なものをだれよりも嫌う。
丹羽隊と羽柴隊はきびきびと動き、信長の指示通りニ刻で移動を完了させた。
信長直属の鉄砲衆も次々と移動を開始し、信長本陣の外堀となる大宮河沿いに展開していく。
信長の方針は明確だった。
野戦陣地の効能と地形を最大限に利用して突撃してくる武田軍に消耗を強いる。馬防柵と空堀で騎乗突撃を止め、射撃で削っていく。射撃兵の背後には長槍隊を控えさせ、浸透してくる歩兵を排除する。
弱点だった右翼境界部の背後は丹羽隊4500、羽柴隊4000、本陣予備鉄砲衆800を配置し、強力な縦深陣を敷いた。
右翼自体は徳川軍8000が主力を務め、中央は滝川隊5000と信忠隊10000が展開、左翼は佐久間隊6000が固める。
さらに万全を期すため酒井忠次率いる別動隊4500が武田軍の後背に回り込み撤退行動を阻止する。
横一線に兵力のほとんどを展開した影響で予備は少なくなったが、隙のない重厚な布陣が出来上がった。
全部隊が警戒体制へ移行し、火点にも壕にももれなく兵を配置した。
信長は完璧な準備ぶりで勝頼の攻撃を待ち受けていた。
◇
勝頼は自身の戦闘計画を検証するため軍議を開いた。
諸将は概ね賛同を表明したが山県昌景だけは計画の修正を求めた。
「悪くないと思います。ですが、二か所同時に食い破るには予備が足りません」
「突破箇所は一点にしぼれと?」
「はい。突破には最強戦力を投じるべきです」
歴戦の将たる山県の発言は重い。
勝頼は山県の助言に従い、重点形成箇所を一か所に絞ることにした。
織田徳川軍の境界部を狙うか。それとも、丸山を突くか。
境界部を突けば本陣まで一直線。大きな戦果を狙えるのは間違いなく前者。
しかし、戦争には常に相手が存在するものだ。織田軍は間違いなくどちらかに防御の重点を置くはずだった。
この場合優先されるのは「どちらを突けば効果があるか」ではなく、「どうすれば敵の戦闘計画を台無しにできるか」だと勝頼は考えていた。
犠牲をおさえて勝利するには第一撃で崩すのがセオリーだ。しかし、第一撃に全てをかけ展開を固定化させてしまうのはかえって危険だった。境界部か丸山かの二択に敗れた時点で攻勢はストップしてしまう。
織田軍は第一線に兵力の大半を展開しているので予備兵力が少ない。そのため、固定的な展開には強いが流動的な展開には弱い。
織田軍の兵力配置が不明な段階でイチかバチかの賭けに出るよりも、ある程度の犠牲を踏まえた上で調整攻勢を行い確実な隙を作るべきだった。
「境界部を突こうと思う」
「速攻を狙いになりますか?」
「いや。これは陽動もかねた一撃だ。あわよくば信長の本陣を突けたらいい程度に考えてもらいたい。本命の攻撃は丸山にむける」
最初に山県の赤備え衆が右翼境界部を突き信長本陣を伺う。続いて内藤隊、原隊、小山田隊が右翼徳川軍を攻撃する。
織田軍の意識を完全に右翼へ引き付けた上で一条隊、信廉隊、信豊隊が織田軍中央を攻撃。織田軍中央部隊を拘束し、他方面への支援を封じる。
そして、最後に馬場隊、真田隊、土屋隊に騎兵予備全軍を合わせて敵左翼突破を狙う。
突破後は中央方面へと急速に旋回、片翼包囲に追い込む。
織田軍の守備兵力を右翼と中央部に誘引するため、敵左翼が薄くなるよう調整された攻勢を繰り返す。
これが勝頼のだした結論だった。信長がどこに防御の重点を置いていても確実に隙を作れるが、敵野戦陣地に継続して突進を繰り返すので膨大な損失を覚悟しなければならない。
信長相手に無傷の勝利など最初から望んではいない。
血みどろの勝利こそ勝頼の求めるものだった。